肩を並べてから、並んで歩くなんてどうにも変な感じだと、静雄は反射的に思う。
だが、情報屋を辞めたという臨也の言葉は、単に聞き流せるようなものではなかった。
「手前、きっちり説明しろよ。あれから一体、どこで何してやがったんだ」
「それ、君には関係ないって言わなかった?」
「関係ないの一言で済ませられると思ってんのか」
「──でも俺たち、何でもなかっただろ」
歩きながら静雄を見上げた臨也の表情は、相変わらずやわらかな笑みで、そこに仕方がないなぁとでも言いたげな色がにじんでいる。
「ずっと嫌い合って殺し合って、果てはSEXまでしてたけど。関係なんて無かっただろ」
静かに澄んだ声で、そう諭されて、静雄は継ぐ言葉を失う。
確かに関係など無かった。友人でもなかったし、ましてや恋人でもなかった。
二人を繋ぐものは、嫌悪と憎しみと、一時の快楽。他には何もなかった。
───けれど。
本当に何も無かったと言えるのか。
言い表す言葉が見当たらないだけで、目に見えない何かが自分たちの間にはあったのではないか。
そうでなければ、どうして一目でお互いにあれほどまでの嫌い合い、かといって無視することもできず、挙句は身体まで重ねたのか、到底説明ができない。
そう、少なくとも何の関係がないもの同士がするものではなかった。殺し合いも、SEXも。
だが、それを静雄が上手く言えずにいるうちに、臨也は、あそこだよ、と道の先の一点を指で指し示した。
その人差し指にも、指輪はもう嵌まっていない。
銀の指輪をしていない指は、男のものにしては細く、爪の形まで綺麗だということに静雄は初めて気付きながら、臨也が示した道の先へとまなざしを向ける。確かに、そこにはケーキショップらしいガラス張りの洒落た店舗があった。
そして、そのガラス扉に臨也は当たり前のように歩み寄って、中に入る。どうしてと思いながらも、静雄は直ぐ後に続いて入り、カウンターの中の女性定員に、予約したケーキの受け取りをしにきたと告げた。
笑ってうなずいた女性店員がケーキをラッピングしてくれる間、臨也はゆったりとした足取りで店内の商品を眺め、小さなクッキーの包みを取り上げて、これをくれと女性店員に告げる。
そうして勘定を済ませた二人は、また当たり前のように肩を並べて店を出た。
「臨也……」
目の前の相手が何を考えているのか、本気で分からなくなりながら名前を呼ぶと、臨也はまた小さく、嫌味のかけらも無い顔で笑った。
「シズちゃん、駅に戻るのなら、こっちの道から行こうよ。こっちからだと海沿いに行けるから」
海が見えるよ、と誘われて、言われるままに歩き出す。そんな自分も分からないと思いながら付いてゆくと、確かに角を曲がったその先に、午後の光に穏やかに光る春の海が目に飛び込んできた。
「海なんて見るの、久しぶりなんじゃない?」
「……さっき電車の窓から見た」
「それは見た範疇に入らないと思うけどなぁ」
駅からケーキ屋まで静雄が歩いた距離は大したものではない。二人肩を並べるようにして、黙然と歩いていれば程なく、ゆるやかにカーブしながら続く道の向こうに、コンクリート造りの駅舎が見えてくる。
そこまで来た所で、不意に臨也が足を止めた。
「臨也?」
なんだと静雄も足を止めれば、臨也は、するり、としか形容の仕様の無い身のこなしで海の方を見る。
緩やかに吹き上がってくる海からの風が、臨也の前髪を小さく揺らした。
「──三年前の話だけど」
「あぁ?」
海を見つめたまま告げてきた言葉に、静雄は眉をひそめる。
だが、構うことなく臨也は、水平線を遠く見つめたまま続けた。
「俺が最後の一手を打たなかったのは、シズちゃんのせいだって言ったら、信じる?」
「──は、ぁ?」
思わず間の抜けた声で問い返す。すると、臨也は、またするりとした身のこなしで静雄に向き直った。
あの頃の嫌味は微塵も無い、透明な笑みを淡くその表情に浮かべて、静雄を見上げる。
「何となくね。この最後の一手を打ったら、本当に君とは終わりだなぁと思ったら、できなくなっちゃった。馬鹿馬鹿しい話だけどさ。俺も所詮、普通の人間だったってことだよ。特別でも何でもなくて、さ」
「──それって、どういう……」
「さあ? 意味なんて知らないよ。とにかく俺は、あの時を期に全部放り出して、以来、清く正しく生きてました。Understand?」
「分かるわけねぇだろ」
「あはは、相変わらずだねえ、シズちゃん」
憮然と返した静雄に臨也は軽やかに笑った。
そして、手にしていたクッキーの入った小さな紙袋を、とん、と静雄の手に押し付ける。
「あげる。あそこのクッキー、美味しいから」
「おい……」
「それじゃあね、シズちゃん。もう会うこともないと思うけど」
そうとだけ告げて、臨也はするりと静雄の傍らをすり抜け、駅とは反対の方向に向かって歩き出した。
「おい、臨也」
思わず名を呼んだ静雄に、あの頃の黒いファー付きコートではない、黒いパーカーのポケットから右手を出して、後ろ手にバイバイと手を振る。
その細い後姿を呆然と見つめながら、静雄は臨也が告げたことを猛烈な勢いで反芻した。
───俺たち、何でもなかっただろ。
───シズちゃんのせいだって言ったら、信じる?
───本当に君とは終わりだなぁと思ったら、できなくなっちゃった。
「……馬鹿野郎っ!」
口の中で小さく罵倒して、静雄は右腕に下げたケーキ入りの袋とクッキーの紙袋をその場に置き、駆け出す。
あの頃と同じ、飄々とした足取りで歩いていた臨也との距離は簡単に詰まり、肩を掴むまでには十秒も必要なかった。
「勝手なこと言ってんじゃねぇよ!!」
「っ、シズちゃ……」
驚いた表情で顔を上げた臨也が名を呼び終える前に、その細い体を胸に抱き込む。
三年経っても肉付きの薄い身体は、たやすく静雄の腕の中に納まり、ふわりと甘い臨也の匂いが静雄の嗅覚を刺激し、胸を詰まらせた。
「俺のせいって何だよ!? 関係ねぇとか言ったその口で、勝手なこと言ってんじゃねぇよ!!」
「……だって、本当に何でもないじゃん。俺と君は、」
「関係ない奴が高校時代から何百回も殺し合ったり、果てはSEXなんかするかよ!」
何もないというのは、臨也の嘘だった。
あるいは、本当に何もなかったことにしたいのかもしれない。
だが、それは事実ではないのだ。
二人の間には何かがあった。言葉では決して言い表せない、世界中どこを探してもないような、特別な何かが。
「勝手に自己完結して、何も言わずに居なくなってんじゃねぇよ……!」
臨也が消えたと知った、あの日から。
どれほど探したか。
企みの全てを吐かせなければという意図もあって、池袋と新宿の全てを虱潰しに探し、情報を集め、けれど、有力な手がかりは何もないと思い知らされた時の絶望感。或いは虚無感。
何かとてつもないものを失ってしまった後悔のような思いに苛まれながら、この三年間、人混みの中に常にその姿を捜し求め続けていたというのに。
「俺と手前が、何の関係もねぇわけねぇだろうが……!」
細い身体を抱き閉める腕に、ぐっと力を込める。
「言えよ、なんで俺のせいなんだ。お前は何を壊すのを嫌がったんだよ」
「シズちゃ……」
「言い訳も嘘も聞きたくねぇ。本当のことを言わねぇ限り、離してなんかやらねぇからな」
「──男の俺を抱き締めて離さないとか、端から見たらシズちゃん、ただの変態だよ」
「知るか」
「……じゃあ、俺が答えなかったら、シズちゃんはずっとこのままなわけ?」
「そう言ってんだろ」
言い切ってやると、臨也は押し黙る。
だが、沈黙は五秒も続かなかった。
「……だったらさ。俺、何にも言いたくない、なぁ」
かすかに震えるようなそんな言葉と共に、臨也の両腕が動いて静雄の背に回る。
その腕にぎゅっと力を込められて、静雄の胸は今度こそ本当に詰まった。
「お前、マジで馬鹿だろ……っ」
「シズちゃんほどじゃないよ」
そんな言葉と共に、肩口にぎゅうと顔を押し付けられる。
こんな仕草は、あの頃、狭いアパートでSEXをしていた頃でさえしたことはなかった。
できなかったのだ、と今になって閃くようにして静雄は理解する。
あの頃の二人は、出会って以来積み上げ続けた様々な感情に雁字搦めになっていた。互いに対する執着を、執着と認めることすらできなかったのだ。
そして、その執着を、人は何と呼ぶのかも。
思い至ることすら、できなかった。
「臨也」
名前を呼び、身体をそっと引き離す。
両手で頬を包み込むようにして、うつむいた顔を上げさせると、目元にはうっすらと水気が滲んでいて。
馬鹿野郎、ともう一度小さく呟いて、静雄は薄い唇に自分の唇を重ねた。
「それじゃあな」
駅の改札口で、静雄は改めて臨也に向き合う。
臨也は真っ直ぐに静雄を見つめていた。
かつての嫌味な笑みでもなく、今日ずっと見せていた透明な笑みでもなく、ただじっと静雄を見ている。
そんな臨也に静雄は小さく笑んで、右手を上げ、頬からこめかみにかけ手をするりと撫でた。
「次の休みにはまた来るからな。逃げんなよ」
「──逃げないよ」
別に逃げてたわけじゃないし、とぶつぶつ言うのに構わず、改札口向こうの発車案内を見上げて時刻を確認し、静雄はICカードをポケットから取り出す。
「じゃあな」
カードを読み込ませて改札を抜け、ホームへと向かって歩く。階段を上る前に改札口に目を向ければ、まだそこに臨也は立っていた。
目と目が合ったのを確認してから、ホームに上がり、そして電車を待つわずかな間に、携帯電話を取り出す。
その中には、聞き出したばかりの臨也の番号とアドレスが入っている。勿論、静雄の携帯の番号とアドレスも、半ば強引に臨也の携帯に登録させてある。
それを手にした今、三年間感じ続けた後悔も焦燥も、すべて綺麗に消え去っていて、代わりに胸のうちに満ちているのは、やっと欲しかったものを手に入れたという安堵感だった。
「関係なくなんかねぇし、終わりになんかさせねぇよ」
わずかに笑んだ声で小さく呟いて。
三年ぶりに感じる晴れやかな気分で、静雄はホームに入ってきた電車に乗り込んだ。
End.
できれば、もっとほのぼのとした話が書ければ良かったのですが、今はこれが精一杯でした。
東北関東大地震被害に遭われた、全ての方々に捧げます。
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