──ちょっと待てよ、アル!
 確かに不機嫌な顔ばっかりしてたのは、俺が悪かったよ。だけど、だからって何で大佐に説教を頼むんだよ!? 僕はもう疲れました、ってそんな熟年離婚みたいな……お前はそんなに兄ちゃんが嫌いなのか!?
 オイ、兄ちゃんを置いていくな!!
 あんたもだ! 面白そうに見物してんじゃねえよ!!



 ──はてさて、久しぶりに帰ってきたと思えば、相変わらず賑やかなことだ。
 しかし、兄思いにかけては世界一と言ってもいいアルフォンスが見放すほど、鋼のが不機嫌続きとは……少しばかり珍しいな。感情の起伏の激しい子供だが、その分、機嫌の悪さを引きずることも少ないと思っていたが。
 とはいえ、頭ごなしに言って聞く相手でもなし、どうしたものだろう?



 あー大佐。何にも言うなよ。
 分かってんだから、俺も自分が悪かったことくらい。原因だって分かってる。どうにもならないことだし、あんたに説教されても何にも変わらない。だから勘弁してくれよ。アルには俺からちゃんと謝るから。
 俺は、……俺は、あんたに説教されたくて、ここに来たわけじゃないんだからさ。



 おや、これまた珍しいね。君が素直に自分の非を認めるとは。
 らしくないことをされると、かえって詮索したくなるんだが……。これ以上つつくと、さすがに本気で嫌われるか。
 それにしてもいいタイミングで帰ってきたものだな。あのヒマワリが散ったら、各支部に通達を出して強制的に召還するつもりだったんだが。



 ……ヒマワリ?
 なんでそんなもんが出て来るんだよ。え? 中庭? ……んなもん引っこ抜けよ。司令部に花なんかのんきに咲かせてんじゃねぇよ。
 ……好きじゃねえよ。理由? 何か気に食わないだけだって。訊くなよ、また気分悪くなってくるじゃねーか。



 ……おやおや、急にしおれてしまったね。ヒマワリを出したのは失言だったか。
 好き嫌いを言うほど、君が花に関心があるとは思わなかったんだよ。君が案外、繊細な所があることは分かっているつもりだったんだがね。すまなかった。
 だから、そう痛そうな目をしないでくれないか。今の君は不機嫌というより、ひどく辛そうに見える。いつものふてぶてしくて小憎らしい、生意気な目つきの方がずっと君らしくていいんだが……。



 ──だから、そういう目で見るなって。
 なんであんた、こういう時に限って、そんな風に微笑うんだよ。普段はすかした表情ばっかりしてるくせに。
 そういう顔見せるから、俺の調子が狂うんだろ。
 ……でも、あんたがいつも通りこの部屋に居てくれて良かったとか思ってる俺は、やっぱり馬鹿なんだろうな。
 どうせならあんたも、もっと俺を怒らせるようなことを言ってくれたらいいのに。そうしたら、俺だってもっと普通の顔ができる。でもそんな顔をされたら、どうしたらいいのか分からなくなるんだ。
 ……なあ、俺はどうすればいい? どうしたらあんたは、そんな困ったみたいに優しく笑うのを止めてくれるんだ?



 さて、困ったな。そんな風に複雑そうに黙り込まれると、さすがに私もどうしたらいいのか分からなくなるんだが。
 君がどう思っているかは知らないが、少なくとも君が思うほど私は大人ではないよ? 確かに君の倍以上、生きてはいるが、それは小手先の器用さが増えたという程度の話だ。人間を変えるのは年月ではなく、経験なのだから。
 君を浮上させるのに手っ取り早いのは、君を怒らせることだが……そうだな、三ヶ月前の理由を尋ねたら食いついてくるかい? あの時、君は理由を訊かれるのをひどく嫌がっていただろう?



 だから、何で今更あの時のことを引っ張り出すんだよ。理由なんかねぇよ。単に時間があっただけ。あの時だってそう言っただろ。
 しつこいっての。俺がどんな理由でここに立ち寄ったっていいだろうが。あんたに迷惑かけたわけじゃねえだろ。それとも何だ、俺がここに顔を出したら迷惑なのかよ。



 今度は効き過ぎたか。まったく君は扱いにくいよ。つい今までのしおれた顔はどこへやら、一転して目を吊り上げて苛々し始めるんだからな。
 ……だが、少しおかしい気もする。君は確かに浮き沈みが激しいが、今日はあまりにも極端ではないかね? やはり何かあったのではないかと勘繰りたくなるが……どうせ訊いても答えないんだろうね。
 せめてもう少し君と頻繁に顔を合わせる機会があれば、多少の推測は出来るんだが……。



 だから、じろじろ見るなってば。殴りたくなってくるだろ。
 ──もう、なんでこんなことになってるんだよ。
 俺はあんたのこと考えると苛々して、だからここには来たくなくって。でもアルに引きずって来られて、なのに、やっぱりあんたの顔を見たらほっとして。そのくせ今は、どんな顔をすればいいのかも分からなくて。
 全部あんたのせいじゃねえか。それとも全部、俺のせいなのか? 俺がガキで、馬鹿なだけ? だったらどうすればいいんだよ?
 俺には分からない。分からないんだ、大佐。
 どうすればいいのか。どうしたいのか。なぁ、あんたになら分かる? 大人のあんたには?



 鋼の? どうしたんだい?
 私は君を苛めたいわけではないよ。だから、そんなまるで泣きたいような顔をしないでくれないか。
 君は何を求めている? どうして欲しいんだ? 君がどうしたいのか教えてくれたら、私も答えることが出来る。
 ……それとも、それさえ分からなくなってしまったかい?
 ああ、そういう日があるということも、私は知っているよ。どんなに真っ直ぐ歩くつもりでも、人間は時々つまづくものだから。
 鋼の。こちらを向いてごらん。ゆっくり呼吸をして。
 君は何が欲しい? 君たち兄弟の望みは知っている。だが、君が今ここでそんな瞳をしている理由は何なのか、私でよければ話してみないか。
 弱みを見せたくないというのなら、それでもいい。でも、上手に大人を利用するのも子供の特権だよ? 君はずるくて賢い子供だろう?



 ……あんた、やっぱり卑怯だよ。そんなに優しい声で銘を呼ばれたら、ますますどうしたらいいか分からなくなるだろ。
 いっそ、あんたを大嫌いだって思えたら、楽になれる気がするのに。どうして俺は、俺に構うなって怒鳴って、ここを飛び出せないんだろう。
 こんなに泣きたい気分なのに。
 ──どうして俺は、こんなにあんたのことが好きだと思うんだろう?
 あんたは俺よりずっと大人で、憎たらしいくらいにいけすかない奴なのに。
 なのに、どうして俺は。



 ──ああ。
 もしかしたら……、そういうことなのか? 
 鋼の。そんな泣きたいのを必死にこらえているような顔をしなくてもいい。君を子供だと侮っていたわけではないんだが、そういう可能性は想像もしていなかったんだ。すまなかったね。
 だが、本当に思いも寄らなかったんだ。君は私を、気に食わない大人だと認識していると思っていたから。無論、それなりの信頼されているとは思っていたが、それ以上を考えた事はなかった。
 だが、そうではなかったんだな。
 今の君にはそれが……そんな瞳で見上げるのが精一杯なのだということは分かるよ。そう、三ヶ月前のことも、君にはきっと精一杯のことだったんだろう。まったくもって気付かなかった私が悪い。
 だから、そんな泣きそうな顔をしないでくれないか。
 もう分かったから。



 ──え。
 何……? なんで大佐が俺の頭を撫でてるんだよ? いつの間に近づいたんだよ、やめろよ子供扱いは、……って……え……? 



「鋼の。三ヶ月前のあの日から今日まで、私はずっと君が何のためにここを訪れたのか考えていたよ。何の目的もなく君が司令部に顔を出すとは、どうしても思えなくてね。だが、今日までまったく答えが分からなかった。
 鈍い私を怒ってくれても構わないよ。──あの日、君は私に会いに来てくれたんだね?」

 大きく目をみはり、頬に朱を昇らせて、違うとわめきたてようとする子供を胸に抱きこむ。
 多少暴れられようが何だろうが構わなかった。



「違うって言ってるだろ。自惚れてんじゃねーよ……!」

 軍服の少し固めの生地が頬に当たる。
 近すぎる距離が、狂ったように脈打っている鼓動を大佐に伝えてしまいそうな気がして、思わず離れようともがくけれど、びくともしなくて。
 ──どうして。
 どうして、あんたは俺を抱きしめてるの? どうして放してくれない?
 頼むから放してくれよ。何も考えられなくなる前に……俺が震えているのに、あんたが気付く前に。



「鋼の」

 銘を呼ぶと、抱き込んだ小さな肩が震える。
 意地っ張りで気丈な君がこんな反応しか出来ないほどに追い詰めてしまったのは、私の鈍感さか君の強情さ、あるいは純粋さのどちらなのだろう。
 本当にすまないと思う反面、ひどく愛しいと思う。

「君に大切なものがあることは知っているから、無理強いをする気はないんだ。ただ、時々、旅の途中でも私を思い出してくれないか? 今はまだそれだけでいいから」



 ……それだけでいいって、どういう意味?
 それじゃ分かんねえよ? 
 だって俺、いつもあんたのことは思い出してた。それこそ思い出し過ぎて、苛々してアルにさえ怒られるくらいに。



「私はよく仕事の合間に、君のことを思い出す。今どの辺りにいるのか、どうしているのか。元気で居ればいいと思うし、顔を見られないのが少し寂しいとも思う。理由は分かるかい?」



 だから、あんたが何を考えてるかなんか分かるわけないだろ。分かったら、そんな楽なことはねえよ。
 ……でも。でもさ。
 あんたの声がものすごく優しいから。何か期待しそうになるんだよ。
 なぁ、あんたってこういう場面で裏切る奴だっけ? いつもいつも、一番大事な時はごまかしたりとか嘘ついたりとかはなかった気がするんだけど。
 それとも俺が勘違いして、過大評価してる?
 でも、もし、そうじゃないなら。
 そうじゃないならさ。
 大佐。



「私は君が好きなんだよ」

 大切なものを持っている君の負担になりたくはない。
 ただ、君が時々疲れて立ち止まった時に思い出して、また歩き出す原動力になれたらいいと思う。──私の中の君が、そうであるように。
 君がいつか、その手で望む幸せを掴めるように。



「俺……を……?」
「そうだよ」



 どうして。
 どうして、一番肝心な時には、あんたは絶対に俺を裏切らないんだろう。
 ──なぁ、信じるよ?
 こんな風に、そんな声で言われたら。



「俺、さ……」
「うん?」
「俺……思い出してたよ。自分でも苛々するくらい、馬鹿みたいに」
「すまなかったな、アルフォンスと喧嘩までさせてしまって」
「……そうだよ。あんたのせいだよ」
「ああ。分かっているよ」



 馬鹿じゃねえの、あんた。
 こんなガキの我儘な言い分にうなずいたりして。それとも大人の余裕?
 でも、いいや。何だか腹立つけど、もういいよ。



 私をなじる理不尽な言葉に、笑みが込み上げる。
 ようやく言ってくれた、と思う。
 いくらでも甘えてくれて構わないのだ。どうせ、すぐに君は自分の足で立とうとするのだから。好きなだけ我儘を言えばいい。どうせ私も、すべては叶えてはやれない。
 結果的に、ちょうどいいところに落ち着くだろうから。



「好きだよ。エドワード」
「──俺、も……嫌いじゃ、ねえよ」



 それが精一杯。あんたみたいに、すらすら言葉を使うなんて到底無理。
 でも、分かってくれるよな、あんたなら。
 これも甘えてるってことになる? それでも許してくれるだろうって思う俺はずるい?
 ──だからって、そういう目で見るのは反則だろ!?
 ああ、でも。
 知らなかった。キスって、こんなに優しくてあったかいんだ。
 それとも、あんただから?



 ごく軽くかすめるようなキスでさえ、真っ赤になってしまうなんて君らしいというか何というか。
 それで構わないよ。君はまだまだ子供なんだから。一足飛びに大人になる必要などどこにもない。
 先は長いと信じて、ゆっくり行こう。他のことは急いでばかりの私たちだから、一つくらいのんびりと進めることがあってもいいと思わないか?



「さて、そろそろお開きにしないと、アルフォンスが心配するな」
「あ、うん……」
「そんな顔をするんじゃない。大丈夫だよ、私はここに居るから。会いたいと思ったらいつでもおいで」
「……大佐」
「何だい」
「あのさ、一つだけいい?」
「?」
「すげえ勝手な言い分だって分かってるけど。俺の知らないところで事故とかに遭わないで欲しいんだ。もし遭ったとしても……できる限り、早く教えて欲しい。それだけでいいから」
「──約束してもいいが、一つだけ条件がある」
「何?」
「同じことを、君に。それが条件だよ」
「………」
「約束をしておけば、意地でも無事でいようと思うだろう? 少なくとも私は、君に怪我をしましたなどと報告するような情けない状況にはならないよう、最大限の努力を払うよ」
「……確かにそうかも」
「あと、約束を守るためには、こまめな連絡も必須だ。週に一度とは言わないが、せめて滞在先を移動する時には電話くらい寄越しなさい」
「……努力する」
「よろしい」



 ……さっきまであんなに苦しくて辛かったのに。
 いつもと同じように、でもいつもよりもずっと優しい目で笑うあんたを見て、やっぱりあんたを好きになってよかった、なんて思ってる俺は現金なのかな。
 あんたが俺を好きになってくれるなんて思いもしなかったし、何で俺を好きになってくれたのかも分からないけど、今はいいや。どうせ、そのうち教えてくれるだろ?
 じゃあ、そろそろ俺は行くよ。あんたともっと居たいけど、やらなきゃいけないことがあるから。それはあんたも同じだろ。
 大丈夫、今度からはちゃんと連絡入れるから。
 だから、あんたもちゃんとここに居てくれよな。それだけで多分、俺は迷わずにいられるからさ。



 君と居たい気持ちは山々だが、そうしてしまったら私も君も駄目になる。
 私はここでやるべきことをやるから、君も君のするべきことをするといい。
 そうして疲れたら、時々帰っておいで。
 約束通り、私はいつでもここに居るから。










 ──そして、いつか二人で。
 真夏の空に咲く、君と同じ色をした大輪の花を眺めながら、他愛のない時間を過ごそう。
 きっとその時はもう、君の瞳が翳ったりすることはないだろうから。
 そして私も、もはや誰かを愛することに躊躇いを持つ必要などないだろうから。
 その時には、君に私の持てる限りの誠実と優しさを捧げよう。
 その時になって嫌だと言っても聞かないよ。
 私が君を見つけたように、君が私を選んだのだから。
 そうだろう、エドワード?






end.


















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