※静臨津サイの4人が一緒に暮らし始めてから1年半ほど後の話です。

UNBALANCE×MAZE
001:恋に落ちたのは一瞬

「さあ、入って」
 そう促されて、日々也は居間の敷居をまたぐ。
 内心はひどく緊張していた。だが、そうは見えないよう、精一杯に自分らしい表情を顔に張り付け、室内を見渡す。
 室内には三人、居た。
 そして、日々也の後ろから入ってくるのが二人。
「わあ、その子が日々也?」
 日々也を覗いて総勢五人のうち、ソファーに座っていた白い服の少年が、日々也を見た瞬間に目を輝かせて立ち上がる。
「本当に同じ顔だね。臨也そっくりだ」
 言いながら少年は、とてとてと軽やかな足取りで歩み寄ってきて、日々也の正面に立ち、にっこりと笑った。
「俺はね、サイケ。うーんと、君のお兄さん? 弟? よく分かんないけど、そんな感じ」
「……僕が発生したのは四年前だ」
「あ、じゃあ君の方が弟だね。俺は五年前だから」
 よろしくね、このおうちのことは何でも聞いてね。
 そう言いながら、嬉しげに笑う顔から目が離せない。
 目の前にあるのは、物心ついて以来、ずっと鏡の中で見てきた顔。
 自分と全く同じ造りの、しかし、自分とは全く違う表情を浮かべる顔だった。
「……日々也だ」
「うん、よろしく。ええとね、そっちが津軽で、あっちがデリック。津軽は俺と一緒で、デリックの方がちょこっとお兄さんだよ」
 ガイド役を務めてくれるつもりなのだろう。サイケは半身をソファーの方に向けて、先程まで自分が隣りに座っていた着物姿の青年を示し、続けて、出窓の縁に腰掛けて文庫本を読んでいる、白いスーツ姿の青年を示す。
 津軽、と呼ばれた着物姿の青年は温和な笑みを控え目に浮かべて、よろしく日々也、と低い声で言ったが、もう一人は。
 サイケの紹介の声も聞こえなかったかのように、黙然と文庫本のページをめくりながら、顔すらこちらに向けなかった。
「──彼は、初対面の相手に挨拶すらできないのか?」
 その態度にひどく腹が立って、日々也は声と表情に険を込めて、はっきりと相手に聞こえるくらいの声で言い放つ。
 すると、それまで部屋の入口にとどまっていたバーテン服姿の長身の男が、ゆるりと動いた。
 窓際に歩み寄り、デリック、と声をかける。
 すると、白い服の男はそのバーテン服の男を見上げ、何事かを小さく告げられて、顔をこちらに向ける。

 ──紅を帯びた鳶色の瞳。

 そのまなざしがこちらを見つめた瞬間、日々也は自分の心臓がどくんと脈打つのを感じた。
「──デリックだ」
 津軽よりもワントーン低い声でそう告げ、またふいとまなざしを文庫本に戻す。
 それきり落ちた沈黙に、日々也は今のが彼の自己紹介だったのだとようやく気付いた。
 僕は日々也だ、とそう言いたかったのに、デリックの目はもうこちらを見てはいない。
 途方に暮れてまなざしを彷徨わせると、彼のすぐ傍に居たバーテン服の男が申し訳なさそうな表情を向けてくる。
「悪ぃな、日々也。こいつ、人付き合いが得意じゃなくてよ。愛想が悪いのは許してやってくれ」
「──別に構わない」
 興味ないから。
 そう言いながら、目をそむけ、改めて室内を眺める。
 自分と、サイケと名乗った少年と、自分をここに連れてきた男。
 そして、津軽という着物姿の青年と、愛想のない白スーツの男……デリックと、バーテン服姿の男。
 それぞれ表情や年齢は違うものの、顔の造りそのものは互いにそっくりである。兄弟などというレベルの近似ではない。
 しかも、年齢差があるということは一卵性の三つ子でもないのであり、およそ不自然な集団である。
 つまりは、オリジナル二人と、それぞれのクローンが二人ずつ。
 本来ならば有り得ない計六人が、今ここには集結しているのだった。




 ことの始まりは少し前に遡る。
 日々也は今から四年前に、とある製薬会社のラボで発生した。
 生まれた、と言わないのは、日々也がクローンだからだ。
 日々也を生み出してくれた母体はない。日々也は試験管の中で発生し、一定の大きさまで成長した後にそこから出され、研究員たちの手によって育てられた。
 自分の生まれ育ちが普通でないということは、自我を持ち始めたころから分かっていた。言い方を変えるなら、周囲の大人たちの手によって強制的に理解させられた。
 それも直接にではない。日々也はラボの実験棟から出ることは決して許されなかったが、代わりに大量の書籍やインターネットという情報の媒体だけは与えられた。そして、それらに没頭するうちに、様々な事柄に気付いたのである。
 発生から二年を経過したヒトは、通常、大人の膝程度の背丈しかない小さな肉体しか持たず、思考能力も拙いことに気付いたことが最初だった。
 一つ疑問を持てば、あとは芋蔓式に自分には両親も家族もないことに気付き、インターネット以外の自由がないことに気付き。
 自分の存在に深い懐疑を抱き、周囲の人々に不信と恐れを抱きつつ、それでもどうすればいいのか分からずに沈黙したまま耐え、逃げるようにインターネットの世界に没頭して。
 そして日々也が、それら全てが一つの実験だったのだと気付いたのは、ほんの少し前、今から一月前のことだった。
 ある日、日々也はふとした思いつきで、インターネットの更に深部……俗にアングラネットと呼ばれる階層へ入り込む方法を見つけ、実行してみたのである。
 初めて辿り着いたそこで、日々也は好奇心の赴くままに裏社会の様々な情報を得、その果てに偶然、自分と同じ顔をした存在を見つけた。
 その男の名は折原臨也。
 池袋の出身で、現在は新宿で情報屋をしている男。その界隈の裏社会を自由自在に生きている男。時と場合によっては生ける災難。人の心の弱さに付け込んで破滅をもたらす疫病神。
 日々也が初めて足を踏み入れたその場所で、『新宿の折原臨也』は独特の存在感を放っていた。
 そして、日々也は気付いたのだ。
 ラボで発生した自分が、全てを遮断された環境で世界の情報のみを与えられた理由。
 おそらく研究員たちは、『折原臨也』がその特異な性格を形成する過程を見たかったのだ。
 その目的を理解する一方で、日々也は、自らに課せられた実験が失敗だったことも悟った。
 無機質なラボの中で他に何も与えられなかった日々也は、活字とインターネットの世界に熱中はしたが、臨也のような歪んだ人類愛は育まなかった。
 綺麗な挿絵の童話や涙無しには読めぬ美しい物語と同時に、猟奇殺人全集や数々の戦争手記を与えられ、どちらも読みはしたが、それは世の中に美しいものと醜いものがあるということを学んだだけだった。
 そして、その一連の事実に気付くのとほぼ同時に、肉体年齢でいうと十六歳程度になっていた日々也に対する実験は終了したのである。
 人間で囲み、愛憎ストレスを与えても上手くいかない、愛情を遮断して情報のみを与えても上手くいかない。それなりにデータは得られたが、重大な価値を持つ実験とはならなかった。
 そんな言い方で、日々也は昨日、初めてラボから連れ出され、見たこともない青年に引渡されたのだ。
 その青年はラボの職員のような白衣を身に着けていたが、自分は研究者でなく闇医者だと穏やかに笑い、君の家族に会わせてあげよう、と言った。
 そして、彼の住居だというマンションの一室で一晩を過ごした日々也は、数時間前、『折原臨也』と、その連れの青年に対面したのである。



ややシリアス気味に、新シリーズ開始です。

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