GO TO WIN
焚き火から少し離れた岩壁の近くで、獄寺は先程から身動き一つせずに腰を下ろしている。
とはいえ、くつろいでいるわけではない。
眼光は鋭く、焚き火の向こう側の岩壁近くにいるガンマを睨み据えている。彼の一挙一同を見逃すまいとするかのように。
その姿は、油断のならない敵を見つめる獣そのものだった。
もともと獄寺は性格的に、人には容易に慣れない野生動物のようなところがある。いつか動物園で見たユキヒョウを何となく思い出しながら、綱吉はそんな獄寺の傍に歩み寄った。
「獄寺君」
「──十代目」
声をかけると、ぱっと獄寺は綱吉を振り仰ぐ。
だが、いつものような全開の笑顔にはならない。それどころか、指示を待つ部下の顔をしている。
その表情は彼らしくないようでいて、ひどく彼らしい。
ああ獄寺君だな、と思いながら、綱吉は、「隣り、いい?」と尋ねた。
「あ、はい。もちろんです」
慌てたように獄寺は、何もない地面の上を手で払ってくれる。
そのままでも全然構わないのにと思いつつも、ありがとうと告げて、綱吉は獄寺の隣に腰を下ろした。
こうして焚き火に向き合うと、改めて火のほてりを直接肌に感じる。
焚き火との距離は三メートルほども離れているのに、燃え上がる炎の熱量は大したものだった。
「獄寺君」
秋の夜風に少し冷たくなった手が温もってゆくのを感じながら、周りには聞こえないよう、低めた声でそっと綱吉は名前を呼ぶ。
今、自分たちがいるのは、丸くくぼんだ岩壁の内側だ。むき出しの岩盤は、どうしても音が反響しやすい。が、焚き火がはじける音もある。隣りに向かって小さくささやく分には、まず大丈夫そうだった。
「ガンマが気になるのは分かるけど、大丈夫だと思うよ」
そう告げると、獄寺の瞳が綱吉に真っ直ぐに向けられる。
銀を帯びた深緑の虹彩に、焚き火の炎が照り映えている。その色が綺麗だと、綱吉は思った。
「ユニがあんなに信頼してる人だし、彼もユニをすごく大事にしてるし。だから、大丈夫だよ」
今も焚き火の向こう側で、年かさの青年は幼さの残る黒髪の少女と言葉を交わし、彼女が少しでもくつろげるように気を使っている。
その横顔もまなざしもこの上なく誠実そうで、少しだけ苦しげで、悔しげにも見える。
それだけでも綱吉には、ガンマは少なくとも敵ではないと感じられた。
綱吉が、あるいはボンゴレがユニを守る限り、彼は敵には回らない。敵の敵は味方、そんな格言がぴったりと当てはまるように綱吉には思われる。
だが、
「──いいえ」
獄寺は、綱吉よりも更に低めた声で否定した。
「あいつは危険な奴です。今の状況がどうあれ、それは変わりません」
いつになくきっぱりとした返答に、綱吉は目をまばたかせる。
獄寺が綱吉に対し、こんな風に真っ向から反対意見を述べるのは、初めてと言ってもいいくらいに珍しいことだった。
「……どうして?」
獄寺が他人を否定するのは、殆ど習慣と言ってもいい日常茶飯事である。
だが、今の獄寺の言葉からは、いつものような気に食わない相手に対する敵愾心は感じられなかったし、全身から滲み出す警戒心も、何か強い根拠があってのことのように強い方向性を持っている。
それは何故なのか。
───獄寺君は、俺には見えないものを見てる。
そう直感して、綱吉は問いかけた。
「────」
すると獄寺は、言葉を選ぶように小さく身じろぎして、鋭いまなざしを焚き火の向こうに向ける。
そして、ガンマを睨みつけたまま、おもむろに低くささやいた。
「あいつはユニが一番大事で、他は兄弟以外、どうでもいい奴です。だから、たとえ俺たちがあいつと肩を並べて戦っていても、ユニを守るために必要と判断したら、平気で俺たちを攻撃するでしょうし、俺たちを囮(おとり)にすることも、見殺しすることも何とも思わねーでしょう」
「──そんなこと……」
「十代目。俺はあいつとは二度、命のやり取りをしました。だから分かるんです。……認めんのはムカつくんスけど、あいつと俺は物の考え方が似てます。よそのファミリーの命なんて、何とも思ってません。あいつにとっては俺たちの命なんざ、その辺の石ころ以下っスよ」
吐き捨てるように言った獄寺の言葉にまばたきして、綱吉は焚き火の向こうを見つめる。
視線の先で、ガンマとユニはまだ何かを話している。ガンマが言った言葉に、ユニは微笑む。にっこりと可愛らしく、少しだけ頬を染めて。
それだけでも、彼らが互いを大切に思っていることが伝わってくる。
ユニにとってガンマは、最も信頼を置く部下で、大好きな人で。
ガンマにとってユニは、最も大切な存在──ボスで、守るべき少女で。
その様子をしばらく見つめてから、綱吉は自分の隣りへとまなざしを戻す。
獄寺は、まだ彼らを見据えていた。一秒すら油断はならないと、そう言いたげな鋭い横顔で。
「────」
綱吉の視線にすら反応しない獄寺に、もしかしたら、と綱吉は考える。
獄寺の言っている事が合っているのかもしれない。
確かに、ガンマという青年は獄寺に少し似ているような気がする。ボスに対し一途なところも、ボスを守ることを至上命題としているところも。
今の獄寺というより、むしろ、一度だけ短い会話を交わした十年後の獄寺に通じるところがあるように綱吉には思われた。
一月前、たった五分間顔を合わせていただけの面影は、もう少しだけ朧(おぼろ)だ。
ただ、彼がひどく苦しげだったこと、彼自身を責め続けている悲しい目をしていたことだけは、綱吉の心に刻み込まれている。
その十年後の獄寺と、あのガンマという青年は、綱吉の中でどこか印象が重なる。
顔立ちは全く似たところがないのに、目つきや表情が、時折どきりとするくらいに似ている。
それはつまり、彼らの内面に共通する何かがあるということだ。
もしかしたら、ガンマも十年後の獄寺と同じように、大切な誰かを失くしたことがあるのではないか。あるいは、自分の力不足を死にたいほどに責めたことがあるのではないか。
もしそうだとしたら、他人に対して残酷になるのも仕方のないことであるのかもしれなかった。
十年後の獄寺も、綱吉の未来を守るために、ためらうことなく入江を殺せと言った。
ガンマもまた、同じような思いで、どんな手段をもってしてもユニを守ろうとしているのかもしれない。
それが正しいのか正しくないのかは、綱吉には分からない。
だが、責められない、と思った。
「……獄寺君」
そっと、彼が気付いてくれる程度の声量で名前を呼ぶ。
と、獄寺はこちらを振り返った。
「今は、大丈夫だよ」
綱吉を見つめる獄寺の瞳は、綺麗な綺麗な銀緑色だ。
この瞳の色だけは、十年後も変わっていなかった。ただ、今の獄寺にはそぐわないほどの、中学生の綱吉が圧倒されるほどに鋭く、悲しい光が浮かんでいただけで。
「今夜は大丈夫。もしガンマが何かするとしても、それは今じゃないよ。だって、ユニは逃げないって、夜明けと同時に戦いは始まるって言ったんだから。万が一、ガンマがユニを守るために何かするとしたら、夜が明けてからだよ」
「十代目……」
綱吉の言葉に、獄寺の表情が動いた。
ためらい、ちらりと焚き火の向こうを見やって、また綱吉に視線を戻す。
綱吉の言葉に説得力を感じながらも、警戒心を解けない。そんな葛藤がくっきりと現れた獄寺の様子に、綱吉は小さく微笑んだ。
「それよりもさ、覚えてる? 初めてここに来た時のこと……」
「あ、はい……」
獄寺がうなずくのを見てから、綱吉は上空を振り仰いだ。
岩壁と木立の影に切り取られた空は、秋空だけに星の光は少ない。だが、幾つかの星がそれでも小さく光っている。
「俺、あの時はちょっとパニックしてて、あれこれ良く分かってなかったんだけど。でも、獄寺君がいてくれたから、その程度で済んだんだと思う」
綱吉は本来、気が小さい。そればかりか、目の前の状況に対してあれこれ悪い想像して、どんどん深みにはまる泥沼タイプだ。
そんな性格をしている以上、もしこの十年後の森に一人きりで放り出され、あるいはラル・ミルチと二人きりだったら完全にパニックを起こしていただろう。いっそのこと、短気を起こしたラル・ミルチに殺されていたかもしれない。
だが、ここに着いて五分も経たないうちに、中学生の獄寺もまた転送されてきた。
異常な状況下で緊張を見せつつも、基本的にはいつもと変わらなかった獄寺に、その時、綱吉は間違いなく救われたのだ。
そう思い、綱吉は獄寺に笑みを向ける。
「ありがとう、獄寺君」
「え!? な、何がっスか!?」
「色々、全部」
綱吉が礼を言った途端、顔を赤くしてうろたえる獄寺に綱吉は笑みを深める。
ここにいるのは、いつもの獄寺だった。
一年余り前に初めて出会った日から、ずっと傍にいてくれる少年。
大事な大事な、友達。
「ねえ、獄寺君。獄寺君はいっつも、俺に言ってくれるよね。『大丈夫です』って。ここに来てからも、俺が不安になるたびに何度も言ってくれた。俺、それを聞くたびに、いつも本当に大丈夫な気分になるんだ。本当に大丈夫だって、何とかなるって思える。──だから、今度は俺が言うよ」
「大丈夫だよ、獄寺君」
「十…代目……」
驚いたように獄寺の目が瞠(みは)られる。
銀緑の虹彩に焚き火の炎が揺らめき、きらめいて。
「俺……、俺は……」
言葉を探して惑い、そのまなざしが地面に落ちる。
「俺は全然……十代目のお役に立ててなくて……。それどころか、御心配をおかけしてばっかりで……」
「そんなことないよ、全然。俺がここまでどうにか頑張ってこれたのも、君や皆がいてくれるおかげだし」
「でも……」
ゆるゆると獄寺のまなざしが上がり、もう一度綱吉を見つめた。
その目を真っ直ぐに見つめて、綱吉は繰り返し、告げる。
「本当だよ。君が居てくれて、嬉しい」
そう告げると。
獄寺の感情に素直な目が、泣き出しそうに揺れた。
それを隠そうとするかのように、獄寺はまたうつむく。
「──ありがとう、ございます。十代目」
そうとだけどうにか告げて、何かを噛み締めているかのように獄寺はしばらくの間、身動きしなかった。
やがて気を取り直したかのように顔を上げ、綱吉と目が合うと、照れたような笑みを小さく零す。
そんないつもの獄寺に、綱吉も笑顔を返した。
「夜明けまで、まだちょっとあるよね」
「そうっスね……。あと五、六時間は。夏に比べると日の出も遅くなってますし」
「じゃあ、ちょっとだけ休まない? 夜が明けたら、多分、休みたくっても休めなくなるだろうし」
「それもそうっスね」
まだ秋も中頃であり、焚き火のおかげで乾いた地面も周囲の岩盤もほんのりと温まっている。どうせ殆ど眠れないだろうが、少しでも体を休ませられるのならそれに越したことはない。
周囲を見渡せば、いつのまにか岩壁に背を預けて腰を下ろしたガンマに寄りかかるようにしてユニは目を閉じ、他の面々も、それぞれにくつろいだ姿勢で目を閉じている。決戦に備えて少しでも休養を取ろうというその姿が、今は返って頼もしい。
ならば、と綱吉は少しだけ移動し、獄寺と並ぶ形で、焚き火に足を向けて岩盤に背中を預けた。
「毛布でもあれば良かったんスけど……」
「仕方ないよ。贅沢言ってられるような状況じゃないし」
いかにも彼らしい獄寺の言葉に苦笑して、綱吉は肩の力を抜く。
「いよいよだね……」
そう呟くように言うと。
「大丈夫っスよ、十代目」
そう返されて、思わず綱吉は獄寺を見る。
と、彼は少しだけ悪戯っぽい笑顔で綱吉を見つめていた。
「やっぱり言わせて下さい。十代目に言ってもらえるのも、すっげえ嬉しいですけど、俺も、十代目に大丈夫って言うと、本当に大丈夫だって思えるんスよ。自分に言い聞かせてるようなもんなんス」
ちょっとカッコ悪いっスけど、と獄寺は照れ笑う。
そんな獄寺に、目を瞠っていた綱吉はゆっくりと表情を崩して笑った。
「ありがとう、獄寺君」
「あ、いや、御礼を言っていただくようなことじゃ……」
「ううん。ありがとう」
もう一度口にすると、獄寺は少しだけ困ったように表情をまごつかせ、それから綱吉の言葉を飲み込んで、はい、と微笑んだ。
「俺こそ、ありがとうございます」
「うん」
どうして礼を言われるのか、分かるような分からないようなだったが、何となく獄寺の気持ちは分かる気がして綱吉はうなずく。
そして、焚き火を見つめた。
「……山本もここに居たら良かったのにね。ビアンキも、クロームも、ジャンニーニも、スパナも」
スクアーロも、ディーノも、雲雀も、と数える。
全員が揃っていたとしても、それが戦略的に良いとは限らない。敵の人数が多い場合、こちらも分散して各個撃破を狙うのが常套だということくらいは、これまでの経験でさすがに綱吉にも分かる。
それでも、何となく今夜は、全員で揃いたかった。
「あいつらは大丈夫っスよ、十代目」
綱吉の思いをどこまで察したのか、獄寺はまたそう告げる。
「あいつらはしぶとい連中っスから。スクアーロだって、簡単にやられる奴じゃねーっスよ。きっとすぐに合流できます」
「……そうだね」
根拠も何もない言葉だった。だが、不思議に獄寺の言葉は、いつもまっすぐに綱吉の心に飛び込んでくる。
それは、きっと獄寺の気持ちに嘘がないからだった。
獄寺の心はいつも、真っ直ぐに綱吉に向けられている。だから、言葉も真っ直ぐに届く。綱吉にはそう思われた。
「頑張ろうね、獄寺君」
「はい、十代目」
迷いなく答える声に、心の深い部分が安堵する。
───きっと大丈夫。
不思議なほど落ち着いた気分で綱吉は心に呟き、焚き火の温もりとすぐ隣りにいる獄寺の気配を感じながら、夜明けを待つためにそっと目を閉じた。
End.
いよいよ決戦間近というところで、うまい具合にインターバルが入ってくれたので。
これまで、ツナが「大丈夫」という言葉をもらってばっかりだったので、獄寺に返してあげて欲しいな、と原作のγにガンを飛ばす獄寺を眺めているうちに思いつきました。
こっからが大変でしょうけど、皆、頑張れー。
タイトルは、B'zのちょっと昔のアルバム収録曲から。
初めてCDで聴いた時は、変な曲、と思ったのですが、GREENツアーのライブの冒頭で聴かされたらカッコ良さにぶっ飛んだ、という思い出の曲です。