DAY DREAM
-Honeyed Proposal- 03
「何だよ?」
「んー。シズちゃんがシズちゃんで良かったなーって」
「? 何がだ?」
「色んなとこ全部、かな」
静雄が静雄でなかったら。
あとほんの少しでも彼の気質や体質が違っていたら、きっとこんな風には愛してもらえなかっただろう。
静雄がもう少し積極的な性格をしていれば、極普通に可愛らしく素直な女性に恋をしただろうし、その怪力という特異体質がなかったら、臨也は静雄の存在になど気にも留めなかったに違いない。
たとえ特異体質がそのままでも、静雄が臨也に対し一切の反応を見せなかったら、その時点できっと臨也は、冷たい腹立ちと共に静雄の存在を忘れていた。
奇跡のように彼の気質と体質が揃って、初めて臨也との接点ができたのだ。
だが、接点ができただけでは、こんな関係には辿り着けない。
先程、静雄は「好きになってくれて、ありがとな」と言った。だが、実際は逆だ。
臨也は出会った一番最初から静雄に惹かれていたが、静雄はそうではなかった。静雄が臨也の本音に気付いてくれて、初めてこの恋は叶ったのである。
『好きになってくれた』のは、臨也ではない。間違いなく静雄の方だった。
「全部、って分かんねぇよ」
言葉足らずの臨也にそう反論しながらも、臨也を見つめる静雄のまなざしはひどく優しい。宝物のように大切にされているのだと、その瞳を見つめているだけで判る。
そうしてまなざしを合わせているうち、先程夜道で何よりも幸せな言葉を聞いた時と同じ、泣きたいほどの切なさがしんしんと胸の奥に満ちてきて。
たまらずに臨也は静雄の名前を呼んだ。
世界でたった一つの名前──臨也にだけ許された呼び名を。
「シズちゃん」
「ん?」
「───…」
好き、と言いかけて言葉が詰まる。
これ以上ないほどにありふれた、陳腐な台詞だ。こんなのは平凡過ぎると思うのに、他に気持ちを伝える言葉が見当たらない。
胸が苦しいとか切ないとか実況するような形容は幾らでもあるが、それでは足らない。もっと切実に、真摯に想いを伝える言葉。
それはこの使い古された言葉以外に無いのに、それが上手く声にならない。
この言葉を口にしようとする時は、いつもそうだった。たとえば、ベッドの上で身も心もドロドロに溶かされて訳が分からなくなって、初めて素直に口にすることができる。
他愛ない、たった二音の音節しかない言葉なのに、それを音として出すことがこんなにも難しい。
素直になることが、気恥ずかしくて仕方がないのだ。
だから臨也は、
「シズちゃん……」
もう一度名前を呼び、静雄の頬に手のひらを添えて、そっと口接けた。
やわらかくついばみ、角度を変えて何度も合わせ、表面を舌先で軽く撫でる。
好き。大好き。
その気持ちを伝えるのにキスを深める必要は感じなかった。ただ何度でも、触れるだけのやわらかなキスを繰り返す。
静雄も目を閉じてそれを受け止めてくれたが、しかし、臨也の胸に満ちる切なさと愛おしさは尚も水かさを増し続け、そして。
「──愛してる…」
とうとう溢れて言葉となり、零れ落ちていってしまう。
ああ言ってしまった、と思いながら見つめると、初めて聞かせたわけでもないのに静雄は驚いたように目をみはって臨也を見つめ返した。
「──どうした?」
聞きようによっては大概失礼な問いかけではあったが、心から恋人を気遣う色が静雄の表情全体に現れていたから腹は立たない。
それどころか、今すぐ溶けてしまいそうなくらいに切なくて、愛おしくて。
ただ好きだと、全身全霊で思う。
「俺だって、たまには素直にものを言いたくなることもあるんだよ」
それでも精一杯の減らず口を叩けば、静雄は逆に安心したようだった。
「なら、いいけどよ」
言いながら、静雄は臨也の手をそっと離して、代わりに臨也の頬を優しく撫でる。それから、ふっと微笑んだ。
「前は、素直とか正直なんてスキルはねぇっつってたのにな」
妙に感慨深げに言われて、勢いで口走ってしまったことへの気恥ずかしさが今更ながらに激しく臨也を襲う。
もういっそ固まってしまいたかったが、それはそれで穴を掘って埋まりたい気分が強くなるばかりだということは経験上、よく分かっている。
だから、臨也は懸命に反論の言葉を探した。
「ずっとシズちゃんと一緒にいたから感化されたんだよ。シズちゃんなんて年中、本音駄々漏れじゃん。毒されちゃったの」
「俺のせいだってか?」
「そうだよ」
少なくとも、静雄と付き合い始める前の自分はこんな風ではなかった、と臨也は思う。
そもそも特定の恋人を作ったことなど無かったし、甘え方だって知らなかった。本音をさらけ出すことは尚更だ。
だが、静雄と一緒にいると時々、口が滑ったり、本音の一端を打ち明けなければならないという衝動に駆られるのである。
そんなのは自分らしくないと思うのに止まらない。
愛し、愛されるために、いつの間にか変わっていってしまっている自分の心と体。
そのことを自覚する度、戸惑いもするが、変化を嫌がって別れるには、臨也は静雄のことを愛し過ぎており、またその自覚もあった。
「俺がこんな風になっちゃったのは、全部、シズちゃんのせいだ」
臨也が繰り返すと静雄は少しだけ考える顔になり、それから面白げに笑った。
「じゃあ、俺もそんなに捨てたもんじゃねぇってことだな。お前みたいに腹の底から捻くれた奴を、ちょっとでも素直にさせるなんて早々できることじゃねえ」
この怪力以外で誰かの役に立てるなんて思ってなかったけどよ。
どこかしみじみとそんな風に言われて、思わず、馬鹿、と臨也は呟いた。
何の気もないだろう静雄の言葉に、自分でも思いがけないほどの腹立ちがこみ上げる。そして、その感情は、決して捻くれていると言われたことに対してではなかった。
「別に俺は、シズちゃんの力目当てで一緒に暮らしてるわけじゃないし」
「それは分かってっけどな」
苦笑する静雄に、ああそうだ、と臨也は思う。
静雄の彼自身に対する無頓着は、生来の性格もあるだろうが、それ以上に彼自身の自己評価が影響しているのだろう。
その尋常ではない力ゆえに静雄は周囲に対し引け目を感じ続け、普通ではないという劣等感を味わい続けてきたのだ。
そして、その感情を散々に煽り立てたのは、他の誰でもない、過去の臨也だった。だから静雄の自己評価の低さを一方的に責めるわけにはいかない。
でも、と臨也は静雄の名前を呼ぶ。
「シズちゃん」
さっきはここでくじけた。だが、今度は勢いで言葉を零すのではなく、きちんと気持ちを伝えたかった。
静雄の劣等感を煽ったことに対する罪悪感からではない。そんなものに駆られるには、過去の臨也は静雄に対し、あまりにも色々とやり過ぎた。本気で償おうとしたら百回死んで詫びても足りない。
それに、過去九年間は九年間で、臨也自身も必死だった。悔いが全くないとは言わないが、あの時はひたすらに静雄を嫌い、攻撃することが臨也にとっての真実だったのだ。
だから詫びとか償いではなく、ただ今は、静雄の価値はそんなものではない、と伝えたかった。
自分がこれまでどんな罵詈雑言を彼に聞かせ、そのうちのどれほどが彼のうちに染み込んでしまっていたとしても、そんなものは静雄の真の価値をこれっぽっちも表してはいない。
先程、静雄は臨也に世界で一番幸せな言葉をくれた。今度は自分の番だ、と臨也はともすれば逃げようとする自分の心を懸命に抑えつけて、口を開く。
「──俺がシズちゃんに目を着けたのはその力があったからだけど、今はその力があっても無くても、俺はシズちゃんが好きだよ」
そう口にした瞬間、爆発したくなる。
静雄が驚いたように目を丸くする。顔も体も、かぁっと熱くなるのが自分でも分かった。
「この先どう変わったって、シズちゃんはシズちゃんだから。一生離してやらないって言っただろ?」
だが、それでも渾身の力で自分を抑え込み、真っ直ぐに鳶色の瞳を見つめて告げれば。
じっと臨也を見上げていた静雄は物思うように数度まばたきし、そして、ほのかな、だがこれまでで一番満ち足りて幸せそうな微笑みを浮かべて。
臨也、といつもよりも深みのある声で名前を呼んだ。
うん、とうなずいて、臨也はゆっくりと顔を近づけ、静雄の唇に自分の唇を重ねる。
先程、この部屋に戻ってきた時と同じ、触れるだけの温かなキスをしてそっと離れて。
そしてまた、静雄の目を見つめた。
「……なあ、臨也」
「何?」
「指輪、買うか?」
「──は?」
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