sweet sweet home 1
「そんなに緊張しなくてもいいのに」
「無理です」
即座に帰る返事に、綱吉は苦笑する。
隣りに立つ獄寺は、青ざめるとまではゆかないものの、ひどくこわばった余裕のない表情をしていた。本来不敵で大胆な彼がこういう表情をするのは、かなり限られた状況だけだ。
でも、一週間余り前に見た表情よりは、ずっといい、と綱吉は考える。
綱吉がひどい言葉で突き放したあの日の獄寺は、余裕がないという表現を超えて、そのまま息絶えてしまいそうな、最後にか細く残った命綱を断ち切られるのを目の当たりにしているような顔色をしていた。
それに比べれば、今の獄寺の横顔には強い緊張があるばかりで、悲壮感は薄い。
だから、綱吉は励ましを込めて、獄寺の肩をぽんと軽く叩いた。
「そろそろ中に入ろ? 母さん、待ちくたびれてると思うし」
「は、はい」
綱吉の言葉に、獄寺は土産物の紙袋を提げた手をぐっと握り締める。何とも分かりやすい反応に、また微苦笑を噛み殺しながら、綱吉は玄関のチャイムを鳴らした。
ピンポーンという昔ながらの電子音が響き、数秒の間をおいて、「はーい」と軽やかな返事が奥から返ってくる。
そして、更に待つこと数秒、内鍵が外される音がして、ためらいなくドアが開かれた。
「おかえりなさい、ツナ」
満面の笑みと共に母親の奈々が綱吉を見上げる。が、その視線はすぐに横に逸れて、心の底から嬉しそうに奈々の瞳がきらめいた。
「おかえりなさい、獄寺君」
輝くような笑顔と共に差し出されたその言葉に。
「──只今、戻りました」
目をみはって一瞬言葉を詰まらせた後、獄寺はそう告げて、深々と頭を下げた。
久しぶりに訪れる沢田家のリビングを獄寺は、随分と懐かしそうに見渡している。
その様子を横目で見ながら、綱吉は奈々から温かな緑茶の注がれた湯飲みを受け取った。
今現在、奈々が一人で暮らしている沢田家は、とても静かだ。かつてのように騒がしい子供たちの声などしないし、子供向けアニメやテレビゲームの賑やかな音もない。
いつもリビングの片隅にまとめられていたゲーム機やソフトもなく、テーブルの上もきちんと片付けられていて、置かれているのはリモコン置きを兼ねたペン立てばかりだ。
だが、それでもここには、かつて獄寺も共に一時を過ごした頃と変わらない何かがあった。
それは温かな空気であったり、やわらかなお茶の香りであったり、おそらくは奈々がいる限り変わらない何かであって、獄寺は敏感にそれを感じ取っているように綱吉の目には見えた。
「獄寺君、お茶、冷めちゃうよ」
そんな彼の様子を微笑ましく感じながらも、そっと声をかけると、獄寺は我に返ったように綱吉を振り返る。
「あ、はい。すみません」
ぼうっとしていたことを詫びて、自分の前に置かれた湯飲みを手に取り、じんわりと熱いお茶を一口啜る。
そして、失われていた月日を思うかのように瞳を深い色に翳らせてから、美味しいです、と控えめに呟いた。
「本当に久しぶりねえ、獄寺君。来てくれて、本当に嬉しいわ」
そんな獄寺のことを、綱吉に負けず劣らず優しい瞳で見つめていた奈々が、春先の花のような笑みと共に告げる。
「すっごく大きくなって。それに元気そう。ちゃんと御飯を食べてるのね」
「あ、はい……昔、お母様に怒られましたから」
獄寺が殊勝にうなずいて言ったそれは、もう随分と前の話だった。
獄寺が沢田家に出入りするようになって間もない頃、獄寺が一人暮らしで少々不規則な食生活を送っていると知った奈々が、かなり真剣に説教をしたのだ。
いわく、食事は全ての基本で、きちんと食べないと栄養障害が起きるばかりか、精神状態にも大きく影響を及ぼすのだと。
それは隣りで聞いていた綱吉が思わずはらはらしたくらいにきちんとした叱り方で、獄寺もひどく衝撃を受けたらしく、こくこくとうなずいて、すみません気をつけます、とひたすらに繰り返すばかりだった。
もちろん綱吉は、いま獄寺が言い出すまで、そんなやり取りがあったことはすっかりと忘れていたのだが、奈々は違ったらしく、顔がぱっと輝いた。
「あら、きちんと覚えていてくれたのね」
「勿論です。あれから栄養バランスとかカロリーとか、気を付けるようになりましたから……。どんな時でも食事だけはきちんとしてました」
そうしないと軽蔑されそうな気がして、と小さく獄寺は告げる。
「でも、いつも思い出して、お母様に感謝してました。あんな風にきちんと怒ってもらったこと、俺、初めてだったんで……」
そんな風に訥々と告白する獄寺を、綱吉はひどく愛おしい気分で見つめた。
彼は本当に、不器用すぎるくらいに真っ直ぐだ。
昔も今も。
そして、そんな風に真っ直ぐで嘘のない所が、恋心の自覚を伴わない友情止まりの感情であっても、綱吉はあの頃からとても好きだった。
「そういう真面目なとこって、獄寺君、本当に昔から変わらないよね」
「え、あ、そんなこと、ないっスよ」
綱吉が微笑んで言うと、獄寺は赤くなって慌てたように言い返す。相当に動揺しているのか、語尾が昔に戻ったのが何となく可愛らしく思えて、綱吉は小さく笑った。
「ねえ、母さん。獄寺君って本当に変わらないよねえ」
「ええ、そうね」
綱吉の確認に、奈々も微笑んでうなずく。
「あの頃のまんま。うんと優しくて、一生懸命で。あの男の子が、こんな素敵な大人の男の人に育ってくれて、おばさん、すっごく嬉しいわ」
「―――っ…」
満面の笑顔と共に贈られた手放しの奈々の賛辞に、どう反応すれば良いのか分からなくなったのだろう。獄寺は真っ赤になってうつむいてしまう。
さすがに綱吉も、奈々を敬愛してやまない獄寺にはちょっとキツイかも、と思いながら母親の様子をうかがうと、奈々は全く悪びれた様子もなく、にこにこと獄寺を見つめている。
その表情は、獄寺が可愛くてならないと叫んでいるようで、あーあ、と綱吉は苦笑した。
おそらく母性愛の塊のような奈々にとっては、獄寺もランボもイーピンも、沢田家に出入りしていた面々は、皆我が子と変わりがなかったのだろう。
なのに、そのうちの一人である獄寺は、綱吉の事故を契機として突然、並盛を去ってしまった。当時の綱吉の傷心を思いやってか、獄寺の名を口に出すことは滅多になかったが、奈々はそのことにひどく心を傷め、心配していたのに違いない。
だが、音信不通の数年を経て、突然、その獄寺が戻ってきたのである。
結果として、彼女の内で密かに溜められていた数年分の愛情がまとめて注がれてしまうのは、無理からぬことだと言えそうだった。
「それはそうとしてさ、母さん」
とはいえ、このままでは少々気の毒過ぎる。早晩、獄寺は奈々のダムが決壊したような愛情で溺れ死んでしまうに違いないと見て、綱吉は助け舟を差し向けた。
「獄寺君にはどの部屋を使ってもらえばいい? 客間?」
格別に広い屋敷というわけでは決してないが、標準サイズの一戸建てである沢田家には、使われていない部屋が複数ある。
特に一階は、不在の父親の部屋も含めて二部屋が空いているし、リビングでも寝具を運び込めば泊まれないことはない。
だが、奈々は首をかしげて綱吉を見直した。
「あら、とりあえずお布団は、あなたの部屋に運んでおいたけれど?」
「……ええ!?」
「だって、昔はいつもそうだったじゃない。だから、ついそのつもりで用意しちゃったんだけど……ちょっと狭いかしら?」
言いながら、今度は獄寺に目を向け、身長を測るように視線を上下させる。その視線の先で獄寺が固まっているのは、わざわざ見なくとも隣りにいる綱吉には感じ取れた。
確かに奈々の言う通り、中学生の頃はお泊まりといえば綱吉の部屋が当たり前だった。
他の客間はビアンキやランボ&イーピンといった居候たちで占められていたし、獄寺自身が自称右腕という立場を盾に綱吉と一緒に居たがったという当時の事情もある。
だが、昔は昔、今は今だ。
何の自覚もなかった中学生の頃ならばともかく、今の綱吉と獄寺は今年二十歳になろうという年齢であるし、また関係そのものも、あの頃とは全く意味合いが異なってしまっている。
そんな状況下で、夜眠る時に同室というのは、ちょっと問題があるのではないか。
……そう、思わないではないのだったが。
「……狭いかもしれないけど。まあ、布団敷くスペースくらいはある、かなぁ。今は俺、部屋にあんまり荷物置いてないし」
「え……」
考え考え、顔色が変わらないように努めて平静に言葉を選んで告げると、獄寺は今度は綱吉をぎょっとしたように見つめる。
そんなに驚かないの、と心の中でたしなめながら、綱吉は奈々に向かって言った。
「とりあえずいいよ、俺の部屋で。狭いようだったら客間に引っ越すから」
「そう? じゃあ、そうしてちょうだい」
母親独特の勘の良さを持つ奈々が、獄寺の微妙な反応に気付いていないとは思えないのだが、しかし彼女は一向に気にする様子はなく、あっけらかんと応じる。
そんな母親を横目で見ながら、おそらく、と綱吉は考えた。
奈々の中ではきっと、五年前に綱吉が事故に遭った際、痛々しいほどに自身を責めていた獄寺の印象が強いのだろう。
何しろ、彼女が最後に獄寺に会ったのは、綱吉が退院した直後、憔悴しきった顔色でイタリアに帰ると別れを告げに来た時だったのだ。
だから、そのイメージをもって見れば、今の獄寺の戸惑った反応は、単に恐縮して遠慮している程度にしか感じられないのに違いない。
そして、そんな息子同然に感じていた少年と実の息子が、多少の戸惑い交えながらも昔のように親しくしようとしているのは、彼女にとってはひたすらに微笑ましくも嬉しい光景であるに違いなかった。
そう見当を付けた綱吉は、それならそれで、と獄寺がこれ以上本格的な挙動不審に陥る前にと、湯呑のお茶を飲み干し、さっさと立ち上がる。
「じゃあ、とりあえず部屋に行こうよ、獄寺君。母さん、夕飯は何時の予定?」
「六時半よ。それじゃ遅いかしら? おなか空いてる?」
「ううん、普通。六時半でいいよ」
「そう? じゃあ、それくらいになったら降りてきてね。とびっきりの御馳走作るから」
「分かった」
うなずき、まだどこか呆然としたままの獄寺を促して、綱吉はリビングを出る。
そして、行こう、と更に獄寺を促して、自室へと続く階段を上った。
高校卒業と共に家を出て一人暮らしをしているとはいえ、この家の綱吉の部屋自体は、さして変わりがない。
お気に入りの漫画やゲームは下宿に持っていってしまっているため、床上や本棚が多少すっきりしているのが以前と違う程度だ。
その部屋に獄寺を押し込んで、綱吉はドアを閉め、自分のバックパックを勉強机の足下に置いてから、獄寺と目線を合わせた。
「……あの……」
銀翠色の瞳と真正面から目を合わせると、獄寺はひどく戸惑った顔で口を開く。
「何?」
「──…」
だが、続く言葉はすぐには出てこず、綱吉はそんな獄寺を見上げたまま小さく首をかしげた。
「……客間の方が良かった?」
そう問いかけると、獄寺は更に困惑した面持ちで黙り込む。
そんな獄寺の様子に、相変わらずだなぁという思いと、仕方がないなぁという思いを同時に感じながら、綱吉は、座ろ、と促してカーペットの上に直に腰を下ろした。
そうして改めて向き合うと、記憶のうちにある光景との対比で、自分たちが本当に成長してしまったことに気づく。
昔は遊んだり宿題したりするのに程よいサイズだった六畳間が、今は少しだけ手狭で、傍にいる相手の体温まで感じ取れそうな気がする。
その距離感に反射的に緊張感が立ち上ってくるが、それは決して嫌なものではなかった。
綱吉が視線を合わせると、獄寺は目を逸らしはしなかったが、銀翠色の瞳ははっきりと困惑と動揺をにじませている。
だが、獄寺が何を考えているのかは十分に分かったから、そのことに綱吉は傷付きはしなかった。
「獄寺君」
「……はい」
「あのさ、」
こんな時、どんな風に言葉を選んで話を持ってゆけばいいのかなんて、さっぱり分からない。
だから、綱吉は出来る限り正直に話をしようと考える。
昔から何かと先走ったり空回ったりすることが多かった多い獄寺だが、綱吉が本当にきちんと話をすれば、最後は理解してくれた。
今回のことでさえそうだったのだ。綱吉が突き付けた残酷な言葉を、身を切られるよりも辛かっただろうに、獄寺は正面から受け止め、答えを返してくれた。
だから大丈夫、今もきっと分かってくれると信じて、綱吉は切り出す。
「俺、君が何を考えてるかは、多分、分かってると思う。でも……」
ためらって、綱吉は少しだけ目を伏せる。
頬が熱い。かすかに手が震えそうになって、それを抑えるためにぎゅっと手のひらを握りこんだ。
「それでも傍に居て欲しいし、……俺は君の傍に、居たい」
離れて傷ついて、やっと思いが通じた大切な大切な人だから、ほんの一瞬でも離れたくない。
常に手を伸ばせば届く位置に居て欲しい。
もし獄寺が客間で寝(やす)んだとしても、きっと気になって眠れないのは同じだ。昨夜のように別々の部屋に帰るのならまだしも、一つ屋根の下に居るのに、しかも一緒に過ごすことを許容されているのに、わざわざ離れるのは節度があるというよりも、むしろ自虐的というべきではないか。
そう思って言葉にはしたものの、どうしようもなく恥ずかしい。
轟くような心臓の鼓動を感じながらうつむいていると、獄寺が動く気配がして。
「──沢田さん」
近い距離でそっと名前を呼ばれて、遠慮がちな仕草で髪に触れられる。
おずおずと顔を上げると、獄寺は何とも表現しがたい、ありったけの切なさと優しさを集めたような瞳で綱吉を見詰めていた。
綱吉と目が合うと、かすかにまなざしが細められ、優しい仕草でひたいに羽のようなキスをそっと落とされる。
その優しいぬくもりに満ちた感触に綱吉が目を閉じると、続けて両の目元にもやわらかなキスが落とされ、そして最後に、同じだけの優しさで唇をそっとついばまれた。
優しいキス一つごとに骨格が純白の砂糖菓子に変わってゆくような甘い感覚を味わっていた綱吉が目を開こうとすると、それよりもほんの僅かに早く、獄寺の腕に抱き締められる。
うんと大切なもののように優しく、少しだけ強く胸に抱き込まれて、予期しない動きに一瞬綱吉は驚いたものの、目を閉じたまま、ためらいがちに体の力を抜いて全てを獄寺に預けた。
「俺も、あなたと一緒に居たいです」
「……うん…」
低い声でささやくように告げられた言葉に、綱吉は小さくうなずく。
そんなことは最初から分かっている。一緒に居たいからこそ──その気持ちが子供だったあの頃よりも遥かに強いからこそ、獄寺は戸惑いをあらわにしたのだ。
もう子供とは呼べない年齢になった今、切実なまでに存在を求め、求められている。
ただそれだけのことに、切ないほどの喜びが心の底から湧き上がってきて。
「じゃあ、傍に居て……?」
そっと両腕を獄寺の背に回し、ささやくと、抱きしめる獄寺の腕の力がぎゅっと強くなった。
「──俺、自分を抑える自信がありません」
綱吉を離さない癖に、そんな風に正直に獄寺は心情を訴えてくる。不意に彼がひどく可愛らしく思えて、綱吉は小さく笑った。
「その時はその時で、いいんじゃないかな」
自然にそんな言葉が口をついて出て、自分でもその大胆さに驚く。
だが、愛して愛されていれば、遅かれ早かれ二人の距離はゼロに縮まる。それは当然のことで、罪でも何でもない。
無理をして我慢をする方がよほど不自然だと、今は感じられた。
「……そうはおっしゃいますが、本当に俺が暴走したらどうするんです?」
「暴走、するの?」
苦虫を噛み潰したような、困惑の極致に追いやられたような獄寺の言葉に、綱吉は笑いを噛み殺しながら問いかける。
と、白旗を掲げるように獄寺は深い溜息をついた。
「最大限、自分を抑える努力をします」
「うん」
知ってるよ、と綱吉は小さく呟く。
獄寺が綱吉を傷つけようとしたことなど、これまで一度もない。
綱吉が傷ついたことがあったとしても、それは綱吉自身が勝手に反応して傷ついただけで、獄寺はいつも、綱吉を守り、大切にすることにひたすら一生懸命だった。
そんな彼が、綱吉に意図的に乱暴を働くことなど想像することもできない。
とはいえ、獄寺も男である。暴走する可能性がゼロと言い切れないことは綱吉も分かっていたし、彼にばかり自制を押しつける気もなかった。
「でもさ、獄寺君。自分を抑えなきゃならないのは、俺もだとは思わないわけ?」
心に抱いている思いは二人とも同じなのだ。それで獄寺が暴走しかねないような状況なら、間違いなく綱吉も同じ状況に陥っているはずである。
そんな状況になったら、お互いに我慢が出来るわけがなく、その時は一方の暴走でも何でもない合意の上での恋人同士の行為だ。場合によってはシチュエーションに難が残るかもしれないが、行為としては何の問題もない。
その辺りへの想像がすっこ抜けている辺りが獄寺らしくて、綱吉は小さく含み笑う。
すると案の定、綱吉の言葉に獄寺が意表を突かれて驚くのが、抱き締められた胸から伝わってくる。
「あ、の……」
どう受け止めればいいのかと考えを巡らしているらしい獄寺を、綱吉は背に回した手に力を込めてぎゅっと抱き締めた。
「俺だって、どうしようもなくなったら暴走するかも」
情欲に駆られて獄寺を襲わないとは断言できない。それくらいに好きだったし、傍に行きたい、触れたいという欲求も強いのだ。
自分の中にある欲望を言葉にするのは恥ずかしさが伴うが、それでも分かって欲しいという思いの方が強くて、綱吉は呟く。
すると、少しの沈黙を挟んで、
「……やっぱり俺、客間に行った方がいいような気がしてきました」
情けない声で獄寺が言うから、つい綱吉は気恥ずかしさも忘れて、また笑ってしまう。
そして、笑いを納めて獄寺の胸に顔を埋めた。
「行かなくていいよ。ここに居て」
そう告げる綱吉の心臓は、先程からずっと早い鼓動を刻みっぱなしだ。そして、綱吉を抱き締めている獄寺の胸からも、セーター越しに早い鼓動がかすかに伝わってくる。
それは気恥ずかしさと嬉しさを伴った、とても幸せな響きで、
「──はい」
獄寺が短い返事と共に、ぎゅっと抱き締める力を強くした途端、恥ずかしさも嬉しさも幸せ感も、綱吉の中で倍に膨れ上がった。
「でも、俺が暴走しそうになったら、ぶん殴ってでも止めて下さい」
その言葉に、幸せに浸ったまま綱吉は五秒ほど考える。
だが、出た答えは。
「──それは無理、かな」
「え」
「無理だよ」
俺も君が欲しいから、とはさすがに言葉にはできなかったものの、綱吉は想いを込めて、ぎゅっと獄寺の胸に顔を押し付ける。
獄寺が暴走したら、きっと自分は喜んで流される。そう確信できるくらい、獄寺のことが好きでたまらないのだ。
止めるなど、どうやっても無理に違いなかった。
結局、と綱吉は自分の気持ちを確かめる。
自分はいつどこで、獄寺とそういうことになっても構わないのだ。あとは、昔から綱吉を大事にしすぎるきらいのある獄寺の気持ち次第、ということになる。
逆に、大事にされすぎて焦らされすぎたら、ぷちんと切れて獄寺を引き倒しかねない。
その辺りの綱吉の気持ちを、獄寺はまだ良く分かっていないのだろう。だから、暴走だの何だのという話が出てくるのに違いなかった。
「あのね、獄寺君」
気持ちを言葉にするのは恥ずかしい。
だが、きちんと言葉にしなければ伝わらないということは、心が潰れるほどの辛さと共につい最近、思い知らされた真理だ。
だから綱吉は、できる限り分かりやすい言葉を選びながら、獄寺に告げた。
「俺は君が好きだから。本当に、本当に好きだから。君が暴走しても怒らないし、軽蔑もしない。……ううん、きっと嬉しい、と思う」
正直な言葉を綴るたびに、小さく体が震える。心臓がどきどきと速いビートを刻んで、その響きが指先までを小さく震わせる。
けれど、綱吉は言葉を止めなかった。溢れ出す想いを糧(かて)に、全てを獄寺に告げる。
「俺を絶対に傷つけようとしない君が、暴走するくらい俺を欲しがってくれるのが、すごく嬉しい」
「……沢田さん……」
綱吉の言葉に、獄寺は呆然と名を呟く。
だが、その一秒後、綱吉は痛いほどきつく抱き締められた。
「好きです。本当に好きです。あなたを愛してます……!」
獄寺の腕の力が急に強くなったことに驚く間もなく、耳元で性急に愛の言葉を紡がれる。
「今こうしている間も、あなたが欲しくてどうにかなっちまいそうなくらい、好きです」
「──うん…」
獄寺の言葉に、綱吉は小さくうなずき、高鳴る鼓動に震える腕をそっと獄寺の背に回した。
好きな人に痛いほど求められる。これ以上幸せなことがあるとは思えない、と回した腕に力を込める。
そうして、どれほど自分の鼓動と相手のぬくもりを感じていたのか。
獄寺が、そっと腕の力を緩める。
その動きに応じて綱吉も少しだけ体を離し、獄寺を見上げた。
互いの手は、まだ互いの体に回されている。そんなごく近い距離で見上げた獄寺の瞳は、ひどく優しく、そして、切ないほどの熱を帯びていて。
「沢田さん」
瞳と同じく、優しく深い何かを帯びた声が、綱吉を呼ぶ。
「俺は本当にあなたが好きです。心の底から、あなたが欲しいと思ってます。でも、それはまだ、今じゃないんです」
そう言い、獄寺は片手を上げて、綱吉の頬にそっと触れた。
「ここは、あなたとお母様の家です。俺にとっても大事な大事な場所です。だから、ここでは暴走したくないんです。お母様も、このお家も、俺にはあなたと同じくらいに大切ですから」
「獄寺君……」
獄寺の声もまなざしも、彼が持て得る限りの誠実さと愛情に満ちていて、受け止めた綱吉の心は深く震える。
これほどまでに大切にされ、愛されていること。
そのことにたまらないほどの喜びと、獄寺に対する泣きたいほどの想いが溢れてくる。
「獄寺君」
込み上げる想いのままに綱吉は獄寺の名を呼び、告げた。
「ありがとう、そんなにも俺を大切にしてくれて。俺のことを好きでいてくれて、ありがとう」
その言葉に、獄寺はふっと微笑む。
「いいえ、感謝しているのは俺の方です。──あなたは、どうしようもないクソったれだった俺を変えてくれた。俺を生かして、許して、誰かを愛することを教えてくれた。今の俺という人間があるのは、全てあなたのおかげです。今の俺の全ては、あなたのためにあるんですよ」
「俺のため?」
「はい。俺の心も体も、魂の最後のひとかけらまで、あなたのものです」
何のてらいもない獄寺の言葉に、綱吉は目をみはり、そして、さっと上から下まで獄寺の全身に目線を走らせる。
「……全部、俺のもの?」
「はい」
ためらいなく獄寺はうなずき、そんな獄寺を目をみはって見つめていた綱吉は、二、三度まばたきしてから、ゆっくりと微笑んだ。
「すごい」
「そうですか?」
「うん」
事実、獄寺が告げた言葉はとてつもないものだった。
人間一人が丸ごと、しかも本人の意思で誰かのものだなんて、神様がくれたプレゼントとしても最大級だろう。
とてつもなく、大きく、重い。
だが、綱吉にとっては、それはそのまま喜びと幸せの重みだった。
誰よりも好きで、どれほど泣いても想い続けた存在が、自分のものだなんて。
こんな幸せが、一生に何度もあるとはとても思えない。
「ありがとう、獄寺君」
まなざしを伏せて、綱吉はこつんと獄寺と額を触れ合わせる。
「でもね、君が俺のものなら、俺も君のものだから。それは忘れないで?」
「……沢田さん」
「もう、返品不可。いい?」
少しだけ悪戯めいてそう告げ、目を合わせると、瞠られていた獄寺の銀翠色の瞳が優しく細められて。
「一生、大事にします。何よりも、誰よりも」
「うん」
迷いのない獄寺の答えに綱吉は微笑み、そして二人は、そっと唇を重ねる。
優しく甘い互いのぬくもりに酔いしれ、心の底から、魂の最も深い部分から湧き上がってくる幸福感に浸る。
「大好きです」
「うん、俺も」
甘く囁き交わし、また微笑んで。
そして夕食までの時間を、二人は離れていた長い時間を埋め合わせるように、語り合い続けた。
to be continued...
NEXT >>
格納庫に戻る >>