Five-seveN 14

 獄寺が、俺のマンションに寄っていきませんかと綱吉に声をかけたのは、シチリアへ戻ってゆくファビオとルカを見送った横顔に何かが見えたような気がしたからだった。
 それは単なる光線の加減だったかもしれないし、師走が近づいて急に冷たくなった風のせいだったかもしれない。
 だが、綱吉は獄寺の提案に一つまばたきしてから、微笑んでうなずいた。


「すみません、エアコン切ってあって……すぐに温かくなりますから」
「いいよ、大丈夫」
 夕暮れ時の室内は、風がないだけで気温は室外と大差ない。
 不手際を詫びた獄寺に綱吉は笑って首を横に振り、慣れた様子でリビングのソファーに腰を下ろした。
「何か温かいものを用意しますね」
「うん。……コーヒー飲みたいかな。久しぶりに、君の入れてくれたやつ」
「はい、すぐに」
 リクエストを受けて、直ぐに獄寺はキッチンにあるエスプレッソマシーンのスイッチを入れる。
 家庭用マシーンのチェルデは、バールにある業務用マシーンに比べると明らかに圧力不足だが、それでも工夫をすればまずまずの味が出る。
 手早く、だが丁寧に獄寺はエスプレッソを抽出し、温めた牛乳を加えてカフェ・ラッテにした。
 ラッテにしろというリクエストは聞いていないが、何となく今日はエスプレッソをそのまま出す気にはなれなかったのだ。
 綱吉用に置いてあるシンプルでやわらかなフォルムのマグカップと、自分のマグカップを持ってリビングに戻ると、綱吉は何をするでもなく、先程ソファーに腰を下ろしたときの姿勢のままで、ぼんやりと物思いにふけっているようだった。
「お待たせしました」
「ありがと。……カフェ・ラッテにしてくれたんだ」
「はい、何となく気分で。エスプレッソかマッキアートの方が良かったですか?」
「ううん。これがいいよ」
「……ありがとうございます」
 これでいい、とは言わずに、これがいいと言ってくれる。
 そんな何気ない言葉の選び方が、いつも獄寺の心を温めてくれる。
 対して、自分の存在は綱吉に何を与えられているのだろうかと思わずにはいられない。
 だが、今は言うべき言葉も見つからず、ただ黙って、一人分の間隔を空けてソファーに腰を下ろし、相手の体温を聞くようにマグカップを静かに傾けた。
 思えば、こんな風に二人きりになるのも久しぶりだった。
 秋前までは毎週土曜日はイタリア語の勉強を兼ねて、ほぼ完全に二人で時間を過ごしていたが、十月下旬からはそこに山本も加わり、中学生時代から変わらぬ顔ぶれの三人で過ごすか、あるいは沢田家や地下訓練場でリボーンや他の面々を加えて過ごす時間が殆どだった。
 もちろん綱吉と学校まで同じなのは獄寺だけであり、登下校中や教室ではいつも二人一緒だが、そういういわば公の場で行動を共にするのと、こうして他に誰もいないプライベートな空間で二人で居るのとでは、まったく気分も意味合いも違う。
 二人きりになったところで、ボスと右腕という関係が崩れるわけではなく、本当に一番言いたいことを口にできるわけでもない。
 それでも、獄寺は二人きりになれる時間をかけがえのないものとして大切に思っていたし、それは綱吉も同じだろうと思われた。
「……もうすぐ今年も終わりだね」
「そうですね」
 明後日はもうクリスマスだった。
 ファビオとルカとの訓練が今日までだったのも、クリスマスには家に帰してやろうという気遣いが、九代目からかリボーンからか、当初から織り込まれていたのに違いない。
 マフィアだろうが何だろうが、カソリックが大半を占めるイタリア人にとってクリスマスは最重要な祝祭日の一つなのである。
 彼らにクリスマスを共に過ごす家族があるのかどうかを聞く機会はなかったが、たとえ家族がいなくてもファミリーがいる。
 ヴァリアーがクリスマスをまともに祝うかどうかは疑問ではあるものの、それでも生死の境目を共に生きる同胞たちと過ごす聖誕祭は、とりわけても格別なものだろうと思われた。
「今年も色々あったね」
「はい。……来年もきっと、色々あります」
「うん」
 綱吉は、両手で包み込むようにマグカップを持ったまま、獄寺の方を見ずに話をしていた。
 その静かな横顔は、やはり照明の加減なのか、どこか血の気が薄く見える。
 だが、先程までの訓練場での動きを見ている限り、体調が悪いとは思えなかったから、何かしらの心労が彼の内に溜まっているのだろうと獄寺は見当をつけた。
 これまでも、いっそ全てを諦めて命を手放してしまった方が楽だと思えるようなプレッシャーを幾度も乗り越えてきた綱吉ではあるが、春を目前にして今現在、感じている重圧はそれらの比ではないだろう。
 加えて、秋口からの拳銃とナイフに関する教練に関するストレスも、武器どころか戦闘そのものを好んでいない彼が感じていないはずがない。
 今日、ナイフ戦闘の最後の仕上げとして、ヴァリアーの手錬れであるファビオとルカを完璧に圧倒したことでさえ、彼の気性からすれば、多少の安堵はあったとしても喜べるようなことではないに違いなかった。
 それでも、彼はやり遂げなければならないのだ。拳銃の扱いをマスターすることも、凶器を手にした敵を確実に捌くことも。
 そして、暗黒世界に冠たるボンゴレの次期当主として最強であることを求められていることを彼自身も知っているからこそ、愚痴らしい愚痴は殆ど零さず、リボーンの課す数多くの教練を一つ一つこなし続けている。
 そんな綱吉が戦う姿も、全てを守ろうとする横顔も、獄寺からしてみれば、比べるものもないほどに美しかった。
 けれど。
「──十代目」
「何?」
「大丈夫ですか?」
 気遣うような響きは、敢えて込めなかった。
 おろおろと意味無く心配するばかりだったのは、ボンゴレ十代目の信頼を預かる以前の自分の役どころであり、今の自分の役目ではない。
 確認の下に叱咤と、必要ならば俺が支えますという明確な意思をひそめた獄寺の言葉を聞き分けたのだろう。
 獄寺の横顔を見つめた綱吉は、静かに微笑んで視線をマグカップに戻す。
「大丈夫だよ」
 そして、一口カフェ・ラッテを飲んで、獄寺を見ないまま言った。
「君が居てくれて……良かった」
「──はい」
「ずっと感謝してる。それは、本当だから」
「はい。……俺もです、十代目」
「うん」
 綱吉もうなずき。
 そのまま二人は、それぞれのマグカップが空になるまで、もう何も言わなかった。

End.

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