SACRIFICE
-ultimate plumage-
2. innocent sky
基地の廊下は、どこまで歩いても直線と直角の組み合わせでしかない。
ひどく単調で無機質な白灰色の中を歩き、階段を上る。
壁の所々に取り付けられた素っ気のない案内プレートがなければ、慣れない者は簡単に迷子になれるだろう。
カシュローン基地。
東方軍二番目の規模を持ち、そして本部直属の司令部を持つ基地としては最も前線に近い。
大陸のほぼ中央の乾燥地帯に位置するカシュローンは、古い言葉で城を意味する。
中世の面影を残した堅固な石壁と迷路状の街路を持つ、城砦(カスバ)と呼ばれる街区と、その背後の岩山に挟まれた窪地にうずくまっている基地は、大陸の南北を貫く長大な戦線の要となっていた。
大陸を縦断する戦線は複数に分かれており、北部戦線は一ヶ月前に西方軍の撤退により、東方軍が制圧地域を西へ一千キロほど拡大した状態で停戦、南部戦線は東西の軍事力が拮抗。
そしてカシュローン基地のある西部戦線は、この半年ほど小康状態が続いていたものの、北部の状況変化の影響を受け、東西勢力共に戦力を集結させつつある。
大陸中央部における戦闘再開が間近なのは、既に誰もが承知している事実だった。
「ここか」
白い扉に取り付けられたプレートを確かめて、楊ゼンはインターホンを押す。
『──はい?』
すると、すぐに若い男の声が返った。
「第四十一師団第三重装歩兵大隊所属・第一中隊隊長の楊ゼン少佐です。ドクター太乙に武器の調整を依頼してあるのですが……」
『ああ、はいはい。聞いてるから入ってきて』
プツ、とインターホンが切れて。
ここが基地内だとは思えないほどあっけらかんとした、ぞんざいな入室許可に、思わず楊ゼンはまばたきをする。
が、とりあえず入って来いと言われたのは確かなのだから、とドアにIDプレートを差し込んだ。
わずかなタイムラグをはさんで、金属製のドアが軽い音を立ててスライドする。
「失礼します」
「どーぞ」
白で統一された無機質な空間の奥から返った声に視線を向けると、壁の色に同化してしまいそうな白衣と、対照的な漆黒の髪の人物がデスクから立ち上がるところだった。
すらりと背の高いその姿を見た瞬間に、若い、と感じる。
だが、次の瞬間に若くて当然なのだ、と楊ゼンは思い直した。
───ドクター太乙。
東方軍にこの人在りと大陸中に知られる、超絶的な技能を持った技術将校──兵器開発者。
その能力は、当然の事ながら、人として異端であるが故のもの。
つまりは、目の前の科学者もまた、自分と同類の存在なのだ。少将という地位には全く似合わない三十歳前後と思われる年齢に、何の不思議もない。
「初めまして。私が太乙だよ。──ああ、格式ばらなくてもいいから」
敬礼した楊ゼンを軽く片手を上げて制し、太乙はちょいちょいと招き寄せる。
白いシャツの上に白い白衣をまとい、漆黒の髪を肩のあたりで無造作に切りそろえた科学者の背丈は、楊ゼンと変わらない。向かい合うと、目の高さはほぼ同じだった。
「君が楊ゼンか。噂通り、いい男だね」
「恐れ入ります。どんな噂が、ドクターのお耳に入っているのかは存じませんが」
あまりにもあけすけな物言いに微苦笑しつつ、楊ゼンは応じる。
「色々聞いてるよ。まぁ、そんなこと何の関係もないけどね。私が興味あるのは君の外見や戦歴ではなくて、君の能力と武器の方だから。──見せてもらえるかな?」
「はい」
楊ゼンは腰ベルトのホルダーから愛用の武器を外し、差し出した。
「光剣だね?」
「そうです」
受け取った太乙は、スイッチを入れないまま、色々な角度から今は柄(つか)だけの武器を一通り眺める。
「何が調子悪い?」
「どこが悪いというわけではないのですが……。一応メンテナンスは自分でしていますが、特殊なものですから、たまには専門家に見ていただいた方がいいと思いまして」
「ああ、そうだね。稀人用の武器はオーダーメイドだから、専門家の定期的なチェックはどうしても必要になるよ。一般人には分からないレベルのごく微妙な狂いが、致命的な違和感になるからね」
そして太乙は、はい、と楊ゼンに光剣を返す。
「とりあえず、実演してくれるかな。メンテナンスしようにも、君の癖が分からないとどうしようもないからさ」
「──それはそうですが、しかし実演といっても……」
室内では無理、と言いかけた楊ゼンに、
「だーいじょうぶ。ちゃんとそれ用に設備があるから」
太乙は笑みを向け、そして手招いた。
「結局ね、屋外だと上手く測定できないんだよ。ノイズが多すぎて、データが正確にならないんだ。通常の武器ならそれでも充分なんだけど、稀人用は……」
言いながら、太乙は研究室の奥にある扉の横の制御盤のスイッチを次々にONにしてゆく。
「で、しょうがないから、こういう部屋をわざわざ作ったというわけ」
扉が音を立ててスライドしたその向こうには、屋内訓練場ほどの広さの空間が広がっていた。
一歩中に入って見上げれば、天井もかなり高い。
「これでも狭いだろうけどね、シールドは完璧だから全力を出していいよ」
「全力、ですか?」
「じゃないとデータが取れないよ。大丈夫、そんなやわなシールドじゃないから」
にっこりと笑顔で太乙は答える。
端整な顔に浮かんだ笑みは、無邪気なようでいて底が知れず、楊ゼンは少々訝るような色を瞳ににじませた。
だが、彼の方は気にする素振りもなく、
「とりあえず、君の得意技を披露してくれるかな。普段、一番よく使う技でいいから。ぎりぎりの場面で使う、究極の必殺技でもいいけどね」
壁に軽くもたれて腕を組み、楊ゼンをうながした。
その様子に、楊ゼンはなるようになれ、と覚悟を決める。
身体型の稀人に全力を出すよう要請したのは彼の方なのだし、その結果、シールドが破壊されても自分が責任を取らされる筋合いはない。
「────」
手の内の光剣の感触を確かめ、そして、ちらりと太乙の方を見やり。
一つ呼吸して、神経を研ぎ澄ます。
次の瞬間。
雷にも似た閃光が、室内の空間を薙いだ。
激しい音と衝撃波に、建物が揺れる。
しかし、それは何の警報をももたらさず、
「轟雷斬か。師匠と同じ技だね」
見物人の静かな声だけが響いた。
「大丈夫だよ。衝撃波もシールドが吸収したから、外には一切、君の技の影響はない」
振り返った楊ゼンに、太乙は笑みを見せる。
「言っただろう、完璧だって」
「───そんな技術が、あるんですか?」
「まぁね」
軽い驚愕の表情を浮かべた楊ゼンに歩み寄り、太乙は手を差し出した。
その手のひらに、楊ゼンは光剣を渡す。
「ただ、現在の技術レベルじゃ、シールドを張れるのはこの空間サイズが限界なんだ。将来的にも難しいだろうと思うよ。かなり特殊なものだから、多分、これだけのシールドは私にしか作れない」
受け取った光剣にまなざしを落としながら、太乙は答える。
「科学技術がそのレベルに発達するまで、生きてはいられないしね」
その声は、ひどく淡々としていて何の感慨もなかった。
「──ドクターは、僕の師父をご存知なんですか?」
そのまま壁際の簡易作業台に向かう太乙の背中に、楊ゼンは問いかける。
「うん。昔馴染みだよ。もう十年位前かな、本部基地にいた頃にね」
「───…」
「これの調整は、玉鼎がした?」
「あ、はい。師父がセッティングしてくれたものを、そのまま基本フォーマットにしています」
「彼の癖がね、残ってるよ。悪くはないんだけど……すごく微妙なところで、君には合ってないかな」
言いながら、太乙は工具を使ってすばやく光剣を解体し、カバーを外して内部センサーと端末と繋ぐ。
「別に違和感を感じたことはありませんが……」
「うん。本当に微妙なところだから、特に不具合はないと思うよ。でも、命ギリギリの場面になるとね……」
そう言う太乙の長い指先が、端末を操作して踊る。
ほどなく設定の変更を終えたのか、元通りにカバーを嵌め直して、光剣を差し出した。
「試してみてくれるかな。感じが良くなければ、元に戻すから」
「はい……」
半信半疑ながらも楊ゼンは受け取り、先程と同様に構える。
そして、無形の構えから抜き打ち──。
「──!」
閃光と音と振動と。
それが収まるのを見届けて、楊ゼンは振り返った。
「完璧?」
腕を組み、軽く首をかしげて太乙はにっこりと笑う。
「何故、一度見ただけでこんなに……」
右手の光剣を楊ゼンは軽く握り締める。
何が違うというわけではない。
だが、確実に違う。
エネルギースイッチをONにした瞬間、振り抜いた瞬間。
すべての一瞬がぴたりと自分に沿う。
まるで、躰の一部のように……否、それ以上に。
自分がこれまでに感じていた能力の限界を突き抜けて、新たな地平が目の前に開けたような気さえする。
「それが私の能力なんだよ」
そんな楊ゼンの驚愕を察したのだろう。太乙は端整な顔に、静かな笑みを浮かべた。
「精密機械並の測定能力と、電脳以上の記憶力に演算能力。はっきりいって、軍隊以外では大して役に立たない能力だけどね。お陰でこんなご時世でも、こんな立派な研究室で、のうのうと日々を送れるというわけさ」
測定室の高い天井を見上げ、戻ろうか、と太乙は楊ゼンをうながす。
「稀人の寿命は短いけど、うまく活用すれば、まぁそれなりに有意義に生きられるということかな」
連れ立って広い空間を出、扉を閉めた太乙は制御盤の全てのスイッチをOFFに切り替えた。
「軍隊生活は不便なことも多いけどね、悪くはないよ」
「……稀人が稀人らしく生きられるという点では、外の世界よりも楽だとは僕も思います」
「うん」
促されて、楊ゼンは研究室の椅子に腰を下ろした。
太乙は、流しのところでインスタントの茶を二人分煎れ、カップの一つを楊ゼンに手渡して自分も腰を下ろす。
基地ではおなじみの香りの薄い茶に一口、口をつけ、それから楊ゼンは思い切ったように目の前の相手に呼びかけた。
「ドクター」
「ん?」
「失礼に当たらなければ、師父……玉鼎准将のことを……伺ってもよろしいでしょうか?」
「いいよ」
茶をすすりながら、ためらいものなく太乙はうなずく。
そして、カップを持った手を膝の上に下ろして、過去を思い出すようにまなざしを天井に向けた。
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