臨也が部屋に戻ってくると、静雄はベッドに腰を下ろし、ぼんやりと携帯をいじっていた。
 その様子を見やって、臨也は溜息をつく。
「ああもう、なんで俺がシズちゃんの部屋に来なきゃなんないんだよ。同室なんて、マジで有り得ない」
 ぼやきながらベッドに近づいて、静雄の隣りにぼすんと乱暴に腰を下ろした。
 ───もともとこのマンションは4LDKであり、当初は臨也、静雄、サイケ、津軽の四人がそれぞれに一部屋ずつ使っていたのだ。
 が、半年ほど前、デリックがやって来た時点で、津軽がサイケの部屋に行き、今度は日々也のために臨也が部屋を移動したのである。
 何故に臨也も静雄も、それぞれのクローンと同室にならないのか、という理由は言わずもがなだ。
「自分で決めたんだろ、日々也に部屋譲るって」
「そりゃあね! 可愛い弟にシズちゃんの煙草臭い部屋を使わせるわけにはいかないよ」
「じゃあ文句言うな。っつーより、この部屋じゃ殆ど煙草吸ってねえぞ」
「部屋で吸ってなくったって、服や髪に匂いがついちゃってるんだよ」
 ファブリーズ買ってこないと、とぼやきつつ、臨也はベッドに手をついて天井を見上げる。
 その横顔を見つめ、静雄は携帯電話を閉じた。
「日々也はどうだ?」
「んー、とりあえず落ち着いた様子は見せてたけど。殆ど演技だね、あれ。内心はガチガチに緊張してると思うよ。
 何しろラボから出たのは昨日が初めてってことだし、相当箱入りに育てられたみたいだし。同じラボ育ちでもサイケとは全然違う。津軽とデリックがそうなように、まるっきり別人だよ。で、タイプとしては多分、デリックに一番近い」
 さらりと答えた臨也に、静雄は表情をかすかに曇らせる。
「じゃあ、今夜は眠れねぇかもな」
「多分ね。でもまあ、本物の不眠症でない限り、睡眠なんて限界が来たらどこかでぶっ倒れて、強制的に寝る羽目になるから」
「……まあ、お前のクローンなら生命力は強そうだしな」
「シズちゃんには言われたくないなぁ」
 そう言い、臨也は上半身を倒してベッドの上に転がった。
 もともと一人寝用ではあってもサイズはダブルだから、男二人が載ったところで狭苦しさは感じない。
「おい、寝るんならちゃんと布団に入れ」
「分かってるよ」
 応じながら、ちらりと臨也は静雄を見上げる。
「言っとくけど、今日はSEXなしだからね。そんな気分じゃない」
「分かってるっての。集中できないのが分かってんのに、やっても仕方ねぇだろ」
「……それならいいけど」
 曖昧にうなずき、臨也は手を伸ばして静雄の手に触れる。
 手の甲の骨をなぞり、重ね合わせたり、指を軽く絡めて見たり。何の意味もないような手遊びをしばししてから。
「──ねぇ、シズちゃん」
 少しだけ低めた声で、静雄に呼びかけた。
「何だよ」
「日々也のことだけどさぁ」
 そして、少しだけ言い淀んでから、続ける。
「デリックのこと、気にしてると思うんだけど」
「──あぁ」
 その返答は、静雄も気付いていたことを示しており、臨也は小さく溜息をついた。
「なんでそうなっちゃうんだろうな。サイケといい日々也といい……」
「知るかよ。二人ともお前と同じ遺伝子だろ」
「だから余計にムカつく。なんでよりによってシズちゃんなんだよ」
「鏡に向かって言え」
 つれなく言い捨て、しかし静雄は臨也のさらさらとした黒い髪を、その指の長い手でゆっくりと梳いた。
「──まあ正直、俺としては、ありがたい気もするけどな、日々也がデリックに興味持ってくれたのは。あいつが変わるきっかけになれるかもしれねぇし」
「……でも、日々也は泣くことになるよ。それもかなりさ。デリックの人嫌いは半端じゃない」
「そうだな。泣かせちまうだろうな」
 でも、と静雄は続ける。
「だからって、やめろと日々也には言えねぇだろ、お前も」
「……言ってやめるような性格だったら、そもそも俺がこんな風に育ってないよ。あいつらは俺とは別人格だけど、強情なところは多分、共通してる。サイケが言っても聞かないように、日々也も聞かないだろうね」
「じゃあ仕方ねぇだろ」
 そう言われて、臨也はころんと寝がえりをうち横向きになって静雄を見上げた。
「シズちゃんは日々也を応援するつもりなんだ?」
「応援って柄じゃねぇだろ。俺は何にもしねぇよ。っつーより何にもできねぇし。……まあ、いつかデリックが笑えばいいとは思ってるけどな」
「デリックの笑顔、ねえ……」
 あの子にできるのかな、と臨也は呟く。
「……ものすごく難しいだろうけど。でも、俺のクローンじゃ諦め悪いだろうしなぁ。あの手この手で頑張り続けるんだろうね、日々也は。そういう目をした子だ」
「じゃあ、お前は日々也の味方をしてやれよ。俺はデリックだけで手一杯だし」
「そだね。それに、この件についてはサイケも日々也の味方をする気がする。多分、俺より日々也のことを分かってやれるはずだから」
「……かもな」
 静雄の相槌を受けて、臨也は考えるように天井を見上げながら、静雄の手に自分の手を重ね、確かめるようにそっと指を絡ませた。
「あの二人は実験のコンセプトが違うけど、同じラボで育ったクローンには違いない。だから共感する部分は多いんだと思う。今日、サイケが一番最初に日々也を出迎えただろ。あれはサイケなりの日々也に対する同情と思いやりだよ」
 そう言うと、今度は静雄の方が考え込む表情になる。
「じゃあ逆に、サイケの方がラボの事を思い出して辛くなるってことはないのか? あいつだって、言いたかねぇが、実験体だろ」
「その辺は多分、大丈夫。サイケは心理的な防御壁を作るのが驚異的に上手いから。生まれた時から膨大な心理ストレスの負荷をかけられてきたんだから、自分の感情も相手の感情も、きちんと遮断してコントロールできる。そして辛くなったら、素直に津軽相手に甘えて泣くしね。心配は要らない」
 いつでも子供のように無邪気で明るい自分のクローンをそう評し、むしろ、と静雄に目線を戻した。
「俺は、デリックがどう反応するかが気になる。それに対する日々也の反応も。……ねえシズちゃん」
「何だ」
「日々也にデリックのこと、教えていいかな。彼がどうしてああなのか、近いうちに機会を見つけて」
「ああ、それなら隠すことじゃねぇだろ。むしろ、隠す方が地雷踏んじまうんじゃねぇか」
「俺もそう思う。じゃあ、いいね? 君が居る時に、君にも同席してもらうようにするから」
「俺もか?」
「一番デリックのことを分かってるのは君だろ。俺だって、彼の心理くらい読めるけど、それじゃ足りない。本当の共感がないと、日々也には伝わらないよ」
 臨也が言うと、静雄はそんなものか、と曖昧にうなずく。
「分かった。お前が言うんなら、そうなんだろ」
「うん」
 そして、臨也は静雄を見上げ、触れ合っていた手を離し、代わりに静雄のパジャマの袖をつんと引いた。
「シズちゃんは、まだ寝ないの?」
「いや。お前の話に付き合ってただけだぜ。俺の普段の就寝時間はとっくに過ぎてる」
「だよねえ」
 臨也はくすりと笑い、薄めの春用羽毛布団をめくり上げて中にもぐりこむ。
 静雄もまた、照明を極小まで落とし、同じように隣りに入ってきて。
 互いに落ち着いたところで、薄闇の中で臨也は低く呟いた。
「……正直、さ。今回ばかりはシズちゃんが居てくれて良かった。サイケばかりならまだしも、日々也もとなると、俺一人の手じゃちょっと余るよ」
「……それを言うんなら、俺もだぜ。津軽は安定してるが、デリックはな……。お前があれこれヒントくれるのは、すげぇ助かってる」
 静雄の言葉も、低く静かだった。
 その声を聞いて、臨也は小さく微笑む。
「デリックは一番最初にシズちゃんに会った時点で、かなり救われたと思うけどね。……でも、どうなるのかな、これから」
「上手くいくと信じろ。そういう確信犯的なの、お前は得意だろ」
「……その言い方、シズちゃん乱暴」
 くすりと笑って、臨也は少しだけ静雄の方に身を寄せる。
 温まり始めた布団の中で互いの手首の辺りが触れ合い、どちらからともなく手指が絡められて。
 互いの手の温もりに、そっと小さな息をつく。
 そして。
「おやすみ、シズちゃん」
「ああ、おやすみ」
 それきり、静かに夜は更けていった。

to be contineud...

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