NOISE×MAZE  10:待ち合わせ

「──で? どうしてお客さんが増えてるのかな?」
 玄関先でにっこり営業用スマイルを浮かべる臨也に、静雄は肩をすくめた。
「仕方ねぇだろ、ちょうどタイミングが合っちまったんだ」
 そのぞんざいな返答に、ぷちりと臨也の中で何かが切れる。
「それならそれで連絡しなよ! 何のための携帯!?」
「だから、マンションの直ぐ前で会ったんだっつーの。だったら、直接言ったって時間差なんざ殆どないだろうが」
「でも、こっちの準備だってあるっての! スリッパだって一人分しか出してなかったし、グラスやお皿だって……!」
「んなもん、全部直ぐ出せるだろ。おら、そこをどきやがれ。いつまで玄関先で話しさせんだよ」
「──これだから、ジュラ紀から一ミリも進化してない奴は……っ」
「何だと!?」
「あーもういいよ! 入って入って。お二人さんもどうぞ。俺がムカついてるのはシズちゃんに対してだけですから、どうぞ遠慮なく!」
 開かれたドアの向こうに向かって、ヤケクソのように臨也は笑顔かつ、その爽やかによく透る声で呼びかける。
 その声に応じて、入ってきたのは。
「悪いな、突然に来ちまってよ」
「失礼します」
 それほど悪びれた様子もないドレッド眼鏡と、能面のような無表情の美青年アイドルという実に珍妙な組み合わせだった。

*               *

 話の発端は、今日の昼間に遡る。
 いつもの仕事中の休憩時間だった。
 静雄は早番の時は、トムやヴァローナと一緒に昼食を取る。夜番の時は、昼食が夕食に代わるだけで、この二人と家族よりも長く一緒に居ることには変わりない。
 そんな彼らと一緒にいつもと同じように昼食のラーメンを食べ、十五分ほど残った休憩時間を、公園のベンチで煙草を吸いながら──喫煙者ではないヴァローナは自販機やコンビニエンスストアで購入した飲み物や小さな甘味を口にしながら、過ごしているその最中。
 静雄は、そういえば、と上司に伝えなければならないことを思い出した。
「トムさん」
「ん?」
 声をかければ、大きくベンチの背によりかかっていたトムは、銜え煙草のまま静雄に目線を向ける。
 静雄もまた、煙草を手に持ったまま、続けた。
「言い忘れてたんすけど、俺、ちょっと引っ越すことになりまして」
「へえ」
 何故、とはトムは問いかけてこなかった。
 静雄は自宅であるアパートでは、割合平穏に生活しているが、それでも過去に数度、部屋を壊した等という理由での引っ越しを余儀なくされている。
 その辺りを慮ったのだろう、トムが訪ねたのは引っ越しの理由ではなく新しい住所だった。
「で? 新しいアパートはどこよ」
「あー、割と近くです。アパートじゃあないんですけど」
「アパートじゃねぇんなら、マンションか」
「はい。三丁目の角地にちょっと前、新しいマンションが立ったじゃないですか。一階にちょっと高いスーパーが入ってるとこで……」
「はぁ!?」
 素っ頓狂な声を上げて、トムが静雄を見つめる。
 思わず手から煙草が落ちたが、それに気付く様子もない。足元に転がったそれをつま先で踏み消し、拾って上司に差し出したのはヴァローナだった。
「吸殻を公共の場に廃棄するのは、迷惑千万と推察します。直ちに抹消して下さい」
「あ、おお」
 ヴァローナから吸殻を受け取り、携帯灰皿に片付ける。そしてトムは、改めて静雄に向き直った。
「静雄、あのマンションってオール分譲じゃなかったか?」
「そうなんすか」
「そうなんだよ。……一体どんな事情で、そういうことになった?」
 トムは慎重に問いかける。
 静雄が高級マンションに入居する、というのは異常事態だが、実のところ、全くの可能性がないわけではない。
 静雄自身は大して収入がなくとも、彼の弟は超のつく大金持ちだ。兄思いの弟が、静雄が何らかのアパートを追い出されたら、新たな住居を提供するくらいのことは有り得る。
 が、この論には難点があり、静雄は決して弟の金を頼りはしない、というのがそれだ。彼の性格上、どれほど困窮してもそれは有り得ない。
 静雄のことを良く知っているトムは、極短い時間にそれだけのことを思い巡らせたのだろう。ならばどういうことか、と窺う上司の前で、静雄はどう答えたものかと眉をしかめた。
「事情、はあるんすけど。どう言ったらいいのか……」
 しばらく言葉を探して考え込む。が、やはり適切な表現が浮かばない。
「あー、やっぱ駄目っすね」
 諦めの色の濃い溜息をつき、ちょっとすんません、と断って静雄は携帯電話を取り出した。
 手早くアドレス帳から一つの番号を選んで電話をかければ、相手はすぐに応答する。
『シズちゃん? どうしたの。電話してくるなんて初めてじゃない?』
「あー。俺だって別に好きでかけてるんじゃねぇよ」
 臨也の口調はさほど嫌味でもなかったが、なんでわざわざノミ蟲に電話をしなければならないのか、と苛立ちが湧いてくるのを静雄は感じる。
 だが、それを抑えて続けた。
「うちの話だけどな。やっぱ駄目だ。上手く説明できねえ」
『? 説明って、例の上司さんとか社長さんに?』
「そうだ。俺があのマンションに引っ越したってこと自体、普通に考えりゃおかしいだろ。その理由をどう説明すりゃいいのか分からねえ」
『……で? 俺に代わりに説明しろって?』
「違う。どんだけ口で説明したって、実際に見なきゃ混乱するだけだろ。だから今夜、うちにトムさんを連れてってもいいか」
 そう告げると、返ってきたのは思案しているような沈黙だった。
 そして待つこと五秒、静雄があと一秒待たされたらキレる、と思った時、
『いいよ』
 臨也が溜息交じりに答えた。
「いいのか?」
 自分で聞いておきながら、静雄は臨也の素直な返事に面食らう。
 臨也のことだから、盛大に文句を言うか、何かしらの条件をつけるかと身構えていたのだが、今回に限っては、どうやらそうではないらしい。
『うん。他の人なら許さないけど、あの人なら余計なことは口外しないだろうしね。仕事終わるの、七時だったよね?』
「ああ」
『じゃあ、仕事終わったら一緒に帰ってきて。俺もその前に帰って、あいつらに事情を説明しとくから。あ、夕飯はうちでどうぞって田中さんには伝えてよ』
「悪いな」
『これに限っては仕方ないだろ。俺も諦めてるよ。じゃあね』
「ああ」
 諦めてる、という臨也の言葉に内心、ひどく納得かつ共感しながら、静雄は携帯電話を下ろして通話を切り、電話をポケットにしまいながら上司に視線を戻す。
「すんません、トムさん。そういうわけで今夜、うちに来てもらっていいっすか。飯も出せると思うんで」
 そう告げると、トムは困惑し切った顔で静雄を見つめ、首を傾げた。
「悪い、全然事情が見えないんだが……。とりあえず、お前は訳ありで、今、あのマンションに誰かと同居してんだな? で、その訳は口では説明できねぇくらいややこしいと」
 問題を綺麗にまとめてもらえたことに、静雄はほっとしてうなずく。
「そうです。うちに来てもらうのが迷惑なら、ここで事情を説明してもいいんですけど、ちょっとややこしいことになっちまってるのは確かなんで。迷惑をかけるつもりはないんすけど、できればトムさんにも承知してもらっといた方がいいと思うんで、来てもらえると嬉しいんすが……」
 申し訳なさげに告げた静雄に、トムはじっと考えていたが、やがてうなずいた。
「分かった。どうせ今夜は何も予定ねぇしな。そんで、じっくり聞かせてくれ。その事情ってやつをよ」
「はい。ありがとうございます」
「いいっての。こんくれぇでいちいち頭下げんな」
 トムがそう言い、笑った時、黙って事情を聴いていたヴァローナが首をかしげる。
「詳細が不明です。先輩は転居されたのですか?」
「あー、まあな。男所帯だから、ちょっとお前は呼んでやれねぇけど」
「へ? 男所帯なのか」
「はい。……俺と暮らそうって酔狂な女はいないですよ」
「そうなんか。あれ、でも飯が出るとか言ってなかったか」
「はい。俺もあいつも料理はできるんで。不自由はしてないです」
「あー、そっか。お前も独り暮らし長いもんな」
 俺は全然ダメだわ、とぼやきながら、新たな煙草に火をつけるトムから、静雄はヴァローナに目を向ける。
 そして、その頭をぽんと撫でた。
「悪ぃな。マジで俺も混乱するくらいややこしい話だからよ。お前を仲間外れにするつもりはねぇんだが、説明はちょっと保留させてくれ」
「……了解です」
 しばらく上目づかいに静雄をじっと見つめていたヴァローナだが、やがてこくりとうなずく。
 そんなヴァローナを見て、静雄も小さく笑んだ。
「よっしゃ、じゃあそろそろ午後の仕事に行くか」
「はい」
「新たな目標はいずれに所在しますか」
「大久保だな。学生さんだよ。親の脛かじりの身で出会い系のツケを二十万も溜めやがって」
「……学生だと取り立てに苦労しそうですね」
「まあ逆ギレくらいすっかもな。それでもやりようはあるさ」
 そんな風にいつもの会話を交わしながら、三人は次のターゲットを目指して歩き始めた。

*               *

「悪い、静雄。もう一遍言って……、いや、いい。とにかく、それはマジなんだな?」
「はい」
 単に驚いたではすまない難しい顔でトムが問い質したのは、この日の仕事が終わり、静雄が暮らすマンションへと向かう路上でのことだった。
 やはり何も話さないで、いきなり臨也やクローンと御対面というのは刺激が強過ぎるだろうと、静雄なりに考え、非常に大雑把に説明を口にしたのだ。
 臨也と静雄のクローンが悪徳製薬会社によって生み出されていたこと、それらを引取って一緒に暮らすために共同生活を始めたこと。
 端的な言葉で語ったのはその二点のみではあったが、案の定、トムの度肝を抜くには充分であったらしい。
「──よりによって、まあ……」
 開いた口が塞がらないといった風情で、トムは溜息をつく。
「お前と、あの折原をどうこうだなんて、その製薬会社は頭がどうかしてんじゃねぇのか。池袋が滅亡するだけだろ」
「あー、その辺は、あいつらは俺や臨也とは全然性格が違うんですよ。津軽は俺みたいな力はないですし、サイケちょっとウザいくらいに人懐っこい素直な奴ですし」
「お前らのクローンなのにか?」
「はい。俺らも不思議なんすけどね」
「はー……」
 もう一度感心とも呆れともつかない溜息をつき、トムは、ふと道の先に見えたコンビニエンスストアに目をとめた。
「あ、静雄。コンビニ寄ってっていいか? お前んち行くのに手土産くらいねぇと悪いだろ」
「そんなのいいですよ。俺が無理に誘ったんですし」
「いやいや、まあ礼儀としてな」
 そんな風に笑って、トムはコンビニエンスストアに入り、こんなもんでいいか、とビールの六本パックを手に取る。
「折原はビール飲めるか?」
「あ、はい。結構好きみたいっすよ」
 静雄はビールは飲まないため興味はないが、冷蔵庫には常に缶ビールが一、二本常備されている。食事時に臨也が飲んでいるところは見たことがないから、おそらく静雄がいない時か、部屋で一人で楽しんでいるのだろう。
 その辺りは、静雄もピーチネクターやナタデココドリンクを見つけると、つい購入して冷蔵庫にしまってしまう癖があるため、どうこう言うつもりはない。
 そして静雄の答えを聞いたトムは、さっさとレジに向かい、支払を済ませて二人は店の外に出た。
「しかし……、よくお前、折原と一緒に暮らせてるな。大丈夫なのか?」
 また肩を並べてぶらぶらと歩きながら、トムが慎重に問いかけてくる。
「そうですね。まあ、何とかっつー感じで」
 心配してくれる先輩に対し、静雄も言葉を探しつつ、ぽつりぽつりと答えた。
「時々キレそうにはなりますけど、あいつも俺を怒らせないようにはしてるみたいですし、津軽とサイケがストッパーになってくれてるんで、今んとこは大丈夫です」
「そうか」
 大変そうだな、よくやってるなと言いたげな、しみじみとしたトムの相槌に、静雄は何となく心が温まるものを感じる。
 同情されたいわけではないが、きちんと理解した上での思いやりは、いつも染みる。そういう相手が少ないだけに、トムに対しては余計に感謝の気持ちは深かった。
 そして、他愛のない会話をしながらしばらく歩いた時。
 ポケットの中で静雄の携帯電話が鳴った。
「ちょっとすんません」
 歩きながら断って、携帯電話を取り出す。
 そして二つ折りのそれを開き、そこに表示された名前に静雄は軽く目をみはってから、応答した。
「はい」
『あ、兄さん?』
「おう。どうした?」
 珍しい、と静雄は携帯電話のスピーカーから聞こえる弟の声に耳を傾ける。
 仲の良い弟ではあるが、その冷めた気性からか直接連絡をしてくることは、あまり多くない。どちらかというと用事がある時にのみ電話なりメールなりをしてくるのが常だ。
 一体何事かと、つい内心で身構えた静雄の耳に、静かに落ち着いた幽の声が響いた。
『突然で悪いんだけど、肉、要らないかと思って』
「肉?」
『うん。今日ロケ先で、松坂牛を大量にもらったんだ。スタッフたちと分けたんだけど、まだ五kgくらいあって。兄さん、要らないかな』
「豪勢な話だな」
 弟の話に素直に感心して、静雄は三秒ばかり思案する。
「そうだな。お前さえ良ければもらうぜ。取りに行きゃいいのか?」
『いや、今、車だから届けに行くよ。アパートに行けばいい?』
「あー、いや」
 それよりも、と静雄は新しいマンションの住所を告げた。
 どうせ、この弟にも引っ越したことは伝えなければならないのだ。ついでに今日ならば、トムもいるから五kgの肉を消化する人員にも不足はない。
「ちょっと色々あってな、つい最近引っ越したんだよ。事情は、口で説明するより見てもらった方が分かりやすいと思うからよ、時間があればちょっと寄っていってくれねぇか?」
『いいよ、今日はもう仕事は終わってるから。その住所なら五分くらいで着けると思う。確か、そのマンションと同じブロックに駐車場あったよね』
「ああ、ある。この時間帯なら空きはあると思うぜ。五分後なら俺もちょうど着く頃だから、マンションの前で会おう」
『分かった。じゃあ、また後で』
 抑揚の無い声から一秒置いて、通話が切れる。
 静雄もまた電話を切り、スラックスのポケットにしまって、黙って隣りを歩いていてくれたトムを振り返った。
「すみません、トムさん。ちょっと成り行きで幽も合流します」
「俺は構わんぜ。お前の弟に会うのも久しぶりだしな」
「あー、そうですね」
 トムと幽の面識があったのは、それこそ静雄が中学生の頃だから十年も前の話である。
「あの頃から綺麗な顔してたけどな。まさかアイドルとはなぁ」
「俺も最初はどうかと思いましたけど、あいつの性には合ってるみたいですよ」
 もともと芸能事務所のスカウトに遭ったのは、静雄の方だった。ずば抜けた長身と金髪が雑踏の中でも目立ったのだろう。
 だが、スカウターのへらへらと軽い口調にキレて半殺しにしかけたところを、偶然通りかかった幽が止めたのが、彼の芸能界入りの発端だ。
 きっかけが自分にあるだけに、今現在、弟が上手く芸能界に馴染んで活躍していてくれるのは、静雄にとって嬉しいと同時にほっとすることでもあった。
 そんなわけで、じゃあ行くかと二人はそのままマンションに向かって歩き続けて。
 五分後、大量の肉の入った発砲スチロール箱を提げた幽と合流し。
 話は冒頭へと戻るのである。




「わあ、お客様だー!」
 臨也と静雄、それにトムと幽がぞろぞろと奥のリビングへと連れ立って入ってゆくと、待ち構えていたらしいサイケが歓声を上げて目を輝かせた。
「こんばんはっ」
「おう、お前さんがサイケか?」
「うん!」
「そうかそうか、俺は田中トムっつーんだ。トムでいいからな」
「トムさん」
「おう。で、そっちが津軽だな。本当に昔の静雄そっくりだなぁ」
「はい、初めまして」
 事前に説明を受けていたこともあり、トムの馴染み方は見事なものだった。
 その様子にほっとしながら、静雄は弟を省みる。
「エレベーターん中でも説明したけどよ、あいつらが俺と臨也のクローンな」
「うん。二人とも、兄さんにも折原さんにもあんまり似てないね」
「お、お前にも違って見えるか?」
「雰囲気が全然違うから。確かに顔立ちは一緒だけど、全くの別人だよ。表情や目の動きが全然違う」
「そうだよな」
 人に対する観察眼が異様に鋭い幽の言うことであれば間違いない。常々思っていたことをぴたりと言い当てられて、静雄は小さく溜息をついた。
「やっぱりお前、すげぇな」
「人を観察するのが得意なだけだよ。俺に言わせれば、兄さんの方がずっとすごい」
「俺が?」
「うん。悪いけれど、正直、兄さんがこんな風に折原さんと暮らせるとは思ってもみなかったから」
「ああ、それな」
 弟の指摘に、静雄はうなずいた。
「トムさんにも言われたけどよ。まあ、あいつらが居るからだな。暗黙の了解みたいなもんで、サイケと津軽の前じゃ喧嘩しねぇことにしてんだ」
「それができるだけでも大したもんだよ」
 幽の表情も声も平坦で、何の抑揚も無い。だが、静雄はそこに掛け値なしの賞賛を聞き取って、思わずはにかむ。
「お前にそう言ってもらえると、すげぇ嬉しいぜ」
 昔から心配をかけ通しの弟だった。たとえ世間一般の兄弟と逆だとしても、そんな弟に褒められたことが純粋に嬉しくて、静雄は小さく笑んだ。
「兄さん、俺のことも二人に紹介してもらえるかな」
「おう。──サイケ、津軽」
 トムと意気投合したのか、楽しげに話しているクローンズに声をかけると、二人はぴょこんと頭を上げる。
「紹介するな。俺の弟の幽だ」
「よろしく」
 幽が軽く会釈すると、サイケは小さく首をかしげてソファーから立ち上がり、幽の正面までやってきた。
 そして、その大きな目で幽を見上げる。
「TVで見た時と名前、違うね?」
「羽島幽平は芸名だから。本名は平和島幽だよ」
「かすかさん」
「そう」
 改めての名乗りにサイケは納得したのか、ぱっと顔を明るくしてうなずいた。
 その横に寄り添った津軽もまた、幽に向かって丁寧に頭を下げた。
「津軽といいます。よろしくお願いします」
「こちらこそ。本当に数年前の兄さんそっくりだね。こう言うのは失礼だと思うけど、すごく懐かしい」
「いえ、失礼なんてとんでもない。嬉しいです」
 オリジナルに似ていると言われて、穏やかさの中に嬉しさを滲ませた風情で津軽は微笑む。
 そんな弟二人の様子に満足しながら静雄が眺めていると、ソファーでくつろいでいたトムが声をかけてきた。
「そうしてると、お前ら本当に兄弟だなあ。三人兄弟。雰囲気はそれぞれ全然違うけど、どっか似てるぜ。顔の話じゃなくてな」
「そっすか?」
「おう」
「トムさんの言う通りだよー。いいなぁ、三人。ねえ、臨也は弟いないの? 妹だけ?」
「いないよ」
 リビングの続き間であるダイニングキッチンに向かって、サイケが声を張り上げる。
 が、返ってきたのは素っ気ない臨也の声だった。
「電波な妹が二人もいたら、それだけで俺の許容量はいっぱいだよ。この上、弟だなんて冗談じゃない」
「でも臨也、妹さんに会わせてくれないじゃない」
「あいつらに会わせたら最後、お前なんて頭からバリバリ食われるよ。骨も残らないさ。それよりシズちゃん! 紹介が終わったんなら、こっち来て手伝ってよ。なに君までくつろいでんの」
「あー、悪ぃ」
 呼ばれて、そういえば臨也一人にもてなしの準備をさせていたのだと気付いた静雄は、幽に「座っていてくれ」と告げて、ダイニングキッチンに向かった。
「へえ、豪勢だな」
 大きなダイニングテーブルにはホットプレートが据えられ、大皿にたっぷりと盛られた幽持参の松坂牛が食べて食べてと見る者を誘っている。
 加えて、ところ狭しと並べられているサラダや箸休めの小鉢に、臨也の料理の腕を知っている静雄も、思わず目をみはらずにはいられなかった。
「弟君が肉を持ってきてくれたから、急遽、焼き肉にメニュー変更だよ。ったく……」
「それは悪かったな」
 本来は、臨也自身の好きなイタリアンでまとめるつもりだったのだろう。既に出来上がっているサラダや惣菜、スープにその痕跡が見えて、静雄は素直に詫びる。
 すると、臨也は不機嫌そうに肩をすくめた。
「まあいいけどね、田中さんが魚介類好きかどうか分からなかったからブイヤベースはやめたし。パスタソースは冷蔵保存利くし。というわけで、そっちは明日、食べてよね」
「おう。──じゃがいも、そろそろ火が通ってるな。鍋、下ろすぜ」
「うん、お願い。あと、君の部屋から椅子もう一つ持ってきて」
「分かった」
 うなずきながら静雄は手際よく下茹でされたジャガイモの湯を切り、刻んだ野菜を載せた大皿の隙間に盛り合わせる。
 そして、自室から椅子を取ってきてダイニングテーブルの端に据えた。
「そろそろ皆、呼んでいいか」
「うん、大丈夫」
 臨也がシンクで使い終えたまな板や包丁を洗っているのを確認してから、静雄はリビングへ行き、一同に声をかける。
 既に夕食の時間としては遅い時刻でもあり、それぞれ空腹を抱えていたのだろう。静雄に視線を向ける四人の反応は、見事なまでに素早かった。
「飯の支度できたんで、こっちに移って下さい、トムさん、幽」
「おう、悪いな」
「サイケ、あんま無茶なこと言ってトムさんを困らせてねぇだろうな?」
「困らせてませーん」
「サイケは言っていいことと良くないことは、ちゃんと分かってるよ、静雄」
「それは分かってるけどな。でもさっきから、ちょっとはしゃぎすぎだろ」
 先程から、ダイニングキッチンの物音越しにでもはっきりと分かるほど、聞こえてくるサイケの声はテンションが高かった。
 なにしろ客人を迎えるのは、クローンズがラボを出てからこれが初めての経験である。サイケの性格からすれば、はしゃぐなという方が無理なのだろう。
 もっとも、トムも幽も対人的な柔軟性がとても高い上に、津軽というストッパーもあるから、静雄もさほど深刻に心配していたわけではない。
 それでも自分の客人の手前、賑やかすぎるのもどうかと思わずにはいられなかったのだが、その杞憂はトムと幽が軽く笑い流した。
「大丈夫だぜ、二人とも素直でいい子じゃないか」
「そうだよ、兄さん。心配しなくても大丈夫」
「ほら、俺も津軽も悪い子じゃないもん」
「そうか、そうか」
 津軽の腕にしがみつきながら、威張るように言ったサイケの頭を、それならいいと静雄はぽんぽんと撫でる。
 ついでとばかりに一緒に津軽の頭も撫でて、それから二人を軽くダイニングキッチンの方へ押しやった。
「ほら、二人とも席に座れ」
「はーい」
「はい」
 二人が仲良く隣室に飛び込んでゆくのを眺めてから、静雄は富むと幽を振り返る。
「じゃあ、トムさんもこっち来て下さい。幽も。臨也の奴、かなり張り切って飯作ったみたいなんで、がっつり食ってもらわねぇと」
 そして、連れ立ってダイニングキッチンへ行き、二人にはいつも自分と臨也が座っている席を譲って、臨也と共に予備の椅子へと腰を下ろす。
 テーブルの上には、トムが持参したビールも既に出されており、ホットプレートにも牛脂がたっぷり引かれて、準備は万端だった。
「おお、マジで豪勢だなー」
「料理、お上手なんですね」
 幽がいつもの無表情で感心すると、テーブルの向こうで臨也は小さく微笑む。
「幽君に言われると面映ゆいけどね。君の料理の腕はTVで見て知ってるよ? でもまあ、食べてからもう一度言ってもらえると嬉しいかな」
 そう応じる臨也の表情にはいつもの険がなく、機嫌は悪くなさそうに静雄の目には映った。
 こうなった成り行きが成り行きなだけに、少しばかり意外だと思ったが、考えてみれば、もともと臨也は、お祭り騒ぎが好きで、人の集まりが好きである。
 にもかかわらず、その性格の悪さゆえに、こうして親しい人々と会食する機会が滅多にないのを密かな欲求不満としているらしいことは、以前、新羅から聞いたことがあった。
 そんな臨也にしてみれば、たとえ静雄の客であろうと、こうして賑やかな雰囲気で自分の料理の腕に感心されるのは素直に嬉しいのだろう。
 そういう人間臭いところはノミ蟲でも可愛げがあるよなと思いつつ、静雄は、うながされるままに自分用の桜桃チューハイを手に取った。
「はい、皆さん御用意はいいですかー?」
 全員がそれぞれのグラスや缶を手にしたところで、何故か音頭を取ることになったらしいサイケが、満面の笑みで烏龍茶入りのグラスを掲げて高らかに宣言する。
「それでは、かんぱーい!!」
「乾杯!」
「乾杯ー」
 一体何に対しての乾杯なのか、まったく定かではなかったが、それでも銘々にグラスや缶を合わせて最初の一口を飲み干す。
 そして、
「じゃあ、どんどん肉を焼いていくから、色が変わったら直ぐに上げて下さいねー」
 ビール缶を置いた臨也が早速、菜箸を器用に操りながら最高級の松坂牛カルビやタン、ミノといった各部位を次々とホットプレートに並べ始めた。
 たちまちのうちに香ばしい油の焼ける匂いが立ち昇るのを感じ取りながら、こういうのも悪くねぇよな、と静雄は目の前に広がる光景を眺めながら思う。
 津軽とサイケ、トムに幽、そして臨也と、シュール極まりない面々ではあるが、表情は全員楽しげで、美味な食事に早々と夢中になっている。
 と、向かい側の臨也と目が合ったが、臨也は静雄の目を見返した後、小さく肩をすくめて肉を焼く作業に戻ってゆき。
「あ、こらサイケ! タンばっかり食べるんじゃない! 皆、食べたいんだから!」
「……はーい」
 目敏くサイケの箸の動きを見咎めた臨也に叱られて、サイケは渋々、箸で摘んでいたタンを隣りの津軽の皿の上に置く。
 その光景を見つめ。
 ふはっと静雄は吹き出した。
「──うん、悪くねぇよ」
 小さな呟きだったが、テーブルの角を挟んで隣に座っている幽には聞こえたのだろう。
 弟が静かなまなざしを向けてくるのに、静雄は一つうなずく。
 そして、自分もまた、滅多に口にできない最高級の松坂牛を堪能することに専念するよう、思考のスイッチを切り替えた。

to be contineud...

お客様編・前編。
次に続きます。

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