紅 楼 夢 (1)

















八月一日。
吉原は白一色に染まる。







紋日(もんび)の今宵、遊里はこれほどはないというほどの人出でにぎわっていた。
あでやかに飾り付けられた不夜城の目抜き通りを、ある者は馴染みの元へ急ぐのか早足で一心不乱に、ある者は美麗な夜の彩りに見惚れたかのようにぼんやりと、誰もが浮き立ったかのように行き交っている。

紋日というのは、年に二十日ほどある吉原の祝日の称だ。
この日に合わせて娼妓たちは新しい衣装を調え、あでやかに装う。
本来、紋日は祝日なのであるから営業が休みにならないのはおかしいのだが、そこはそれ、色街らしく、娼妓たちは丸一晩、馴染みの相手に買い切ってもらうことで息をつくのである。
江戸の遊里は他地方の岡場所と違い、廻しといって、一人の妓が一晩の間に何人もの客を相手にすることが当たり前であったから、一晩を一人の相手とゆっくり過ごせるというのは、それだけでも十分にありがたいことだった。

そして、八月一日、つまり八朔(はっさく)というのは、紋日の中でもとりわけ、娼妓たちが揃って白装束に整えるということで広く知られている。
暑い盛りであるのに、娼妓たちは白絹の袷(あわせ)をまとい、白綾の打掛を羽織って客を迎える。
それは、色とりどりの提灯の光に照らされた中で、夢幻的なまでに美しい光景だった。






吉原の目抜き通り、仲ノ町(なかのちょう)と呼ばれる広い路を、数人の若者たちが連れ立って歩いてゆく。
が、その中の一人は、どことなく気乗りしない風情で足を運んでいた。

「気乗りしなさそうだな、楊ゼン」
「まぁね」
仲間内では一番情報通の青年に苦笑されて、楊ゼンと呼ばれた青年は溜息をつき、遊ぶのは嫌いではないけど、皆で連れ立ってくるのはね、と呟く。

吉原で遊んだことの無い男は一人前と見なされない時代、男同士の付き合いで、天下一の社交場でもある遊里へ来るのは当たり前のことだが、しかし遊び方の好き嫌いは誰にでもあるものだ。
一人の方が気楽というもの、仲間がいないと面白くないというもの、中には女郎嫌いという男もいる。
しかし、その辺りを抑えて付き合うのが大人であり、粋というものだった。

「まぁ、我慢しろや。あいつの縁談がまとまった祝いなんだからよ。女房をもらっちまったら、遊ぶのも気兼ねが要るからな。精進落としに付き合うと思ってよ」
「分かってるよ」
友人の言葉に微苦笑して、応じる。

と、ふと一行の足並みが鈍った。

「おい、明月楼抱えの薄雪だぜ」
そんなささやきが走る。
興奮をにじませたその声に誘われるように、通りの脇を見れば。


茶屋の前にしつらえられた床机に、花魁の一行が休んでいた。


いわゆる呼出しと称される最上級の花魁の、見世から客の待つ茶店まで迎えに行く道中の中休みなのだろう。
若い振袖新造や禿(かむろ)など数人の供を従えたその中心に、一際あでやかに装った花魁が、優雅な仕草で禿の渡す長煙管を受け取っている。


ふと目線を上げた花魁の、街の灯りにさらされた面差しは、はっとするほどに清雅で美しかった。


「あれが吉原一の花魁、薄雪だぜ。お前は見るの初めてだろ?」
「え、でも明月楼は大見世ではないだろう?」
横からささやいてきた情報通の友人の言葉に、楊ゼンは眉を寄せる。
そんな彼に、友人はにやりと笑った。
「中見世さ。けど、薄雪にゃ玉屋だの丁子屋だのの御職(おしょく)さえもかなわねぇって評判なんだよ。気風も美貌も、あっちの方もな」
「でも、彼女はまだ随分若く見えるけど」

高級な花魁ほど、化粧はほとんどしなくなるから、薄雪と呼ばれた花魁は、わずかな紅さえも差していない。
大きな瞳が印象的なその容貌は、ぱっと見では、まだ十代半ばを過ぎたくらいにしか見えなかった。
ただ、さすがに凛とした表情とまなざしが、その幼げな容貌を高貴に、清冽に見せている。

「ああ、まだ十九かそこらだってさ。けど、十七の時に一人立ちした途端、明月楼の前の御職を蹴り落として、あっという間に吉原一の呼び名をものにしちまったんだ」
大したもんだよ、という友人の言葉を受けながら、楊ゼンは、花魁の方へとまなざしを戻した。

と、遠巻きに花魁一行を見ていた見物客のうち、前の方から声高に騒ぐ声が聞こえた。
どうも、押し合いへしあいしているうちに、肘がぶつかったのぶつからないのという些細な揉め事が起きたらしい。
が、場所が場所である。
美しい花魁を目の当たりにして興奮している最中であり、また、いささかの酒も入っているのか、あっという間に口論から腕ずくの喧嘩になりかけた。

その時。

カツ──・・・ン、と高く鋭い音が響いた。

何かを叩いたその音に、はっと衆人がそちらを振り向く。
と、その数多の視線の先で、花魁が表情を変えないまま朱羅宇の長煙管を手に、騒ぎを起こした男たちを見つめていた。
彼女が、長煙管の灰を、縁台の端で叩いて落としたのだと皆が気付いた時。

「そこまでにしなんし」

凛とした声が響いた。

「ここは皆様方に夢を売る場所にありんす。それぞれに事情はおざんしょうが、野暮な揉め事は控えておくんなんせ」
流れるような廓言葉が、姿かたちに違わない、凛と響く美しい声で告げられる。

一堂が静まり返った中、通りの両側の茶屋から響いてくる華やかな三味線や琴の音が、あでやかなまでに彼女の凛とした美貌を際立たせて。

皆、魅入られたように身動き一つできなくなる。

その奇妙な静寂の中で、花簪を挿した少女姿の禿が花魁に何かをささやき、彼女は小さくうなずいた。
それを合図に、一行が一斉に動き出す。
供の者たちが立ち上がり、用意が出来たところで、振袖新造の一人が差し出した手に片手を預けて花魁が立ち上がった。

その存在感にくらべると、意外なほどの小柄さに楊ゼンは思わずまばたきをする。
三枚歯の高い下駄を履いているというのに、介添えの振袖新造とほとんど背丈が変わらないのである。
裾に綿を入れた豪奢な白綾の裲襠(しかけ=打掛)をまとい、前で結んだ帯を長く垂らしているために、はっきりとは分からないが、その姿はひどく華奢に思えた。

並みの娼妓なら野暮か貧相にしか見えない白無垢が、透き通るように美しい花魁の姿を引き立てる。

そして、ゆっくりと一向は動き出した。
外八文字と呼ばれる独特の歩き方で、凛と前を見据えたまま、花魁は色とりどりの提灯で艶やかに飾られた仲之町を進んでゆく。
そのきらびやかな後ろ姿が、一軒の茶屋の出入り口に消えた時、ようやく人々は生き返ったように息をついた。

「いやはや、まさに夢のような・・・・・・」
「格ってもんが並みの妓とは比べ物にならねぇよ。根っこの品が違う」
「あれじゃ大見世が軒並みこぞって引き抜こうとしてるって噂も、嘘じゃなかろうよ」
「しかし、半端な額じゃねぇんだろうに、引き抜き話に決してうなずかねぇってのは大したもんだ」
「今時珍しい、本物の張りと意気を持った花魁だよ」
「ああいう妓こそを、昔は太夫と言ったんだろうなぁ」
「いや、本当に薄雪太夫だ」
「寿命が十年は延びた気がしますな」

皆、口々に、たった見たばかりの吉原一の花魁の感想を語り合う。

「運が良かったな。まさか薄雪の花魁道中を見られるなんてよ」
「そうだね」
友人に肩を叩かれて、楊ゼンもうなずく。
確かに、生身の人とは思えないほどの凛とした美しさを、目の当たりにできたことは幸運だったろう。
「しかし、先のことを思うと運が悪いとも言えるぜ。薄雪を見た後じゃ、中野屋の妓は人三化七にしか見えねぇよ。これが同じ女かってさ」
「違いねぇ」
呵々と笑いが起こって。
「ま、あんまり遅れちゃ体裁が悪い。そろそろ行こうぜ。花魁道中に見とれて遅刻したなんて言い訳したら、妓(おんな)たちにつねられる」

その言葉を合図に。
一向は再び、混雑しきった仲之町を泳ぎ出した。




















それから十日後の夜。

楊ゼンは一人で吉原の大門をくぐった。
















裏ですが、少々曰く付きの作品なので解説。
この作品は、表で3万HITのキリ番を踏まれた、靡月さとみ様のリクエストを踏まえて書いたものです。
が、リクエストの内容は、私が以前にちらりと零してしまった花魁ネタを是非、というものでしたので、ストーリーそのものは全て管理人個人の趣味であり、靡月様ご本人には全く責任はありません。

そんなこんなで書き始めた作品ですが、太公望=薄雪花魁は、基本的に廓言葉を話しますし、本名の“望”も中盤までは出てきません。
基本的に、“薄雪”か“花魁”の称で彼女は呼ばれます。

そういう楊太としては嘘八百な作品ですが、描かれる吉原や花魁の在り方そのものに関しては嘘は書いていません。
きっちり史料を調べた上で書いていますので、この作中で得た知識をひらけかしても恥になることはないでしょう。

なお、馴染みのない言葉が多いと思いますので、作中で解説できない用語に関しては毎回、章末で解説を加えますから、必要な方は御覧下さい。(基本的に、大抵の言葉は古語辞典に載っています)





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* 用語解説 *

この解説は、江戸後期=1800年頃の吉原についてのものです。
これ以前、以降は、また違いますので御了承下さい。
吉原(よしわら)江戸時代の公許遊里。(公許遊里は他に、京の島原、大阪の新町の計3箇所) 
「吉原」と書いて「なか」と読むことも多い。他の色街とは異なった独特の気風や慣習を持っており、ここ以外の色街は全て岡場所と呼ばれた。
平均して、約160軒の娼家に約2000人の娼妓がいた。
花魁(おいらん)江戸中期以降の高級遊女の別称。江戸末期になると、下級の女郎まですべて花魁と呼ばれた。
御職(おしょく)その見世で最上位の花魁のこと。一軒につき一人のみ。
見世(みせ)妓楼のこと。大・中・小に格分けされる。大見世は6〜7軒しかない。小見世は安い代わりに、力尽くで客を引き込んだり性質の悪いところも多かった。
茶屋(ちゃや)いわゆる娼妓を呼んで遊ぶ揚屋。(正確には、江戸の揚屋は太夫の消滅と供に失くなり、格下の茶屋のみが残った)
高級遊女に会う場合、まず客は茶屋に上がり、そこで目当ての花魁に会えるかどうか算段をつけてもらう。
うまくいけば、花魁が見世から迎えに来て(これが花魁道中)、酒宴などの後、見世に供に行って枕を交わすことになる。
江戸前期は全ての遊女にこの手順が必要だったが、後期になると、下級の遊女と遊ぶ時には直接、見世に上がるようになった。
禿(かむろ)将来の女郎として教育中の少女のこと。花魁の付き人として雑事をこなしながら、教養や心構えを養う。7〜8歳から12〜13歳まで。
新造(しんぞう)まだ一人前ではない見習い女郎。姉女郎に付いて身の回りのことをこなす。客もまだ取ることは出来ない。(既に一人立ちした女郎を指すこともある)
16〜17歳までの振袖を着ているのが、振袖新造。
もう少し年が上になると、袖を短くして留袖新造となることもあるが、通常は、袖を留めたらそのまま一人立ちして見世に出る。
呼出し(よびだし)江戸後期において、最上級の花魁を指す。茶屋からの呼出しを受けて応じるのみで、見世の格子窓(張り見世)に出ることはない。
太夫(たゆう)江戸前期の最高級遊女の称。
吉原でも常に2〜3人しかおらず、美貌に加えて、歌舞音曲、茶道華道歌道の諸芸、心構えまですべてを兼ね備え、一晩遊ぶのに、諸経費込みで100万円以上 (米価で換算した場合。人件費をレートにすると更に数倍) もかかる至高の存在だった。
武士階級が窮乏し、大名等のお大尽遊びがすたれるのに伴って、1730年頃までに太夫も消滅。その下の中級女郎の格が繰り上がって、花魁と呼ばれるようになった。
長煙管
(ながぎせる)
遊女の持つ細長いキセル。長さは30センチ以上もあり、羅宇(らう=雁首と吸い口の間)が朱塗り。
煙草を吸うためというよりは演出の小道具で、煙草は一吸いしたら捨てるのが普通。
見世の1階にある、格子窓の“張り見世”で客の品定めを受ける中級・下級女郎の場合、これで気に入った客の襟首を引っ掛けて誘うこともある。
廓言葉
(くるわことば)
里言葉ともいう。吉原の娼妓が使った独特の言葉。
各地から集められる少女のお国言葉(方言)を隠すために、考えられたらしい。そのため、吉原を「ありんす国」と呼ぶこともあった。
細かく規定されているものではなく、時代や見世によって多少の差異がある。