「でも、今回は最後通牒のつもりで厳しく言っておきましたから、多分、大丈夫でしょう。アンジェリカも、今度父親がニコラのことで何か言ったら駆け落ちしてやると言ってましたし」
「あー、彼女ならやるよ。絶対に」
 黒髪碧眼の燃え上がる炎のような美女の怒り顔を思い浮かべたのか、綱吉は小さく苦笑する。
「でも、これまでは何と言われようと駆け落ちは我慢してたんだから、アンジェリカもえらいよね。やっぱりお父さんには祝福して欲しいんだよ」
「ええ。俺が見たところ、ドン・カルロも意地になってるだけですよ。ニコラは抗争現場で役に立たないだけで、それ以外の場所では十分に有能な奴だってことは、タコ親父も分かってるんです。今日のことで、いい加減諦めてくれればいいんですが」
「そうだね。皆で幸せになってくれるといいよね」
 ふふ、と綱吉は笑った。
 そうして、ゆっくりとチョコラータのカップを傾ける。その横顔のやわらかく澄んだ綺麗さに獄寺が見惚れていると、給仕が寄ってきて、カフェ・コレットのカップを獄寺の前に置いた。
 砂糖を加えて、蒸留酒の甘いアルコールの香りが立ち昇るエスプレッソを一息に飲み干す。
 そしてカップをソーサーに戻すと、綱吉が頬杖をついたまま自分を見つめていた。
「沢田さん?」
「うん」
 何か?という問いを込めて名を呼ぶと、綱吉は微笑む。
 そして、あっさりと告げた。
「隼人はモテるなーと思ってただけ」
「はぁ!?」
 エスプレッソを飲んでいる最中でなくて良かった、と反射的に思う。口の中に何かを含んでいたら、間違いなく噴いていただろう。
「な、なんでそんな……」
「だって、婿養子に欲しいって話も、ドン・カルロが最初じゃないだろ。俺がイタリアに来てからこの七年の間に、五、六回はあったよ。山本や了平さんも同じだけど、幹部としての引き抜きの話だって、しょっちゅうだろ? 俺に知らせてないだけで」
「──そういうのは、モテるとは言いませんよ……」
「そう? でも皆が君を欲しがってるのは間違いないだろ」
「それを言うのなら、沢田さんの方がよっぽどでしょう」
 少しばかり渋い顔で、獄寺は反論した。
 綱吉の元に届けられる縁談やラブレターの数を、最も正確に把握しているのは獄寺である。綱吉がそれらを一顧だにしないことも分かっているが、それを口にする気分は、やはり多少複雑だった。
 だが、綱吉はしれっとした顔で応じる。
「でも、俺はもう結婚してるもん」
「っ!!」
 今度こそ本当に噴いた。
 顔がかっと赤くなるのを獄寺は自覚する。思わず片手で口元を覆った獄寺を、綱吉はひどく楽しそうな顔で眺めやった。
「自分でこの指輪を贈っておいて、どうして今更そんな反応するかなー。それともこの指輪はそういう意味じゃなかった?」
 綱吉の右人差し指の細い指先が、同じように細い左手の薬指に嵌まった金と紅玉の指輪に触れる。
「君がこの指に嵌めてくれたんだよ?」
「……そりゃあ、勿論そういう意味ですけど」
「けど? 何?」
「……お願いですから、俺で遊ぶのはやめて下さい、綱吉さん。心臓に悪すぎますから。頼みます」
 顔を赤くしたまま、獄寺は早々に白旗を上げる。本当にたまったものではなかった。この調子ではそのうち、公衆の面前でカフェの椅子から転げ落ちかねない。
「なんだ、もう降参しちゃうの?」
「俺は昔っから、あなたには降参しっぱなしですよ。御存知でしょう」
「そーだねー」
 くすくすと笑う綱吉の顔は、悪戯っぽくて、いつもの綺麗さよりもかつてのような可愛らしさが勝っている。
 先程から一方的に打ちのめされている獄寺だったが、最愛の人のこんな表情が見られるのなら、それでもいいか、と思わず思ってしまうほどに、今日の綱吉は寛ぎ、楽しそうだった。
「でも、どうされたんですか? 今日はすごく御機嫌が良さそうですけど」
「あれ、理由分かんない?」
 質問に質問で返されて、獄寺は考える。
 今日は綱吉も獄寺も、いつになくのんびりしたスケジュールだった。ここ最近の多忙を埋め合わせるためであるが、それぞれ一件ずつ午前中に用が入っていた以外は、午後は二人揃って完全なオフとなっている。
 そして、午前中の用事がどちらもパレルモ市内でのことであったから、待ち合わせ場所として、この市場の外れのカフェを選んだのだ。
 家族間の揉め事に巻き込まれた獄寺よりも、新任の州知事を表敬訪問するだけというだけの単純な用事だった綱吉は一足早く、このカフェへやってきて獄寺を待っていた。
 それだけのことであり、朝、ボンゴレの総本部で別れてから今まで、綱吉の方に特に何かが起きた様子もない。
 そうすると、心当たりは一つだけだった。
「午後からの完全オフ、ですか?」
「んー。五十点」
 辛い点数に、半分足りないと言われて、獄寺はまた考える。
 答えに足りなかったもの。それは。
「……俺との完全オフ、ですか……?」
「そう。今度は百点。そんなに自信無さそうに答えないでよ、今更」
 綱吉は微苦笑しつつ満点をくれたが、けれど、というのが獄寺の正直な気持ちだった。
 愛されていることは知っているし、大切にされていることも分かっている。だが、自分と過ごす午後をこんな風に浮かれるほど楽しみにしていてもらえると自惚れるのは、また別の話だった。
 綱吉は身内全体を大切に考える人間だし、ファミリー内外の多くの人間が彼を慕い、愛している。そんな人に特別に想われるというのは、今でもおこがましいような気分が時折ぬぐえないのだ。
 だが、綱吉が獄寺のそんな内心を知れば、自惚れでも何でもないと、またいつもの調子で怒るだろう。
 最愛の人にそれほどまでに愛されているということは、信じられないほどに尊いこと……何にも代えがたい宝石のように獄寺には思えてならなかった。
 そんな獄寺の思いを表情から読み取ったのか、見つめていた綱吉がふっとやわらかく微笑む。そして、優しい声で獄寺の名前を呼んだ。
「ねえ、隼人」
「はい」
「不安になったらね、その指輪を見て。それから、この俺のしてる指輪も」
 その指輪、と指差されて獄寺は自分の左手の薬指を見る。
 重厚な細工のプラチナにオレンジダイヤを嵌め込んだ指輪は、二十歳のクリスマスに綱吉から贈られたもの。
 そして、綱吉の指に輝く、精緻な細工を凝らしたアンティーク調の金に極上のルビーを嵌め込んだ指輪は、綱吉の二十歳の誕生日に獄寺が贈ったもの。
 形や素材こそ違えど、これが二人の心を繋ぐ大切な証だった。
「言ったよね、俺は一生、この指輪を外さないって。だから、もっと自惚れていいんだよ。君が俺を想ってくれているのと同じくらい、俺も君を想ってる。それは絶対に本当だから」
 そう言い、獄寺を見つめる綱吉の瞳は、惜しみなく降り注ぐ春の日差しを思わせる、透明で温かな色に輝いていて。
 胸に込み上げるものに耐え切れず、獄寺はぐっと拳を握り締める。
「……ここが綱吉さんか俺の部屋じゃないのが、滅茶苦茶悔しいです」
 二人だけのプライベートな空間なら、迷わず抱き締め、愛の言葉を告げて口接けていたのに。そして、そのままベッドになだれ込んでいたのに。
 屋外の、それもカフェのテーブルでは露骨な愛の言葉をささやくこともできない。
 喜びと欲求不満のジレンマに獄寺が歯噛みすると、綱吉も、同感、と笑った。
「それじゃ、これ以上欲求不満にならないうちに行こうか」
「はい」
 立ち上がった綱吉に合わせて獄寺も席を立ち、椅子の背にかけてあった綱吉のコートを手にとって肩に羽織らせる。
「ありがと」
 軽く礼を言ってから、スーツの内ポケットに手を突っ込み、小銭を出そうとする綱吉を獄寺は押しとどめた。たかがカフェのコーヒー代ではあるが、綱吉には一ユーロたりとも払わせる気はない。
 綱吉も、今更そんなことで押し問答をする気は起きなかったのか、あっさりと小銭入れを内ポケットに戻した。
「それじゃ、向こうの通りに車を停めてありますから」
「うん」
 パレルモの市内にスクラップ寸前ならともかく、見た目が並以上に綺麗な車を路駐しておいて無事であることを祈るのは、どんなに信心深い人間であったとしても厚かましい行為である。
 洗礼を受けていても実質は無神論者であり、かつ合理主義者の獄寺は、道端に居た悪ガキ二人を捕まえて、それぞれに十ユーロを渡し、自分が戻ってくるまで車が無事だったら、更に同額の報酬を渡すと約束してあった。
 あの少年二人がきちんと報酬分の役目を果たしていればいいが、そうでなかったらどうしてやろうかと考えながら、獄寺は肩に春の日差しを受けながら、綱吉の歩調に合わせてゆっくりと石畳の道を歩いた。

end.

もう少し早く書きたかった春ネタ。
昨日のSCCに来て下さった、全ての方に捧げます(^_^)
2009.05.05.

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