I am.
2.
カテーナは小さな盆地一つを丸々含む、ほどほどの大きさの地方の都市だった。
人口は五万人を超える程度。アーモンドが少々取れる以外は取り立てて特産物があるわけでもない、どこにでもあるような町である。
隼人は、敢えて二ヶ月前に通った峠越えの道ではなく、山地を大きく迂回する州道を通ってカテーナの町へと入った。
本土からメッシーナ海峡を渡ってカテーナに辿り着くには、こちらの方が二時間以上も余分にかかる。だが、このルートからならば、山側にある城の焼け跡は見えない。
意地なのか、意気地のなさなのか、自分でも判然とはしなかったが、だがその理由のために隼人は敢えて、二時間半の余計なドライブを選んだ。
そして辿り着いた、十五年ぶりのカテーナは何も変わっていなかった。
南部は北部とは違う。十五年経っても田舎町にビルなど建たないし、小さな駅が新しく改修されることもない。
だから、隼人の記憶にあるよりも十五年分、町の建物や道路は古さを増し、そして身長が伸びた分、町は小さくなっていた。
こんな小さな町でも一応は昔の街道に沿っており、戦後しばらくまではそこそこの大きさの市場が開かれていたことから、ホテルの二つ三つは今でも営業している。そのうちの一軒、記憶にある限りは一番マシなホテルに、隼人は一週間の予定で宿泊の予約を入れてあった。
無論、自分の役割が一週間で終わるとは、全く思っていない。ただ、観光地でもない田舎町のホテルに怪しまれず予約を入れるには、とりあえず一週間が限度だろうと見越しただけである。
隼人自身が町に姿を現せば、おのずと正体は知れる。宿泊を延長するのはそれからでも十分だった。
記憶にある通りの道をたどって、町の中心の広場と教会を横目に見ながらゆっくりと車を走らせ、申し訳程度の大きさのホテルの駐車場に車を停める。
小回りが利くことを重視して今回選んだ小型の真紅のアルファロメオは、薄茶色の石壁で囲まれた空間に行儀よく収まり、イモビライザーがきちんと作動したことを確認してから、隼人は車の傍を離れた。
これが本土の都市であれば、ピカピカの新車には見張りくらい立たせておかなければならないところだが、こんな田舎町ではそこまでの気を使う必要もない。
帰って来てしまったのだと改めて思いながら、隼人はホテル玄関の階段を上がり、ホワイエへ足を踏み入れた。
小さなホテルだが、綺麗好きなオーナーと花の好きなオーナー夫人のおかげで、古い建物はぴかぴかに磨かれ、至る所に花が飾られている。その記憶は今でも間違っていなかった。
石造りの床に革靴の足音を響かせながら、今は人の姿が見えないフロントに向かう。
そして、カウンターにあった錫製のベルを手に取り、鳴らすと、ややあって奥から人が出てきた。
「はい、ただいま……」
中年を過ぎた恰幅のいい夫人が、いそいそとカウンターに入り、隼人を見上げて───。
「予約を入れた獄寺だが……」
大きく見開かれたハシバミ色の目を見つめながら、低く名乗る。
その隼人のまなざしの前で、夫人はゆるゆると両手を上げて震えるそれを口元に当てた。
「……坊ちゃま……」
そう呼ぶ彼女のことを、獄寺は覚えていた。
十五年前は今よりももう少しスリムで、だがいつも朗らかに笑いながら花の世話をしていた。焼き立ての甘いクッキーを渡してくれるのも常だった。
「本当に……。御予約のお名前を伺った時から、きっとと思っていたんです。この町においでになる獄寺様とおっしゃったら、エリカ様の御縁者の方に違いないと……。ああ、でも本当に……っ」
夫人のハシバミ色の瞳が、見る見る間に潤む。
それに対しどんな表情を向ければよいのか分からないまま、隼人はかすかに笑んで見せた。
「とりあえずチェックインだけしてくれないか。話はそれからでも、幾らでもできる」
「あ、はい。はい……!」
我に返ったらしい彼女は慌てて宿泊票を取り出し、次いで、カウンターの呼び出しベルをせわしなく鳴らす。
「こちらに御記入をお願いします。一週間のお泊りでよろしかったでしょうか……?」
確認する語尾に、通常ならないはずの不安、あるいは戸惑いが潜んでいるのは、当然のことかもしれなかった。
彼女にとって隼人は、単なる宿泊客ではない。というよりも、宿泊客であって欲しくないのだ。
滞在する、ではなく、帰還した、であって欲しいのに違いない。
だが、隼人はまだ、それに対して明確な答えを返すことができなかった。
隼人の内では、今回のことは滞在と帰還のどちらでもない。そのいずれであるか、判断をつけかねているというのが正直なところである。
また、これが帰還だとしても、今の自分が町の住人に受け入れられるかどうかという大きな問題もある。
だから、
「とりあえずは一週間だ。場合によっては延長する」
曖昧な言い方で宿泊票を記入し、彼女に返した。
それと同時に、先程のベルの音を聞きつけてだろう、奥から更に人が出てくる。
「これはお客様、どうぞいらっしゃいませ」
夫人と同じくらいに恰幅の良い壮年の男。丸くつやつやした顔もまた、見覚えのあるものだった。
朝・昼・夕方と、一日三回、ホテルの前を綺麗に清掃していた丸い後姿。いつも聞こえていた楽しげなハミング。
頭髪はてっぺんが記憶にあるよりもかなりつるりとしつつあったが、それは無理からぬことだろう。十五年も経っているのだ。
「あんた! 何ぼんやりしてるんだい! 坊ちゃまだよ。ルッジェーロ様がお戻りになったんだ!」
夫人が小さな声で鋭く叱責する。だが、それに反応するよりも早く、隼人の容姿に主人は目を丸くしていた。
隼人のこの国では少々珍しい銀の髪は母親譲り、銀を帯びた深緑の瞳は父親譲りだ。加えて面差しも、総体的に母親似ではあるが、父親にも似通ったところがある。抜きん出た長身とスレンダーな体型も父親似だ。
そんな外見をしている以上、両親を見知っている者にはすぐに正体が分かるに違いなかった。
「本当に……坊ちゃまですか。なんと御立派になられて……」
主人の目はさすがに潤まない。が、肉付きの良い大きな手がふるふると震え始める。
笑えばいいのか詫びればいいのか、何とも言えない気分で隼人は微妙な笑みを口元に浮かべた。
「すまないが、坊ちゃまは勘弁してくれないか。俺ももういい歳だし……それに、ルッジェーロもやめてもらえるとありがたい」
そう告げると、主人夫妻は戸惑った顔になり、だが、すぐに納得の表情を見せた。
彼らは隼人のことをよく知っている。少なくとも城を出るまでの隼人のことは、良く知っているのだ。両親のことまで含めて。
「分かりました。では、隼人様。とりあえず、お部屋にご案内いたしましょう。何かご要望があれば、お伺いいたしますが……」
「そうだな。……一つ、頼みたいことがある」
実直な目を向けてくる、いかにもこの町の男らしい主人に、隼人は真っ直ぐにまなざしを返した。
「この町の主だった連中を集めて欲しい。今夜八時、教会に。司祭にも教会を借りたいと伝えておいてくれないか」
田舎町においては、今でも生活の中心となるのは教会だ。市役所の会議室も借りられるが、住人が寄り合いに使うのは昔から教会と決まっている。
隼人の言葉に、主人は軽く目をみはり、だが、すぐにうなずいて了承を示した。
「分かりました。お部屋にご案内したら、すぐにわしが町を回りましょう」
「頼む」
二人のやり取りを、夫人は黙って見ている。一時の喜びを通り過ぎた彼女が緊張を覚えているらしいことは、エプロンを掴んでいる手の様子から読み取れた。
「ミランダ、レオナルド。俺は遊びに来たわけでも、単に昔を懐かしみに来たわけでもない。俺にはしなければならないことがある。だから、ここに戻ってきた」
静かに隼人は記憶の深い部分に残っていた二人の名前を呼び、告げた。
「これから俺がしようとしていることが、この町の人間にどう受け止められるかは、やってみないと分からない。お前たちには心配も迷惑もかけるかもしれない。だが……」
だが、と自分でもどう続けようとしたのか分からなかった。
しばらく黙って見ていて欲しいと頼もうとしたのか、自分なりに一度は捨てたこの町のことを考えようとしているのだと言おうとしたのか。
いずれにしても言葉に出すには難しい。というより、これまで言葉にして言ったことのない内容であり、そのことが隼人の内に逡巡を生み、ミランダが言葉を挟む隙を与えた。
「いいんですよ、坊ちゃま!」
坊ちゃまと呼ぶなと言ったのに、坊ちゃまと呼んで、彼女は一歩足を隼人に向かって踏み出す。
「分かってます。坊ちゃまがこのカテーナにお戻りになるのが、決して楽なことじゃなかったってことは。少なくとも、あたしと主人は分かってます。だから、いいんです。今は何もおっしゃらなくても。この町の男たちだって、きっとそのうちに分かります」
真っ直ぐな、ハシバミ色の瞳。
子供を守ろうとする母親のようなその瞳と、その言葉とで隼人は理解した。
やはり、この町の男たちは、隼人のことを簡単に受け入れはしない。
おそらく彼らは何度も、この町を治めるボスの息子のことを思い返したのだろう。
愚かにもボンゴレとの抗争になだれ込み、追い詰められた時。
ボスが命を絶ち、城が炎上した時。
たった一人の跡取りの帰還を願う声は、最大音量に達したに違いない。
だが、隼人は戻らなかった。
全てが終わり、ジェンツィアーナ・ファミリーが形骸を失って、大ボンゴレに飲み込まれてしまうまで。
───遅すぎる。
───今更戻るのなら、何故もう少し早く。
今夜、隼人の帰還を知るすべての住人が思うことだろう。
だが、隼人はそれに立ち向かわなければならない。さもなくば、今度こそジェンツィアーナは消えてしまう。
今度は城ではなく、カテーナの町が灰と消えて無くなる。
大ボンゴレの粛清とはそういうことだ。裏社会に君臨する巨大な獅子は、自らは戦いを仕掛けないが、逆らうものには容赦しない。それが、わずかでも手綱を緩めれば混沌に陥る裏社会の秩序を守ることに繋がるからだ。
「……すまない。ミランダ、レオナルド」
目を伏せ、隼人は詫びた。
この二人が隼人のことを許してくれているのは、おそらくは三日前に入れた、宿泊予約の電話のためだろう。
獄寺隼人という宿泊予定客の名前を見つめながら、この三日間の間に彼らは話し合い、ボスの息子の遅すぎる帰還を仕方のなかったものとして許すことに決めた。
それが分かったから、隼人は心の底から詫び、許しを請うた。
自分は間に合わなかった。間に合わなくなるまで、どうしても戻れなかった。粛清という切り札を突きつけられて、やっと戻らねばならないと覚悟した。
そして今、やっと戻ってきはしたものの、ここに立っていることも苦しい。
自分が捨てたこの町のこと、父親のこと、母親のこと。何もかもが昨日のことのように蘇ってきて、十五年の月日を経ているがゆえにいっそう苦い。
けれど。
「でも、俺はもう逃げるわけにはいかねえんだ」
自分に言い聞かせるように、そう呟いて。
「しばらくの間、頼む」
告げた言葉に主人夫妻は隼人を見上げ、それから静かに深く一礼した。
* *
ジェンツィアーナ家は、昔からカテーナの町を支配してきた。といっても、その歴史は百年を少し超える程度だ。
他のマフィアの例に漏れず、貴族階級だった領主の土地管理人として富を蓄え、実力を伸ばし、果てには管理していた土地を領主館であった城ごと領主から買い取ってものにした。そういう家である。
先代の当主は、ドン・カルロ。先々代の死後、二十年余りもカテーナの町を治めてきたのだから、それなりの才覚はあったのかもしれない。
だが、贅沢なものを好んだ彼は田舎町の支配だけでは満足しなかった。近隣のもう少し大きな町、プレドーネに食指を動かしたのだ。
しかし、プレドーネには既に強大な支配者が居た。だからこそ、多少大きいとはいえ同じような田舎町なのに、インフラは整備され人口も多かったのである。
その支配者は、ボンゴレ。
だが、直接支配と言っても、所詮は田舎町である。年に一度か二度、代理人が巡ってくる程度で、普段は普通の町のように町長をはじめとする住人たちが町を治めていた。
だから、ドン・カルロは大丈夫ではないのかと考えたらしい。
プレドーネのような小さな町など、大ボンゴレにとって重要ではない。ボンゴレは勢力下にある住民をとても大切にするというが、その住民の生活さえ変わらなければ、ジェンツィアーナが代理支配をしても目をつぶるのではないかと。
その判断の可否は、ちょっかいを出し始めてから一年後、ジェンツィアーナの動きに気付いたボンゴレの猛烈な攻勢によって示された。
ボンゴレは自らは決して抗争を仕掛けない。だが、髪一筋でも縄張りを侵されたならば、眠れる獅子は牙を剥く。文字通りジェンツィアーナは叩き潰された。
だが、ボンゴレは敵対ファミリーの支配下にある住民であっても、一般人に手を出すことを良しとはしなかった。市街戦は極力避け、巧妙にドン・カルロと幹部たちをその本拠地である城へ追い詰めたのである。
中世劇さながらに敵に城を囲まれ、ドン・カルロは己が君臨した城主の間で、拳銃で己の頭を撃ち抜いた。
彼に殉じた幹部たちの手によって城は炎上し、灰燼と化した。
結局のところ、ジェンツィアーナはボンゴレに滅ぼされたのではない。その愚かさによって自ら滅びたのだ。
少なくとも隼人はそう見ていた。一年余り前に父親がプレドーネにちょっかいをかけ始めたことを裏社会の情報で知った時から、この結末は予想していた。
だが、それは傍観者の意見だ。当事者たちは、そうは見ない。
素朴で単純な田舎の男たちは、ボスの死を悼(いた)み、後先を省みずにボスを死に追いやったボンゴレをひたすらに恨む。
今、隼人の目の前に居るのは、そういう憤りを腹いっぱいに湛えた男たちだった。
「───…」
聖堂内の座席は、ほぼ埋まっていた。百人近くはいるだろうか。若いのから年寄りまで、見覚えがあるのもないのもいる。
見覚えがある者も、十五年の歳月に外見を幾分か変えていた。頭髪が白くなっていたり、腹が樽のように成長していたり、逆にうんと痩せてしまっていたり。
服装は皆、似たり寄ったりで、地味な色合いの幾分古びたコットンやウールが目立つ。他の地域では余り見なくなった鳥打帽を手に持っている者も少なくはない。
十五年分の時間の流れはある。だが、間違いなく今ここにいるのは、故郷の人々だった。
懐かしい。
苦しい。
絡まり合う様々な感情を喉の奥に押さえ込みながら、獄寺はゆっくりと男たちを見回した。
名乗りはしない。今更そんなものは必要なかった。
彼らの大半は、十五年前までこの町のあちらこちらをうろついていた銀の髪の子供を覚えているはずであり、そして今のこの姿に、つい二ヶ月前に死んだボスの面影を見ているはずだった。
「……ここに来る前に、ボンゴレに寄ってきた」
低く、そう切り出す。
途端、ざわめきが沸き起こる。
「直接、ドン・ボンゴレと話をしたが、ボンゴレは今のカテーナの状況を良く思っていない。今日明日ではないにせよ、手を打つべきだと考えている。そんなことじゃねえかと思ったから、俺もあちらに出向いたんだがな」
嘘も方便だとばかりに淡々と告げた。自分がボンゴレと関わった真実を話したところで、彼らの軽蔑を買うことにしかならない。
それに、嘘をつくことに今更良心の呵責を感じるほど、純情でもなかった。
「仕方ねえから少しばかり交渉して、これから半年間、俺がカテーナを預かることになった。今日から半年だ。その結果次第で、この町の運命が決まる」
「今更何言ってやがるんだ!」
入り口近くから怒声が飛んだ。隼人は無感情なまなざしでそちらを見やる。壮年の男。脳裏で十五年分時間を巻き戻せば、確かに見覚えがあった。
だが、それをきっかけに次々と罵声が飛び交う。
「あんたは十五年も前に出て行った人間だ!」
「ドン・カルロが亡くなってから二ヶ月も経ってるんだぞ! 今更何だってんだ!」
「しかもボンゴレに尻尾を振るなんざ、ジェンツィアーナの誇りのかけらもねえ!!」
それらの言葉を、隼人はただ無言で聞いた。
軽く伏せた銀翠色の瞳を冷たく翳らせ、姿勢で祭壇に軽く背を預けて。
両腕を胸の前で軽く組んで無言を貫く青年の態度に、やがて罵声の種が尽きたのか、聖堂内は再び沈黙が降りる。そこでやっと隼人は目線を上げた。
「言いたいことはそれだけか」
冷ややかに、無表情に、低い声が石造りの高い天井にこだまする。
「俺がいらねえって言うんなら、勝手にすりゃいいだろう。だが、ボンゴレは容赦しねえ。てめえらが心服しない限り、せめてそういうポーズをし見せねえ限り、このカテーナはあと一年と経たずに地図の上から消える。それがボンゴレだ。軍も警察も、それを咎めやしねえ」
冷たい憤りに瞳を光らせながら、獄寺は低く続ける。
その怒りは、決して演技ではなかった。
「てめえらが分かってねえのか、分かりたくねえのかは知らねえがな。てめえらのドンが……あのクソ親父が喧嘩を売ったのは、そういう連中なんだよ! あのクソ親父は、つまんねえ欲に駆られて、てめえばかりか、このカテーナの町全体の死刑執行書にサインしやがったんだ!」
それは隼人が父親を決して許せないと思う、二つ目の理由だった。
滅びるのなら一人で滅びればいい。それなのに軽挙に走って、住民まで滅ぼそうとしている。
どこまで浅はかで愚かなのか、と墓石でもいいから蹴り砕いてやりたい程だった。
だが、愚かなのは父親ばかりでない。
「俺だって、好きでこんな真似をするわけじゃねえ。だが、クソ親父の尻拭いをする奴が他にいるってのか? てめえらのうちの誰か一人でも、ボンゴレに出向いて交渉しようとしたっていうのか? 誰もやってねえだろう! それどころか無防備にボンゴレへの反感を垂れ流しやがって……!」
裏社会、特にアングラネットではカテーナのボンゴレに対する反感は、既に誰もが知るところなっている。
事が大ボンゴレに絡むだけに注目を集めてもいたし、そればかりか、最近ではカテーナを焚き付けて騒乱を起こし、漁夫の利を得ようというボンゴレに敵対するファミリーの動きも、ちらほら出始めている。
無責任な噂話には盛大に尾びれ背びれがつき始めており、近い将来、収拾が着かなくなるのは明らかだった。
だからこそ、ボンゴレも早めに騒乱の芽を摘むべく、今回、隼人を召喚したのだ。
一方で隼人がボンゴレの召喚に応じたのも、自分が捨てたとはいえジェンツィアーナの名を持っている以上、こんな状況の中で案内人のリボーンに逆らうことは己の死を意味すると感じたからである。
実際のところは、ボンゴレは単に交渉を持ちかけたかっただけで、隼人までを粛清対象にする意図は無かったようではあるが、それでも、まどろむことを止めた獅子の前では隼人は何一つ逆らうことを許されなかった。
そして今も尚、その黄金の獅子は遠く離れたパレルモで、静かに牙を研(と)いでいる。
「もう一度言ってやるぜ。ボンゴレは本気だ。てめえらの馬鹿な行動が、ボンゴレをカテーナにとって最悪の方向に動かしてんだよ。てめえらが変わらねえ限り、カテーナはあと半年で間違いなく滅びる」
まったく度しがたい田舎町だった。田舎の男たちだった。
ドンを殺されて尚、自分たちが置かれた立場が分かっていない。
誰か一人でも建設的に動いていれば、自分がこうして出向く必要などなかっただろうに。
余りにも苦い思い出のある、この町に戻る必要などなかっただろうに。
「それでも、てめえたちがボンゴレに尻尾振るくらいなら町ごと滅びた方がマシだって言うんなら、ボンゴレに任せるまでもねえ。俺が引導を渡してやる……!」
言い終えると同時に、足元に置いていた大型のアタッシュケースを蹴る。留め金をあらかじめ外してあったそれは簡単に蓋を開け、中に詰められていたものを床に撒き散らした。
「ダイナ…マイト……!?」
石造りの床に零れ落ちたダイナマイトは、二、三十本もあるだろうか。転がってゆくそれから人々が飛びのく。
引きつったざわめきの中、隼人は再び低い声を紡いだ。
「スモーキン・ボム。いくら田舎でも、一人くらいはその名前を聞いたことのある奴はいるんじゃねえのか?」
言いながらこれ見よがしに懐から煙草とライターを取り出し、火をつける。
そして一口深く吸ってから、男たちを睥睨した。
「今の俺は、こんな小せえ町なんざ簡単に吹き飛ばせる。てめえらがそこまで馬鹿だっていうんなら、ボンゴレの手を煩わせるまでもねえ。同郷の好(よしみ)で俺がやってやる。ここには母親の墓もあるしな。……クソ親父に殺された母親の墓だ。旦那の仇と息子のどっちに墓を壊される方を、お袋がマシと思うかは知らねえが」
どっちにしたって、もとより母親は幸せな人生ではなかった、と獄寺は思いながら、煙草をくゆらせる。
そして、隼人が十五年前、何故この町を出て行ったかを思い出したらしい男たちの顔を見つめた。
「ボンゴレはカテーナが従順になるのなら、金は惜しまないと言いやがった。そりゃそうだろうな、いくら大ボンゴレでも町一つを潰すのは厄介な仕事だ。だが、てめえらはボンゴレに借りは作りたくねえ。そうだろ? だったら考えやがれ。これからボンゴレの下で、この町をどうして行くのか」
今度はひそやかなざわめきが広がる。
戸惑うような途方に暮れるような。
それを聞きながら、獄寺は祭壇に預けていた背を真っ直ぐに起こした。
「俺は当分の間、ホテル・フィオレッタに居る。文句のある奴は直接言いに来い」
そう言い置いて、教会の入り口に向かってゆっくりと通路を歩く。
と、その背中に声がかかった。
「坊ちゃん、どうしてあんたは今更……!」
悲鳴のような、切ない、物悲しい声。
背中越しにもルチアーノの声だと分かった。太いだみ声は十五年前からまったく変わらない。その声で調子っぱずれの童謡を歌われるのには、子供心にも本当に閉口したものだ。
「……言っただろ。あのクソ馬鹿親父の尻拭いをする奴が、他に思い当たらなかっただけだ。誰か他の奴がいれば、俺は戻ってなんか来やしなかったんだ」
振り返らないままに答え、それを最後に隼人は教会を出る。
石段に青い光が落ちかかっているのに気付いて、夜空を見上げると真円に近い月が浮かんでいた。
本当はこういう夜は、煙草が一際美味いんだけどな、と心の中で一人ごちて、隼人は古い石畳の道を歩き出した。
* *
「とりあえず、どうにかやったみたいだぞ」
『そう、それは良かった。政治力で何とかなるんなら、それに越したことはないもんね』
「だが、ひっでえ就任演説だったぜ。カテーナみてえなド田舎じゃなきゃ通用しねえだろうよ」
『ふぅん。俺も聞いてみたかったかも。……そういえばリボーン、お前はどうやってそれを聞いたわけ?』
「ああ? 決まってんだろ。盗聴器だ」
『……会場は教会だって言ってなかった?』
「言ったが?」
『もー。罰当たりな真似はやめろってば。今回の件が終わったら、ちゃんと取り外せよ?』
「めんどくせえ」
『面倒でも何でもやれって。うちとの揉め事さえなければ、カテーナは平和な町なんだから。これだから、お前に仕事頼むの嫌なんだよー』
「俺は今すぐ契約を破棄したっていいんだぞ、ダメツナ」
『それはヤダ。お前の違約金、異常なくらい高いもん。契約金の五倍って普通有り得ないよ。お前に頼むと、ただでさえ経費がとんでもないのに……。今回だって、なんでプレドーネで一番いいホテルの一番いい部屋なんかに泊まってんだよ。あんな田舎町、客室なんていくらでも空いてるだろ。いっそアパートでも借りてくれた方がまだ安いよ』
「それが俺の相場だ。経費を惜しむくらいなら俺に仕事を頼むな」
『ああ言えばこう言う……。ッたく、分かってるってば。とにかく今回はお前に頼むことに決めたんだし、俺も払うものは払うから、お前もやることはやってくれよ。……まあ、彼は大丈夫だっていう気がするけどさ』
「とんでもなく甘っちょろい奴だがな。まあ、こんな田舎町なら返って受けがいいかもしれんぞ。何しろ、ルッジェーロ坊ちゃまだ」
『まあね、俺もちょっと拍子抜けはしたけど。スモーキン・ボムは手当たり次第に噛み付く狂犬みたいな一匹狼だって聞いてたから』
「結局、お育ちがいいってこったろ。故郷に戻って地が出たんだろうさ」
『それがいい方向に働くといいけどね。じゃあ、とりあえず今夜はお疲れ様、リボーン。また定時連絡、よろしく』
「おう」
to be continued...
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