「じゃあさ、君の正直な感想は、どうなの」
「……何の、ですか?」
「シズちゃんと二人暮らしの次は、うちのマンションに通う日々、挙句は、サイケが転がり込んできた。それぞれに思うところが無いとは思えないんだけどね?」
分かりやすい言葉を選んで問いかけると、津軽は小さく首をかしげる。
「──俺は一人で居るのは、そんなに苦にならないんです。ラボに居た頃も、一人で居る時間の方がずっと長かったですから。でも、サイケが傍に居れば嬉しいし、静雄が傍に居てくれるのも嬉しい。食事する時も、一人より二人、二人より三人、三人より四人の方が……楽しいし美味しい」
「……成程」
至極正直な言葉に、臨也は小さく口元に笑みを刻む。
「つまり、君も同居したい派なわけだ」
「──そう、なるかもしれません」
「かも、じゃなくて、まさにその通り、だろ」
嘲(あざけ)るように言うと、津軽は困ったように眉を寄せる。
ネブラの実験体だった以上、悪意ある言葉に全く接したことがないとは考えにくかったが、対処の仕方は学ばなかったのだろう。
オリジナルのように反発することはおろか、受け流すこともできずに困惑するしか術を知らない。そういう善良な魂が、真っ直ぐな瞳から透けて見えた。
「まあいいよ、とりあえず全員の意見は分かった。サイケの意見とシズちゃんの意見はムカつくけどね。結論が俺次第というのは正直、悪い気分じゃない」
そう、考えようによっては、全ては臨也次第なのである。
自分が状況をコントロールできる。そう考えれば、現状はさほど悪いものではないような気もしてくる。──あくまでもそれは錯覚で、酷く面白くない状況に変わりはないのだと、冷静な部分できちんと分かってはいたのだが。
「それじゃあ、俺は帰るよ。どうするかは、もう少し考えてから決めるから、それまでサイケをよろしく」
「──はい」
うなずいた津軽に片手を軽く上げて、外に出ようとしたその時。
「臨也」
静雄の声に良く似た津軽の声が、臨也を呼んだ。
「──何?」
肩越しに振り返ると、津軽は相変わらず真っ直ぐに臨也を見つめていた。
「静雄は、あれできちんと考えてます。静雄なりにですけど」
「……たとえば何を?」
「サイケをここに連れてきたこととか、一緒に暮らすこととか。静雄なりに考えて、OKを出したから行動したんです。納得していなかったら静雄は動きません。……そのことは臨也の方が知ってるんじゃないんですか?」
津軽の問いかけは決して揶揄ではなく、純粋な問いかけだった。ただし、確信を含んでいるように聞こえることが、臨也の神経を逆撫でする。
「そうだね」
だが、そのかすかな苛立ちを綺麗に隠して、臨也はいつもの皮肉めいた笑みを口元に浮かべた。
「シズちゃんは、あの通り人間のセオリーが通らない化け物だし、行動は動物じみてる。納得云々以前に、本能的にやりたいと思ったことしかしない。それは俺が一番良く知ってる」
でもね、と臨也は続ける。
「シズちゃんがどれくらい単細胞なのかも、俺が世界で一番良く知ってるんだ。シズちゃんの中にはYESとNOしかない。ALL or NOTHINGだ。どんなことだって、「まあいいか」とか「そんなもんか」とか言って、受け入れるか拒絶するかのどっちかなんだよ。中間がない。──対して、俺は人間だ。化け物でも動物でもない。あれやこれやの可能性を考えながら、もっと色々な答えを出せるんだよ」
「───…」
津軽の目は、真っ直ぐに臨也を見つめる。
そこには静雄のような嫌悪がない代わりに、臨也の信者たちが向けるような信頼感もない。ただひたすらに真っ直ぐなだけだ。
そのことに初めて、臨也は苛立ちを感じた。
津軽のことは嫌いではない。だが、サイケほどには愛せないし、かといって駒として利用する気にもならない。
どうにも半端だ。
その半端なことが、初めて気に障った。──この場を過ぎてしまえば忘れてしまえるほどの、些細な感情ではあったけれど。
「──俺の結論は近いうちに出すよ。シズちゃんに言っておいて、首を洗って待ってろってさ」
じゃあね、と今度こそ臨也はドアを開けて外に出る。
そして、埃っぽい大都会の空気を胸いっぱいに吸い込んでから、臨也は軽快な足取りで廊下を通り抜け、階段を下りた。
「シズちゃんが物を考えてるって言ったって、たかが知れてるっての。津軽も一体何を毒されてるんだか」
来た時とは打って変わったペースで足早に歩きながら、臨也は苦々しく呟いた。
「どれもこれも全部、シズちゃんのせいだよね。空が青いのもポストが赤いのも電信柱が高いのも、俺の気分が悪いのもぜーんぶシズちゃんのせいだ。もういっそ死んじゃえばいいのに」
森羅万象全てを静雄のせいにして、存在を呪ってみる。
だが一向に、気分は収まらない。
「大体さあ、シズちゃんの脳味噌なんて二進法じゃん。0と1しかなくって、8ビットの情報を処理するのに数時間かかるくせに、一体何を考えようっていうんだよ。もし計算の答えが出せたとしても、時代遅れもいいところだろ。大人しくジュラ紀に帰れっての」
シズちゃんがEDSACなら俺は最新最速のスパコンだよね、0からFまでを華麗に駆使して答えを出せる俺を崇めろ敬えひれ伏せ、と静雄が聞いたら激怒して標識で殴りかかられること必須の罵詈雑言を並べ立てながら、臨也は道端の道路標識を睨み付ける。
「なのに、サイケも津軽も、シズちゃんシズちゃんって……あんな単細胞な化け物のどこがいいんだか」
先程、静雄のアパートで交わした最後の津軽との会話も多少気に障ったが、それ以上に、よりによって、シズちゃんが好きだから臨也が嫌い、と自分のクローンに言われたことは、臨也の自尊心に甚(いた)く響いていた。
あの場でキレなかったのは、ひとえに津軽が居たからだと言っていい。第三者の存在が無ければ、遠慮なくサイケに言い返していただろう。実際、津軽が割って入ってくるのがもう少し遅かったら、昨日の口論の続きが始まっていたかもしれない。
サイケが可愛いのは本心だが、そこに静雄が絡んでくると、途端に臨也もむきになってしまって感情のコントロールが上手くいかなくなる。
サイケが臨也に同調して静雄のことを嫌うなら、可愛さ百倍になっただろうに、現実はその逆なのだから、腹が立つことこの上なかった。
だが、冷静に考えてみれば、今の状況でサイケがすんなりと臨也の元に戻ってくる可能性はかなり低いのである。
一度受けた恨みは晴らさずには置かないし、一度興味を持った対象には自分が充足するまで纏わりつく。そんな臨也の粘着質な気質を、サイケはきっちり受け継いでいる。
一旦、目標を『四人で一緒に暮らす』ことに据えた以上、それが叶うか、それを遥かに上回る何かが起こらない限り、サイケはあのボロアパートを出ようとはしないに違いない。
かといって、力ずくで無理に連れ戻すような真似をすれば、サイケは本当に怒り狂うだろう。
幼児性が強いだけに、その辺りの感情の抑えが利かないことは容易に想像がついた。
臨也にしてみれば、これまで通りに、静雄と津軽が通ってくるのが一番都合がいいのだが、サイケはそれでは足りないと言い張るし、他の二名も積極的ではないにせよ、サイケに同調している。
あとは臨也が折れてしまえば、話は簡単に片が付くのだが、臨也としてはそれをしたくない。
理由としては、平和島静雄などと一緒に暮らせるものか、という感情的な部分が大きいが、セキュリティという現実的な問題もあった。
臨也にはとかく敵が多いし、自宅兼事務所のマンションの所在地も知られてしまっている。そして、身を守る術を持たないサイケは、臨也にとって間違いなく弱みだ。
せめて、津軽が静雄と同じ怪力を備えていれば良かったのだが、あいにく、津軽は並よりは身体能力が高い程度の普通の青年だったから、護衛という意味では何の役にも立たない。むしろ、サイケと同じく、静雄にとってのただの弱みである。
そもそも、このセキュリティの問題がなければ、臨也はとうに津軽を引き取っていたのだ。そして静雄が日に一度、津軽の顔を見に通ってくる。その方が、ありとあらゆる意味で簡単だった。
しかし、安全面からそれができなかったことは、いつかの会話で静雄も分かっているはずなのに、と臨也は歯軋りしながら考える。
「シズちゃんだって俺に負けず劣らず敵が多いんだからさ。いつまでもサイケをあのボロアパートには置いておけないし、かといって、うちだって絶対に安全ってわけじゃない。まあ、それを言い出したら、絶対に安全な場所なんてないんだけどさ」
サイケが来て以来、臨也は事務所内で仕事をすることが多かったが、それは単なる偶然で、依頼内容によっては遠隔地に数日かけて出張することもある。
秘書の波江も馬鹿ではないから、うさんくさい人間を臨也の留守中に通すことはないが、いつかの岸谷森厳訪問時の例で、我が身や弟を脅されたら、あっさりと保身に走ることは分かっている。
そこまで考えて臨也は、やはりうちのマンションも駄目だ、と結論を出した。
どういう形にせよ、あの二人を置いておくには、もっと安全な城が要る。
まだ誰にも知られておらず、ハード面でのセキュリティは万全な城。
「──クソっ」
不本意な結論に舌打ちしつつ、臨也は駅に向かっていた足を別方向に向ける。
静雄が本能で1という解を選んだように、答えは0でなくFだと頭では分かり切っていても、その間の1からEまでの数値をこねくり回さずにはいられない。
そんな自分の性質に気付いていても、問題ないと気付かないふりをするのは得意だった。
to be contineud...
十六進法の基礎が二進法にあることを忘れてる臨也。
EDSACは世界最初のデジタルコンピューター。(1949年製作)
臨也ぼっち作戦、そろそろ終息。
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