「お疲れなのではありませんか」
 声をかけたのは、ふとしたはずみだった。
 作戦本部の天幕を出た時、たまたま前に居た彼が小さく息をつくのが見えたから。
 その戦闘服に包まれた肩が、あまりにも細く、小さかったから。
 思わず声をかけていた。
 自分の立場も忘れて。
「そうでもないよ」
 だが、何でもないように高くも低くもない声は答えた。
「これくらいなら、何ということはない。もっと厳しい戦いを経験したこともある」
 ゆっくりと振り返った小さな顔の中で、子供じみた大きな瞳が深い色にきらめいていて。
 その静かな色に、楊ゼンは答えるべき言葉を奪われる。
「むしろ、おぬしの方が疲れているのではないのか? ……今日、わしは戦闘飛行機を抑え切ることができずに、おぬしの配下の中隊への機銃掃射を許してしまった。七人が即死だったな……」
 感情のあまり浮かばない顔に、それでも確かに自責と悲しみの色がにじむ。
「あれは仕方のない状況でした。むしろ、あなたの妨害のおかげで7人で済んだのだと言っていい。それよりも、その前に敵の側面攻撃を知らせて下さった事の方が重要です。あの時、もし気付くのが遅れていたら、第八大隊は壊滅に追い込まれていたかもしれません」
「わしは、わしの役目を果たしただけだよ」
 敬語を使った楊ゼンの言葉を静かに受け止めて、淡々と彼は答えた。
 そして、西の地平線近くに細く光る月を見つめながら、続ける。
「西側の戦闘飛行機の連係プレーは日に日に巧妙になっているが、残りは2機だ。できることには限りがある。数日中には必ず撃墜するから、もうしばらくの間、苦しいとは思うが頑張ってくれ」
「はい」
 うなずきつつも、細い刃のような月を見つめる横顔に、楊ゼンはかすかな胸騒ぎのようなものを感じる。
「戦闘飛行機の相手はあなたにしかできませんが、だからといって、あまり無理はなさいませんように……」
「わしが機能停止したら、代わりはおらぬからのう」
 くすりと小さく笑って、彼は楊ゼンを振り返った。
「気にかけてくれずとも大丈夫だよ。余程のことがない限り、わしが力を使い果たすことはない。生脳の寿命も、まだ百年以上残っておるしな」
 おぬしは自分の隊のことを気にかけよ、と言うと、宵闇の空に浮かぶ細い月にどことなく似た淡い笑みを最後に、彼は楊ゼンに背を向けて立ち去った。
 その小さな後ろ姿を、楊ゼンはただ見送ることしかできず。
 あの時と同じ──あるいは、それ以上にもどかしい何かがこみあげてくるのを、きつく拳を握り締めることで耐えるしかなかった。

*     *

 この日、西方軍の戦闘飛行機の1機が、長い空中戦の末、撃墜された。
 最後の1機となった戦闘飛行機は全弾を撃ち尽くした後、西の空へと帰還してゆき、それを潮に地上でも西方軍が後退する形で一日の戦闘が終結した。
 深追いすることはないと追撃を控えた東方軍は、あと1機、と既に勝ったような雰囲気に包まれ、司令官たちの訓戒も行き届かない有様になった。
 夕食として配給された軍用レーションと少量のアルコールを、一日の戦闘で空っぽになった胃に送り込みながら、兵士たちは口々に女のことや故郷のこと、戦いのことなどを語り合っていた。
 それらの雑多な会話の話題が、この戦いの最大の功労者のことになったのは、何のはずみだったか。
 すぐ近くから聞こえてきた声高な言葉に、ふと楊ゼンは耳をそばだてた。


「けど、やっぱりガーディアンってのはすげぇな」
「あんなでかい金属の塊を一撃で撃ち落すんだもんなぁ」
「しかも、地上の俺たちまで目配りしてな。見かけは、あんな子供なのに……」
「でも、本当の歳は、ここにいるより誰よりも年寄りなんだろ?」
「ああ、だって俺の祖父さんも、ガーディアンと一緒に戦ったって言ってたからな。もう口癖だったぜ。背中の羽根が奇跡みたいに綺麗だったってさ。ガキの頃、散々聞かされた」
「あー、でもそれ分かるぜ。俺もきっと将来、ガキができたら言うよ。俺はガーディアンと一緒に戦ったんだって……」
「何か、女を口説く時にも言ってそうだよな」
「そんな手に引っかかるなんて、どんな女だよ」
「いや、それが案外……」
 ひとしきり笑い声が続いた後、誰かがしみじみとした口調で言う。
「きっと俺たち、運がいいんだよな。ガーディアンと一緒に作戦やれるなんて」
「伝説と一緒に居るんだもんな」
「俺、前に一度すぐ側でガーディアンを見たことあるけど、感動もんだったぜ。翼が空に透けて、まるで本当の虹みたいでさ。銃撃戦の最中だったんだけど思わず見とれちまった」
「そうだよなー。遠くから戦ってるのを見ても、綺麗だもんな。きらきらしてて、ああ、あそこに居るんだって安心するんだよ」
「そうそう」
 うなずいたあと、一人の兵士が少し口調を変えて口を開いた。
「俺さ、昔、まだぺーぺーだった頃に、ガーディアンに助けられたことあるんだよ」
 その言葉に引き寄せられたように、居合わせた兵士たちは、ふと会話を止めて続きを待つ。
「キオールで作戦中だった時、俺の居た小隊が側面攻撃受けて壊走したんだ。敵の戦車が機銃掃射してきやがって、もう駄目だと思った時、ガーディアンが助けてくれてさ。翼で俺のこと庇ってくれて、自分が時間を稼ぐからその間に逃げろって……」
 しんと鎮まった中に、低い声が静かに響いた。
「で、逃げようとして、ふっと何気なく見たらガーディアンの左手がなかったんだ。吹き飛ばされたみたいに、肘から先がちぎれてて……」
「──でも…ガーディアンって、腕や脚が無くなっても再生できるんだろ?」
「その暇がなかったんじゃねぇかな。最終的に俺たちが勝ったけど、ひでぇ戦いだったから」
「で、どうしたんだ?」
「どうしようもねぇよ。驚いて顔を見たら、すごく苦しそうな顔してたのにちょっと笑ってさ、早く行けって言って、すぐに敵の戦車の方に行っちまったんだから」
「────」
「おかげで俺は命拾いしたんだけど……何ていうか、それまでとガーディアンに対する考え方が変わってさ。ほら、ガーディアンって痛みとか感じないような気がするだろ? 身体そのものが俺たちとは違うんだし……。でも、やっぱり痛いもんは痛いんだなってさ」
「そうだよな……」
「でも、それってすごく辛くねぇか? 身体はもう人間じゃないのに、痛みは感じるなんて……。そりゃ滅多に怪我することなんかねぇだろうけど」
「なのに優しいんだよな。確かにそれがガーディアンの仕事なんだろうけど、身体張って俺たちのこと守ってくれてさ。俺、時々感動するんだよ。おまえの経験じゃないけど、ギリギリのところで兵隊を助けてるの見たりすると。何であんなことできるんだろうって」
「絶対、見捨てたり諦めたりしないもんな」
「そうだよ。たとえ敵に囲まれてて絶体絶命でも、俺たちが逃げられるよう突破口を開いてくれるし」
「すごいよな、ガーディアンは……」




「彼らは怖くないのかな……」
 しんみりと呟かれた言葉を聞き終えて、楊ゼンは顔を兵士たちに向けたまま、側にいた副官に問いかけた。
「ガーディアンがですか?」
「ああ」
「──まぁ、怖くないと言ったら嘘になるでしょうけどね」
 淡く湯気の立ち上るコーヒーの紙コップを手の中でもてあそぶようにしながら、副官は答える。
「一緒に戦っていると、それ以上に、すごい、という気分が先に来るんですよ。敬意というか、一種の信仰心というか……」
「そんなものかな」
「中佐殿は、怖いとお感じになりますか」
 ことによっては上官に対する不敬ともとれる質問に、楊ゼンは少し考えてからうなずいた。
「自分が稀人のせいか、あんなことができるはずがないと思うとな。理屈も何もなく怖くなる。君たちが稀人の私に感じているのも、こんな感覚か?」
 ちらりと副官を見ると、彼は口元に小さく笑みを浮かべた。
「似てるかもしれません。ただ、それは平時のことで、戦闘中はそんなこと言ってられませんからね。ガーディアンと同じ、と言っては失礼ですが、頼もしいとかそういう感覚に変わりますよ。指揮官が稀人で良かった、という」
「──君は、私が上官で良かったと思うのか?」
「ラッキーだったと思ってますよ。あなたの側に居れば、戦死の確率は限りなく低くなりますから」
「……そんなものかな」
「そんなものですよ。確かに自分たち只の人間から見れば、稀人もガーディアンも畏怖の対象です。でも、自分たちを守ってくれていることも知ってますから」
 副官の言葉を聞いて、楊ゼンはもう一度兵士たちの一群に目を向ける。
 既に話題は他に移ったのか、互いをこづきあい、笑い転げながら彼らはしゃべっている。
 その様子を見つめながら、楊ゼンは、この戦場のどこか一角で、今頃たった一人でいるはずの人のことを思った。



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