Only you 1







 学食の玄関前にある大きな針葉樹。
 その下で、少し前から人待ち顔で女子学生が立っている。
 時々腕時計を確かめているが、別に不満そうな顔はしていないから、おそらく待ち合わせ時間は五分後の午後一時半あたりなのだろう。
 既に午後の講義は始まり、昼のピークを過ぎて閑散としてきた食堂の窓から、サンドイッチにかじりつきつつ太公望は、見るともなしにその姿を眺めた。
「何見てるの、望ちゃん」
 視線があさっての方向を向いていることに気付いたらしい、テーブルの向かい側に腰を下ろしてAランチを食べている親友に問われて、
「あれ」
 素直に窓の外を指差す。
「──ああ、あの女の子?」
 針葉樹の下の女子学生を見て、普賢は納得したようにうなずいた。
「顔は並以上だけど足は綺麗。化粧ばっちり、髪型ばっちり、服も鞄もお金かかってそう。──やっぱりあれかな?」
 どことなく面白がっているような視線をちらりと投げられて、
「………多分な」
 太公望は気のない返事を返し、またサンドイッチを一口かじった。目線は既に、面白くもなさそうにテーブルの上に戻っている。
 だが、
「一時半まで、あと二分。女の子待たせるのは失礼だよね〜」
 今度は普賢の方がランチそっちのけで、嬉々として自分の腕時計と窓の外の女学生とを見比べ始めた。
「やっぱりさぁ、相手の性格考えて待ち合わせ場所には現れるべきだよね。五分前に絶対来る相手とか、十分遅れでしか来ない相手とか、二、三回待ち合わせれば分かるものじゃない? ましてや相手が女の子なら、絶対に先に男が来てるべきだよ」
「分かるほどの回数を待ち合わせとらんのかもしれんぞ」
「あ、そうか。それもありだね、彼なら。でも、女の子待たせるのは失格」
「おぬし、ああいうタイプが好みだったのか?」
「全然。でも僕、ルーズな奴って男でも女でも嫌いだから、この場合は先に来てる彼女の味方」
「……………」
 もう返事をする気にもなれず、窓にへばりついている普賢のことは放ったらかして太公望は自分のサンドイッチをたいらげる。
 そして、茶をもう一杯汲みに行こうと立ち上がりかけた時。
「あっ、来たよ! 望ちゃん!!」
 実に愉しそうな声で、普賢が小さく叫んだ。
 つい、つられて振り返ると、確かに彼の言う通り、すらりと背の高い男子学生が女子生徒の傍らへ歩み寄るところだった。
「一時二十九分! なんか嫌味だよね〜、一分前だって!!」
 確かに壁にかかった時計を見れば、あと少しで一時半というところを指している。
「あーあ、今日も高い服着て〜。あのシャツ、一見シンプルに見えるけど五万円以上するやつだよ。靴や鞄だって地味だけど、あれはイタリアの超一流の……」
「………だから、どうしておぬしがそんなことを知っとる」
「今時の学生の常識でしょ」
 食堂のガラス窓越しに小声で騒ぐ普賢に気付くはずもなく、二人の野次馬が見守る前で二、三、言葉を交わし、待ち合わせていた二人は連れ立って歩み去ってゆく。
 その後ろ姿を見送り、
「………あんな奴のどこがいいんだかな」
 湯呑み片手に立ったまま、太公望はぼそりと呟いた。
 だが、
「人のこと言えるの、望ちゃん?」
 くるりと振り返った普賢に、揶揄するように小首を傾げつつ見上げられて。
「───…」
面白くもなさそうに、太公望は小さく肩をすくめた。










「───で、どうしておぬしがわしの部屋に来るのだ」
「時間が空いたものですから」
 はい、と煎れたてのコーヒーを手渡す相手を、太公望は白い目で睨む。
「今夜の予定、なくなっちゃったんですよねー」
「昼間の女子はどうした」
「ああ、彼女ならさっき別れてきました」
 先刻降りだした小雨の中を突然やってきて、まるで自分の部屋のようにくつろいでソファーに腰を下ろしている相手を、太公望は呆れきったまなざしで見つめた。
「………今月、三人目」
「何がです?」
「おぬしが付き合って別れた女の数だ」
「あれ、そんなものですか? もう月末なのに……今月は少ないなぁ」
 太公望の言葉に、青年は軽く首をひねる。
「これまでの最高記録は……八人でしたっけ、九人でしたっけ?」
「十人だ!」
「ああ、さすが良く覚えてますね」
 微笑を浮かべる相手に、太公望は深く溜息をつく。
「………楊ゼン」
「はい?」
「いつも言っておることだが、おぬしがいくら遊ぼうとおぬしの勝手だが、こっちにまで迷惑を持ち込むでないぞ?」
「それは気をつけてますよ。もう二度と、ここに怒鳴り込ませたりはしませんって」
「──分かっておるんならいい」
 溜息混じりにそう言って、太公望は楊ゼンの煎れた熱いコーヒーをすすった。

 楊ゼンと太公望の関係は、一言でいえば一つ違いの幼馴染だった。
 とはいっても、互いの家が近かったわけではない。
 にもかかわらず、小学校から中学、高校、果ては大学まで一緒なのは、共に脳味噌のレベルがかなり高かったことに起因する、ただの必然に似た偶然である。
 足掛け十四年も続いた腐れ縁の結果が、この現状なのだった。

「───楊ゼン」
「はい?」
「何なのだ、この手は」
 いつのまにか隣りに来た楊ゼンの右手の指が、太公望の左耳からうなじにかけての辺りを悪戯に彷徨っている。
「今更聞かないで下さいよ」
 その言葉と共に、軽く耳の下に口接けられて。
 太公望は眉をひそめて、小さく溜息をついた。
「………何とかならぬのか、その癖」
「癖ってなんです?」
「だから、こうやって女と別れてすぐ、わしのところへ来る癖だ」
「ああ、これは癖じゃないですよ。というより逆です」
「………わしが抱きたくなったから、か」
「分かってるじゃないですか」
 くすりと笑って、楊ゼンは太公望の唇に軽く音を立てて口接ける。
 もう一度溜息をついて、太公望は楊ゼンの長い髪に指を伸ばし、一房を絡めとって口元に引き寄せた。
「───これで女物の香水の匂いやキスマークでもつけてきたら、即、部屋から叩き出すんだがな」
 その言葉に、楊ゼンは艶やかに笑った。
「そんな野暮しませんよ。これでもプレイボーイを気取ってるんですから。お互い分かっていても、これは遊びなんだと相手を白けさせたら負けなんです。──あなたとは、ただの遊びとはちょっと違いますけど」
「……ただの遊びでも構わんぞ、わしは」
「あなたが望むのなら、そうしてもいいんですけどね。……でも、あなたは他の相手と同列にはならないから。遊びで片付けるのは惜しいな、と」
「………はた迷惑だのう」
「でも嫌がったことないですよ、あなた」
「抵抗するのが面倒なだけだ。どうせ、おぬしはこっちの言うことなど聞かぬし」
 くい、と髪を引っ張る太公望に、楊ゼンは小さく笑う。
「──ほんとにあなたって、僕のこと良く分かってますよね」
「不本意ながらな」
 そして、可愛げのない言葉を紡ぎ出す唇に、自分の唇を重ねて。
 何度か軽く口接け、薄く開かれた唇から舌を滑り込ませ甘い口腔を探れば、やわらかな舌がしっとりと応えてくる。
 深いキスを交わしながら、ゆっくりと楊ゼンは華奢な躰をソファーに押し倒した。




 薄い肌はやわらかく、さらさらとした手触りで、軽く触れるだけでもほのかに痕がつく。
 その感覚を楽しみながら、楊ゼンはうなじに口接け、細い鎖骨に甘く歯を立てた。
 小雨の降る春の夕暮れ、しかも明かりをつけたまま、居間のソファーで行為に及ぶのは、ひどく淫乱めいているような気がして妙に情欲がかき立てられる。
「────」
 乱れたシャツから覗く白い肌に、その清純さとうらはらな艶を感じて、ふと楊ゼンは手を止めて見下ろした。
「───比べるでないぞ」
 と、熱を帯び始めた声が釘を刺す。
 しかし、
「それは無理ですよ」
 楊ゼンは低く笑う。
「つい比べてしまうのが人間の性(さが)というものでしょう。いくら駄目だと言われても、やっぱりね。あなただって僕以外の人間と寝たら、相手が男でも女でもきっと心の中で比べますよ。……こんな風に」
 言いながら、そっと人差し指を肌の上に下ろして、喉元から薄い胸、腹部までをゆっくりと一直線にたどった。
「──こうしていても、さっき別れた相手とは比べ物にならないくらい、そそられるなとか」
 そして、胸元に紅く痕を刻み、小さな尖りを指先で弄る。と、太公望はかすかに甘い吐息を零した。
「その前の相手よりずっと過敏で嬉しいな、とか……」
「最…低だな、おぬし……」
「だから、今更なこと言わないで下さいって言ってるでしょう?」
 微苦笑と共に、楊ゼンは小さな尖りの片方を指先で転がしながら、もう片方に軽く歯を立てる。
「───っ…あ……」
「それに、あなただって共犯なんですよ」
「な…にが……共、犯…っ…」
「押し倒された方が抵抗しなかったら強姦にはならないんですから、拒まない時点で、あなたは僕の共犯です。一人じゃSEXはできないんですから」
 ゆるく強弱をつけながら過敏な蕾を転がし、爪弾くように軽くはじいてやると、細い腰がわずかに反り返って、すかさず楊ゼンは浮いた背筋に指を滑らせる。
「……ぁ…っ」
 過剰なまでに敏感になりつつある肌をやわらかく愛撫されて、太公望はこらえきれずに細い嬌声を上げた。
「それにね……」
 太公望の弱点の一つである腰の窪みに執拗に指先を這わせつつ、楊ゼンは片手だけでズボンを脱がせて、すんなりと伸びた華奢な脚に手を滑らせる。
「こんな綺麗な躰をしてる、あなたも悪いんですよ。そそられて……仕方がない」
 身体をずらして、形の整った爪先に口接け、細い足首から膝へ、更にその上へと口接けを繰り返す。
 細い脚は同性だということを忘れるくらい、綺麗で魅惑的だった。
 手のひらでゆっくりと膝を撫で、大腿のラインをなぞると、それだけで感じるのか太公望は軽く躰をよじる。
 それに含み笑って、楊ゼンは腿の内側に唇を落とした。
「………んっ…」
 特に過敏なポイントを狙って、きつめに吸い上げてやると太公望は切なげに息を詰める。
「ああ、本当にいいな、あなたは……」
「うるさ…い…っ!」
 悦に入った声に、とうとう太公望が抗議の声を上げる。
「する…ならするで……、黙って……」
「嫌ですよ」
 だが、楊ゼンは意に介しもしない。
「それじゃつまらないじゃないですか。せっかく久しぶりなのに」
「な…にが、久しぶり…っ」
「じゃあ正確に、十日ぶりなのに。これでいいですか?」
 言葉と同時に、楊ゼンは胸元に口接ける。ついでに、紅く染まって堅くなっている小さな尖りに軽く歯を立ててやると、途端にびくりと華奢な躰が跳ねた。
「そろそろ黙って集中して下さい。気持ちいいのは嫌いじゃないでしょう?」
「──馬…鹿っ…!」
 甘くかすれた罵声と共に、太公望は左手を上げて楊ゼンの肩から零れ落ちている髪を引っ張って。
「───…」
 太公望に楊ゼンが引き寄せられた形で、二人は唇を重ねる。
 やわらかく舌が絡み合い、互いに誘い誘われて何度も角度を変え、深いキスに溺れる。
 やがて、ゆっくりと楊ゼンは唇を離し、
「──言動が一致しませんね。相変わらず」
 低く含み笑った。
「そういうところがいいんですけど」
「悪趣味」
「何とでも」
 どうせすぐに悪態などつけなくなる。
 そう分かっているから、楊ゼンは何と言われようと気にしない。
 そして濡れたままの薄い唇に、もう一度口接けた。



 華奢な身体はひどく過敏で、どこにどう触れても甘く反応を返してくる。
 そのくせ、声を出すのは嫌がるのだが、楊ゼンはそれも嫌いではなかった。
 むしろ、懸命に快楽をこらえようとする切なげな表情や、抑えきれずに零れる嬌声の甘さが、返ってこの上なく欲情をそそる。
 変わらないな、とふとやわらかな肌を撫でながら思った。

 ───初めて彼を抱いたのは、まだ高校生の頃だった。

 当時、生徒会長を務めていた太公望と副会長だった楊ゼンは、差し迫った学校祭の準備に、生徒会室で残業をしていた。
 その最中、ふと何かの会話の拍子に視線が絡み合い、何気なく口接けて。
 そのまま人気ない黄昏時の校舎の中、生徒会室の来客用兼仮眠用のソファーで抱き合った。
 どっちが誘ったのか誘われたのか、今から思い返しても分からない。
 自分は既に複数の女性相手に経験があったが、彼はどうだったのかも。
 それどころか、それ以前に彼を抱きたいと思ったことがあったかどうかも自分自身、定かではないし、彼の方もあの時、何を思って自分に抱かれたのか、未だに聞いたことがないから知らない。
 ただ──、ひどく自然だった。
 ごく自然に唇が触れ合って離れ、まなざしを交わした後、言葉もないまま当たり前のように互いの制服に手を伸ばした。
 恋愛小説のような睦言も感情の波もなかったのに、そのくせ行為はひどく甘くて、信じられないほどに満たされた。

 それ以来、一見身体だけの奇妙な関係がずっと続いている。
 求めるのは99%楊ゼンの方からだが、太公望がそれを拒んだこともなかった。

「……何となく、昔を思い出しません? 黄昏時にソファーで……」
「…っ……あの、日は…雨では……なかった…ぞ…」
 脇腹の辺りのきめの細かい白い肌を可愛がりながら言うと、息の上がった切れ切れの声で太公望は返してくる。
 その声に、楊ゼンは小さく笑った。
「なんだ、あなたも思い出してたんですね」
 するりと指を細腰に滑らせると、びくりと過敏に華奢な身体がはね上がる。
「何だか嬉しいですから……サービスしますよ」
「──あっ、やぁ…っ!」
 言葉と同時に、快楽の中心を端整な唇に含まれて。
 太公望は、こらえきれない嬌声を上げた。
 その声を心地好く聞きながら、華奢な身体に見合った昂ぶりを丹念に楊ゼンは舌と唇で慰める。
 ねっとりと舌を絡め、唇で甘噛みすると、哀願するようにあとからあとから蜜があふれてくる。
 軽く舌と上顎で締めつけてやれば、おののくように慄えた。
「よう…ぜん……っ…もう……っ…」
 甘く濡れた声が、解放を求めて楊ゼンを呼ぶ。
 だが、楊ゼンはあっさりとそれを聞き流した。
「まだ駄目ですよ」
 一旦唇を離して笑みを含んだ声で無情に告げ、そして軽く先端に口接けながら、零れ落ちた蜜を絡めた指をそっと最奥へと触れさせる。
「今日は思いっきりサービスするって決めたんですから」
 濡れた指先で、同様にしとどに濡れて息衝いている入り口をかすめるように何度も触れ、
「ひくついてますよ、あなたのここ……。すごく欲しがってる」
 わざと淫猥な言葉を口にして、ゆっくりと指先だけを挿し入れる。
 もてあそぶように浅く出し入れすれば、既に熱くなったそこはきゅっと楊ゼンの指に吸い付いて、奥へと誘った。
 その求めに応じてゆっくりと深く指を沈めてゆきながら、楊ゼンは歯を立てないように気をつけつつ、弱いポイントを軽く歯先で擦ってやる。
 本数を増やし、やわらかく熱い内壁を刺激する指の動きに合わせて、昂ぶりに舌を絡め、軽く吸い上げると、太公望は喉の奥でくぐもった悲鳴を上げた。
「……声、出してもいいんですよ」
 徹底的に声を出すまいとする彼の強情さに含み笑いながら、楊ゼンは唇を離し、更に指をも抜く。そこが熱くとろけていることを証明するように、濡れた指先がとろりと透明な線を宙に引いた。
「さて、ここからどうします?」
 あでやかに微笑しながら問いかければ、解放に至る一歩手前で躰を放り出された太公望は、浅く喘ぎながら、濡れた深い色の瞳で憎らしげに楊ゼンを睨み上げる。
「───だあほ…っ」
 そして、両腕を差し伸べて楊ゼンの首筋を自分へと引き寄せて。
 深く口接けた。
 舌を伸ばして絡ませ、自分の熱を訴え、そして楊ゼンの熱をも煽るように。
 楊ゼンもまたそれに応えて、二人は互いを深くむさぼりあう。
 やがて、ゆっくりと唇を離して。
 湧き上がる熱に濡れたまなざしを交し合った二人は、これ以上ない深さで互いの躰を繋ぎ合った。










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