「……ねえ、どうして俺がストライキしてる間、怒らなかったの」
「どうしてって……具合の悪い奴相手に怒れるかよ」
「インフルエンザの前後はともかくも、最近は別に具合は悪くなかったよ? それなりに仕事は忙しかったけど体調崩すほどじゃなかったし……てっきり気付いてるもんだと思ってたけど」
静雄の少々意外な答えに、臨也はきょとんとしながら問い返す。
が、返ってきた答えは、「バーカ」だった。
「一昨日辺りからは確かに本調子に戻ってたみたいだけどな。それまではずっと、何してても体の切れがなかったんだよ。自覚なかったのか?」
「ええー?」
「インフルエンザの熱が下がった後は五日間くらいマジでひどかったし、その後も、いつ見てもちょっとだるそうでよ。そんな奴に手を出せるかよ」
「……でも、シズちゃんもやりたがってたじゃん」
この一週間ほどの夜のやり取りを思い出しつつ、そう言えば、それにもまた否定が返ってきた。
「やりたがってねぇよ。俺は機嫌直せとしか言った覚えはねえ。お前がいつも先取りして、今夜はしたくないって言ってやがっただけだ」
「……そうだっけ」
「そうだっての」
馬鹿野郎、と罵言と同時に、こつんと額をぶつけられる。特に痛くもないそれは、甘い感触を臨也に残しただけだった。
至近距離で静雄の顔を見つめながら、思い返せば、確かに体調は万全とは言い難かったかもしれない、と臨也は思う。
体がそこはかとなくだるいのは欲求不満で眠りが浅いせいだと思っていたが、もしかしたら逆で、体調が優れなかったから眠りも浅かったのかもしれない。
静雄はそれに気付いていて、だからこそ毎晩、抱き締めて眠ってくれていたのだろうか。
早く元気になれ、ついでに機嫌も直せと念じながら。
「ったく、俺の身にもなれっつーんだ」
「……エッチなこと、したかった?」
「したくねえわけねぇだろ、馬鹿。でも、お前が具合悪そうにしてりゃ萎えるんだよ。なのに、手前は訳の分からねえ拗ね方しやがって」
「それはまあ、ねえ」
「まあ、最初の俺の言い方も悪かったとは思うけどな。ああいう言い方したら、お前がキレるのは分かり切った話だし。さすがにこれだけ臍曲げるとは思ってなかったけどよ」
「……腹が立ったんだよ。俺はいやらしいことする気満々だったのに、シズちゃんが据え膳食おうとしなかったからさ」
「人のせいにするな、って言いたいとこだけどな。仕方ねぇから、半分は俺のせいってことにしておいてやる」
「あと半分は俺のせい?」
「当然だろ」
きっぱりと言い切られて。
何となくおかしくなって、臨也はくすりと笑う。そして静雄の首筋に甘えるように額を擦り付けた。
「──いいよ。仕方ないから、それで」
「仕方ないって、お前が言う台詞じゃねえだろ」
そう言いながらも、静雄の声も笑っていて。
静雄の長い指が臨也の顎の辺りをくすぐった。
「なんか今の仕草、サクラそっくりだったぜ。やっぱりお前、猫なんじゃねぇの?」
「はぁ? 何それ。失礼だよ」
動物にたとえられたことに眉をしかめて見上げれば、静雄はひどく優しく笑んだ瞳でこちらを見つめていて。
反射的に臨也は、まあいいか、と思ってしまった。
「──じゃあ今度、猫耳でもつけてみる?」
「要らねえよ、馬鹿」
頭の沸いたような提案をしてみれば、静雄はくっと笑う。
「お前が普段の真っ黒黒すけじゃねえ恰好をしてんのは、新鮮で嫌いじゃねえけどな。コスプレの趣味は俺にはねぇよ」
「ふーん。じゃあ、ナース服とか着なくてもいいわけ?」
「お前にミニスカ履かせてどうすんだよ。どっちかっつーと、シャツ一枚とかそっちの方がいい」
「彼シャツ?」
「おう。お前が俺のパジャマの上を着ると、袖口から半分、手が出るだろ。あれは結構クるぜ。あと、そのぶかぶかの袖を腕まくりして朝飯作ってるのとかな。ああいうの、萌えっつーんかな」
「そうだねえ」
うなずきながら、そうだったのか、と臨也は目からウロコが落ちる気分だった。
静雄はSEXそのものは好きなようだし、実際に強い。だが、これまであからさまなフェチを示すことは殆どなかった。
とにかく臨也に触ることが好きなことと、臨也の性感を高めるためならかなりの技巧を駆使することも厭わないことは、これまでの経験で分かっていたが、それ以上の萌えポイントについては不明のままだったのである。
だが、まさか彼シャツが好みだったとは。
臨也自身も勿論、多少は挑発の意味を込めて静雄のパジャマを着たりしていたが、実のところは単に手に取ったのが静雄のパジャマで、自分のを拾い上げるのが面倒くさかっただけの場合が殆どだっただけに、これはちょっとした衝撃の事実だった。
しかし、
「でもさ、シズちゃんって熟女っていうか、むっちり系のお姉さん好きだろ? ナース服とかには萌えないわけ?」
静雄の本来の女性の好みがどんなものか承知している臨也としては、その辺りが少々不思議で、つい突っ込んで尋ねてしまう。
すると、静雄は案外真面目に答えた。
「まあ、その辺はな。AVとかで見る分には嫌いじゃねぇよ。でも、お前がミニスカ着てもなぁ。肉付きが悪すぎんだろ。俺は、痩せぎすな女は好みじゃねえんだよ」
「……でも、そう言う割には、シズちゃんは俺の脚、好きだよね?」
SEXの度に散々に撫で回されるのに、嫌いと言われては到底納得できない。そんな思いで突っ込めば、おう、とあっさりした返事が返る。
「お前はお前だろ。お前の生足を見れば、条件反射で反応するに決まってんだよ。惚れてんだから。でも、だからってミニスカはかせて女装させたら、更に萌えるかって言ったら違うんだよ。お前だって、俺がミニスカはいたとこ、見たいか?」
そう問われて。
思わず想像してしまった臨也は、目一杯眉をしかめた。
「気色悪いね、ものすごく。鳥肌立った」
「だろうが」
「幽君は女装しても綺麗だったから、シズちゃんも化粧すれば、結構な美女になると思うし、脚だって脛毛を剃ってストッキング履けば、細いからそれなりに綺麗に見えると思うんだよ。でも、それで萌えるかって言われたら無理。ネタとしては面白いけど、とっとと脱いでって言いたくなるだろうね、きっと」
「そういうことだ」
うなずきながら、静雄は臨也の肩に手を置き、二人の間に少しだけ距離を作って、まじまじと臨也の全身を眺める。
「まあ、お前は細いし、俺よりは女装も似合うだろうけどよ」
静雄の視線がつま先まで下がり、また戻ってくる。そのことにくすぐったさを覚えながら、臨也は笑った。
「嫌だよ、スカート履くなんて。宴会芸じゃあるまいし」
「分かってるっての。俺だって別に見たくねえし。第一、その身長でハイヒール履いたら百八十センチ超えるだろ。いくら美人でもデカすぎるぞ」
「えー、モデル体型じゃん。パリコレに出ようと思ったら、女でも最低百八十センチは要るよ?」
「俺はそんな女とは付き合いたくねえよ。まあ、キスはしやすいかもしれないけどな」
そう言い、臨也の顎を指先で軽くすくい上げるようにして、静雄は唇を重ねる。臨也も、そのまま静雄の首筋に両腕を回してキスに応えた。
数度ついばむように口接けてから、深く深く互いを繋ぎ、絡ませ合う。
久しぶりのきちんとしたキスは何もかも蕩けるように甘くて、唇を離した後も、うっとりと余韻に溺れながら静雄を見上げると、そんな臨也に静雄は淡く笑んだ。
「続きはメシ食ってからな」
「……おなか空いてるの?」
「当たり前だ。もう八時だぞ。三時にマックでシェイク飲んだ後は、何にも食ってねえんだよ」
「そうなんだ。じゃあ、御飯にしようか」
「おう。今夜はカレーだろ。さっきから匂いが気になって仕方ねえ」
言いながら、静雄は小さく鼻をうごめかす。だが、彼でなくとも部屋中に漂うスパイシーな香りには、玄関に入った瞬間に気付くだろう。
給食の時間の小学生のような表情を見せる恋人にくすりと笑いながら、臨也は静雄の顔を覗き込む。
「今日はね、スペシャルだよ。野菜たっぷりのカレーにハンバーグと目玉焼きのせ」
目玉焼きはこれから作るんだけど、と告げれば、静雄は目をまばたかせた後、面白げな表情を浮かべた。
「お前も食いもんで釣る気満々だったんじゃねえか、臨也君よぉ」
「そりゃまあ、バレンタインデーだしね」
意地を張るのにもいい加減飽きていたのだと、臨也は肩をすくめて笑う。
「ほら、一緒に御飯の支度しようよ。ハンバーグと目玉焼き、焼かないと」
「──おう」
臨也が差し出した右手に、静雄は当たり前のことのように左手を重ねてきて。
その薬指に、いつもと変わりなくプラチナリングが光っていることにひどく満足して、臨也は温かな手をぎゅっと握り締め、共にダイニングキッチンへと向かった。
End.
2012年バレンタイン作品。
前回の残念ネタを引きずってます……w
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