I am. 40

「十代目」

 深く響く低い声が、綱吉を呼ぶ。
 もうそんな時間かと思いながら、綱吉は振り返った。いつの間にか、小一時間ほど過ぎてしまったらしい。
「隼人」
 いつもの笑顔を作るのは難しいことではなかった。
 胸の内の感情に名前をつけることはできなくとも、自分を探しに来てくれたことは純粋に嬉しい。自然に口元がほころびる。
「今日も早かったね。執務室を出てきてから、まだ一時間経つか経たないかだと思うけど」
「運が良かっただけです」
「嘘」
 くすりと綱吉は笑った。
 秋薔薇が咲くようになってから、綱吉が逃走する先は、雨が降らない限りはこの薔薇園に限られている。もう少し寒くなれば、温室に逃げ込むが、それはまだ先の話だ。
 選択肢が多かった夏に比べれば、綱吉を探し出すことなど容易なはずなのに、隼人は優しい嘘をつく。あなたの逃げる先など自分には分かりません、(ですから、自由に逃げて下さい。どこに行かれようと見つけ出しますから。)、と。
 だが、それ以上はそのことには触れず、綱吉は小さく首をかしげて見せる。
「そろそろ戻らないと駄目かな?」
「──そうですね。書類はお部屋に届けてありますが……」
 言いよどんだ隼人に、おや、と思った。
 今気付いたが、彼は手ぶらだ。綱吉を探しに来る時はいつも手にしている、書類を挟んだクリップボードがない。
 どうしたのかと問いかけようと口を開くよりも、ほんの一瞬早く、隼人が言った。
「その前に、あなたに言っておかなければならないことがあるので」
「俺に?」
「はい」
 何だろう、と綱吉は考える。
 今朝、ホテルのスイートルームで目覚めた時には隼人の姿は室内にはなく、その後、総本部に帰ってくるまでは業務連絡程度の会話しか交わさなかった。
 それは別に互いを避けていたわけではなく、単に他の部下たちも大勢いたことや、自由時間がなかったことが理由のはずである。
 帰ってきてからは、執務室で短い時間、二人きりになる機会も何度かあったが、あそこは私的な会話をするのに相応しい場所ではない。
 だから、この場で彼が何かを話そうというのは、別におかしくはないのだが。
 何を言おうとしているのかについては、綱吉はとんと見当がつかなかった。
 セオリー通りに考えるのなら、昨夜のことを謝るとか、忘れて下さいとか、そんな台詞だろうか。
 だが、いい年をした大人が合意の上でのこと──間違いなく互いが望んでのことだったのだから、もしそんなことを口にしたら遠慮なく殴ってやろうと思いながら、綱吉は隼人の言葉を待つ。
 三歩ほど離れた距離から真っ直ぐに見つめる綱吉の視線を、隼人は逸らすことなく受け止め、そして。



「あなたが好きです」



「え……」
 思わず綱吉はまばたきして、目の前の相手の顔を見直す。
 すると、数秒間はその視線を受け止めていた隼人も、決まりが悪くなったのか、さりげなさを装って目線を伏せ気味に逸らした。
「──昨日、あなたにキスした理由を訊かれて、分からないと言ったのは本当です。あの時は、まだ感情が言葉になってなかったんです。でも、その後どれだけ考えても、この言葉しか浮かばなかったので……」

 やめてくれ、と思わず心の中で綱吉は突っ込む。
 いい年して、言うに事欠いて「好きです」だなんて、中学生の告白ではあるまいし。
 大人なのだから、言葉にしなくても分かるだろうと流すとか、或いは、もう少し遠回しで洗練された表現を使うとか、想いを伝えるにしたってやり方があるだろう。
 はっきり言って、どれほど突っ込んでも突っ込み足りない。
 なのに、こんな稚拙で不器用な告白が。

 ───嬉しい、なんて。

 馬鹿みたいだ、と思った。
 昨日からずっとぐるぐると考えて、その前もずっとぐるぐると考え続けていたのに、こんな簡単な言葉一つで片付けられてしまう。
 けれど、好きだと言われて浮かぶ言葉など、一つしかない。

「……ありがとう。俺も、君が好きだよ」

 昨日までの想いは、きっと恋だった。
 けれど、昨日からの想いも、間違いなく恋だった。
 昨日までは、諦めながら、叶わないと思いながらの狡い恋。
 昨日からは、正面から相手と向き合った恋。
 違いといえば、それだけのことだ。だが、決定的に違う。
 だから、名前をつけるのに戸惑った。
 これも恋のはずと思いながら、それまで知っていた恋とは決定的に違う何かに、恋と呼ぶことを躊躇わずにはいられなかった。
 けれど、恋は恋だ。
 何と呼ぼうと、目の前の相手が愛しいことには変わりない。

 驚きに目を見開いている相手に、綱吉はゆっくりと歩み寄る。
 なにその顔、と言いたかった。
 好きでもない相手と自分がキスをし、抱かれたとでも思っていたのだろうか。そんなわけがない。いくら出来損ないでも、ドン・ボンゴレがそんなに安いはずがない。
 好きなところをまた一つ見つけた、と思った。
 不器用に加えて、彼は馬鹿で鈍感だ。
 自分が愛されているなんて、これっぽっちも思っていない。
 なんて、愛おしい。

「隼人」
「──はい」

 あと少しで体が触れ合うほどの距離まで近づいて、ことんと彼の肩に顔を伏せる。
 ふわりと煙草と香水の入り混じった、甘いのにどこかほろ苦い香りが綱吉を包み込む。
 ───この先、綱吉が綱吉である限り。
 ドン・ボンゴレであり続ける限り、綱吉は自分の生き方を変えられない。
 支配下にある住民を苦しみから救い上げる一方で、刃向かう者は容赦なく叩き潰す。それは、ボンゴレ十世であることを選んだ時から綱吉に課せられた、血の業だ。
 そして、そんな綱吉の生き方は、時には、隼人までをも苦しめるだろう。優しいこの男は、きっと綱吉の苦しみや哀しみまで理解しようとし、共に背負うことを望む。
 だが、それでもいいと隼人は言ってくれるような気がした。
 それは、綱吉の勝手な願望、あるいは幻想であるかもしれない。
 けれど。
 隼人の両腕が少し躊躇った後、そっと綱吉を抱き締める。
 綱吉が隼人の背を抱き返すと、抱き締める腕の力が強くなった。

「ずっと、傍にいて」
「はい」

 目を閉じながら、ずっと言いたくても言えなかった言葉を声にすると、何の躊躇いもなく承諾の言葉が返る。
 その確かな響きに。
 優しい温もりと彼の香りに包まれたまま、綱吉はほんの少しだけ泣いた。

End.

製作BGM:
 DAUGHTRY 『LEAVE THIS TOWN』
First Inspiration:
 BON JOVI 「BELLS OF FREEDOM」 from 『HAVE A NICE DAY』
Title by:
 BON JOVI 「I am.」 from 『HAVE A NICE DAY』

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