SACRIFICE
-ultimate plumage-

5. last crime

 乾いた風が吹き抜けてゆく。
 だが、そこに大地を渇えさせる炎熱は既にない。
 内陸の短い夏は早くも終わり、空はいつもにも増して高く、手の届かない青さで地上を見下ろしていた。





「フォスクにおける活躍は見事だった。貴官を我が基地に転属させた甲斐があったな」
「恐れ入ります」
 上官の賞賛に、軍服をまとった青年士官は無感動に返す。
 最前線の軍事基地というのはすみずみまで素っ気なく、機能的にできていて、それは師団長の執務室でも例外ではない。ただ広いばかりで、白灰色の壁には装飾らしい装飾は何も無かった。
「今回の戦功によって、貴官を第四十一師団第八重装歩兵大隊長に任ずる。階級は中佐だ。本来なら、北のティルデン要塞を陥とした時点で昇進するはずを保留されていたのだから、少々遅くはなったが正当な評価だと思って受け止めてくれ。いくら戦功を立てていても、早すぎる昇進は風当たりが強くなる。貴官にとっては愉快なことではないだろうが……」
「いえ、自分は階級にこだわっているわけではありませんから。少将殿のお心遣いはありがたく思います」
「そう言ってもらえると、こちらも気が楽だがな」
硬骨漢らしい食えない笑みを浮かべると、第四十一師団長は次の書類を手にした。
「今日の午後、正式に命令が下るが、ついでだから貴官には先に言っておく。フォスクを陥落させて帰還した早々ではあるが、任務だ。第四十一師団まるごとで、シュクリスの第二十五師団、第二十八師団の支援に向かう」
 重々しい口調で、執務卓の向こう側に立つ青年仕官に告げる。
「今のところ、我が軍は善戦していて、ミリムを陥落させるのも時間の問題と思われる。が、一刻でも早く、というのが上層部の意向でな。このところ、敵方は中央戦線での作戦を支援するために、南部戦線の方で動きを見せ始めている。二方面作戦を強いられて人員数での優位が失われるのを、上層部は懸念しとるんだろう」
 わずかに上層部への反感と不満をにじませた声で綴られる戦況と、それに伴う上層部の思惑の解説を、青年士官は黙ったまま受け止める。
 その整いすぎていると言ってもいい端整な顔立ちからは、内面の感情はうかがえなかった。
「というわけで、十日後には、1600(ヒトロクマルマル)時までに現地に赴くことになる。それまでに隊を掌握しておいてくれ。休暇なしで悪いが、上がせっついているんでな」
「既に作戦開始から八ヶ月以上になります。そろそろ決着を着けなければいけない時期ですから、出動命令が下るのは当然でしょう。ただちに装備の点検に取り掛かります」
「うむ」
 そして、師団長に隙のない敬礼をすると、青年士官は味気のない執務室を足早に退出していった。





 西方軍の常識を無視した戦闘飛行機の実戦投入により、本格化した中央戦線の戦況は、現時点では東方軍が優勢のうちに進んでいた。
 空からの攻撃にも萎縮することなく、ある程度の損害を覚悟した上で軍を二つに分け、敵の本隊を釘付けにする一方で戦闘飛行機基地を叩くという積極策に出たことが功を奏したのである。
 また、これより先に北部戦線を制圧し、補給路を確保できていたことも東方軍に有利に働いた。
 戦闘が本格化してから八ヶ月、西方軍の中央前線の足がかり的な拠点の一つであったフォスク基地が陥落し、発着基地・ミリムでも、実戦配備された戦闘飛行機12機のうち、既に8機が失われている。
 友軍を助けるべく南部前線の西方軍が動きを見せ始めているが、それも既に時期を逸した感があり、東方軍が中央前線の中核部を制圧するのは時間の問題と思われた。

*     *

 シュクリスは、荒野の中にぽつりとある前衛基地だった。
 わずかな起伏のある丘陵の上に建物群が建造され、その周囲に分厚い防御壁をめぐらせてある、それほど大きくはないが重厚なつくりの要塞だった。
 そして、戦闘体制に入っている現在は、更にその前面に堡塁(ほうるい)と、いくつもの塹壕(ざんごう)が築かれ、敵の襲撃に備えている。
 後方のカシュローン基地との連絡も確保されており、武器や弾薬、食料の補給、また傷病兵の送還なども滞りはない。
 副官に大隊の指揮を任せて基地内を一巡りした楊ゼンは、正直なところ、最前線の要塞としては異例ともいえる整った戦闘体制に驚嘆した。
 これまで十年近くを戦場で、しかもそのほとんどを激戦地で過ごしてきたが、敵の攻撃をかいくぐっての後方との連絡の確保には常に悩まされてきた。
 なのに、シュクリスは空からの襲撃にさらされているにもかかわらず、無傷といってもいいような姿を保っているのである。
 今のところ、敵機の襲来で被害を受け、使用不能になった基地の建物は、左翼の端にある倉庫だけだった。人間の兵士の被害もそれなりの数に上ってはいるが、敵の機動力を考えれば、まだ少な過ぎるほどだと言えた。
 戦闘飛行機などという化け物を相手にしているとは信じられないような損害の軽さを目の当たりにして、楊ゼンは口元に微かな苦い表情を浮かべる。

 ───当然といえば当然なのだ。

 この基地には『彼』がいるのだから。
 前線の兵士を守るために創り出された“ガーディアン”は、戦闘飛行機でさえも一撃で墜とすことのできる能力を持つ。
 ガーディアンがいるからこそ、本来なら圧倒的なアドバンテージを持つはずの戦闘飛行機に、東方軍は陸軍のみで対抗できているのだ。
「西も馬鹿な兵器を造ったものだな……」
 西方軍が戦闘飛行機を投入した狙いは、東方軍を支えるガーディアンの抹殺、もしくは無力化と、カシュローン基地の攻略である。
 しかし、もっと数があれば状況は変わってくるかもしれないが、たった12機ではガーディアンを抑え切ることはできない。既に8機を失った戦闘飛行機は、このシュクリスを無視してカシュローン基地へ空爆に行くこともできなくなっている。
 結局、西方軍のガーディアンに対する認識が甘かったのだろう。
 この大陸における、人々の空に対する本能的な畏怖は根強い。
 莫大な開発費を必要とし、兵士を薬漬けにしなければ使用できない戦闘飛行機では、12機でもギリギリの数字だったのだろうが、せめて倍の数字がなければガーディアンには対抗するのは不可能なのだ。
「あんなものを造らなければ、もう数年の間は、ずるずると睨み合いが続いていただろうに……」
 均衡化していた戦局を、強引な手段で有利に運ぼうとしたばかりに、西方軍はカシュローン基地攻略の足がかりであったはずの前衛基地・フォスクに続きミリムまで失おうとしている。
 東方軍が長大な中央戦線全体を圧倒するまでには、まだかなりの時間がかかるだろうが、これで、少なくとも戦線の中央部分における優勢を占めることができるだろう。
「────」
 窓の向こうに広がる風景は、カシュローン基地から見るものとよく似た乾いた土と、ひたすらに青いばかりの空である。
 しばしの間、その不毛な色を見つめ、楊ゼンは再び無機質な基地の廊下を歩き出した。



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