「な……!」
 見上げた青空にたなびく黒煙。
 それはまぎれもなく、昨日かろうじて撃墜をまぬがれ、不時着したはずの西方軍の戦闘飛行機。
「まだ動けたのか……!?」
 パイロットの戦闘薬の効果は、おそらくもう切れているはずなのに。
 友軍の元へ帰還することでなく、空を飛ぶという発狂しそうな恐怖を感受してまで玉砕することを望んだのか。
 ……否、既に発狂しているのかもしれない。
 戦闘飛行機のパイロットに使用されていた薬物は、使い続ければ精神を破壊してしまうほどに強いものだった。
「楊ゼン、すぐに司令官に報告せよ!」
 凄まじい勢いで戦闘飛行機はシュクリス基地へと接近してくる。
 戦勝に浮かれていた基地は、緊急事態に対処するだけの能力があるかどうか。
 背筋が冷えるのを感じながら、楊ゼンはガーディアンの命に従って駆け出す。
 最後、屋上からドアへ入る瞬間、淡くきらめく翼が広がるのが視界の端に見えた。






 戦闘飛行機のスピードは尋常ではなかった。
 満身創痍で黒煙を上げながら、これまでに対戦したどの時より機敏に、致命傷となるはずのこちらの攻撃を避ける。
 近距離で見てみれば、すでに銃座さえもぎとられているというのに。
 身一つで、基地に突っ込もうとしているのだ。
 ───この距離では……!
 動力炉に被弾して機体が爆発したら、基地にまで被害が及びかねない。
 だが、手加減できる状況でもない。
 基地の酔っ払いたちは既に事態に気づき、避難を始めているだろうか、と思いつつ、伏羲は変形させた左手から迫撃砲を撃ち込む。
 が、それさえもわずかに機体をひねり、戦闘飛行機は致命傷となることを避けた。
 その動きに目をみはり、もしかしたら、と考える。
 戦闘薬の常用が、パイロットが潜在的に持っていた尋常ならざる力を引き出したのだろうか。
 まるで、身体型の稀人のような機敏さ、勘の鋭さは、そうとでも考えなければ理解できない。
 ───おぬし自身に何の罪があったわけでもないのにな……。
 それでも、味方に危害を加えるものは、決して許すわけにはいかない。
 狙い定めて、機銃掃射すると尾翼の一部が折れ、音を立てて機体が炎に包まれる。
 だが。
 次の瞬間、目を疑う。
「な……!?」
 それでも墜落することもなく。
 まるで奇跡のように、燃え上がる機体は基地へと突っ込んでゆく。
 まるで、パイロットの魂を糧としているかのように。
 何の迷いもなく。
 シュクリスに、墜ちる。
 ───間に合わない……!
 あらゆる機械の動力として使用されている核石は、ほんの小指の先ほどのひとかけらでも、すさまじいエネルギーを持つ。
 戦闘飛行機に使用されている核石が爆発したら、この基地ひとつくらいは吹き飛んでしまう。
「駄目だ……!!」
 死なせてはいけないと。
 ガーディアンの本能が悲鳴を上げる。





 その瞬間。






「え……」
 ガーディアンの攻撃を受けて火だるまになった戦闘飛行機が、それでもなお墜落することも空中爆発することもなく突っ込んでくるのを見て、一気に酔いの覚めた兵士たちが恐慌状態で、我先にとやみくもに基地の中を走り出した瞬間。
 ふいに、接近していた戦闘飛行機の発する爆音が遠くなった。
「あ……?」
 窓を振り返り、立ち止まった兵士につられて、一人、また一人と連鎖的に立ち止まる。
 その誰もが一様に、ぽかんと口を開けて窓の外を見つめたまま、動けなくなる。
「あれは……」
 呟きは、どこかひどく遠くから聞こえた爆発音にまぎれて、誰の耳にも届かない。
 そのまま奇妙な静寂が満ちて。

 兵士たちを我に返らせたのは、かすかな優しい響きの音だった。

 基地の窓の外一面に広がり、視界をさえぎっていた透明に近い半透明の、ごくごく淡い青を主体とした優しい虹色にきらめくものに、ひびがはいってゆく。
 ぴしり、ぴしりと小さな音を立てながら。
 しゃらしゃらとひそやかな音を立てながら、薄い貝殻のような美しいものが壊れ、崩れててゆく。
「ガーディアン……」
 呆然と呟いた誰かの言葉に、ざわめきがさざなみのように広がる。
 そして、誰からともなく兵士たちは基地の表へと歩き出した。




 基地の前面は無残な状態だった。
 戦闘飛行機の機体が爆発四散し、黒焦げになった破片が一面に散らばっており、防御壁も一部が崩れている。
 だが、基地の建物そのものは完全に無傷で、その壁際には、淡くきらめく硝子のような破片がいっぱいに積もっていた。
 何が起きたのか、誰も口に出さずとも理解しており、誰もが基地を……自分たちの生命を守ってくれた存在を探していた。
 どこかまだ夢を見ているかのように遠く感じる不安を胸に抱いて、彼らは沈黙したまま周辺を見渡す。
 やがて。
 一人の士官が防御壁の向こうに広がる荒野へ踏み出したのを見て、兵士たちはその後へと続く。
 非常時である以上、基地の外へ出るのは許可が要るのだが、誰ひとりそんな規則を思い出しはしなかった。

*     *

 彼に命じられて司令官の元へ行った後、冷凍肉のように転がる部下たちを蹴り起こしながらシェルターへ逃げるように呼びかけつつ、窓の外で繰り広げられる光景を見つめていた。
 だから、自分は分かっていたのかもしれない、と思う。
 戦闘飛行機のパイロットの意思──それは絶望だったのか怒りだったのか、哀しみだったのか、そんなことは分かりはしないが、それを食い止めるために、彼が身体を呈することを予想してはいなかったか。

 渇いた大地に横たわった小さな身体は、まるで人形のようだった。

 限界までその能力を使い切った有機金属は、既に端の方から薄黄色を帯びた灰色に変色し始めており、石膏でできた像のようにひびの入った細い手は、指先が欠けていた。
 大地に膝をつき、汚れた頬に散っている黒髪にそっと指を触れると、まだやわらかさを残した髪は、つい先ほどまで風になびいていたのと同じようにさらさらと流れた。
 けれど、指先に触れた肌は、ひやりと冷たくこわばっていて。
 既に温もりを失っていた。
 血がにじむほどに唇を噛みしめて、やわらかさを失いつつある身体を地面から抱き上げる。
 小さな身体は、思っていたよりもずっと軽かった。


「───呂望……っ」


 兵士たちが遠巻きに見守る中、その身体を強く強く抱きしめて。


 あの日以来、呼べなかった名前を、楊ゼンは血を吐くような声で呼んだ。



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