「実用化の時点で問題となったのは、脳の融合だけじゃない。稀人は寿命が極端に短いし、いくら電脳の演算能力を備えたからといって、生身の人間の体ではそれを十分に生かせない。
 だから、蛋白質と水分からなる肉体の代わりに、研究者たちは特殊な有機金属の身体を用意した。
 この物質は一種の形状記憶合金で、読み込んだDNAの通りに形を作り、決して崩れない。たとえ一部が傷ついたり失われたりしてもすぐに再生するし、更に脳の命令に従って即座に形を変えることも可能。──この有機金属製の身体を手に入れて、ガーディアンは万能の兵器になったんだ」
 太乙の言葉に、楊ゼンは一週間前、目の当たりにした光景を思い返す。

 陽光に淡くきらめく翼を背に負い、瞬時に左手を変形させ、鮮やかに敵機を屠った『彼』。

 ───思い出した途端、ぞくりとしたものが背筋を這い上がり、楊ゼンは思わず自分の腕を掴む。
「結局、実験が成功したのは五体だけだった。すべて十代の子供で、完成品は伏羲、女禍、燧人、神農、軒袁のコードネームをつけられ、戦場に投入された。それが、今から六十年前の事だ。──このコードネームはね」
 高くも低くもなく、淡々と言葉を紡いできた太乙の声がふと苦くなる。
「月人の王の名前なんだよ」
「月人?」
「そう。大陸から神話や伝承の類いがすたれて長いから、私も教えられるまで知らなかったんだけどね。君も稀人なら、その存在についてちらりとは聞いたことがあるだろう?」
「……はい」
 かつて月から降りてきて地上の人々と同化し、異能力を持つ人々──稀人の祖となった存在。
 詳しい伝承など知らずとも、事実かどうか定かでないその迷信めいた言い伝えは、稀人なら誰でも知っていることだった。
「彼らは非常に穏和な種族だったそうだ。争いを嫌い、草食動物のように静かに生き、原始時代の先住民に神と崇められながら、長い時間をかけて地上に同化していったと伝承では語られている。その歴代の王の名を兵器につけるなんて、大したロマンティストぶりだと思わないかい?」
「────」
「月人のように美しい翼を持たせ、月人のように凄まじいまでの能力を持たせて。できあがったのは、戦う術しか知らない生体兵器だ。戦場でしか生きていけない、ね」
 そこまで言って、気を鎮めるように太乙は一つ息をつく。
 やや間を置き、また穏やかな口調に戻って言葉を紡ぎ出した。
「……でも、ガーディアンとて不死ではなくてね。要の脳を損傷したり、ボディの限界を超える能力を行使すれば、活動停止──つまり、死ぬんだ。
 燧人は二年目で早くも活動停止した。その後も一人ずつ減っていって、四人目の女禍が活動停止したのは三十年前。どれも皆、圧倒的に不利な戦場で兵士を守ろうとして能力を酷使しすぎた結果だ。そして、現在残っているのは、伏羲一人。
 最初の管理者──ガーディアンを造った研究者が死んだ後、やはり非人道的すぎるということで新しいガーディアンの開発はされてないから、彼が最後のガーディアンということになる」
 それでね、と太乙はまなざしを上げて楊ゼンを見つめる。
「あの子の名前だけどね、別に嘘を名乗ったわけじゃないんだよ」
 溜息をつくような口調で、彼はそう告げた。
「呂望というのがあの子の……伏羲の本名なんだ」
「本…名……?」
「そう。正真正銘、あの子が親からもらった名前」
 太乙は病室の白い壁に背を預け、軽く腕を組んだ姿勢で静かに続けた。
「戦闘時以外、一見しただけで、あの子がガーディアンだと気付くものは少ない。当然だよ。軍内部で公開されている資料を見ただけじゃ、まるでただの無機質な機械のような印象を受ける。誰もあんな表情豊かな存在だとは思わない。
 ──だから皆、驚くんだ。それがあの子には辛かったみたいで、八年前に私が管理者になって本名で呼ぶようになったら、素性を知らない相手には呂望と名乗るようになった。どうせ皆すぐに気付くんだから、意味がない気がするけれど、自分から名乗って畏怖と嫌悪の表情を目の当たりにするよりはマシなんだろうね」
「────」
「あの子の身体の大部分は、生身じゃない。私たちと同じ物質で構成されているのは……つまり、最初からあの子の肉体であるものは脳の半分と脊髄だけだ。
 でも、感情は……心はそのまま残されてるんだ。ガーディアンの至上命令は破壊することではなく、戦場で兵士を守ることだから。『守る』という行為には、機械脳に命令を組み込むより、人間の感情を利用する方が効率がいいからね」
 そうして、太乙はゆっくりと楊ゼンに視線を向ける。
「──身体を作り変えられ、あらゆる実験を施されたあの子は、既に稀人でさえない。だから……あの子は、私に感情を取り除いてくれと頼んだこともある。これ以上、人としての感覚を持ち続けるのは辛いから、と……。もちろん、私は拒否したけどね」
「───何故です?」
「だって、あの子は人間だから」
 迷いもなく、彼は言い切った。
 至極当然のことのように。
「あの子の身体の中で、人間のままなのは脳の半分と脊髄だけだ。
 君は、そんな生き物を人間とは思えないかい?」
「─────」
 すべての感情を包み隠し、静かに見つめる瞳に、返す言葉が出てこない。
 そんな楊ゼンをしばらく見つめた後。
「──フォスクに行くそうだね」
「……はい」
 ここカシュローンより更に南西に位置するフォスクへの出撃命令が出たのは、つい昨日のことである。
 フォスクには小規模ながら西方軍の前衛基地があり、そこに戦闘飛行機と呼応する形で南から西方軍が集結しつつあるという偵察情報を受けての出撃だった。
 大規模な部隊移動であり、その内の一士官に対する辞令を技術少将の地位を持つ太乙が知ることは難しくも何ともないことであるが、しかし全く離れた部署の話である。耳が早いというよりは、太乙が何らかの手段で情報を得たのだろうと思われた。
「あれは──戦闘飛行機は実用化されると厄介な兵器だからね。私も理論だけは持っていたけど、まさか、実用化する度胸のある奴が大陸にいるとは思わなかったな。操縦者の死体──といってもほんの肉片だけど、薬物反応があったことは聞いただろう?」
「はい。……確かに正気とは言いがたいかもしれません」
「まともじゃないよ。大陸人の空に対する畏怖は半端なものじゃない。戦闘薬を使わずに乗れる兵士がいるとは思えないね」
「おそらく。稀人であっても無理でしょう。僕も乗れと言われたら、狂わない自信はありません」
「そうだろうね。けれど、戦闘飛行機が凄まじい破壊力を有するのは事実だ。だから、あの子も駆り出されることになったよ。君とほぼ同時にシュクリスへね」
 その地名に、楊ゼンは意外さは感じなかった。
 シュクリスはカシュローンのほぼ真西にある東方軍の前衛基地である。
 問題の敵方の戦闘飛行機の発進基地・ミリムに最も近く、おそらくガーディアンが出向かなければ、戦闘飛行機の格好の獲物としてまたたくまに破壊し尽くされるだろう。そうなれば、シュクリスの位置からいって、カシュローンは喉元に歯を突きつけられる形になる。
 シュクリスを守り、戦闘機及び発進基地を潰すこと。
 それが彼に課せられた使命に違いなかった。
「そういうことだから、もしかしたらもう二度と、君があの子に顔を合わせる機会はないかもしれない。──もし、何か伝言があるのなら聞いておくよ」
「─────」
きり、と楊ゼンは唇を噛みしめる。
「───何も……ありません。武運を祈るとだけ……」
「……うん。伝えるよ」
 うなずき、太乙は組んでいた腕をほどいた。
「君もね、稀人の命は短いんだから、無駄にしないようにするんだよ。……父親みたいな最期には……ならないように」
「───はい」
「じゃ、武運を祈ってるよ」
 その言葉を残して身体の向きを変え、太乙は病室を出て行く。
 白衣の背中がスライドしたドアの向こうに消える前に、楊ゼンは視線を逸らした。
 シュン、と軽い音とともに白いドアが閉まり、狭い病室に再び静寂が襲ってくる。
 その中に一人取り残されて。
 楊ゼンはゆっくりと膝にかかった毛布の上で、拳をかたく握り締めた。
「───呂望……」



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