「えっと……、この店か」
慣れないデパートの店内を少しばかり迷ってから、静雄は臨也に言い遣った店舗の前まで辿り着いた。
そして、粋な紳士服がディスプレイされたショーウィンドウを眺めて、小さく溜息をつく。
「あいつらしいっつーか、また高い店だな」
臨也が高級志向なのは、今に始まったことではない。
そもそも臨也は高額所得者だ。具体的に聞いたことはないが、収入そのものが静雄の数倍、ことによっては桁が違うだろう。
だが、付き合い始める以前に比べれば、後ろ暗い収入は格段に減ったような気配はある。
以前に約束した通り、臨也は、仕事も趣味も絶対に家の中に持ち込まない。しかし、一緒に暮らしていれば、いま手がけている仕事があくどい事かそうでないかくらいは、雰囲気で感じ取れるのだ。
そして静雄はといえば、自身の収入の範囲内での支出であれば、どんなに高額な買い物をしようと知ったことではないと割り切っているため、臨也の浪費を特に問題視したことはなかった。
「まあ、見てても仕方ねぇな」
実のところ、静雄も幽を通じて、高級店に全くの慣れがないわけではない。
幽が時折、兄にプレゼントしてくるものは彼が独断で選んだものが殆どだったが、食事などでは静雄自身が店に赴く必要がある。
加えて生来の度胸もあり、高級店だからといって静雄が無闇に萎縮することはなかった。
店内に足を踏み入れた途端、滑るような足取りで寄ってきた三十代前半と思しき男性店員に、端的に用件を告げる。
「折原の代理で、品物の受取に来たんですが……」
「ああ、承っております。どうぞ、こちらへ」
ずば抜けて長身の静雄は、大抵の場合、相手を見下ろして会話をすることになる。
その店員も、静雄のモデルスタイルそのものの外観に目を惹かれたのか、非礼にならない程度にざっと全身を俯瞰した後、場違いなバーテン服を少し惜しそうに見やった。
それから、重厚な木製のレジカウンターの奥から、これまた洗練された雰囲気の濃紺に銀でブランドロゴを箔押しした紙袋を取り出してカウンター上に置き、包装された中身を半ば見せた。
「折原様から、お包みをしておくよう御依頼されましたので、このように致しましたが、中身の御確認はなさいますか?」
「いえ、そのままで結構です」
臨也が包んでおけと言ったのなら、そのままにしておくべきだろうと考えて、静雄は答える。
それに、これだけの高級店で早々、品物の間違いがあるはずもない。
「ありがとうございます。では、店の出口までお持ち致します」
にこやかにうなずいた店員は、丁寧に品物を紙袋に元通り納め、紙袋を手に取った。
そのまま送られて、静雄は店を出る。
「ありがとうございました。折原様にも、どうぞよろしくお伝え下さいませ」
「ああ。ありがとう」
軽く礼を言い、紙袋を受け取る。中身の四角い包みも大きなものではなかったが、それ以上に紙袋は軽かった。
だが、中身は何であろうと、臨也の買い物である。
良い買い物をしたのなら、臨也のことだからどうせ自慢してくるだろうと、それ以上の興味は持たず、静雄はその紙袋を手にしたまま、仕事に戻るべくメトロの駅へと急いだ。
* *
トムに無理を言って、少し早めに仕事を切り上げ、帰ってきたマンションの部屋は、ひっそりと静まり返っていた。
ミャア、と甘く鳴きながら、出迎えたサクラが小さな体を静雄の脚に擦り付けてくる。
それを、ひょいと片手で抱き上げて、静雄はおつかいの紙袋をリビングに置くのももどかしく、寝室へと向かった。
ノックも声かけも無しに、そっとドアを開けて中に踏み込む。
ダウンライトを淡く付けたままの室内はぼんやりと薄明るく、その中で臨也は大人しくベッドに潜り込んでいた。
「……寝てんのか」
そっと額に触れれば、朝と同じように熱い。サイドテーブルに置いた、ペットボトルのポカリスエットは残り僅かになっていたから、何度か目を覚まして水分は摂取したのだろう。
インフルエンザ特有の症状で、三日ほど熱が続くのはどうしようもないことだから、明日一日くらいは熱は下がらないに違いない。その間にどれほど体力を消耗するのかを想像すると、溜息しか零れなかった。
「とりあえず、俺は何か食っておくか」
手をかけた料理をする気にはならないが、臨也に付き合って静雄まで絶食するのもおかしな話である。
手早くチャーハンか焼きそばでも作るかと思案していると、不意に腕の中に居たサクラがベッドの上に飛び降りた。
臨也の体の上にではなかったが、その直ぐ横、毛布のかけられたダウン布団の上に降り立ち、その温かな感触の良さに足踏みを始める。
「おい、サクラ」
「……ん」
駄目だ、とサクラをもう一度抱き上げようとした時、臨也が小さくうめき、次いでうっすらと目を開けた。
呆としたまなざしが彷徨い、静雄を見上げて数度まばたきする。そして、視線だけで、おかえり、と告げた。
「ただいま。悪いな、起こしちまった。直ぐにサクラ連れて行くから……」
そう言うと、臨也は僅かに首を横に振る。
「? サクラを連れて行かなくていいのか?」
今度はこくりとうなずいて、布団から手を出し、早速、布団の上で毛づくろいを始めたサクラの頭を軽く撫でた。
その様子に、熱で辛い気分がサクラのやわらかな毛並みと温もりでまぎれるのかもしれない、と静雄は納得する。分かった、と布団越しに軽くぽんぽんと叩けば、臨也は再び、まなざしを静雄に向けた。
「俺は飯作って食うけど、お前は食べられるか?」
問えば、少しだけ考えてから、臨也はうなずく。
「分かった。じゃあ、少し待ってろ」
食べなければ、体力が持たないと分かっているのだろう。素直にうなずく臨也に何とも言えない愛おしさを感じながら、静雄は臨也の髪をそっと梳くように撫でた。
「あと、朝の頼まれた品物も、ちゃんと受け取ってきたからな。リビングに置いてある」
報告すると、うなずき、そしてリビングの方へとまなざしを向ける。品物を見たいのかと気付いて、もう一度、髪を撫でた。
「後で持って来てやるから。粥ができるまで、サクラと寝てろ」
そう告げて、寝乱れた布団と毛布を簡単に直し、ぬるくなった氷枕を取り替えてやるべく、軽く頭を支えてやって抜き取る。
そうしてもう一度、臨也と目を合わせてから、布団の上で丸くなったサクラを見やり、静雄は寝室を後にした。
一応、昼もきちんと粥を食べたらしい臨也は、夜もきっちりと茶碗一杯分の粥を平らげた。
だが、それで限界だったのだろう。少し冷ました玄米茶をも飲み干すと、再びぐったりと布団に伏す。
静雄はそんな臨也を横目で見ながら、一旦、食器を片付けるべく寝室を出て、その後、ブランド物の紙袋を手に寝室に戻ってきた。
「ほら、これだろ」
掲げて見せると、臨也はうなずいて、サイドテーブルに手を伸ばし、スマートフォンを手に取る。
『中、開けて』
「おう」
求めに応じて、臨也は紙包みを袋から取り出し、綺麗に折り畳まれた包装紙を開く。そして、その内のブランドロゴが印刷された紙の箱を、壊さないようゆっくりと開けた。
「これ……マフラーか?」
化粧箱に丁寧に収められた、見るからにやわらかそうな毛織の生地に、静雄は目をまばたかせる。
このブランドの特徴でもある大模様のチェック柄で、深みのある青を主体にグレーと茶色が交差しており、一目で高級品と分かる品の良さだった。
『そう。シズちゃん、誕生日おめでとう』
「は……」
スマートフォンに表示された文字と、臨也の顔、そして手元のマフラーを見比べて、静雄は事態を理解する。
つまり、これは。
「俺に……?」
『色々考えたんだけど、普段使いしてもらえるものがいいと思ったから』
それなら明日からでも使えるだろう、と示されて、静雄はじわじわと感情の波が昂ぶってくるのを覚えた。
自分が病気の時に、人の誕生日のことなんざ考えてんじゃねぇよ馬鹿、とか、プレゼントなんかなくったってお前さえいればいいんだとか、言いたいことが幾つも浮かび上がってくる。
だが、言葉にできたのは一つだけだった。
「ありがとうな。すげぇ嬉しい。大事に使う」
『本当は俺自身の手で渡したかったんだけどね』
心からの礼を告げれば、熱で辛いだろうに臨也はひどく嬉しげに微笑む。
そして、スマートフォンを持つ左手には、いつもようにプラチナリングがひっそりと輝いていて。
たまらずに、静雄は臨也の唇に口接けた。
無論、病に臥せっている最愛の相手に何を要求するつもりもなく、キスも触れるだけの可愛らしいものだったが、それでも臨也は目をまばたかせて、それから軽く眉をしかめる。
『インフルエンザの患者にキスするなんて、馬鹿じゃないのシズちゃん』
「うるせぇ。俺は罹らないんだっつーの」
『知ってるけど。でも俺、風呂にも入れてないし』
「それが何だっつーんだよ。いつだってお前は可愛いし、綺麗にしか見えねぇよ」
そう言った途端、臨也は熱で赤らんだ頬を更に真っ赤にした。
『本当に馬鹿じゃないの、シズちゃん! っていうか、馬鹿!!』
「おう、馬鹿で結構だ」
『開き直るなよ!!』
文字だけではあるが、ぎゃあぎゃあといつも通りに騒ぐ臨也に、静雄は小さく笑う。
そして、もう一度、唇にキスをした。
「俺は風呂に入ってくるから。お前は寝てろ。そんで、早く治せ」
『言われなくたって、寝るし、治すよ』
「おう。で、お前の体調が戻ったら、一緒にケーキ買ってきて食おうぜ。勿論、お前の奢りでな」
『……仕方ないから、シズちゃんの言う通りにしてあげるよ。うんと高くて、うんと美味しいケーキ、買ってあげる』
「ああ」
寝込んでいても口の減らない恋人に笑いながら、静雄は臨也の髪を撫で、マフラーを手にしたまま立ち上がる。
やわらかな手触りのそれを、少し思案した後、クローゼットを開けてハンガーにかけ、しまった。
そして振り返れば、臨也はベッドの中からその一連の動作を、じっと見つめていたらしい。薄明かりの中で目が合った。
「本当にありがとな」
もう一度告げれば、臨也は幸せを満たした表情でやわらかく微笑む。
それから、スマートフォンをサイドテーブルに戻し、口の動きだけで、おやすみ、と告げて目を閉じた。
その様子を見つめて、静雄もまた、愛おしさを胸いっぱいに感じたまま、そっと寝室を後にした。
END.
シズちゃんの2012年おたおめ。
今年もやっぱり、臨也は残念です(笑)
Happy Birtyday !!
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