NOISE×MAZE  07:眠るまで、手を繋いで

「ここがシズちゃんのおうち?」
 築二十年近い古いアパートを見上げて、サイケが目を丸くする。
 そうだ、とうなずきながら静雄は車を回してくれた門田と、実質的な車の所有者で運転手でもある渡草に向かって礼を告げた。
 今回は二人と荷物を運ぶということで、乗車スペース確保のために、彼らといつも一緒に居る遊馬崎と狩沢は同乗していない。
 二人がいたらとてつもなくうるさかっただろうが、幸い、一行を乗せての新宿から池袋までの道のりは至極平穏だった。

「助かったぜ、この礼は近いうちにする」
「別にいいけどな。新宿からここまで大した距離でもねぇしよ。……それより正直、驚いたっつー方が気分は上だ」
「ああ、だろうな」
 それはそうだろう、と門田の言葉に静雄はうなずく。
 先程、臨也のマンションの前で初めてサイケ及び津軽と顔を合わせた門田は、それこそ目を大きく見開いたまま、声を失っていた。これは肝の据わった性格の彼にしてみれば、至極珍しい話である。
「俺も最初、新羅が津軽を連れてきた時は結構ビビったからな。慣れちまった今は、幽みたいな感じで、一緒に居ても全然苦になんねぇんだけどよ」
「まあ、クローンっつったって悪さはしそうにねえしな。臨也のクローンがこれだっつーのは、ちょっと意外すぎる気もするが」
「マジで似ても似つかないぜ。自分で言うのもなんだが、俺が普通に話ができるっていう辺りからしておかしいと思うだろ。ノミ蟲のあの超うぜぇ性格ってのは、一体どこから来てやがるんだ?」
「まあ、突然変異ってことなんじゃねえのか。……だが、俺としてはむしろ、こいつらのことがあるにせよ、お前が臨也のとこに居たってことの方が不思議な気がするけどな」
「ああ、それなら臨也自身にも不思議がられた。けど、どうやらあいつが池袋に足を踏み入れない限りは大丈夫みたいなんだよ。少なくとも、あいつの家で会ってる限りは、あんまり気に障らねえ。あいつ自身、サイケの前ではちょっと猫かぶってるのか、俺を怒らせないようにしてる気もするしな」
「なるほどな」
 納得できたのか、門田はうなずく。

 この昭和時代の番長を思わせるような侠気にあふれた男は、職場の先輩であるトムと並んで静雄を怒らせることのない、数少ない存在だった。
 何かと理性を失いがちな自分に対し、極たまにではあるが洞察に満ちた忠告をくれる門田に静雄は素直に感謝していたし、その厄介事を進んで引き受ける姿勢には尊敬に近い感情も抱いている。
 今回、サイケと津軽+布団を運ぶのに当たって門田を思い出したのも、詰まる所は彼に対する信頼ゆえだった。
 静雄も、何かと敵の多い自分や臨也と同じ顔をした二人を人目にさらすことは、極力避けた方がいいくらいのことは分かっている。その点、門田は絶対に間違いがなかった。
 二人に対して害意を抱くことはまず有り得ないし、存在を口外することも有り得ない。
 彼の取り巻きである渡草や遊馬崎、狩沢も、他者に口外していいことと悪いことをわきまえている輩ばかりだ。
 無暗に迷惑をかける気はないが、必要な時には頼ることができる。
 親しい人間の少ない静雄にとって、彼らはそういう貴重な仲間だった。

「じゃあ、俺らはもう行くからよ」
「おう、気ぃつけてな。露西亜寿司は、俺の仕事の都合がつき次第、連絡する」
「ははっ、無理すんなよ。マジで大したことしたわけじゃねえし」
「いいんだよ、俺が誰かにきちんと礼をできる機会自体が少ねえんだからよ。たまにはカッコつけさせてくれ」
「──分かった。じゃあ楽しみにしてるぜ」
「おう」
 片手を上げて門田はワゴン車に乗り込み、低いエンジン音を響かせてワゴン車は遠ざかってゆく。
 それを少しだけ見送って、静雄は待たせていた二人を振り返った。
「それじゃ行くか」
「うん!」
 大人しく津軽と並んで、静雄と門田の会話を見守っていたサイケは嬉しげにうなずく。
 そして、布団を脇に抱えた静雄について歩き出しながら、満面の笑顔で静雄に話しかけた。
「門田さんって、優しい人だね」
「ん? ああ、そうだな。あいつには面倒見もいいし、俺も高校時代から結構世話になってるな」
 答えながら、不意に静雄は、サイケと津軽に門田の携帯の番号を教えておいてもいいかもしれないと思いつく。

 静雄は本来、策略的なものの考え方をする人間ではない。
 しかし、臨也に嵌められて数々の経験を重ねた結果、最低限の回避能力は習得しており、その延長線上で最近では『保険を掛ける』というある意味、非常に臨也っぽい思考もするようになってきている。
 そういう静雄の頭で考えると、万が一のことを想定した時、新羅以外の知人を教えておいた方が、二人のクローンの安全を図れる可能性は高いように思えたのである。

 これまで散々にトラブルに巻き込まれてきた経験──その大半は臨也が原因だが──からいうと、この先、自分と臨也、新羅の三人共が同時に連絡を取れなくなる状況に陥ることが絶対にないとは言い切れない。
 サイケは思考は子供っぽくとも、臨也のクローンなだけあって学習能力が高いため、どんな事態に陥ろうと、自分なりに状況を分析して簡単にはパニックを起こしはしないだろうが、それでも連絡を取れる大人が一人もいないということになれば不安になるだろう。
 だが、そこにもう一人、静雄、臨也、新羅のいずれからも少しだけ人間関係に距離がある門田という人間が加われば、サイケや津軽が、万が一の時に的確な情報を得られる可能性は飛躍的に増すことになる。
 それはとても大事なことのように、静雄には思えた。

 無論、門田本人の了承を得ることが先だが、今度、露西亜寿司で礼をする時にでも話をもちかけてみよう、と静雄は心の中で決める。
 そんな静雄の心中などサイケは知るはずもなかったが、にっこりと無邪気に笑って言った。
「シズちゃんも優しいから、シズちゃんと門田さんは仲良しなんだね」
 さらりと言われて、静雄は一瞬、反応に困る。
「──俺は別に優しかねえし、門田とも仲良しっつーほどじゃねえけどな。一緒に遊びに行くとかは全然ねえし、用がある時以外は喋らねえし。ダチっつう程じゃないと思うんだが……何て言いやいいんだろうな、こういうのは」
 首をかしげながら、静雄は築二十年近いアパートの階段を上り、ニ階の一番端のドアの鍵を開けた。
 西向きの部屋で当然ながら夏は死ぬほど暑いが、昼間家に居ることが滅多にない静雄にしてみれば関係のない話で、とにかく住めればいい、そんな基準で選んだ部屋だった。
「ほらよ」
 がちゃりとドアノブを回して開け、入ってすぐにある電気スイッチを入れる。
 その脇からサイケは室内を覗き込み、「お邪魔しまーす」と嬉しげに靴を脱いで上がった。

 物持ちではない静雄の部屋は、六畳間より少し広い程度の1Kで、小さなテレビとこたつテーブル、それくらいしか目につく家財道具はない。
 その部屋の隅に積んであった二組の布団の横に、静雄はサイケの布団を下ろした。
「わあ……」
 そうして振り返ってみれば、サイケは目を丸くして、狭い室内を見回している。
 不意に臨也のマンションに比べるとあまりにも何もない部屋が、少しばかりきまり悪いような気分がして、静雄は自分の後頭部の髪を小さくかき上げた。
「悪いな、狭くて」
「ううん、全然。このお部屋、シズちゃんと津軽の匂いがする」
「あ、ヤニ臭ぇか? 津軽が来てからは、部屋ン中では吸わねえようにしてんだけどよ」
「煙草の臭いじゃないよ。それも混じってるけど、シズちゃんの匂いと津軽の匂いがするの。ふふっ、嬉しいなぁ」
 そう言ったサイケは本当に嬉しそうに笑い、津軽の腕に自分の腕を絡めてしがみつく。
 ずっと黙ったままの津軽は、やはり何も言わずに目を細めて、サイケのやわらかな黒髪を空いている右手で撫でた。
 ここに来ても変わらず仲の良さを見せ付けるような二人に、静雄も気が抜けたような気分で小さく笑い、ぽんぽんと両手で二人の頭をそれぞれ撫でた。
「じゃあ、お前たち交代で風呂に入っちまえよ」
「え、でも……」
 戸惑ったような声を上げたのは、サイケではなく津軽だった。
 案外に細やかな性格のこのクローンは、静雄の帰宅が遅くなっても、いつも一番湯を静雄に譲る。
 仕事をして疲れて帰ってきているのだから、静雄が先に汗を流してくつろぐのが当然、という思考であるらしい。
 だが、今日くらいは構わないと静雄は笑った。
「たまにはいいだろ。俺は最後にゆっくり入るからよ」
「でも……サイケはお客だから先でもいいけど……」
「え? 俺、お客さんじゃないよ? ここに住むんだもん。だからシズちゃん、シズちゃんがお風呂一番なら、俺はその後でいいよ」
 口々に言ってくるクローンズに静雄は軽く目をみはった後、相好を崩す。
 そして、二人の頭に載せたままだった手で、くしゃくしゃと二人の髪をかき回した。
「いいんだよ、今日だけだからな。サイケがうちに来た記念日だろ。だから、今日は一番がサイケで、二番が津軽な。ほら、さっさと入っちまえ。でないと俺が入れないだろうが」
 そう言い聞かせると、サイケは分かった、とうなずく。
 それを横目で見てから、津軽もまだ悩むそぶりを見せつつ、うなずいて、湯を張るために浴室に向かった。
 サイケも、俺も行く、と津軽について行き、そんな二人に苦笑しながら静雄は畳の上に腰を下ろす。

 ずっと一人暮らしをしていたこの部屋に、クローンとはいえ自分以外の誰かを招き入れることになるとは、ちょっと前までは想像もしていなかった。
 ましてや客ではなく、同居人としてである。
 自分が他人と暮らせるのかと新羅が津軽を連れてきた時には危ぶんだが、静雄のクローンという割には津軽は異常に大人しく、むしろ弟の幽に性格が似ていたため、同居は案外にすんなりと成立した。
 しかし、今回増えた同居人は、臨也のクローンである。
 こちらもオリジナルとは似ても似つかない性格をしているが、だからといってクセがないわけでもない。
 人に構ってもらうのが大好きだし、要求が拒否されればしつこく説明を求めるし、納得できない時には絶対に自分の主張を諦めない。
 そういう意味では結構扱い辛いのだが、静雄にしてみれば、素直に要求を口にし、きちんと駄目だと言えば諦めるサイケは、オリジナルの臨也と比べれば月とすっぽん、同居しても構わないと思えるほどに可愛いだけだった。
 むしろ、口先で理屈をこねるのを常としている臨也の方が、今夜のようにサイケを扱いかねている時がある、というのが静雄の正直な見立てである。

 とはいえ、今夜のサイケの一緒に暮らしたいという言葉は、寝耳に水で、静雄もさすがに驚きはした。
 だが、考えれみれば、確かに合理的ではあるのだ。
 一緒に暮らせば、少なくともサイケと津軽の携帯電話が使い過ぎで壊れることはないし、二人に寂しい思いをさせることもない。
 そして、静雄自身も、臨也のマンションにいる間は、臨也相手にもさほどイラつかずに済むのだから、気分的にも随分と楽だった。
 問題があるとしたら、本当に通勤時間のことだけだったのである。
 そして、付け加えるとするならば、目を潤ませて見上げたサイケが、自分の拒絶によって本格的に泣き出すのを見るのも嫌だった。
 サイケに限らず、泣く相手にはどうしていいのか分からないのは昔からだ。
 だから、そんな居心地の悪さを味わうくらいなら、さして難しい要求でもなし、受け入れてしまう方が楽だった。
 だが、肝心の家主である臨也が拒絶するのだから、仕方がない。
 ──臨也を説得するのは面倒だし、できるとも思えない。それなら、うちで同居すればいいだろう。
 そんな、ある意味、非常に短絡的な思考で静雄はサイケを自宅アパートに連れてくることにしたのだが、今のところ、サイケは非常に楽しそうにしている。
 この先、これがどう転ぶかは分からないが、見切り発車のスタートとしては上々だった。

「静雄」
 そうこうするうちにサイケは着替えを抱えて狭い浴室に消え、津軽が改まった様子で話しかけてくる。
「何だ?」
「本当に良かったのか、サイケを連れてきて」
 戸惑った瞳で生真面目に訪ねた津軽を見やり、そして、静雄は短く考える。
「──いいだろ、別に」
「でも……」
「お前が気にしてんのは、臨也のことか?」
「──ああ」
 逆に問いかけると、津軽は困ったような表情をしつつもうなずいた。
「臨也のマンションで会っている分には、そんなに仲が悪そうには見えないが、この部屋ではお前が臨也のことをよく言うのは聞いたことがないし、これまで色々あったんだろうことも何となく分かる。でも、臨也はサイケのオリジナルだし……」
「まぁなあ。あいつとはこれまでに色々有り過ぎるぐらいにあるからな」

 こんな風に普通に名前を出して話せるだけでも奇跡に等しいと思いながら、静雄はぽつりぽつりと自分の中にある感情を言葉に変換する。
 自分の思いを言葉にするのは得意ではないが、そうしなければ津軽には伝わらない。
 幽にそうしてきたように津軽にも、静雄は自分にできる範囲で気持ちを言葉にしようと努めていた。

「──俺が今夜、サイケをうちに連れてこようと思ったのは、臨也を説得するのが面倒くせぇってのが大きいが、ちょっと頭を冷やした方がいいと思ったっていうのもある」
「……臨也が?」
「あいつもだし、サイケもだ。どうやら昼間っからずっと喧嘩してたみたいだったからよ。──臨也が俺とは暮せねえっつーのは、俺は分かるけど、俺たちのこれまでを知らないお前たちには分からないだろ。だから、臨也はサイケを納得させられねえ。サイケも臨也の言い分には耳を貸さねえ。
 で、こじれてややこしくなれば、あいつらのことだから、絶対に火の粉が俺とお前に飛んでくる。だから、サイケをうちに連れてきた。喧嘩で言うんなら、間合いを取ったっつーとこかな」
「じゃあ、一時避難ということか」
「ああ、そんな感じだ。誤解しないように言っとくが、俺は別にサイケがずっとうちに居ても構わねえ。同居してもいいっつったのは本心だ。──ただ、臨也はそうは思わないだろうからな。近いうちにサイケを連れ戻すために、何か仕掛けてくるだろうぜ」
「何かって?」
「さぁな。ノミ蟲の考えることなんざ、知ったこっちゃねえよ。でも、このまんまじゃサイケを言いくるめられないからな。また性悪なことを考えてくるんじゃないのか」
 肩をすくめながら答えると、津軽はじっと静雄を見つめてくる。
 静雄のように脱色していない津軽の髪色は地毛のままの明るい茶色で、普段の鏡に映る自分とは随分と印象が異なる。
 クローンといっても違う人間なんだよな、と改めて思いながら言葉を待っていると。

「……俺が思っていたより、静雄は臨也が嫌いじゃないんだな」

「は? 大嫌いだぜ。あんな奴は死んだ方が世のため人のためだと、八年前から思ってるからな」
 思いがけないことを言われて、静雄は心底呆れて言い返した。
 他の人間に同じことを言われたらブチ切れるが、幽とよく似た津軽に対してはリミッターがかかる。
 だから、いつになく冷静に静雄は相手の言葉について考え、何故津軽がそう言ったのかについて想像を巡らせた。
「──まあ、な。確かにお前らの前では殺し合いしてないからな。一緒に飯食ってるか茶を飲んでるかだから、お前がそう言うのも無理はないかも知れねえ。
 でも、本当に俺はあいつのことは大っ嫌いだ。……最近、あいつが俺を怒らせさえしなきゃ一緒に居られるってことは分かってきたんだけどな。あいつの飯は美味いし、俺が作った飯も、何だかんだ言いながら残したことねえし。──だからまあ、俺もそういうあいつとなら、暮らせないこともないと思ったんだが」
 しかし、臨也の方が嫌だというのだから仕方がない。
 それが静雄の今夜の結論だった。
「そもそも、あいつはごちゃごちゃ考え過ぎなんだよ。いつもそうやって物事をややこしくしやがる。まあ、今回は自分でそれに嵌まってるみてえだから、ざまあみろとは思うけどな」
「……とりあえず静雄は、この件に関しては臨也を放っておいていいと思うんだな」
「おう。心配なんかしなくたって、あいつはゴキブリ並にうぜぇ奴だから、明日辺りにはもうごそごそし出すと思うぜ。我慢すんのも、人に振り回されるのも、あいつは大嫌いだしな」
 そう言うと、津軽は考え込むように小さく首をかしげた。
「静雄は、やっぱり臨也のことをよく分かってるんじゃないのか」
「分かってねえって。ただ八年間も殺し合いしてりゃあ、相手のパターンくらいは分かってくるってだけだ。あいつの反吐しか詰まってないような頭の中身なんざ、知りたいとも思わねぇよ」
 肩をすくめて、静雄は腹立たしいだけの話題を打ち切る。
「ノミ蟲の話はここまでだ。幾らお前相手でも、そろそろムカついてくるからな」
「……分かった」
 静雄の言葉に、素直に津軽はうなずいた。

 このクローンを可愛いともいじらしいとも静雄が思うのは、こういう時だ。
 無口で考え深いところは弟の幽に似ているし、不器用なところは自分にも似ている。もう一人、弟が居たら、きっとこんな感じだったのだろうと思いながら、茶色の頭を軽く撫でてやる。
 津軽は図体は大きいのだが、中身が生後四年のせいか、サイケと同じく見た目より遥かに子供に感じられることが多い。
 さすがに四歳児ということはないにしても、小学生くらいの子供を相手にしている感じはあった。
 そうして静雄が頭を撫でてやると、津軽は嬉しいのか、目を細めて表情を和らげる。
 それがまた可愛らしく感じられて、可愛い→撫でるの正循環はとどまることを知らなかった。

「お風呂、お先でしたー」
 明るい声と共に、風呂上りでほこほこのサイケが二人の元に寄ってくる。
「あー、津軽いいなぁ。シズちゃんに撫で撫でしてもらってるー」
 俺も撫でてーと、とてとて歩いてきたサイケは、津軽に並んで静雄の前に座り、ぴょこんと頭を突き出した。
 そのまだ濡れたままの洗い髪を、静雄はサイケが首に掛けていたタオルを取り上げて、わしゃわしゃと拭いてやる。
「つーより、お前は頭乾かせ、サイケ。雫が垂れてんぞ」
「シズちゃん、乾かしてよー」
「お前なぁ」
「だって、ドライヤーしてもらうの好きなんだもん」
「……お前、本当にうぜぇぞ」
 溜息をつきながらも、静雄は手を伸ばして部屋の隅に転がしてあったドライヤーを取り上げ、コードをコンセントに差し込む。
 そうしながら、津軽に声をかけた。
「おい、お前も風呂に入ってこいよ。こいつの面倒は俺が見ててやるから」
「──ああ」
「いってらっしゃい、津軽」
 バイバイと手を振るサイケに苦笑しながら、静雄はやわらかな黒髪をドライヤーで乾かし始める。
 誰かにこんなことをしてやるのは、弟が幼かった頃以来だろうか。
 幽は、子供の頃から自分で何でもやる性格だったから、静雄が面倒を見てやっていたのは、せいぜいが幽が三、四歳の頃までである。
 だが、懐かれれば決して悪い気はしない。
 これまで周囲に人がいなさ過ぎたから気付かなかったが、案外、自分は面倒見が良いタイプなのだろうかと思いつつ、静雄はサイケの髪に温風を当てながら丁寧に指で梳いた。

「臨也、きっと今頃、羨ましがってるよー。一人にされるの、大嫌いだもん。自分から一人になるのは平気なくせにさ」
「──そういや、昔っからそういうとこはあったかもな」
「あ、そうなんだ。ふふっ、成長しないんだねえ」
「してねえなぁ」
 その臨也のクローンとこんな会話をしているのも実にシュールではあったが、もともと静雄は細かいことを気にする性格ではない。
 何でも、『そんなものか』とか『まあいいか』、あるいは『気に食わねえ』と結論付けて、受け入れるか、関心を失くすか、殴り飛ばすかのどれかである。
 そして、クローンズについては全般的に、受け入れる方向にスイッチが入っていたから、サイケにせよ津軽にせよ、何を言って何をしようが、はっきり言ってオールOKだった。
「そら、もういいぜ」
 さらさらの黒髪がほぼ乾いたところで、静雄はドライヤーのスイッチをオフにする。
「ありがとー」
 サイケは静雄を振り返って嬉しそうに笑い、それから部屋の隅に積み上げた布団を指差した。
「ね、シズちゃん、お布団ひこうよ。俺、真ん中がいいな」
「真ん中?」
「うん。俺はいっつも一人でベッドだから、ちょっと寂しかったんだ。津軽がシズちゃんとお布団並べて寝てるって聞いた時、すっごく羨ましかったの。でも、臨也は一緒に寝るのダメだって言うし。寝る時は一人じゃないと眠れないんだって」
「ノミ蟲のくせに、なに繊細ぶってやがるんだかな」
「ねー。だから、俺、真ん中がいい。ダメ?」
「いいぜ。俺はどこででも寝れるし、津軽もそうみたいだからな」
「わーい」

 そうしてサイケは、静雄と共に嬉々として三組の布団を広げる。
 広くもない部屋は、まるで修学旅行の宿のように布団が敷き詰められた状態になったが、またそれが嬉しいのか、サイケは津軽が風呂から出てくるまで、布団の上を意味もなくコロコロと転がり続けて。
 その後、静雄も風呂から上がると、サイケは、はしゃいだまま布団の中に真っ先にもぐりこんだ。

「ねえねえ、シズちゃんも津軽も、手を貸して?」
「あ?」
「ああ」
「シズちゃんも、早く」
「……おう」
 川の字に横になり、真ん中のサイケに向かって静雄と津軽は、それぞれ手を伸ばす。
 と、小さくてやわらかなサイケの手が、二人の手をぎゅっと握り締めた。
「ふふふっ」
「何だよ、サイケ」
「……手を繋ぎたかったのか?」
「うん! 嬉しーなぁ」
 二人の手の感触を確かめるように、サイケは右手と左手をぎゅっぎゅっと握り締める。
 そして、やっと満足したのか、手を離しはしなかったが余計な力を抜いて布団の上に置いた。

「おやすみなさい、津軽、シズちゃん」
「……おう。おやすみ」
「おやすみ、サイケ」

 そんな風に当たり前に過ぎる言葉を交わして。
 微笑んで手を繋いだまま、三人は穏やかに目を閉じた。

to be contineud...

臨也ぼっち作戦続行中。
続く次号。

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