DAY DREAM
-Honeyed Proposal- 04

 指輪、買うか、と。
 至近距離で見つめ合ったまま、唐突にそう言われて、臨也は一瞬、意味を把握し損ねる。
 指輪。指輪。指輪。
 今、この両手の人差し指にも一つずつシルバーリングが嵌っているが、それと静雄が言う指輪は全く意味が違うだろう。その程度のことを察することができないほど鈍くはない。
「指輪って……」
「少し前から考えてたんだよ。一緒に暮らすこと決めた時にな」
 静雄の方も、さすがに面映ゆいのだろう。少しだけ目線を逸らし、言葉を探しながら続けた。
「俺たちには形がねぇだろ。養子縁組ってのもあるけど、あれは便宜上のもんだしよ。だから、なんかねぇかなと思ったんだよな。俺とお前の関係をはっきりさせるようなもんがよ……」
 それって、と臨也は思うが言葉にはならなかった。
 ただ静雄を見つめ、その声を聞き続ける。
「俺と揃いの指輪なんて、お前が外じゃ絶対につけないことは分かってる。だから、持っててくれるだけでいいし、俺の自己満足みたいなもんなんだが……やったら受け取ってくれるか?」
 最後の一言だけ、目線を合わせて言われて。
 臨也の中は言葉にならない感情でいっぱいになる。
 ───シズちゃん。シズちゃん、シズちゃん。
 好きだとか、愛してるとかいう言葉すら浮かばなかった。馬鹿みたいに静雄を見つめ、ひたすらにその名前を心の中で繰り返す。
 何か言わなければと思ったが、口を開いたらとんでもないことを口走ってしまいそうな気がして、臨也はぎゅっと唇を引き結ぶ。
「臨也?」
 すると、また固まってしまったのかと気遣うように名前を呼ばれ、優しく頬を撫でられて。
 ひくりと喉の奥が痛んだ。
 駄目だ、このままでは泣いてしまうと、ぐっと歯を噛み締めれば、それに気付いたのだろう。静雄は、この世の何よりも愛おしいものを見る目で臨也の瞳を覗き込んだ。
「臨也、イエスかノーかだけ言ってくれ。イエスなら、うなずくだけでいいから」
 そう言われて、反射的にうなずきかけ、しかし、寸前で臨也は思いとどまった。
 そして、喉の奥にこみ上げてきていた涙の塊を強引に呑み込む。どうしても念押ししておきたいことが一つだけ、あるのだ。
 今更改めて確認するまでもないことだと分かっている。
 それでも、今ここで聞きたかった。
「シズ、ちゃん」
 ようよう絞り出した声は、かすれ、震えていた。が、それを恥じる余裕もなかった。
 真っ直ぐに静雄を見つめ、言葉を押し出す。
「本当に、俺でいいの」
「お前じゃなきゃ駄目だ」
 答えは、間髪入れずに返ってきて。
 そこが限界だった。
 堰を切ったようにほろほろと涙が溢れ出す。泣き顔を見せたくなくて顔を逸らせば、ぎゅっと背中を抱き寄せられた。
 それに応えるように静雄の肩に両腕を回して首筋に顔を埋めると、宥めるように優しく背中を撫でられる。
 その温かさ心地よさに一層零れる涙を臨也が持て余していると、不意に悪戯めいた静雄の声が耳を打った。
「おい臨也。俺はまだ返事聞いてねーぞ」
 そんなの察しろ、と言いたかったが、しかし、ここはきちんと答えるべき場面だろう。
 こみ上げる嗚咽を必死に噛み殺して、臨也はうん、とうなずく。
「受け取る、から。だから、指輪ちょうだい、シズちゃん」
「──ああ」
 うなずいた静雄の声も、感情をぐっと堪えたように深くて。
 また更に涙が零れてゆく。
 静雄も臨也ももう子供ではない。成人して数年が経っている恋人同士である以上、一緒に暮らし始めた時点で、二人の意識の中における二人の関係は、そういうものにはなっていた。
 だが、形がなかったのは勿論のことだし、言葉に出して確認することもなかった。
 お互いに新婚生活みたいだと思ってはいたはずだが、だからといって、そんな恥ずかしい感想を口に出せるはずもない。
 ゆえに暗黙の了解のようになっていたつもりでいたが、ごく普通の家庭で真面目に育てられた静雄は、臨也よりももう一歩踏み込んだ先を考えていたのだろう。
 だが、そんな理屈はどうでもよくて、静雄が二人の関係を形あるものにしたいと思ってくれたこと、それがただ純粋に嬉しかった。
「シズちゃん、シズちゃん……っ」
「あー、うん。分かってっから、そんなに泣くな」
 溢れ出す感情にたまらず名前を繰り返せば、苦笑と共に後頭部を撫でられる。
「それより顔上げろよ。このままじゃキスもできねぇだろ」
「ヤだ」
 こんなやり取りばかりだ、と思いながらも臨也は即座に拒絶する。何故か静雄はこういうことがある度に、臨也の泣き顔を見たがるのだ。
 絶対お断りだとばかりに両腕に渾身の力を込めてしがみつくが、しかし、臨也にとっては大変遺憾なことに、その効果があった試しはなく。
 今夜も、仕方ねぇな、の一言と共に、べり、と容赦なく引き剥がされる。
 そして顔を覗き込まれ、毎回毎回何をしてくれるのだと恨みを込めて睨み返せば、静雄は本当に楽しそうに、そして嬉しそうに笑った。
「お前、マジで可愛過ぎ」
「──どこに目ぇつけてんだよ。っていうか、シズちゃんの目、おかしいよ絶対。いい加減、新羅に検査してもらったら」
「おかしかねぇよ、何にも」
 楽しげに笑みながら、静雄は臨也の濡れた頬を指先で拭う。そして、ほんのりと熱をもった両目元に触れるだけの優しいキスを落とした。
「臨也」
 名前を呼ばれ、好きだ、と告げられて、心の一番深い部分が震える。
「俺も……好きだよ」
 黙っていたらまた涙が零れてしまいそうだったため、そう口にしてみたが、やはり泣きたくなって困ってしまう。
 どうしようもなくなって、手を置いていた静雄の肩辺りのシャツをぎゅっと握り締めれば、静雄は臨也の心情を察したのだろう。微笑んで頬に口接け、それから、ゆっくりと唇を重ねてきた。
 甘く優しいキスに何もかもが溶けてしまいそうで、その感覚に耐え切れずにまた涙が零れれば、ゆっくりと唇を離した静雄が、先程と同じように優しい指先でそれを拭った。
 そのまま温かな両腕にやんわりと胸に抱き寄せられて、臨也は全身の力を抜き、全てを静雄に預ける。
 すると、静雄の手が臨也の背中を、あやすようにゆっくりと撫でた。
「後で指輪のサイズ、教えろよ」
「……うん」
 ふと思い出したように耳元で囁かれて、臨也は小さくうなずく。
 ───ペアリング、だなんて。
 想像したこともなかった。
 そもそも臨也自身は、一緒に暮らせるようになっただけで十分に満足だったのだ。だから今夜、誕生日プレゼントに何が欲しいと聞かれた時も答えられなかった。
 なのに、静雄はそんなことを考えていたなんて。
 一体どんな顔をして用意するつもりだろう。
 そして、どんな顔をして渡すつもりだろう。
 想像するだけで池袋の自動喧嘩人形には似合わなさ過ぎて、自然と口元に小さな笑みが浮かぶ。
「楽しみにしてるね、シズちゃん」
「おう、任せとけ」
「うん」
 うなずいて目を閉じ、温かな腕に抱き締められたまま、臨也はあともう一粒だけ、幸せ過ぎる涙を静かに零した。

End.

前作のまんま続き。
もう1話、続きます。

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