『別に用って訳じゃねぇよ』
「じゃあなんで? シズちゃんも、まだ仕事中じゃないの?」
パソコンの時計は二時半を少し回ったところだ。今日は休みだという連絡はもらってないから、おそらく勤務中で間違いない。
『休憩中だ。つーか、昼飯食い損なって、今が昼飯なんだよ』
「へえ。取立ての仕事も楽じゃないね」
言いながら、臨也はひどく困る。
電話というのは、こんなに困った道具だっただろうか。
当然といえば当然のことなのだが、耳元で静雄の声が聞こえる。低くて響きのいい、ひどく魅力的な声だ。
その声が。
『おう。って、そうじゃなくてよ、臨也』
名前を呼ぶのである。
はっきりいって、この機械を投げ捨てたい。粉々に壊したい。
そう思うのに、しかし、電波状況が悪くなったふりをして通話を切ることはおろか、電話を耳から遠ざけることすらできない。
何なんだ、と臨也は思う。
一体何をしているのだ、自分は。
そう思うのに、静雄の声は臨也の混乱に更に拍車をかけてくる。
『手前、何で連絡してこねぇんだ』
「……は、ぁ?」
『言っただろうが。メールでも電話でもしてこいってよ』
少しばかり怒ったように言われて、臨也はひどく困惑する。
「確かに言われたけど、何それ。俺、従わなきゃいけないの? 何の命令? シズちゃん、いつから俺の上司にでもなったわけ?」
『〜〜〜手前なあ、』
「そんなの俺の勝手だろ。しばらく仕事が詰まってたし、用事がなかったから連絡しなかった、それだけだよ。君に文句言われる筋合いなんかないね」
立て板に水のように、さらさらと言葉が口をついて出る。
「第一、シズちゃんだって、休憩中になんでわざわざ俺に電話かけてくるのさ。貴重な休み時間なんだろ。のんびりシェイクでも飲んでりゃいいじゃん。ほら、あの先輩さんとか可愛い後輩ちゃんとかも一緒にいるんだろ。大事な仕事仲間と楽しく……」
『──ンなの、手前の声が聞きたかったからに決まってんだろうが!!』
不意に耳元で怒鳴られて。
鼓膜がキーンと震える。
だが、鼓膜以上に。
「……は、何言ってんの、シズちゃん」
かすかに震える手で携帯電話を握り直し、震えそうになる声を懸命にコントロールして、いつもの調子で言い返す。
「俺の声で癒されるとでも言うわけ? 本当にマゾなの?」
『ンなわけねーだろうが!』
クソッ、と舌打ちする声が聞こえて。
臨也の心がひやりと冷える。
言い過ぎた、だろうか?
でも、いつもこれくらい言っているはずだ。どんな時であっても、静雄相手の毒舌を容赦したことはない。
そして、この前は静雄もそれを許してくれた、はずだった、けれど。
「シズちゃ……」
『あ"あ、やっぱ電話は駄目だ!』
吐き捨てるように言われて。
臨也は言葉を失った。
脳裏が真っ白になって、何を言うべきなのか分からなくなる。
───シズちゃん。
俺、言い過ぎた?
でも、この前はいいって言ったよね? それがお前だって。
急に駄目になったの?
それとも本当は、最初から駄目なままだったの?
あの時、許してくれたのは、ただの気まぐれだった?
雰囲気に流された?
そういうの、やめてよ。俺、どうすればいいのか分からなくなるじゃん。
だから嫌だったんだよ、電話とかメールとか。
上手く話せるわけないじゃないか、俺と君が。
きっとこんな風になるって分かってて、だから、俺はあんなにも──。
『臨也、今日の晩飯は一緒に食え』
「───は?」
『だから、晩飯。何か予定でも入ってんのか?』
「いやいや、だからなんで晩飯? しかも命令形ってどういうこと?」
『仕方ねぇだろ、まだしばらく会社のスケジュールが立て込んでるから、今月中は休みもらえそうにねえし。晩飯食うくらいの時間しか取れねぇんだよ』
「いや、だから別にシズちゃんのスケジュールを聞いてるわけじゃなくて……」
『じゃあ何だ。お前の方が予定入ってんのか?』
「──入ってないよ、今夜は。だから、御飯くらいの時間はあるけど、そういうこと言ってるんじゃなくて、なんで俺と晩御飯なのかって」
『そんなもん、顔見て話したいからに決まってるだろ』
再び爆弾を投下されて。
今度こそ臨也は固まる。
───今何て言った、この化け物は。
───っていうより、さっきから何言ってんだ。
声が聞きたい、とか。
晩飯一緒に食え、とか。
顔を見て話したい、とか。
気でも狂ったのではないか?
『───い、おい臨也』
「……あ、何、シズちゃん」
『…………』
「シズちゃん? 聞こえてる?」
『臨也』
「あ、聞こえてるじゃん。どうしたの?」
『お前、今、固まってただろ』
「!」
呆れたように言われて、思わず臨也は耳から携帯電話を引き剥がす。
視線で解体する勢いで睨みつけ、しかし、そうしたところで何の意味もないことを思い出して、再びスピーカーを耳に当てた。
「やめてよねシズちゃん。君が妄想するのは勝手だけどさぁ、それに俺を巻き込まないでよ」
そして、思い切り憎らしい調子でそう言うと。
電話の向こうで静雄が溜息をついたのが聞こえて。
『ったく……。目の前で見てりゃあ全部分かるってのによ』
「は? 何の話?」
『お前のことに決まってんだろ』
言い切られて、臨也は眉をしかめた。
「俺が、何」
『だから、電話じゃ駄目だってことだ。お前の顔が見えねぇから、声だけ聞いてると、只のウゼェむかつくノミ蟲としか思えねぇんだよ。目の前で言ってりゃ、可愛いだけなんだけどな。だから、今夜、会え』
「───だから、どうして命令形なんだよ。第一、よりによって俺に可愛いって、形容詞おかしいだろ。本当に目が腐ってるんじゃないの? 一度、新羅にでも看てもらったらどうなのさ」
『うるせぇ。電話じゃもう話さねぇからな。今夜、仕事が上がったらメールする。新宿まで行くから、店決めとけ』
「何それ横暴」
『じゃあな』
その言葉を最後に、ぶつりと通話が切られる。
「ちょっと、シズちゃん!?」
呼びかけても、当然、返事は返らない。
臨也は耳から話したそれを忌々しげに見つめ、スライドを綴じた。
「もう、訳が分かんなさ過ぎるよ!」
突然電話をかけてくるだとか、いきなり晩御飯の約束だとか。
第一、自分はOKなどしていないではないか。
なのに、店を決めとけとか、一体どういう了見か。
けれど。
「〜〜〜俺、馬鹿だろ……!」
絶対に行かないと拒絶メールを送りつけるどころか、恥ずかしいほどに喜んでしまっている自分が、一番どうかしている。
「シズちゃんの馬鹿! 俺も馬鹿!」
黒い携帯電話を握り締めたまま、臨也は自分と静雄をまとめて罵り。
そして、涙目で赤い顔のまま、クソっと舌打ちしながらパソコンのマウスを取り上げ、今夜のためのぐるナビを検索し始めたのだった。
End.
製作BGMは、「すばらしい日々」をエンドレスリピート(笑)
このシリーズのイメージ曲は、鬼束ちひろの「私とワルツを」だったのですけども、後日譚は明るい雰囲気にしたかったので。
しかし、大好きな青春ソングを臨也さんに歌われる日が来るとは、思いもしませんでした。
しかも、今まで気付かなかったけど、完璧にシズイザソングですね、この歌詞。
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