MOONLIGHT CITY 01
【田中太郎】 「そういえば先日、あの平和島静雄さんとすれ違ったんですけど」
【セットン】 「彼がどうかしたんですか?」
【甘楽】 「えー、あの人って池袋なら、どこにでも出没してるじゃないですかー。何でもかんでも手当たり次第に投げたり壊したり……ホント、怖いですよねぇ、もう公害の域ですって」
【田中太郎】 「いえ、それがその時は違ってて。以前に平和島さんを刺したっていう人との遭遇の場面だったんですけど」
【セットン】 「ええ!?」
【甘楽】 「キャーッ!! 殺人!? 殺人現場ですか!?」
【セットン】 「ど、どうなったんですか、その人!?」
【田中太郎】 「普通、血の雨が降ることを予想しますよね? それが僕も驚いたんですけど、平和島さん、いいってことよ、の一言で許しちゃったんですよ」
【甘楽】 「えー何ですかそれー?? アルマゲドンの宣告? それとも地球滅亡の日到来??」
【セットン】 「……本当に? それで済んだんですか?」
【田中太郎】 「済んじゃったんですよ、本当に。その加害者だった人が、悪かったって頭を下げたからじゃないかと思うんですけど」
【田中太郎】 「むしろ、その直前に、その元加害者が女の子を悪い奴からかばったんで、平和島さんはそっちの方を褒めてました」
【セットン】 「いい奴なんだと思いますよ、キレやすいのは確かみたいですけど」
【甘楽】 「えー、なんか信じられなーい。自動喧嘩人形らしくないですよぅ」
【田中太郎】 「でも本当なんですよ。目の前で見てましたから」
【甘楽】 「でも、やっぱり怖いですよぅ。あんな人、見かけたら瞬間的に逃げちゃいます。ガクブル」
【田中太郎】 「そんなに怖がるってことは、甘楽さんには何か後ろめたいことがあるとか(笑)」
【甘楽】 「ありませんよ!! こんなにも清く正しく美しい甘楽ちゃんに対して、なんという暴言!! プンプン」
【田中太郎】 「すみません、そっちの方が余程信じられません(笑)」
【甘楽】 「ひっどーい!! ひっどいですよぅ。もーいいです。オチちゃいますからね! 引きとめようとしても無駄ですから!!」
【田中太郎】 「あ、はい。おやすみなさい」
【セットン】 「おやすみなさい」
──甘楽さんが退室されました。
キーボードを操作する手を止めて、臨也は溜息をついた。
今夜はチャットに上がるべきではなかった、と思う。だが、よりによって平和島静雄の話題が出てくると、どうして予想できるだろう。
後でこのログは消してやる、と思いながら、臨也は画面を睨みつける。
「シズちゃんのトリ頭なんて、今に始まったことじゃないけどさ」
あの男は昔から単細胞なのだ。相手が害意を持って接すれば暴力で返し、優しさを向けられれば戸惑いつつも不器用な笑みを見せる。
暴力には暴力で、好意には好意で。
まるっきりハンムラビ法典だ。どこまでも分かりやすい。
その単純さが、臨也は昔から大嫌いだった。
「いつもいつもそうなんだよね、シズちゃんは。どんなに悪意を向けられても、すぐに忘れてしまうし、相手が本心から謝れば、簡単に許してしまう。シズちゃんの中には、何にも引っかかりやしないんだ」
無論そこには、常に暴力にさらされている以上、いちいち相手を記憶していたら精神的にもたないという自己防衛も働いているのだろう。
並の人間より遥かに沸点の低い静雄が、一時でも精神の平穏を得るためには──毎晩安らかに眠るためには、その場限りで喧嘩相手のことなど忘れるしかないのである。
といっても記憶障害が起きているわけではなく、相手の顔を見れば思い出す、その程度の軽い忘却でしかない。極々健全な脳神経の反応だ。
だが、臨也はそれが許せなかった。
───生半可な攻撃をしただけでは、あっという間に忘れられてしまう。
───一度や二度の攻撃では、彼が「腹が減ったな」と考えた瞬間に忘れられてしまう。
そんな強迫観念に襲われるようになったのは、いつの頃からか。
常に彼がもっとも嫌がる形での攻撃を仕掛けていなければ、自分の存在など、彼の中で瞬く間に抹殺されてしまう。
そして彼は、振り返りもしないし、思い出しもしない。
高校時代に知り合って間もない頃、そのことに気付いた臨也は、静雄を心底憎いと思った。
自分は彼を潰すために毎日毎晩、策を巡らせているというのに、彼は帰宅する頃には臨也のことを忘れ、毎晩惰眠をむさぼっているのだ。
一体どうして、そんな不公平が許されるだろう。
以来、臨也はそれまでにも増して、静雄に対する攻撃を絶やさなくなった。それがエスカレートして、高校の校舎内にガソリンの詰まったドラム缶を運び込んだことさえある。
だが、それでも、静雄は臨也のことを特別に嫌うようにはなったものの、臨也の方を向こうとはしなかった。
とにかく視界から追い払おう、あわよくばノミのように潰そうと追ってくるだけで、臨也の言葉になど耳を傾けもしない。
そして、決して変わらない静雄の態度に、さすがの臨也も疲れ果て、虚しさを感じて一計を案じたのが、数年前の冤罪事件だ。
それまで臨也は、常に悪意に満ちたちょっかいをかけつつも、静雄がやっと見つけた職を失ったり、警察沙汰やヤクザに目をつけられるような形での嫌がらせはしなかった。静雄の職場には近寄らないようにしていたし、あくまでも殺し合いは二人だけのものだったのである。
だが臨也は、静雄を無実の罪に陥れるために、敢えて二人の間にあったその暗黙のルールをも踏みにじった。
おそらく静雄は気付いてはいないだろうが、あの冤罪事件は、臨也にとっては宣戦布告だったのだ。
これからは今までとは違う手段でゆく、場合によっては社会的に追い詰めることも厭わない。そう肚を決めたのである。
同時にそれは、臨也自身が相応のリスクを負うということでもあり、現に、少し前には策を練り過ぎて粟楠会との関係がおかしくなりかけたが、それも仕方がないことと割り切っている。
だが、それでも……そこまでしても、静雄は変わらないのだ。
むしろ最近では、臨也の策を逆手に取るかのように、周囲に人を集めている。
今、彼の周囲にいるヴァローナも茜も、元はといえば臨也が静雄との接触を持たせたのだ。なのに彼女たちは、静雄を傷付けるどころか、慕っているようにさえ見える。
「シズちゃんのくせにモテ期到来なんて、生意気だよ」
どこで失敗したのだろうか、と思う。
静雄を孤立させるはずが、臨也が策を巡らせれば巡らせるほど、静雄は孤独から遠ざかってゆく。
かつての彼には家族しかいなかったはずなのに、臨也が動いた結果、田中トム、ヴァローナ、茜、更に最近では正臣、帝人、杏里と彼を恐れない少年少女たちが、一人また一人と増えてゆき。
そして、その人の輪の中で、静雄は相変わらず、輪の外にいる臨也のことは見ないのだ。
彼らの言葉には耳を傾け、自然な笑顔を向けるのに、臨也に対しては相変わらず、嫌悪と怒りのまなざししか向けない。
───否、一度だけ。
一度だけ、その法則が破られたことがあった。
その時のことを思い出しかけて、臨也小さく頭を振る。
あの一夜というか一日というべきか、あの時間と空間については考えたくなかった。
ましてや、その際に静雄が吐いた台詞など思い出したくも無い。
あれは、あってはならない時間だった、間違いなく。
「大嫌いだよ、シズちゃんなんて」
早く死んでくれないかな、とお決まりの台詞を吐いて。
臨也は、茶でも煎れようと立ち上がった。
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