Replica Master (1)
滅多に人通りのない裏町の路は、降り続く霧雨に、しっとりと濡れていた。
黒々とした路面に、あるかなしかの影を落としながら、一人の青年がよどみのない歩調で歩いてゆく。
その後に従ってゆくのは、一匹の大きな犬だった。
白い毛皮の犬は、霧雨に濡れることも厭わず、軽く尻尾を振りながら、あからさまにいかがわしい界隈と分かる狭い路を、主人についてゆく。
それは、実に不似合いな光景だった。
主人は、黒いコートにシルクハット、ステッキを身につけた、背の高く姿勢のいい青年であったし、犬もまた、よく手入れをされた美しい毛並みをしていた。
どう見ても、薄汚れた裏通りには似合わない。
だが、どこも同じように見える路を青年は迷いもせず、幾つかの角を曲がってゆく。
ほどなく、この裏町では何の変哲もない、一見、廃屋のような薄汚れた古い店舗らしき建物の中に、ためらいもなく足を踏み入れた。
昔は、何らかの商品を扱っていたのかもしれないが、しかし、表に看板はなく、すすけた窓ガラスも割れて、ショーウインドウには埃が積もっている。
室内も同様で、照明も切れているらしく、薄暗く黴と埃の匂いが充満している。
思わずむせかえってしまいそうな空気の中を、青年はまるで超高級街にあるデパート内を歩くような歩調で、奥に向かった。
そして、店の入り口からは死角になるような位置にある、おそらくはかつてが店員が利用していたのだろうドアを開け、短い廊下を進んで、現れた階段を下りてゆく。
犬もまた、埃っぽさに小さくくしゃみをしながらも、主人の後に従った。
切れかけて瞬いている薄暗い照明の中、踊り場を2回、通り過ぎたということは、普通に考えれば、ここは地下2階ということになるのだろう。
階上と同じような短い廊下に出ると、埃をかぶってすすけた裸電球が、唯一つ、薄暗い空間に温かな色をした光を投げかけていた。
が、そんな弱い光では到底、周囲を完全に明るくすることはできず、むしろ埃や蜘蛛の巣、ガラクタが不気味に浮かび上がっているだけである。
その裸電球が吊るされている正面にあるドアに、青年は近づき。
二つばかりノックして。
「失礼します、ドクター」
返事を待たずに、青年はきしんだ音を立てて、ドアを開けた。
室内は、明るかった。
もっとも、それはどんよりとした雨模様の黄昏に包まれた屋外や、この建物の他の場所に比べてのことであり、実際のところは、やはり薄暗い場所なのかもしれない。
ただ、薄闇に慣れた目には、かなり明るく映った。
「ドクター?」
呼びかけながら、青年は室内に足を踏み入れる。
が、そこはまるでガラクタ置き場だった。
書棚、整理棚と机らしき家具が並べられているようなのだが、その棚も机の上も、整理のなってない古書屋や古道具屋以上に、本や物がうずたかく積み上げられていて、一目見ただけでは、一体何があるのか分からない。
当然、床の上もそれらの侵食をまぬがれえず、かろうじて人一人が通れるくらいの隙間が、細く、奥へと続いているだけである。
その細い通路の先に、もう一つドアがあった。
「ドクター」
犬を従えた青年は、やはりためらうことなく、ようやくたどり着いたそのドアをノックし、ドアノブを回す。
そして、開いた途端。
また格段に明るい光が、二人を照らし出した。
「・・・・・・困ったなぁ。これで反応しないと、もう打つ手がないんだよ。君の気持ちは分からないでもないんだけど・・・・・・」
物を見るのに十分といえるほどではないにせよ、部屋の隅々まで、かなりくっきりと見える明るさの中、分厚いドアの向こう側では聞こえなかった声が、更に部屋の奥から聞こえてくる。
それに向かって、青年は良く響く声を向けた。
「ドクター太乙」
途端。
「ええっ!?」
慌てふためいた声が返った。
「君、楊ゼンかい!? どうしてここにいるのさ!?」
「どうしても何も・・・・今日は、この子の定期メンテナンスを予約してあったでしょう」
「えっ!? あれは16日の約束だろう!?」
「今日が、その16日です」
「嘘!? 今日って15日じゃなかったっけ!?」
「いくらカレンダーを貼ってあっても、正確な日付の見方を知らなくては無用の長物ですよ」
悲鳴のような声に対し、楊ゼンと呼ばれた青年は大して表情も変えないまま、
声のする方に近づく。
さっきの部屋ほどではないにせよ、ガラクタのような物が山と詰まれた机の影に、声の主はいた。
髪を肩の辺りで切り揃え、白衣を着たその相手は、青年よりも更に5歳ほど年長だろうか。
ただ、壁に貼ったカレンダーを見上げて、頭に両手をやってパニックしている姿は、落ち着きとは程遠い。
「何を騒いでいらっしゃるんです? また何か、不穏なものをお造りにでも・・・・・」
なったのですか、と言いかけた青年の言葉が止まった。
「きゃー!! 楊ゼン、見なかったことにしてくれ!!」
叫ぶ太乙のすぐ側。
年代物らしいアンティーク調のチェアに、それはいた。
思わず目をみはるほどに美しい少女だった。
十分とは言いがたい照明の中でも、黒い髪はつやつやと輝き、すべやかな肌は透き通るように白い。
小さな唇は花片のような薄紅色で、衣服から覗いている首も手も細く、ひどく華奢な印象である。
ただ。
その姿の中でも最も美しい、深い藍色の大きな瞳は、何も映してはいなかった。
突然現れた青年と犬に、ドクターのように慌てふためくこともなく、少女は人形のように静かに座っている。
「この子は・・・・・?」
「楊ゼン、後生だから〜〜〜」
問いかけた楊ゼンは、ドクターの態度に閃くものがあったのか、怪訝そうな瞳を一瞬で鋭いものに変える。
「ドクター、まさかこの子は・・・・!」
「だから、見なかったことにしてくれって言ってるだろう〜〜〜!!」
今から数十年前、絶滅しそうな、あるいは絶滅してしまった生物を、何とか人工に再現できないかと科学者たちが知恵を寄せ合い、造られたものが、レプリカと呼ばれる人工生命体の始まりだった。
空を飛ぶ鳥、陸を駆ける獣、水を泳ぐ魚、地を這う虫。
試験管から生まれるものとはいえ一応、生命体である以上、最低限の倫理は冒すべきではないと、異種かけ合わせのキメラの製造は法で禁止されたものの、この星のありとあらゆる生物が、現在では工場で大量生産されている。
そうして出荷されたレプリカは、愛玩用に、あるいは家畜用に、あるいは実験用に世界中で利用されているのだ。
だが、この星の生物の中で、唯一つ、公には製造を禁止されている生物がいる。
それは、人間だった。
人間のレプリカ製造は、国際法で堅く禁じられている。
それは子供でも知っていることであるが、しかし、どこにでも建前に対する裏の事情というものは生まれるものだ。
禁止されたはずの人間のレプリカは、極秘に製造され、裏の世界で出回っていた。
用途は勿論、他の生物のレプリカと変わりない。
超高級品であるそれらは、人間には逆らえないよう非常に従順な性格に調整され、体格も華奢で、普通の人間の女子供にさえ勝てないほど非力である。
そして、当然のごとくに美しい容貌を持ったレプリカは、特権階級のひそかなステイタスシンボルとさえなっていた。
「これが、人間のレプリカ・・・・・」
驚愕をにじませた声で、楊ゼンは呟く。
聞いたことはあっても、本物を見たのは初めてだった。
目の前の少女は、想像以上にはかなげで、美しい。
まさに生き人形だった。
「ですが、ドクター。ここにいるということは、この子は調子が悪いのですか? 先程から何も反応していないようですが」
まじまじと少女型のレプリカを見つめた後、振り返って尋ねた楊ゼンに、ドクターは渋い顔でうなずいた。
「少し前から、視覚と言葉を失っていてね。それがどうやっても直らなくて、あちこちの人形師をたらい回しにされたあげく、10日前に私のところに来たというわけだよ」
「なるほど・・・・」
楊ゼンは、納得してうなずいた。
先程からの言動を見ていると非常に頼りないようだが、このドクターは世界でも屈指の腕を持つ人形師──レプリカ造りの技師なのである。
しかし、自分の造りたいと思うレプリカしか手がけたくないと、表の世界からは引っ込んで、こんな裏街にひっそりと暮らし、好きな研究三昧の日々を送っている。
知る人ぞ知る彼の存在を人づてに聞いた楊ゼンは、数年前から自分が所有している犬型レプリカのカスタマイズや定期メンテナンスを、彼に依頼していた。
「それで、原因は分かったのですか?」
「うーん。分かったというか・・・・分かったから、余計困ったことになったというか」
「?」
要領を得ないドクターの言葉に、楊ゼンはまばたきする。
と、諦めたように、彼は話し出した。
非合法の人型レプリカを扱っているのを目の当たりにされた以上、毒食らわば皿まで、という気分になったのだろう。
もっとも、楊ゼンも屈指の技術を持つ人形師であるドクターが、人型レプリカに関わったことがないとは思っていなかったのだから、今更というところではある。
「一応、視覚と声帯のメンテナンスはしたんだけどね。原因は、体の方にはないらしくてさ」
「というと・・・・」
「ここの問題」
言いながら、ドクターは自分の胸を親指で指す。
「何も見たくないし、喋りたくないみたいなんだ、この子は。まぁ、それも仕方ないけどね。レプリカを大切に扱う主人なんかいないんだから」
そう言って、彼は呼吸しているのかどうかも疑わしくなるほど、身じろぎ一つしない少女の頭をそっと撫でた。
「レプリカというのは、言ってみれば金持ちの玩具だからね。この子も大分、酷い目に遭ってるんだよ。ストレスが嵩じて視覚と声帯を封じてしまったのは、主人に逆らえないレプリカのせめてもの抵抗さ。
ただね、直らないとなると、ちょっとまずくてね・・・・・」
「まさか・・・・・・」
敏感に反応して、表情をけわしくした楊ゼンに、ドクターはうなずいてみせる。
「目が見えて、声を出せる生物だからこそ、いたぶるのが面白いという部分は絶対にあるからね。この子はもう、徹底的に自分を閉ざしてる。怯えた表情もろくに見せないレプリカなんてつまらない、と考えるのが普通の主人なんだ。
だから、多分、この子は廃棄される。主人の最後の楽しみとして狩猟の獲物代わりに殺されるか、ただ同然で払い下げられて、新薬の実験にでも使われて、死んだら終わりじゃないかな」
こういうのが嫌だから、研究所を飛び出して、こんな街に逃げ込んだんだけどなぁ、と呟くドクターに、楊ゼンは少女型のレプリカを見直した。
ドクターは聴覚に異常があるとは言わなかったから、おそらく会話は聞こえているのだろう。
だが、彼女は眉一つ動かさない。
ただ静かに、時々まばたきをするだけが、わずかな生命の証だった。
そして。
楊ゼンは一瞬のうちに、決断をしていた。
「ドクター、この子を僕に譲って下さい」
唐突なその言葉に、ドクターは驚きの表情で楊ゼンを振り返る。
だが、そのまなざしにも楊ゼンは揺らがなかった。
「レプリカを玩具だと考える人々がいるのは、仕方のないことです。レプリカは生物とはみなされない。ましてや、非合法の人型には人権などない。
他人の持ち物に、どうこう言う趣味はありませんが、けれど、殺されると聞いて放っておくことはできません。
持ち主に返したところで、どうせ捨てられて殺されるのなら、僕にこの子を譲って下さいませんか」
「───言っておくけど、この子の持ち主は、それなりの特権階級の人間だよ。欲しがっている人間がいると知った途端に、惜しがって見せる嗜虐者タイプだ。
それに、この子は出来のいい綺麗な外見をしているけれど、今のところ、何も見ないし喋りもしない。危険を冒して保護するだけの価値のあるレプリカではないよ」
「でも、あなたもこの子を殺したくはないでしょう?」
ドクターの言葉を、楊ゼンは冷静に切返した。
「あなたは、直せないから困ったことになったとおっしゃった。そこに僕が居合わせたのも何かの縁です。
幸い、僕には人付き合いらしい人付き合いもないから、家に訪ねてくる人間もいない。この子の存在を隠すことくらい、別に苦労ではありませんよ」
「───・・・」
諦めようとしない楊ゼンに、ドクターは深く溜息をつく。
そして、黙っているレプリカに向かって声をかけた。
「望、聞こえているね? 彼が君を引き取りたいといってるけど、どうするかい?
少なくとも、彼は今のご主人様みたいに君を苛めたりはしないと思うよ。犬型レプリカにも名前を付けて可愛がっているしね。それだけは私が保証する」
そして、楊ゼンを振り返る。
「楊ゼン、この子に話しかけてやっておくれ。どうするかは、この子が決めるから」
促されて、楊ゼンはゆっくりと少女に近づき、アンティーク風のチェアの前に膝をついた。
少々クラシックなドレスを着せられた少女型レプリカは、近くで見ると、本当に美しい瞳をしていた。
「あなたの名前は望というのですか? 僕は楊ゼンといいます。僕の家は、犬型レプリカとの気楽な一人暮しです。何もないところですけど、庭には色々な花が咲いているし、ゆっくりと眠れる暖かいベッドを、あなたのために用意することができます。
哮天犬、おいで」
背後に呼びかけると、すぐにレプリカの大型犬は寄ってくる。
そして、楊ゼンは行儀よく膝に置かれた少女の手を、驚かせないようにそっと
取った。
「これが、僕の可愛がっているレプリカです」
ほのかに温かい、細い手をそっと哮天犬の毛皮に触れさせる。
「それから、これが僕です」
それから、ゆっくりと持ち上げた手を、自分の頬に触れさせる。
と、それまでまっすぐ前を見つめていたレプリカが、ほんの少しだけ顔を上げて。
光のない美しい瞳が、楊ゼンを見つめた。
「僕は何も持っていないから、あなたにおそらく何もしてあげられない。でも、あなたの嫌がることも絶対にしません。
僕と一緒に来ますか?」
その言葉に。
表情のないまま、かすかに少女型レプリカはうなずいた。
「ドクター」
「仕方がないね」
渋々といった素振りで、振り返った楊ゼンにドクターはうなずく。
「もう直らないから廃棄したということにして、持ち主には新しい人型を手配しておくよ。まぁ、バレることはないだろうし、バレたところで、君ならそんなに困ったことにはならないと思うけど、用心はした方がいい」
「ありがとうございます」
微笑して、楊ゼンは少女型レプリカに向き直った。
「では、哮天犬の定期メンテナンスが終わるまで、もう少しの間だけ待っていて下さい。終わったら、僕と一緒に帰りましょう」
少女の美しい瞳は、相変わらず無表情のままだった。
だが、それでも、見えない瞳で確かに楊ゼンを見つめている。
そのことに、小さく楊ゼンは微笑んだ。
こうして。
霧雨の降る晩春の夜、楊ゼンと少女型レプリカ、そして犬型レプリカとの新しい生活が、ひっそりと始まった。
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