星、落ちること勿(なか)れ
おそらく あの夜 空に消えた千の雨粒
私たちは 光りながら死ぬのだろうと
誰が誰に 小声で語ったのだろうか
エレベーターが止まり、扉が開く。
手にした時雨金時を無造作に右肩に預けて匣体を降りた山本は、そこに思いがけない人物を見い出して、足を止めた。
「お、どうした?」
昼食以来、数時間ぶりに顔を合わせた獄寺は、軽く腕を組んで壁に寄り掛かり、相変わらずの無愛想な表情をしている。
だが、それでも明らかに自分を待ち伏せていたらしい仲間の姿に、山本は小さく首をかしげた。
綱吉相手ならまだしも、獄寺が自分を待つ理由には一体何があるだろうか。
無論、現状が現状であるから、決戦を前に自分に話しておきたいことや確認しておきたいことは幾らでもあるだろう。
しかし、相手が話し始める前にあれこれ推測するのは好むところではなかったから、山本は黙って相手が口火を切るのを待った。
「───…今朝の」
獄寺が口を開いたのは、まるで未知との遭遇のような見つめ合いが三分も過ぎた頃だっただろうか。幸い、周囲には人気がなかったが、その様子を第三者が見たら何事かと思ったに違いない。
何しろ獄寺はいつもの無愛想で、山本もまた、笑顔未満の何の用かと尋ねるような表情をしている。
だが、常とは違い、その状態でも一触即発の雰囲気に陥っていなかったのは、ひとえに獄寺の出方によるものだった。
目つきは良くないものの、少なくとも喧嘩腰ではない。たとえ山本のような勝負師の勘が無くとも、それは少し注意深く見れば誰にでも分かったに違いなかった。
「アレ、お前のアイデアだろ」
「あれ……って、寿司のことか?」
「ああ」
少し目をそらしながら、獄寺はうなずく。
それも珍しいな、と山本は思った。
獄寺はどこか人に懐かない野良の獣のようなところがあって、犬猫の喧嘩のように相手から目をそらしたら負けだと思っている節がある。ゆえに、彼が目をそらすのは、相手に何か隠したいことがある時にほぼ限られていると言っていい。
「あれはツナが何かやりたいって言い出したんだぜ。俺は、じゃあ手巻き寿司なら美味いし、皆で楽しめるだろって提案しただけだ」
この場合、隠したいのはこいつ自身の感情かな、と思いながら山本は言葉を返す。
獄寺は性格的に様々な矛盾を持ち合わせている人間だが、感情表現が明け透けなくせに、それを読まれるのを厭がるという部分もその一つである。ここ数日の経緯を振り返ると、おそらく今もそれだろうと思われた。
「十代目が俺に気を使って下さったのは分かってる。それと、てめーとは別だ」
「そーなのか?」
「そうなんだよ」
こういう会話をするのが億劫(おっくう)だとでも言いたげに、獄寺は小さく溜息をつく。
だが、今日に限ってはよほど思うことがあるのか、この段階に至ってもまだ喧嘩腰にはならなかった。
そして、また短い沈黙を挟んでから、獄寺はまっすぐに山本へと視線を向ける。
「──気ぃ使わせて、悪かったな」
「別にそんなんじゃねーけどな」
ああ、獄寺はこれが言いたかったのかと、少しばかり嬉しくなりながら山本は笑った。
「俺もツナも、お前が気分転換できるきっかけでも作れたらいいと思っただけだぜ。礼は俺よりツナに言えよ。俺はツナが言わなきゃ、お前がまた無茶をするまで何もしないつもりだったんだからよ」
「──てめーはそういう奴だよな」
呆れたように獄寺は肩をすくめる。だが、その仕草にもいつもの刺々しさは無かった。
それを感じ取って、やっと本格的に自分を仲間と認める気になったらしい、と山本は、決して懐こうとしなかった野良猫が、やっと毛を逆立てて唸ることをやめたような嬉しさを覚える。
ここまで紆余曲折はあったが、実のところ、山本は一番最初から獄寺のことをかなり気に入っていた。
彼の熱さや裏腹な非情さ、守ると決めた相手は絶対に守り通そうとする部分は、自分と通じるものがあったし、人に対して不器用ではあるが、裏表の無い性格も信頼に値するものだった。
ただ、厳しい生い立ちゆえに獄寺は、極一部の人間を除いては他人を信用しようとせず、これまでずっと山本との間にも壁を築いており、山本としてはそれが不満でもあり、また共に戦う仲間として心配の種でもあったのだ。
しかし、ここに至って、やっとその分厚い壁を取り払う気になったらしい。
いつものように一方的に怒りだすこともせず獄寺は、山本とまともな会話を何分続けられるか試みようとでもしているかのように、感情を抑えた声で続けた。
「……姉貴とのことは、近いうちに決着つけるつもりだ。いつまでもこだわってんのも馬鹿馬鹿しいしな」
「そりゃそうかもしれねーけど……、それでお前はいいのか?」
「いいも何も、こんなことを一生引きずりたくなんかねーんだよ。だったら、今がケリのつけどころだろ。……姉貴の方も、何だか知らねーが俺に話したがってるみてーだしな」
「……かもな」
うなずきながらも、正直、山本は獄寺がここまで話をすることに驚いていた。
だが、これが獄寺が他人を信用すると決めたときの付き合い方なのだろう。不用意に胸の内を明かしはしないが、依怙地(いこじ)に内面を隠すこともしない。
自然体だな、と山本は安心する。
肩から余計な力を抜き、正面から相対する人間は、攻守共に最大の力を発揮することができる。そして容易なことでは倒れない。
今の獄寺はそれだった。
だからだろう。ここに来て以来、ずっと気にかかっていたもう一つのことを山本は口にする気になった。
「なぁ獄寺」
「あ?」
「お前さ……」
しかし、いざ言葉にしようとすると、それはひどく難しかった。
が、敵との戦いが始まってしまえば、もうこの事を持ち出す機会はなくなるだろう。いま言っておいた方がいい、と山本は思いきって言葉に出す。
「十年後のツナのこと、ずっと自分を責めてないか?」
「────」
その言葉に獄寺が見せた反応は、極わずかだった。
表情をぴくりと動かしただけで、意外なほど静かな瞳で山本を見返す。
「それはてめーもだろ」
「──そうだな」
静かに切り替えされて、山本も苦く笑った。
そして、肩にかけていた時雨金時を下ろし、見つめる。
「多分、俺の罪じゃねーし、ましてやツナの罪でもねえ。……けど、誰も恨まず、憎まずにいるのは無理だな」
「当然だろ」
低い山本の声を受けて、吐き捨てるように獄寺は言った。
「誰かはまだ分からねーが、俺は絶対にそいつを許さねえ。そして、そいつを八つ裂きにして生まれてきたことを心底後悔させてやったとしても、十代目をお守りできなかった俺自身のことは一生、許さねえよ」
そんな自分は、もがき苦しんでのたうち回って死ねばいい、という呪詛の声が聞こえるようだった。
おそらく、と山本は思う。
十年後の自分も、今の自分と同じような気分で、十年後の獄寺を見ていたのだろう。
こうして今、自分たちが入れ代わったことで状況は変わったが、もしそうでなかった時は、どうなっていたのか。
十年後の綱吉が殺された後、おそらく、その敵を討つまでは獄寺は生きているだろう。だが、その後、自分は彼を引き止められるかどうか。
引き止められなかった時、父親と親友二人の死を自分はどう受け止めたのか。はたして受け止められるのか。
それは想像が思考の端を掠めただけでも、ぞっとするような仮定話だった。
「誰の仕業かは知らねーが、俺たちを未来に飛ばしてくれた奴に感謝だな」
「は?」
思わず呟いた言葉を聞き咎めて、獄寺が険悪に目をすがめる。
その見慣れた目つきに、山本は何となく安心するものを覚えて笑った。
「だってよ、これで未来を変えられる可能性ができたわけだろ。俺たちがここでうまくやれば、誰も何も失わずに済む。そうだろ?」
「────」
「俺、未来のお前が残した手紙の内容を聞いた時、すげー嬉しかったんだぜ。あれが、まだ希望はあるって教えてくれたんだからな」
「……十代目をお守りできなかった最低野郎が残した手紙だぜ」
「だからだろ。十年後のお前も必死だったはずだ。あの手紙は、きっと気が狂いそうなくらい必死になったお前が切り札として持ち歩いてたものだろ。それが希望を繋いだんだって考えろよ」
「──てめーはどうしてそう脳天気なんだ」
心底嫌そうに獄寺は眉をしかめる。
そして、未来世界に対する憎しみにと怒りに凍て付いたような声で言った。
「あいにく、俺は十年後の自分なんざ、信じる気にはなれねーよ。ただ、誰かが仕組んで俺たちを十年後に呼び寄せたのは間違いねえし、十年後の俺も、それについては何か掴んでたんだろう。そして、入江正一を消せば全てが戻るって書いてあった以上、今はそれに賭ける。他に手がかりはねーんだしな」
「───…」
「何だよ」
「いや。お前らしーなと思ってさ」
綱吉の前では絶対に大丈夫だと啖呵を切る一方で、一人でこんな風に憤りに身を焼きつつ、その鋭い頭脳で現状を分析している。
ただ惜しむらくは、その分析の結果を、獄寺が積極的に他人と共有する気がないことだった。
こんな風に話してくれれば、それに対して意見も言えるし、また違った角度で分析することも可能になるはずなのに、今の獄寺はまだそのことの重要性には気付いていない。
だが、それはまたこれからのことだな、と考えて、山本はとりあえず、今はこれだけのことを話してくれただけで良しとすることにしよう、と決める。
獄寺も、人付き合いは最悪に下手だが、決して愚かではない。いずれ遠くないうちに、今よりももう一歩踏み出すことの必要性にも気付くはずだった。
「つまり、お前が言いたいのは、とにかく今はやれるだけやるってことだろ? それなら俺も同じ意見だぜ。俺だって、こんな未来を認める気はねーんだからな」
「当たり前だろ」
自分たちがこれまで戦ってきたのは、こんな風に何もかも失う未来のためではないし、それは十年後の自分たちも同じだっただろう。
そして、中学生のリングを所持した自分たちが召還されたことが、この奈落へと続く崖っぷちからの起死回生に繋がるのだとしたら、それに全てを賭けるしかないのだ。──必ず未来は変わると信じて。
「何もかも分からねーことだらけで嫌になるが、いま俺たちができるのは、この最悪の状況を作り出した元凶をぶっ潰すことだけだ。ミルフィオーレのアジトに直接乗り込めば、また色々な情報が見えてくるだろうしな」
「だな」
山本がうなずくと、獄寺は何とも微妙な表情で、話し過ぎたな、と小さく呟いた。
「俺はもう部屋に戻るぜ。……呼び止めて悪かったな」
「いや。お前とちゃんと話せて、俺は嬉しかったぜ」
「言ってろ」
話はここまでだと切り上げる獄寺を山本は引き止めなかった。
素っ気なく肩をすくめて歩き去る後ろ姿を少しだけ見送って、自分もまた踵(きびす)を返す。
──獄寺の言う通り、現状は厳し過ぎて、本当はわずかな楽観視さえ許されないのだろう。
だが、それでも山本は希望を持ちたかった。
未来は変わる。全ては取り戻せるのだと信じたかった。
そのきっかけは、やはりあの手紙である。獄寺が何と言おうと、未来の彼が残した手紙こそが希望を繋いでくれたのだ。
書いたのが獄寺であるかどうかは分からない。もしかしたら、十年後の綱吉が我が身に起こりうる危機を想定して、万が一の場合の指示書として残したものかもしれないし、もっと違う第三者が絡んでいるのかもしれない。
だが、そのいずれにせよ、どんな思いで十年後の獄寺があの手紙を持ち歩き、そしてどんな思いで十年後の自分はその内容を見聞きしたのか。
今はまだそんなことに思いを馳せる余裕はない。が、十年後の自分にもし会えるのなら、聞いてみたかった。
何故、綱吉を守りきれなかったのか。
親友と父を殺されて、自分は残されたもう一人の親友や仲間達と、何をどうするつもりだったのか。
それが分かったところで、このやりきれない苦しさが消えるわけではない。だが、未来が変われば自分が経験することはなくなるだろう今を知っている、もう一人の自分と話をしてみたかった。
「十年後の俺、なんて想像つかねーなぁ」
容姿その他については綱吉から教えられたが、実感としてはまるでない。
ただ、はっきりと分かっているのは、自分は綱吉と獄寺がいる未来を選んだ、ということだ。
結果として不幸なことになりはしたが、あの二人が居たのなら、そこまでの歳月は決して不幸せなものではなかったに違いない。
「なあ、獄寺。俺はお前とツナが居れば、本当にそれだけで足りるんだよ」
加えて、笹川兄や雲雀やリボーン、ランボに骸にクローム、おまけにスクアーロまで一緒だったのならば、どんな境遇でどんな日常を送っていようと、自分は本当に幸せで、毎日に満足していたはずなのだ。
なのに、それは誰かのどす黒い企みのせいで滅茶苦茶に壊されてしまった。
十年後の自分は決してその誰かを許さないだろうし、この自分も許さない。
だから戦うし、リボーンから授けられる人殺しとしての技術をも受け入れることを辞さない。
──その結果、これまでの自分が持っていた何を失うのだとしても。
「お前たちだけは絶対に失くさねー」
漆黒の瞳を鋭く底光りさせ、静かに呟いて。
山本は足早にその場を立ち去った。
End.
私の中の山本は、並中トリオの中で一番我儘です。
親友二人のためなら何でもするし、手段も選ばない。おまけに、自分も無事生還する気満々で、犠牲になる気なんかこれっぽっちもありません。
多分、一番敵に回してはいけないタイプです。
※冒頭の詩は、『立原道三詩集』収録「それは雨の」より引用しました。
格納庫に戻る >>