#042:メモリーカード







「少し意外ですね、あなたがこんなアウトドア好きなんて」
「わしがというより、親が好きだったのだよ。子供の頃から、連休のたびに海だの山だの連れて行かれたからな」
「そういえば、前に御来光の話、してくれた事がありますよね。あの幼稚園のお絵かきの」
「そうそう。わしの記憶に残っておる山登りは、あれが一番最初かのう」

だから、今でも時々、こうして外に行きたくなるのだ、と太公望は笑った。


その向こうで、夏の一歩手前の空が青く光る。


今日のコースは、登山というより山歩き用のトレッキングコースだから、それほどの装備は必要ない。
一応、山道だということを心得て、それなりの格好をしていれば十分に楽しめるレベルだ。
けれど、尾根筋はそれなりに険しいし、沢に近い辺りは少々ぬかるんでいたりもする。
ビギナーでも大丈夫とガイドブックに書いてあっても、あまり気を抜いていては怪我をするのがオチだろう。

「でも、分かる気がしますよ。何ていうのかな、歩いているだけでも不思議に楽しいというか・・・・」
「だろう?」
「昔、学校行事でキャンプに行った時は、全然面白くも楽しくもなかったんですけどね。ほら、よくあるじゃないですか。チェックポイントを幾つか決めて、ゴールまでのタイムを競うやつ」
「ああ、オリエンテーリングでな。わしもやったよ」
「あれ、グループで行動しないといけないでしょう? 僕は昔から集団行動が好きじゃなかったものですから、かったるくって・・・・しかも、皆、まともに地図を見ることができなくて、途中で脇道に逸れかけるんですよ。それも何度も」
「それは・・・・おぬしのことだから相当に苛ついておったのだろうな」

その様子を想像したのだろう。
あはは、と太公望が声を上げて笑った。

「まだ小学生でしたからねぇ。だからといってグループを見捨てて、自分一人でさっさとゴールするほど身勝手にもなれなくて。最悪でしたよ」
「だろうな。目に見えるよ」
「あなたの場合はどうだったんです? どうせクラス委員長とか、やっていたんでしょう?」

笑いながら隣りを歩く太公望を、楊ゼンは優しい瞳で見やる。
足元には木漏れ日が薄く濃く、光の斑紋を描いていて。

「まぁ、そうなんだがな。わしのグループの場合は、引率の教師にちと問題があってのう」
「教師に?」
「そう。グループに一人ずつ、引率がつくだろう? それが若くてケバい女の教師で、出発前の打ち合わせの時から、もう大変だった」
「どんな風だったんです?」
「普通に、お願いしますとグループ全員で挨拶に行ったのだが、なんか機嫌が悪くてな。「こんな綺麗な先生と一緒に行けて嬉しいですって言わなきゃ、行ってあげない!」とか言って、自分の教室に入っていってしまったのだ」
「・・・・・・・小学校の教師ですよね?」
「うむ。仕方ないから、言われた通りにわしが口上を言って、どうにか機嫌を直してもらって。で、キャンプ当日」
「ええ」
「オリエンテーリングに出発したはいいが、おそらく途中で疲れたのだろうな。マムシが出るという注意書きを見て、もう嫌だと言い出してのう。ちょうど渓流に差し掛かったのをいいことに、もうやめて川で遊ぼうということになった」
「・・・・・途中放棄ですか?」
「まぁ夏休み中で、暑かったしな。他の班が吊橋を渡って行くのを横目に、グループ全員でバシャバシャやっておったよ」
「そんないい加減な・・・・・」
「でも怒られた記憶はないからのう。その教師が主任に注意されただけで終わったのではないか? 一応、適当なところで切り上げてゴールしたし。といっても、チェックポイントは半分ちょっとしかクリアしてなかったが」
「・・・・・・すごいですねぇ」

もうそれ以外に言う言葉もなく、楊ゼンは嘆息する。
だが、太公望はくすりと笑った。

「傍迷惑な先生だったがな。わしとしては楽ができて良かったよ。教師が相手なら、わしがフォローする必要もないし」
「それはそうですけど」

溜息まじりに、しかし楊ゼンも笑った。

「でも、いいですね」
「何が?」
「全部ですよ」

頬を撫でてゆく山風が、薄く汗の滲んだ身体に涼しい。
木々の間から、遠い連峰が見え隠れしながらどこまでも続いている。

「こうやって山の中を歩きながら、子供の頃の話をして、あなたの話を聞かせてもらって。すごく満ち足りた気分だと言ったら、笑いますか?」

そう言って、楊ゼンは太公望を見つめる。
と、太公望は悪戯げに瞳をきらめかせた。

「わしは割合、正直に何でも話しておるが?」
「それでもですよ。あなたの昔の話を聞けるのは嬉しい」
「そうか?」

また小さく笑って、太公望は、ごつごつと起伏し、曲がりくねりながら続いていく山道へとまっすぐに目を向ける。

「わしもこういう感じは嫌いではないがな」
「ええ。機会があったら、また来たいですね」
「じゃあ、今度、もう少し山道らしいコースに行くか?」
「え?」

意外な言葉に、楊ゼンは太公望の顔を見直す。

「夏休み。どこか行くか?」
「・・・・・いいんですか?」
「その台詞はそっくり、おぬしに返すぞ、受験生」
「そんなの、問題になるわけないでしょう!」

どんなに遊んだって、絶対にあなたと同じところに入って見せますよ、と言い切った楊ゼンに、太公望が微笑んだ。

「言ったな?」
「言いましたよ」
「じゃあ、受験に失敗したら別れるということにしておこう。そうしたら励みも出るだろう?」
「・・・・・合格したら何でも言うこと聞いてくれる、という方が、よっぽど励みになるんですけど」
「じゃあ、それは法学部に首席合格したら、ということでどうだ?」
「言いましたね?」
「言ったよ」

目を見交わして、それからどちらからともなく噴き出す。

「とにかく約束はしましたからね」
「ああ」

笑顔でちらりと楊ゼンを見上げた視線が、木漏れ日を受けて深い色にきらめく。
その色に一瞬、楊ゼンは見惚れた。

「もう少し行くと、沢に出るから、そこで飯にするか」
「そうですね」

楊ゼンが肩にかけたザックには、昨日の夜から下ごしらえをして、今朝、二人で作った弁当が出番を待っている。
普段の自分たちにはあまりにも似合わない、まるで小学生並の健全さに苦笑を覚えながらも、ただ楽しくて。

「下りが急になってきてますから、足元気をつけて下さいよ」
「おぬしこそ初心者なんだから、他人に注意するより自分が気をつけぬか」
「そりゃ山道の経験は少ないですけどね、あなた以上に運動神経はいいですよ」
「そう言っておる奴に限って、滑って転んで大怪我するのだ」
「そんなわけないでしょう」

鮮やかなまでに緑の濃くなりつつある山道を、のんびりと二人は歩き続けた。










Midnightその後。
太公望が大学1年、楊ゼンが高校3年の初夏だから、付き合い始めてから10ヶ月弱。
相変わらず、どうにもこうにも蜜月状態のバカップルです。
なお、太公望の思い出キャンプ話は、古瀬が小学生5年生時の実話。

しかし、一番不健全なカップルが、どうして一番健全で普通なのかな〜??


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