#034:手を繋ぐ
触れてくる手を拒もうと思ったことは無い。
けれど、それはすぐに肌から離れてゆくものだから。
いつも一瞬、触れた指先を、離れてゆくよりも先に払いのけたくなる。
夜更けの寝台は、気が狂うかと思うような熱に満たされている。
時間をかけた愛撫で躰を熔かされ、たくましい灼熱の楔を奥深くまで迎え入れて。
ただ、溺れる。
強弱をつけながら何度も何度も揺らされ、突き上げられて、思考は白く霞み、虚ろになってゆく。
呼吸するのさえ難しいほどの快感は、すべてを激しく奪っていき、何一つ残すことを許さない。
触れられた瞬間に感じる、かすかな意地や苛立ち、哀しさ、寂しさ、そんなものも跡形無く、消える。
時間を忘れて抱き合ううちに、爪先から髪の一筋まで、躰を形作るすべてが毒に冒されたように甘く慄え、神経の最後のひとかけらまでも白く灼き尽くすような快楽を求めるばかりになる。
気が狂う、と悲鳴をあげて。
息も絶え絶えに泣き叫ぶような、すすり泣くような嬌声を迸らせて。
失神しないのが不思議なほどの激しい快感を求め、与え、共有する。
それでも。
自分と彼は、同じ存在ではないから。
どれほど深く交じり合い、熱を分かち合っても、互いの体組織が融合することは無い。
いっそ殺して欲しいと思うほどの、この世のものとは思えないような快楽を得ることはできても。
感情や気分程度ならまだしも、互いの思考全てが伝わってくることは無い。
どれほど求めても。
あくまで自分と彼は別個の存在であって、一つの存在には成り得ない。
果てしなく続く快楽に、求めることも拒絶することも忘れて、ただ溺れる。
そして、一つになれないことさえも忘れた、その瞬間。
訪れる、白く激しい灼熱の静穏に恋をする。
言葉をなさない感情の嵐の中心にある、奇妙な静けさの中で、永遠が欲しいと、それだけを思う時。
いつも無性に泣きたくなるのは、どうしてなのだろう。
「───・・・っっ!!」
広い肩を、この両腕できつく抱きしめて。
声を上げて泣きたいと思うのは──何故。
・・・・すべてが終われば、戻ってくるのは、馴染んだ皮肉な静寂ばかりで。
本当はどうにもならないと知っている、すり硝子越しに見た風景のような曖昧で、もどかしい感覚に唇を噛む。
愛しているのに。
愛されているのに。
自分は独り。
彼は独り。
互いの心を疑ったことさえないのに、存在の寂しさが降り積もり続ける。
違う瞬間に、この世界に誕生したことが。
二つの心臓が、それぞれの速度で脈打っていることが。
肌を重ねていても、何一つ伝わらないことが、どうしようもなく哀しい。
「師叔」
低い響きのいい声と共に、左手がそっと自分のものではないぬくもりに包まれる。
「僕たち、この世に二人きりでなくて良かったですね」
「世界に二人しかいなくて、生命はすべて寂しいものだということを知るすべがなかったら、ひとつになりたいのになれなくて、あなたに心が伝わらないもどかしさに気が狂っていたでしょうから」
「・・・・・何の慰めにもならぬ真理だが、な」
「ええ」
自分は自分。
彼は彼。
重なった手のひらのぬくもりを感じて、互いがそこにいることを認識するしかない。
「あなたと別々の命に生まれたことを恨むくらいには、あなたを愛してますよ」
「知っておるよ」
小さく言葉を交わして。
それぞれの速度で刻まれる鼓動と、ぬくもりを感じながら眠った。
また雪の二人。
よく、一つの存在になってしまったら、抱き合うことはできなくてもっと寂しくなる、という言い方がありますが、それに対するひねたアンチテーゼです。
一つになれないことに深刻なもどかしさを感じている人たちには、そんな理屈はなんの慰めにもならない、というお話。
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