08 青空

「あのさ、さっきから何こっち見てんの。じーっと睨みつけられるのって、ものすごく気分悪いんだけど」
 不機嫌度数で言ったら、およそ82%。それくらいの表情で、デスクでパソコンに向かっていた臨也は静雄を振り返り、苦言を呈する。
 いかにも機嫌を損ねていますというきついまなざしを向けられて、それもそうだろうな、と静雄は半ば他人事のように考えた。
 何しろ、ここに来たのが午後一時過ぎで、それからずっと、急ぎの仕事があるのだという臨也を観察しているのである。
 一時間あまりも無言で見つめられたら、静雄であれば、とうに短気を爆発させている。比して、臨也は良く耐えたと、この場合は褒めたたえて然るべきなのだろう。
 もっとも、三十分を過ぎた頃から彼が苛々し出しているのは、ずっと観察していた静雄には丸分かりだったが。
「あー、そうだな。悪ぃ」
 気の短い静雄ではあるが、自分に非があると思えば、それを認めて謝るくらいの素直さは持ち合わせている。
 率直な言葉で詫びを告げれば、臨也は嫌そうに眉をしかめた。
「そんな簡単に謝るくらい悪いと思ってるんなら、最初からしないでくれないかな」
「そりゃあ無理な話だろ」
 それなりの意図があって見ているからこそ、観察なのだ。
 静雄が悪いと思ったのは、観察していたことそのものではなく、長過ぎたその時間である。それを、見ることそのものを止めろというのは、極端すぎる断罪だった。
「俺だって必要がなかったら、一時間も手前の顔なんざ見てねぇよ」
「──その価値もないって言いたいわけ?」
 またもや、臨也の眉が険しく跳ね上がる。
 ああ言えば、こう拗ねる。実に面倒くさい男だと、静雄は自分の言動は棚に上げて思う。
「見惚れてて欲しいんなら、今から手前の仕事とやらが終わるまで、じーっと見つめててやってもいいんだぜ」
「……やめてよ。想像しただけでうんざりだ」
 鳥肌が立ちそう、とは、つくづく失礼な物言いだったが、この程度ならお互い様だろうという許容は静雄にもある。
 ゆえに、肩をすくめるだけにとどめた。
 そして、先程からぼんやりと思っていたことを口にしてみる。
「白玉だんご、食いてぇな」
「はぁ?」
 その脈絡の無さに、臨也がまた眉をしかめる。
 だが、静雄の中では、その発言にはきちんと筋が通っていた。
 というのも、静雄が腰を落ち着けているソファーから臨也の居る方を見ると、まず手前に臨也が仕事をしているデスクがあり、その向こうに空と新宿の街並みを映す大きな窓ガラスがある。
 そこからふんだんに降り注いだ初夏の午後の陽射しは、フローリングの床に当たって間接照明のようなやわらかい光に変わり、その光を背景にして臨也の横顔を眺めると、きめの細かい肌がいつもよりも白く、そして、やわらかそうに見えるのだ。
 大福みたいだな、いや、それよりも、いちご大福か。いやいや、白玉だんごでもいい。きっと食いついたら、ふわふわもちもちして甘くて美味いに違いない。
 そんな食人族のような連想で、臨也→白玉だんごへと思考が至ったのである。
「何なの、突然」
「いや、さっきから食いたくなってきててよ。白玉だんごの粉、ここにはねぇよな?」
「ないよ。って、まさか作る気なの?」
「あんなもん、売ってる店を探しに行くより作った方が早ぇよ」
 そう言うと、臨也はひどく変な顔をした。
 おそらくは、白玉だんごを自分で作る、という発想が彼にはないのだろう。だが、静雄にしてみれば、あれは家庭のおやつだった。
 子供の頃は母親が良く作ってくれたし、今でも、餡子ものが大量に食べたくなると、スーパーで白玉粉と小豆の缶詰を買ってくる。面倒な時はコンビニの大福でもいいのだが、作りたての白玉だんごの風味は格別だから、多少手間でも作るのを止められないのだ。
「じゃあ、買いに行ってくるか。他に要るもん、あるか?」
「……いや、別に……」
「そうか。なら、ついでに夕飯の材料も見てくっかな。冷蔵庫、開けるぞ」
「……どうぞ」
 相変わらず妙な目つきで、臨也は静雄を見つめてくる。が、構わず、静雄はキッチンに向かった。
 臨也が殆ど料理をせず、興味もないことは薄々気付いている。そういう男からしてみれば、男の手料理レベルでも、まめに料理をしたりおやつを作ったりする男はエイリアンに等しい生き物なのだろう。
 だが、三食と時々はおやつまで料理上手な母親の手作りだった静雄にしてみれば、市販の弁当や惣菜は、はっきり言ってあまり口には合わないのである。
 不味いとまでは言わないが、何かが足りない、或いは、余計なものが入っていると感じられることが多い。
 仕事のある日は、上司のトムに合わせてファーストフードもよく食べるが、休日の日くらいは普通の家庭料理が食べたい、というのが本音だった。
「あー、あんまり入ってねぇな」
 買い物に行っていないらしく、冷蔵庫の中身は、空っぽとはいわないが大したものは入っていない。特に葉物野菜や肉、魚といった生鮮食品は皆目見当たらなかった。
「おい、今夜、何食いたい?」
「──別に、何でも」
「そういう答えするんなら、頭付きのキンメの煮付け作るぞ。旬じゃねぇけどな」
「どういう嫌がらせだよ!」
 臨也が一番嫌がりそうなメニューを挙げると、途端にきつい声が返ってくる。
「じゃあ、何がいいんだ」
「…………」
 重ねて問うと、臨也は少し考え込んだ後、小さな声でぼそりと答えた。
「……肉じゃが」
「分かった。ちょうど新じゃがと新タマネギの季節だからな。美味いのができるぜ」
 極々普通というべきか、平凡というべきか。
 そのメニューリクエストを、静雄は素直に「可愛いんじゃねえの?」と思う。だが、面倒事を避けるために顔には出さなかった。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「なら、これ持っていって。材料代」
 言われ、見ると、臨也が一万円札を差し出していて。
「そんなに要らねぇよ。二千もありゃ十分だ」
「どれだけ安い肉買うつもりだよ。いいから、美味しいの買ってきて」
「……ま、いいか。食いたいっつったのは手前だしな。たまには言うことを聞いてやるよ」
「それはそれは。恐悦至極とでも言ってあげようか?」
「要らねぇ」
 やっぱり可愛くねぇ、と思いながら紙幣を受け取り、自分の財布に入れる。
 そして、玄関へと向かった。
「肉じゃがだと、おかずは殆どそれで済んじまうんだよな。うーん。今は葉物野菜の時期じゃねぇし……。五月豆とベーコンの炒め物か、ピーナッツ和えでも作るかな。あとは……キャベツの浅漬け、食いてぇなぁ。ニンジンやキュウリも混ぜるか。セロリ入れたら、ノミ蟲は嫌がるかな」
 ぶつぶつと呟きながらエレベーターで一階まで降り、マンションのエントランスを出て。
 今夜の献立をあれこれ考えながら、静雄は初夏の日差しの中を歩き出した。



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