DAY DREAM
-Honeyed Proposal- 02

「熱いから気をつけろよ」
「うん」
 うなずいて受取った湯呑みは、柄違いのお揃いだった。夫婦用ではないからサイズは変わらないが、一見ペアであることには変わりない。
 正直なことを言うと、これを買う時、臨也はかなり迷った。
 渋い色の地も、さりげなく筆書きされた柄も一目で気に入ったものの、しかし、お揃いである。
 恋人同士が新生活を始めるのに、お揃いの小物を買ってはならないという決まりはない。むしろ、(そんな統計結果があるとは思えないが)世間のカップルは、お揃いの物を買う方が多い可能性だってある。
 しかし、だからといって自分たちの使う小物について、そういうベタな真似をするのはどうだろう、と一瞬、臨也は躊躇してしまったのだ。
 第一、住居全般についてのセレクトを任せてくれたとはいえ、静雄がお揃いの小物を喜ぶかどうかが分からなかった。
 女々しいと呆れられるのではないかという気もしたし、一方で、ベタで単細胞な思考回路を持つ静雄のことだから、単純に嬉しがるのではないかという気もして、簡単には結論が出せなかった。
 そして迷った挙句、臨也は一つ、テストをしてみたのである。
 湯呑みは取置きを頼んでおいて、それを買う前に、もっと他愛なく色違いでもおかしくない日用品──具体的に言えば、スリッパを用意してみたのだ。
 自分用にはダークグレー、静雄用にはネイビーのスリッパを買って、「色違いになっちゃったけどいいかな」とさりげなく尋ねてみれば、静雄の答えは、「別にいいんじゃねぇ? てか、わざわざ違う形や柄のもん探す必要もねぇだろ」とあっさりしたものだった。
 その答えを、つまりはペアでも嫌ではないのだろうと解釈して、それならと翌日、臨也は柄違いの湯呑みを購入し、静雄の次の来訪を待った。
 そして、少しだけ胸を騒がせながら、箱書のある桐箱に入ったままだった湯呑みを取り出して見せてみれば。
 へえ、いいじゃねぇか、と嬉しげに静雄は手に取ってくれて、臨也のテンションは一気に上がったのである。
 有名な陶芸家の作品なのだとか、この渋い地の色がいいよねえとか、静雄が苦笑するくらいの勢いで喋ったその時の記憶は、何故か削除が上手くできず、困ったことに今も脳裏の片隅にちんまりと残ったままだ。
「──そもそもシズちゃん絡みの記憶って、上手く削除できないんだよねぇ」
「は?」
「あ、こっちの話。独り言だから気にしないでよ」
「そういうわけにはいかねぇだろ。俺絡みの記憶が何たらとか、不穏なこと言わなかったかお前」
 体が触れ合うくらいの距離で並んでソファーに腰を下ろしていれば、独り言であろうと相手の耳に届くのは当然だろう。
 胡乱げなまなざしを向けてきた静雄に、臨也はしかし、笑って薄い肩をすくめた。
「別に悪い意味じゃないよ。まあ、見方によっては最悪だけどさ。──シズちゃんが絡んだ記憶は、忘れたくても中々忘れられないって話」
「──忘れたいことでもあるのかよ」
「それはまあ、ねえ。色々?」
 臨也が肯定すると、静雄の眉が軽くしかめられる。その意味は、ひどく分かりやすかった。
「そんな顔しないでよ。本当に悪い意味じゃないから」
 微笑した臨也は、湯呑みをローテーブルに置いて静雄の方に半身を向ける。
「シズちゃんのことを忘れたいって言ってるわけじゃないんだ。忘れたいのはね、俺自身の行動」
「お前の?」
「そう」
 笑って臨也はうなずいた。
 そして、少しだけ目線を外して、静雄の手元でやわらかく湯気を立てているお揃いの湯呑みの片割れを見やる。
「シズちゃんが絡むと、俺、どうも平静じゃなくなることが多いからさ。認めるのは少し癪なんだけどね。どうでもいいようなことで気分がハイになったり、落ち込んだり……。俺としては、そういうらしくない言動は綺麗さっぱり忘れてしまいたいんだけど、それが中々できないんだよねって話」
 以前は、静雄絡みの記憶でも、もう少し上手くコントロールできていたように思う。
 もともと忘れようと思ったことは、引き出しの奥深くにしまってしまえるタイプだ。きっかけがあれば思い出すが、日々記憶することが多過ぎて、大抵のことは記憶層の深い部分に沈めたままになる。
 なのに、静雄に関することだけそうできないのは、毎日顔合わせるという反復行為が記憶を強めていることもあるが、それ以上に忘れたくない、全て覚えていたいという無意識が働いているせいだろう。
 強い関心を持って見聞きし、忘れまいと無意識に留めていれば、いくら表面的に『忘れよう』と決めたところで記憶が薄れるわけが無い。
 この一年もそうだったが、この先もおそらく、忘れようにも忘れられない思い出ばかりが増えてゆくのに違いなかった。
 だが、そんな臨也の思いを知ってか知らずか、静雄は釈然としなさそうな表情で口を開く。
「……別に忘れる必要なんかねぇだろ。てか、俺が覚えてたら無意味じゃねぇのか」
「いやいや、俺の気分の問題だよ。俺は右往左往してる人間を観察するのは好きだけど、自分が右往左往したいわけじゃないからさ」
「意味ねぇっての。お前が忘れたからって、無かったことにはならねぇだろうが。少なくとも、俺は忘れねーぞ」
「シズちゃんが、一発ぶん殴れば何でも忘れてくれる体質なら良かったのにねぇ」
「そんな奴、世界中探したっているかよ」
 言葉遊びのようになってきたやり取りに、臨也が別に本気で記憶を削除したいと言っているわけではないことを察したのだろう。静雄は小さく苦笑してローテーブルに湯呑みを置き、手を伸ばして臨也をひょいと抱き上げ、自分の膝の上に横抱きに乗せた。
「……何すんの」
「言っただろ、お前を可愛がり倒すってな」
「……俺は、俺の喜ぶことしてって言ったつもりだったんだけど」
「意味は変わらねぇだろ」
 そんな風に切り返して、静雄は臨也の手を取り、甲に軽く口接ける。
 さらりとしているのに、ひどく甘やかなその仕草に、もう、と臨也は拗ねたような溜息をついた。
「いつも自分の都合のいいように解釈するんだから」
「そんなことねぇだろ。たとえそうだったとしても、お前の嫌がることをした覚えはねえ」
「……まあ、嫌じゃないけどさ」
 この体勢だとシズちゃんより目線高いし、と臨也は静雄の体に完全に体重を預け、空いている方の手で静雄の金の髪を撫でる。
 少し落ち着きの悪い髪は、それでも指を通すと、さらさらとすり抜けてゆく。その感触が楽しくて、しばらくもふもふしていると、静雄が面白げな光を眼に浮かべて、こちらをじっと見つめていた。
「何?」
「楽しいか?」
「シズちゃんの髪撫でるの? 楽しいけど。なんか大型犬撫でてるみたいで」
「……そういうお前は猫だっての」
 呆れたように静雄は笑い、そして手の中に収めたままだった臨也の左手の指をやわらかく撫でる。
 何ということはない仕草ではあったが、その温かな感触に臨也の胸の奥、或いは体の奥がほのかに疼く。
 彼はこんな風な何気ないスキンシップが好きらしい、と臨也が気付いたのは、付き合い始めてから直ぐのことだ。
 髪を撫でたり頬に触れたりといったさりげない接触は頻繁にあるし、また、そうする時の静雄はひどく優しい目をしている。
 家族以外の人間と触れ合う機会の少なかった静雄にとっては、暴力を介在せずに他人に触れられることが嬉しいのだろうが、臨也としても別に悪い気はしない。むしろ、触れ合うだけのキスと同じで、とても大切にされている感じが、くすぐったくも嬉しかった。
 純粋な喜びがふんわりと胸の奥で花開いてゆくのを感じながらも、せっかくこういう体勢にあるのだから、もっと堪能しようと臨也は静雄の髪をするりと梳いて、その手を頬に滑らせる。
 臨也の知る限り、碌にスキンケアなどしていないはずなのに指先に触れる感触はなめらかで、見た目に肌理も整っている。
 これであと僅かでも外見に頓着していたら、とんだ伊達男になって女性にもモテるだろうに、その辺りの気質がとてつもなく残念クオリティーなのが平和島静雄だ。
 いつも身奇麗にしてはいるが、バーテン服にサングラスでは、怖い後ろ盾のいるバーで働いているチンピラにしか見えない。
 だからいいんだけどね、と思いつつ、臨也は静雄の澄んだ鳶色の瞳を覗き込み、微笑んだ。



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