「何考えてる?」
「貴方をどうやって殺殺処に堕とすか、その方法を」
髪に戯れかかる指の温かさを感じながら答えれば、白澤は苦笑する。
「お前はいつもそう言うけど、酔わせて事に持ち込んだことはないよ。僕は合意の上でなきゃ、絶対に相手の素肌には触れない」
「知ってますけど」
この神獣は女性なら手当たり次第に見えて、案外に節度は守る方だ。
嫌がる女性には手を出さないし、恋人がいる女性や既婚女性にも、相手にそれなりの事情がない限りちょっかいをかけない。
「でも、貴方の節操無しも大酒飲みも、人間なら間違いなく地獄行きですよ。神獣を名乗るのなら、もう少し行いを改めたらどうなんです」
「うーん」
彼の手を軽く払い、寝返りを打ってそちらを見上げれば、白澤は小さく苦笑した。
「僕の中には我慢っていう項目がないからなあ。ま、無理だね」
神獣とは文字通り、神格を持った獣である。
神にしろ獣にしろ、そもそもからして誰かに自制を求められるような存在ではない。
白澤は、世界の理で知りたいと願ったことは大概知ることができるし、行きたい処があれば、その能力が及ぶ限りどこにでも行くことができる。
それを咎めることなど誰にもできないのだ。
加えて、白澤には瑞獣という一面もある。
幸いのことぶれである彼は、この世界の全てを分け隔てなく寿(ことほ)ぐことが本性だ。
心地良いことを愛し、美しいものを愛で、かといって闇を忌避するわけでもなく、世界に平等に幸いを振り撒く。
そんな彼が人型を取り、人に交わって暮らしていれば、天上であろうが冥府であろうが場所を問わずに酒を愛し、神仙であろうが妖鬼であろうが素性を問わずに女性を愛でるという、絵に描いたような放蕩ぶりになるのは必然のことだった。
「まぁ、私も貴方の好色が改まるなんて思ってませんけども」
「性分だからねえ。でも、お前がどうしても嫌だと言うのなら止める努力はするよ。そうだな、女の子と遊んでも最後までしないというくらいは約束できるかもしれない」
「別にいいですよ」
「へ?」
さらりといなせば、白澤は間抜けな声を出した。
そんな彼を見つめたまま、鬼灯は続ける。
「貴方と寝ると冷え性が楽になったり、身体が辛かったのが良くなるというのは衆合地獄では有名な話です。吉兆である貴方の気精に触れることが彼女達の体調を良くするんでしょう。あいにく私は健康体ですから、特に変化は感じてませんけど」
「あー。お前は書類仕事メインでも運動を適度にしてるから、血行もいいし肩こりもないしねえ。まあ、一晩眠って明日になったら疲れが取れているくらいのことはあるかもしれないな」
「そう願いたいですね」
合理的な口実は一つでも多い方が、自分たちのような意地を張る性格の持ち主は関係を維持しやすい。そう思いながら、鬼灯は言葉を紡いだ。
「それに、貴方は唯一無二、世界に唯一匹の偶蹄類なんですから子種も無いでしょう? だったら、小さなモフモフを抱えた女性が、『貴方の子よ!』とありふれた台詞と共に押しかけてきて修羅場を演じる心配もないわけです」
「あ、それは正解。番(つがい)になれる同種の雌がいたら、僕もここまで派手に女の子と遊ぶ必要は無かったと思うんだけどねえ。どういう因果だか、世界が滅びるまで『白澤』は僕一匹限りなんだよな」
「同属の女性がいたところで、貴方の天性の好色が治まるとは思えませんけど」
仮定の論を遊ばせたところで、白澤が唯一無二の存在である現実も、彼の色を好む気性も変わるわけでもない。
ゆえに、その点についてはそれ以上突っ込まず、鬼灯は結論を突きつけた。
「いずれにせよ、貴方の好色は誰にも害をもたらさず、地獄で働く女性極卒の健康管理にも役立ってるわけですから、その点に関しては私はとやかくは言いません。貴方が私のものになった以上、愉快だとは言いませんが大目に見ます」
そう言い切ると、白澤は驚きの表情を隠さずに鬼灯を見つめる。
「? 何です?」
「あ、いや……。てっきり女遊びは止めろと言われるもんだと思ってたから……」
軽く手を上げ、言い訳するようなジェスチャーをしながら白澤は答えた。
「けど、本当にいいのか?」
「私が前言を撤回したことがありますか」
問題が問題であるだけに、懐疑的になるのは分からないでもない。
だが、しつこい。
鬼灯は眉間に皺を寄せつつ応じた。
「たとえばですよ。貴方がこの上ない変態的な性癖の持ち主で、他の奴を殴るな自分だけを顔の形が変わるくらいに殴ってくれとひれ伏して懇願してきてたとしても、私はそんな願いは聞けませんからね。亡者は勿論のこと、閻魔大王だって極卒だって間抜けなことをしでかしてくれたら遠慮なく殴ります。自分を抑えるのは無理ですよ」
「お前ね……」
一体どういうたとえをするのだと、白澤は顔をしかめて己の後頭部の髪を掻き上げる。
「言いたいことは分からないでもないが、僕が女の子を好きなのとお前がドSなのとを一緒にするなよ」
「私はドSではないですよ。気に入らない奴のことはとことんド突き回して、泣いて慈悲を乞うても無視して責め倒したいだけで」
「それをドSっつーんだよ!」
「そうですか?」
ドSというのは、つまり度を越えたサディストのことであり、サディストとはサド侯爵の著作の……と鬼灯が考え始めると、もういいから、と白澤が制した。
「つまり、お互いに性分だから仕方がないって言いたいんだろ」
「そうです」
理解の速さは、この駄獣の数少ない美点の一つである。これがなければ、鬼灯の白澤に対する関心は千分の一にまで落ちていただろう。
鬼灯は刺激のある会話を好む性質であり、だからこそ千年もの間、白澤といがみ合いを続けてきたという一面もないわけではないのだ。
「じゃあ、お前は僕が女の子と遊ぶのを黙認する、僕はお前が暴力を振るうのを仕方がないと諦める。こんな感じでいいのか?」
「ええ」
鬼灯がためらいなくうなずくと、白澤は納得したようなしていないような顔で首をかしげた。
「そうなると、本当に今までと何にも変わらないなぁ」
互いを一応、恋人と認定はしても、束縛はしない。
浮気を黙認し、殴る蹴るの喧嘩も日常茶飯事のまま。
確かに、世間一般の基準に比べると、適当かついい加減に過ぎる取り決めである。
何よりも、恋心を伺わせるような甘さがかけらもない。
まるで契約による仮面夫婦のようだとけなされても仕方のないところだったが、しかし、鬼灯が常識を外れているのであれば、白澤もまた、その点においては引けを取らなかった。
「不満ですか」
「いいや。最高だね」
鬼灯の問いに、白澤は口の端を吊り上げて即答し、大きな笑みを浮かべる。
「何もかもこれまで通り。加えて、お前が僕のものになったなんて最高以外の何物でもないじゃないか」
「ああ、そのことについてなんですが……」
「ん?」
「一つ、追加したい項目があります」
「ポジションは交代制にしたいんですけど」
「……は?」
「受け入れる側も別に悪くはないんですが、貴方の泣き顔も見たいと思いまして」
「は――」
予想外の申し出だったのだろう。ぽかんと口を開いたまま白澤は鬼灯を見下ろす。
さて、どう出るか、と鬼灯は考える。
成り行きで受け入れる側になったことについては、本当に不満があるわけではない。
戸惑うことが多々ありすぎたが、得られた快楽は深かったし、余裕ぶっていた白澤の顔が段々必死になっていった様は、下から見上げていて中々に楽しかった。
なるほど、この男はこんな風に女性を抱くのかと、理解し納得した点もある。
だが、鬼灯も持って生まれた性は男だ。抱かれるだけでは満足できない部分がある。
しかし、それを白澤はどう受け止めるか。
白澤の表情を図りながら、鬼灯は彼の名を呼ぶべく口を開いた。
「白澤さ――」
「――ははっ」
真顔というにはやや間抜けな呆けた顔をしていた白澤が、突如として笑い出す。
「あははははっ、初めてだよ、僕にそんなことを言った奴は!」
「白澤さん?」
「あーもう、おかしいなぁ! 本当にお前は面白いよ、鬼灯!」
心底楽しそうに哄笑しながら、白澤は目尻に浮いた涙を指先で払い、鬼灯を見下ろした。
「いいよ、鬼灯。お前になら許してやる」
「……いいんですか」
「ああ」
うなずき、白澤は鬼灯に圧し掛かるようにしてぐいと顔を寄せる。
「この神獣白澤に、元は人の子のお前が初めてを刻み込めるんだ。喜べよ」
白澤の黒曜石のような瞳が、金粉を刷いたように輝いている。
果てのない宇宙を覗き込んだようなその凄艶さに、ああ、彼は本気で興じているのだと鬼灯は悟った。
普段へらへらとしている彼は本性を現したとき、その瞳の色を常ならぬものに変える。
宇宙の深遠を映したようなその瞳が、口に出したことは無いが鬼灯は一番好きだった。
「お互い様でしょう。言っておきますが、貴方が神獣であろうがなかろうが、私にはどうでもいいんです。ただ、不平等なのは気に食わない。それだけです」
「ま、お前ならそんなもんだろうな」
「で、本当にいいんですね?」
「ああ。僕は、お前と繋がれるんなら形はどうでもいい。抱く側じゃなきゃ嫌だなんて狭量なことは言わないよ」
「それなら結構です」
永く生き過ぎている神獣は、こんな点についても異様に寛容であるらしい。ゆるい、と一言で片付けてしまっても良いのかもしれない。
白澤の答えが予想から外れなかったことに満足し、鬼灯は小さくあくびをする。
もう少し話をしていたい気分だったが、連日の激務に加えて慣れない行為が眠気を誘ったのだろう。
目尻に浮かんだ僅かな水滴を払おうとまばたきをすると、白澤の手が伸びてきて鬼灯の髪を掻き混ぜるように撫でた。
「寝てしまえよ。桃タロー君は今夜は帰ってこないしさ」
「ああ、今夜は一寸法師さんと飲みに行ったんでしたっけ」
この夜の初め、このまま夜を共に過ごさないかと誘われた際に聞いた情報を思い返し、相槌を打てば、白澤はうなずいた。
「気が合うんだろうねえ。よく出かけていくよ。週一ペースくらいで会ってるんじゃないかな」
「そうですか。英雄でい続けるのは、楽ではないということなんでしょうね」
「祀り上げられたら中々そこからは下りられないものだからなぁ。そこに居続けたいと思う欲と、気楽に生きたいという欲と……。何にしても、二人ともそこから逃れられたようで良かったよ」
「ええ」
白澤の手指の骨ばった硬さ、そして肌の温かさを感じながら鬼灯はゆるりと目を閉じる。
もともと他人の気配があっても平気で眠れる体質だが、殊に白澤の傍は心地が良かった。
何しろ気配からして人間のものとは違うし、俗世の獣のものとも異なっている。
香りの良い花と若草に囲まれた陽だまりのような清々しいやわらかさと、その奥に秘められた永く生きるものだけが持つ古木(こぼく)や巌(いわお)のようなずっしりとした揺るぎの無さ。
和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)を併せ持つ神獣独特の気配が、他では得られない深い安らぎをもたらすように鬼灯には感じられた。
「白澤さん」
「うん?」
目を閉じたまま、半ばぼんやりと名を呼べば白澤は直ぐに応える。
だが、特に伝えたいことがあったわけでもなく、ひたひたと迫ってくる睡魔に任せて沈黙していると、なんだ、呼んだだけか、と白澤は笑い、一層優しい慈しむような仕草で鬼灯の髪を梳き撫でた。
「なあ、鬼灯」
返事はしなくてもいいよ。忘れてもいい。
そう前置きして、鬼灯の髪を撫でながら白澤は流れるような声で言葉を紡いだ。
「お前が僕の浮気を許すと言ったのは、僕たちが永い永い年月を生きることを思ったからなんだろうね。
お前はちょっとやそっとじゃ死なないし、僕はもっと死から遠い。そんな僕たちだから、お互いに飽きが来なかったら何千年も付き合うことになる。
そんな永い付き合いには、約束なんて何の意味も持たない。
何千年も守り通せるかどうか分からない約束で縛るよりも、最初から無理なんかせずに、昨日までと同じ毎日をこれからも続けるのが一番自然でいい。徹頭徹尾、合理主義のお前はそう考えたんだろう。
でも、お前のそういう考え方が僕をどれくらい喜ばせているか、お前に分かるかなぁ」
ふふっと白澤は小さく笑った。
「僕もね、この関係が簡単には終わると思っていないよ。
二千年もかけて、やっとここまで辿り着いたんだ。お前と付き合っていたら、千年や二千年は今までと同じように、きっとあっという間に過ぎてしまう。気がついた時には一万年くらい経ってしまっているかもしれない。
でも、それでいいと思えるんだ。
これからも、お前と喧嘩して、いがみ合って、時々は酒を一緒に飲んで、こうして二人だけで時間を過ごして……。
考えるだけで、わくわくしてくるよ」
白澤のいつもよりトーンを落した声は耳にやわらかく、歌うような睦言は葉ずれの音のように心地良い。
彼の作り出す穏やかな調べに誘われ、鬼灯の意識はゆっくりと甘やかな眠りの靄の中にほどけてゆく。
「勿論、いつかは世界の摂理に従って、お前もいなくなってしまうんだろう。
でも、その時が来ても、お前を愛したことを後悔したりなんかしないよ。
お前がこの世界にいてもいなくても、僕はお前のことを思い出すたびに腹が立って、それからとても愛しくなるんだ。
それは、これまでもこれからも永遠に変わらない。僕は人の子ではないからね。世界と共に生きる者の宿業みたいなもので、永遠に変わらないようにできているんだ。
だから、鬼灯。
僕は何億年が経とうと、お前という存在がいたことも、お前という存在を愛したことも忘れることはない。
僕がお前にできる、たった一つの約束だよ」
優しい指先が髪から離れ、肌掛けの端から出ていた鬼灯の指を温かな手が包み込む。
そして、こめかみにそっと触れたやわらかな温もりが、その美しく満ちた夜の鬼灯の最後の記憶だった。
上邪
我欲與君相知
長命無絶衰
山無陵
江水爲竭
冬雷震震
夏雨雪
天地合
乃敢與君絶
(神かけて誓います。
あなたを想う心が、命ある限り永遠に変わらぬことを。
高い山々が平地となり、
長江の水が涸れ、
冬に雷鳴が轟き、
夏に雪が降り、
天と地が一つに合わさる、
万が一そんなことが起きたならば、その時は身を切られる思いであなたとお別れしましょう。
(そんな風にこの世界が終わりを迎えるまで、私は絶対にあなたを離しません。))
出典:「短嘯鐃詩十八曲」の一。
岩波文庫「中国名詩選(上)」より
End.
後輩ちゃんから借り受けて読んだ『鬼灯の冷徹』に、見事にすっ転びました。
白鬼寄りの白鬼白なので、私には珍しく完全にリバです。
喧嘩ップルラブv
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