「……ふーん。やっぱり裏があったんだ」
「ええ。馬鹿な地主が借金で首が回らなくなって、パッツィの口車に乗っただけのようです。パッツィがあの島で何をしようとしてたかまでは現時点では判明してませんが、おそらくは武器か薬じゃないかと」
「だろうね。あの島は船でミラッツオから二時間、ナポリまで五時間ちょっとで行けるんだから。工場から商品が積み出されるのは当たり前だし、ちょっとしたものを運ぶにはちょうどいいもんね」
「ちょっとした加工をするのにも、ですよ。海岸沿いの工場で、昼間働くのは女子供や年寄りで夜は無人。集落は山を一つ越えた内陸部ですから、夜間に何をしていようと住民は気付かないでしょう」
「本島の海岸線は殆どうちの監視下にあるんだから、当然の目の着けどころだし、良くある手口だけど、うち相手にそれが通ると考える連中がまだいるなんて、ちょっと驚きだよ。去年のスキアヴォーニの事件って、そんなに伝わらなかったのかな」
「そんなことはないですよ。ボンゴレが敵対ファミリーを完全に潰すのは珍しいことですから、並のファミリーなら去年の今年で、ボンゴレを甘く見るような馬鹿な真似はしないでしょう」
「つまり、パッツィは並じゃなかったってことだね」
 綱吉は肩をすくめ、それで、と獄寺を見上げた。
「問題の工場用地は、うちで買い取った?」
「ええ。今、登記中です。元の地主もファビオに詰め寄られた時、借金さえ返せればいいって洗いざらい話したそうですから、まあ無罪放免でいいでしょう」
「そうだね。ファビオに詰め寄られたら、大抵の人間は悔い改めようと思うだろうし」
 獄寺の側近の一人であるファビオは、年齢は三十代半ばで黒髪黒目、そして顔の左半面には歴戦の海賊のような大きな傷跡がある。
 顔立ちそのものや眼光も鋭く、子供が間近で見たら八十パーセントの確率で泣き出す強面(こわもて)の男だった。
「じゃあ、これでパッツィの悪巧みは潰れて、島にはボンゴレの出資で新しい工場ができる、と。内部に裏切り者がいたわけじゃないし、もう問題なさそうだね。一件落着でいいかな」
「はい」
 獄寺はうなずき、報告が完了した証に手にしていたファイルを閉じる。
 それを見届けて、綱吉は獄寺を手招いた。
 そして自分も立ち上がり、一歩二歩、獄寺に近付く。
「お疲れさま、隼人。それから、ありがとう」
 そう言いながら目の前に立った獄寺の眼鏡に手をかけ、そっと外す。
 昔から遠視気味だった獄寺は、デスクワークの時だけ眼鏡をかけるのだが、綱吉は実はこっそりと彼の眼鏡をかけた姿が好きだった。
 特に厄介な仕事を抱えて残業している時の獄寺は、少し乱れた髪にくわえ煙草、スーツの上着を脱いでネクタイとシャツの襟元を緩め、険しい光を浮かべた銀緑の瞳を眼鏡の向こうで光らせていて、本人が傍目にどう見えるかを完全に気にしていないからこその魅力に、綱吉はいつも心臓を撃ち抜かれるような気がするのである。
 ただ、あまりにもマニアックというかフェチズムのような気がして、獄寺本人には言ったことはないのだが。
「十代目」
 綱吉が外した眼鏡を執務卓に置き、獄寺を見上げると、待っていたように獄寺の腕が綱吉の背に回る。
 ぎゅっと抱き締めてから少し腕を緩め、愛おしくてたまらないというような瞳で綱吉を見つめた。
 その瞳を微笑んで見つめ返しながら、綱吉は右手を上げてそっと獄寺の顔に触れる。
 ―――眉間の皺も、凶悪な目つきもない、別人のような表情。
 相手が民間人であろうと、女子供であろうと、獄寺が綱吉の前以外で険しい表情を崩すことはまずない。
 獄寺が容姿の割りに、綱吉と共にイタリアに渡ってから殆ど女性にモテなくなったのは、ほぼ間違いなく普段の凶悪な表情のせいだった。
 初対面の相手に対するあまりの目つきの悪さゆえに、そればかりが印象に残り、本来の顔立ちの良さに気付かれないのである。
 加えて、シチリア男は本土のイタリア男とはかなり気質が違い、寡黙で頑固でお世辞の一つも言えない昔かたぎな人間が多いのだが、獄寺はそれに輪をかけてねじ曲げた性格で、女性に褒め言葉を使うことは決してないため、根本的にイタリア女性にモテる要素がないのだ。
 そんな状況下で例外的に言い寄ってくる女性は、ほぼ百パーセントの確率で、綱吉が傍に居る時の獄寺か、プライベートで綱吉のことを考えている時の獄寺を目にしている。
 そして彼女たちは、その献身的かつ盲目的な愛情にあふれたまなざしを勘違いするのだ。――自分に恋したら、この美しい男はこんなまなざしで自分を見てくれる、と。
「隼人……」
 くすりと笑みを零しながら、綱吉は伸び上がって獄寺の唇に軽く口接ける。
 自分でも性格が悪いとは思うものの、湧き上がる優越感はどうしようもなかった。
 獄寺が真実笑うのも、くつろぐのも、自分の前でだけ。それをどうして喜ばずにいられようか。
 自分もまた獄寺を焦がれ死にそうなくらいに愛しているからこそ、誰に対しても強い警戒心を解かない男の無防備な素顔と愛情が、いっそう愛おしい。
 だから、綱吉はいっそう優しく獄寺を抱き締める。
「愛してる、隼人」
「俺も愛してます」
 即座に愛の言葉が返り、やわらかなキスが降ってくる。
 ファミリーの内外から『ボンゴレの盾』として凶名高い男なのに、キスはとろけそうに甘く、優しくて熱い。
 触れあった箇所から生まれ、全身に広がってゆくものは紛れもなく、愛し愛される喜びだった。
 ゆっくりとキスを終えて離れながら、綱吉は湧き上がる幸福感に微笑む。
 と、獄寺にぎゅっと抱きつかれた。
「隼人?」
「大好きです、綱吉さん」
「うん? 俺も大好きだけど?」
 答えながら、どうしたの?、と綱吉は獄寺の背を撫でる。
 好きです大好きです愛してますと繰り返す獄寺の声は、悲痛な響きは微塵もない。それどころか、うんと幸せそうだった。
 だから、綱吉も心配はせずに、獄寺の声に一つ一つ、うんとうなずく。
 こんな風に感極まったように獄寺が愛の言葉を繰り返すのは、それほど珍しいことではない。
 今も何がスイッチだったのかは分からないが、きっと獄寺の中にも、綱吉が先程から感じているものと同じような喜びと幸福が湧き上がっているのだろう。それが言葉として溢れ出ているのだ。
 だから、それを一身に浴びている綱吉も、うんと幸せな気分で獄寺を抱き締める。
「綱吉さん」
「うん」
「俺の、綱吉さん」
 想いの極まった声で、獄寺がそうささやく。
 そうして腕を緩め、顔を上げた獄寺は両手を上げて、綱吉の顔をそっと包み込んだ。
 獄寺の美しい銀緑色の瞳が、優しい優しい光を浮かべて綱吉を見つめる。
 そこに映る自分の姿を見たとき、綱吉は獄寺を揺り動かしたスイッチが何であるのかに不意に思い至った。
 ―――獄寺が、誰にも見せない顔で綱吉を見つめるように、綱吉も、獄寺にしか見せない顔で彼を見つめている。
 自分は獄寺とは違い、良く笑う方だが、他の連中がいる時に浮かぶ笑顔と、二人きりの時に獄寺に見せる笑顔が全く違う自覚はある。
 プライベートで獄寺を見つめる瞳が、他の誰を見るまなざしとも全く違っていることも。
 表情やまなざしだけでなく、獄寺にしかこんな風には触れさせないし、キスもしない。
 獄寺だけだ。全て、何もかも。
 そして、そのことは獄寺も知っている。
 そう気付いて、綱吉はふわりと笑った。
「綱吉さん?」
 きっとそれはひどく幸せそうな微笑みだったのだろう。獄寺が優しい声で、意味を問うように名前を呼ぶ。
 だから、答えの代わりに綱吉も彼の名前を呼んだ。
「隼人」
「はい」
「今日の仕事はもう終わり?」
「はい。さっきの報告で最後です」
「俺の今日の仕事も、あれで終わり。じゃあ、帰ろうか」
「はい」
 綱吉の提案に、獄寺も綺麗な笑みを見せてうなずき、もう一度二人は、触れるだけの軽いキスを交わす。
 そして、二人で綱吉の執務卓の上を簡単に整えてから、明かりを消し、その部屋を後にした。

end.

獄寺は、外に対してはツンツン、十代目に対してはデレデレのツンデレだと思います。
……それってツンデレって言うのでしょうか?

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