「私が玉鼎と知り合ったのは、十年位前……ちょうど、君が士官学校に入った頃かな」
「そうだと思います」
「きっかけは、今の君と同じ。彼の武器の調整を私が請け負ったんだ。それでまぁ、何となく武器談義に花が咲いて……」
「師父らしい……」
 楊ゼンは微苦笑した。
 養い親であり、師でもある玉鼎は、優秀な軍人であり、また武器に対しても非常に厳しい鑑定眼を持っていた。おかげで楊ゼンも、幼い頃からさんざん軍隊や武器に関する薀蓄を聞かされたものだ。

 ───楊ゼンは実の親を知らない。
 更に言うなら、生みの親がつけた名前さえ──その名前があったのかどうかすら知らない。
 戦禍に巻き込まれ廃墟と化した街の路傍で、泣くことすらできないほどに痩せ衰え、衰弱してうずくまっていたのだと教えられたが、その記憶も実感もなく、物心付いた頃には、東方軍の将校の官舎に住んでおり、そこの主を父親代わりとして育った。
 師父以外には通いの家政婦がいるだけの二人暮らしだったが、寂しさを覚えたことはない。
 何十年も戦乱が続いていれば、実親を喪った子供など珍しくもなく、玉鼎もまた、二十歳になる前に両親を亡くしたのだと聞いていたこともある。
 だが、それ以上に無骨で、寡黙で、謹厳な表情の下に人一倍の深い情を持っていた師父の存在が、楊ゼンの心の空白を埋めて余りあったのだ。

「だから、まぁ友人といえたかな。休日には一緒に街に出かけることもあったし……。年は十歳以上離れてたけど、一緒にいると楽しかったよ」
「そうですか」
 そしてまた、太乙は茶を一口飲む。
「──君が本当に聞きたいのは、私と彼との付き合いそのものじゃなくて、彼の最期、かな?」
 その言葉に。
 ぴく、と楊ゼンの肩が揺れた。
「君は当時、どこに居たの?」
「──カリムに…」
「カリムか。遠いね。噂話くらいしか届かなかっただろう?」
「はい」
「そう」
 うなずいた楊ゼンに、太乙は小さく吐息をついた。
 そんな太乙に、思わず楊ゼンは身を乗り出す。
「ドクターは何かご存知なのですか? 父の最期について……」
 そんな青年に対し、太乙は何とも言えないまなざしを向けた。
 いたわるような憐れむような。
 そして、痛みを共有するような。
 そのまなざしを軽く伏せて。
「……私も現場に居たわけじゃないから、詳しいことまでは知らない。けれど……、あれは作戦ミスじゃなかった、と思うよ」
 ゆっくりと腕を組んだ太乙のまなざしが、遠いものに変わる。
「あれは、間違いなく謀殺だったと…思う」
 静かに響いた声に。
 楊ゼンの肩が、大きく反応する。
「何故……」
 基地の宿舎で、訃報を受け取った時の衝撃が楊ゼンの胸に蘇る。
 しかも、その知らせは使者に対する侮蔑と嫌悪に満ちたものだった。文面は至極事務的なものだったが、それに伴うあらゆるものが、死者の作戦ミスを責めていた。
 それらはあまりにも高潔で勇敢だった師父にはふさわしくなく──だが、己も軍人である以上、声に出して言うことはできず、ただ楊ゼンは悔しさを心の奥底に封じ込めるしかなかった。
 自分が、大きなミスをして部隊を全滅させた士官の養子であると侮蔑の目で見られることなど、気にもならなかった。
 耐え難かったのは、師父が死して猶、責められることだけだった。
 だが、作戦ミスではないはずだと確信していても、何の証拠もなく、どこからも師父を弁護する言葉はなく。
 耐え忍ぶしかなかったのだ。
 何年も、何年も。
 長い指が白くなるほどきつく膝を握りしめ、かすかに震える声で問う青年士官を、太乙は何とも言えない色を浮かべた瞳で見つめた。
「稀人、だから」
 高くも低くもない声が、淡々と告げる。
「稀人だったから。玉鼎は殺された」
「───…」
「──当時の…」
 わずかに首を傾けた太乙の髪が、さらりと流れ落ちた。
「統合作戦本部長は有名な稀人嫌いだった。戦場における便利な消耗品としての稀人は許せても、人間の兵士を指揮する稀人は許せなかった。──軍人だった父親を、戦場で稀人に殺されたからだともいわれてるけどね。本当のところは知らない。
 ただ、彼が、稀人として最前線に配置されながら戦死もせず、将官にまで昇りつめた玉鼎を嫌い、排除しようとしていたことは確かだ。ひどい言葉で玉鼎を侮辱する場面を、私も一度ならず目撃したよ」
「────」
「あの日……私のところへ来た玉鼎は、出撃が決まったと言って、光剣のメンテナンスを頼んだんだ。そして、別れ際、帰ってきたらまた飲みに行こうと言って笑った。……それが、私が彼を見た最後だ」
「……何が、起きたのですか。あの……ディオルの街で」
 苦渋を押し隠した表情で、楊ゼンは問うた。
 その紫を底に秘めた青い瞳に激しい光が浮かんでいるのを、太乙は何とも言いがたい表情で見つめる。
「──私にも良く分からない。あの街は西方軍の攻撃拠点の一つだった。そして、東方軍はそれを攻めあぐねていた。それは確かなんだ。
 ディオルを陥とすために、玉鼎は陽動を使った夜襲を計画した。けれど、街に攻め入った彼と指揮下の部隊は、仕掛けられていた大量の爆薬によって街ごと吹き飛んだ。陽動部隊も、兵力を結集させていた西方軍によって殲滅された。
 軍の戦闘記録の記述は、玉鼎の作戦ミスだ。功名心に逸った杜撰な作戦立案は敵に察知され、部隊は全滅した。それしか書かれていない。──あの玉鼎がだよ?」
 それまで静かだった太乙の声に、不意に深い憤りが籠る。
「身体型の稀人は、つまり戦闘の天才だ。五感の全てで戦場の機を読み、攻めるべき時には攻め、退くべき時には退く。ましてや、あの玉鼎なら、功名心に逸ることも杜撰な作戦を立てることも有り得ない!」
 強く言い切ったその声に、楊ゼンはぐ…と拳を握りしめる。
 太乙の言う通りだった。
 楊ゼンの師父は、そんな軽率な人物ではなかった。味方を勝利に導くことに強い使命感を持ち、任務に身命を賭する。そんな献身的な――模範的な軍人だったのだ。
 そして楊ゼンは、その師父の背中を見つめて育った。
 大きくて広い、温かな背中だけを見つめて。
「──何かがあった、ということですか」
「そう。何かがあった。でも、それが何かは私には分からない。色々調べてみたけれど、結局、噂話以上のことは何も出てこなかった。当の本部長も一昨年、背広組のくせに運悪く戦死したしね」
 穏やかな響きの声には似合わない、皮肉のにじんだ言葉と共に、しばしの沈黙が落ちる。
 太乙と楊ゼンは、それぞれ表現しがたい思いを浮かべた瞳で床を見つめていた。

 ───稀人として生まれたことを恨むな、と何度も師父は言い聞かせた。
 一年以上も前に廃墟と化していた街に、わずか二、三歳の幼児を捨てたのは、おそらくは稀人であることを親が嫌悪したからだろうと。
 だが、身体型の稀人であったからこそ、生来の肉体の強靭さが、自分と出会うまでお前を生き延びさせたのだと。
 この先、どんな道を生きようと、稀人というだけで謂われない迫害を受けることが必ずある。
 それでも誰も恨まず、ただ誠実であれと。
 幼い子供に、生真面目に語り続けたその人は。
 けれど、その能力が故に。

 ああ、それでも。
 恨むな、憎むな、と。
 負の感情に駆られて、自らを貶めるなと。
 きっと、そう言うのだろう。
 あの、ただひたすらに無骨で、限りなく高潔であった人は。



 やがて、楊ゼンが思いを振り切るように小さく唇を噛み、顔を上げる。
 それに応じて、太乙もまなざしを彼の方へと向けた。
「申し訳ありません。辛いことをお伺いしてしまいました」
「いや。辛いのは君の方だろう? でも、私も誰かに聞いて欲しかったし……それに、君にはいつか伝えなければいけないと思っていた。私が存在を知っている玉鼎の縁者は君だけだからね。良い話でないのは確かだけれど、それでも今日、ここで伝えられて良かったよ」
「はい……。ありがとうございます、ドクター」
「うん」
 うなずいて、太乙はデスクに置いたカップを取り上げる。
「もう一杯、お茶を煎れようか?」
「いえ、僕はもうこれで失礼させていただきます」
「そう」
 太乙は引き止めることなく、楊ゼンは隙のない身のこなしで立ち上がり、敬礼した。
 そして、立ち去りかけて、ふと足を止める。
「──ドクター、少しお伺いしたいのですが、こちらの研究室に……」
「居るよ」
「え?」
「呂望のことだろう? 先週のことは彼から聞いているよ」
 振り返った視線の先で、太乙は微妙な笑みを浮かべて頬付えをついていた。
「今は出かけてるけどね。一応、彼はこの研究室で預かってる」
「……そうですか」
「なに、あの子に会いたかったのかい?」
「いえ、そういうわけでは……」
「屋上に居るよ」
「は?」
「だから、ここの屋上。昼間は大抵、あの子はそこにいる」
 微妙な笑みのまま、太乙は告げた。
「──分かりました」
 その微笑が意味するものが読みきれないまま楊ゼンはうなずき、もう一度敬礼する。
「失礼致します」
「うん」
 ひらひらと片手を振る太乙に見送られて、楊ゼンは白い研究室を後にした。



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