I am.

10.


 空はこの季節らしい薄曇りで、風が少し強くそよぐと肌寒さを感じるほどだった。
 逃避行には似つかわしいな、と考えながら、綱吉はゆっくりと庭園の小道を歩く。最近のお気に入りは、流水階段から池を経て続く、細い流れに沿った小道を歩くコースだ。
 軽やかなせせらぎの音に耳を傾けながら、四季折々の花を咲かせる木立や花壇を巡り、奇妙な形の彫刻群(グロッタ)を眺めつつ先へ進んでゆくと、最後は薔薇園に辿り着く。
 総本部内には百人を超える人間が常に立ち働いているはずだったが、庭園は時折、園丁が樹木や草花の手入れをしている以外、ほぼ無人で、鳥や虫の鳴き声や風のざわめきしか聞こえない。
 そんな中をゆっくりと歩くのは、常に何かしら疲弊している心にとっては、かけがえのない癒しの一時だった。

 執務室を抜け出したのは、つい先頃だから、まだ彼も探しには来ないだろう。
 大体彼は、一時間毎に綱吉の元に書類を届けに来る。
 何かというと執務室を抜け出す綱吉の性癖を知っているくせに、書類を運んでくるペースを変えないどころか、傍らに張り付きもしないということは、一時間なら見逃すと言っているようなものだ。
 ならば、と綱吉も遠慮なく、逃走を繰り返させてもらっている。そして文句を言われたこともないのだから、これはこれで正解なのだろう。
 常に無愛想で、意外なほどに生真面目で。
 笑顔など、片手で数えられるほどしか見たことはない。
 けれど、綱吉の秘書である彼は──獄寺隼人は、とても優しい男だった。
 それこそ綱吉が、こんな風に意味もなく甘えてしまうほどに。

 綱吉が獄寺隼人こと、ルッジェーロ・ジェンツィアーナの名前を知ったのは、今から十年ほど昔にまで遡る。
 綱吉の家庭教師として日本にやってきたリボーンにくっついてきた、うら若い美女。ビアンキという名の彼女は、時折ではあったが、彼女の弟のことを口にした。
 八歳で家出して消息知れずだというその弟と綱吉は同い年だったために、どうしても思い出さずにはいられなかったのだろう。
 懐かしげに、愛おしげに、そして少しだけ悲しそうに、寂しそうに。
 ビアンキは頻繁にではなかったが、十年の月日の間に繰り返し、彼女の小さな弟について語った。
 やんちゃで、鼻っ柱が強くて、負けず嫌いで。
 ピアノが好きで、猫が好きで。
 人に対しては不器用で、照れ屋で、それでも優しい思いやりをいっぱいに持った少年。
 そんな異国の少年について聞くのは楽しかった。
 会ったことは勿論、写真さえ見たことはなかったのに、彼のことを良く知っているような……昔からの友達であるような錯覚に陥ることもしばしばだった。

 なのに、運命はどれほどに皮肉なのか。
 初めて本物の彼と会った時には、綱吉は彼の父親の仇という立場だった。
 ビアンキからは、弟は父親を憎んでいるはずだし、それは自分も同じだから、気にしなくていいと言われていたが、はいそうですかと平静で居られるわけがない。
 綱吉にとって両親はかけがえのない存在だったし、どれほどいがみ合っている親子であっても、根底には何かしらの情があるものだと信じたかった。
 結果として、それは世間知らずの思い込みだったのかもしれない。少なくとも、隼人自身はそう主張したし、リボーンも綱吉の方を非難する構えを見せていた。
 だが、今となっても、隼人が父親に対して一切の情を持ち合わせていなかったとは綱吉には思えない。
 彼の憎しみも恨みも本物には違いなかったが、それだけではない何かを綱吉はいつも、彼の言動から感じ取っていた。
 おそらく、自身の出生の秘密を知る以前は、彼は普通に父親のことを愛していたのではないか。父子の触れ合いがどの程度だったかは知る由(よし)もないが、小さいながらも一ファミリーのボスとして御館様と呼ばれ、周囲の尊敬を集めていた父親を、幼い少年が誇らしく思うのは不自然でも何でもない。
 そんな敬愛する父親が、自分の実の母親を死に至らしめた。その現実の惨(むご)さが、よりいっそう純真な少年に父親を激しく憎ませた。綱吉にはそう思えてならないのだ。

 けれど、彼は決して綱吉を責めようとはしなかった。
 それどころか、逆に綱吉の望みを次々と叶えてくれたから、つい甘え過ぎてしまったのだ。
 毎日毎日、執務室から逃走するなど、自分でもやりすぎだったと思う。
 だが、彼はそれさえも許容する素振りを見せたから。
 調子に乗った生来の軟弱な性分が、うっかりと踏みとどまるべき一線を越えてしまったのに違いない。
 それは彼の罪でも何でもない。すべて綱吉自身の責任だ。

(それにしても、昨日は本気でどうかしてた、よな……。)

 綱吉は別に死にたがりではない。
 少なくとも自殺願望を抱いたことは、これまでに一度もない。
 ただ、重苦しいものは次代のドン・ボンゴレという自分の立場を知らされた十四の歳からずっと感じ続けており、逃げ出したいという思いは常に心の奥底にあった。
 ボンゴレから、或いは、自分自身から。
 ドン・ボンゴレ十世であることを強要された人生を打ち捨てることができれば、どれほど楽になれるか。考えずにはいられなかったが、その思いは常に諦めと表裏一体だった。
 自分がドン・ボンゴレになれば、全ては丸く収まる。そう言われたのは、まだ十代の頃だ。
 初代直系の血を引く綱吉は、現時点において最も妥当なボンゴレの後継者であり、加えて、最強のヒットマン・リボーンに鍛えられた白兵戦の技術があれば、反対派の口をも閉ざさせることができる。
 『ファミリーの安寧のために。』
 そう言われてしまえば、もう逃げ道はなかった。
 もっとも、ドン・ボンゴレとて命ある人間だから、永遠に玉座に君臨していられるわけではない。
 綱吉が居なくなれば、ファミリーは機械的に次のボスを選び出す。それだけのことであり、その程度の存在なのだ。
 だが、そうと分かっていても、綱吉はどうしてもファミリーを裏切れなかった。
 かといって、自分で選んだものの望んだわけではない座に在り続けることは、どうにも辛くて。
 昨日も、うっすらと白煙が立ち込める戦場で、そんなことをぼんやりと考えている最中に、彼は現れた。
 雲間から差し込んだ傾いた薄日に銀の髪を所々煌めかせ、綱吉の身を案じていたのか、ひどく厳しい表情の中で宝石のような銀緑の瞳が鋭く光っていた。
 そんな彼の姿を見た時。
 彼ならば良いか、と思ったのだ。

 魔が差したというのは、ああいうことをいうのだろう。
 不意に、彼にならば殺されても良いと思った。
 或いは、彼ならば、もういいですよ、と言ってくれるのではないかと思った。
 何の脈絡もなく。
 自分を楽にしてくれるのではないかと、思ったのだ。

 だが、それは綱吉の勝手な妄想で、彼の反応は全く違った。
 まるで彼自身に銃口を突きつけられたかのように、蒼白になって表情を引き攣らせ、己の命乞いをするかのように綱吉の命を乞うた。
 そして、裏切らせないで欲しい、と。
 哭くように吠えた。

 彼に対する気持ちが全く分からなくなったのは、その瞬間だ。
 その前までは──少なくとも、戦闘開始時に分かれた時までは、綱吉の中には彼に対する特別な感情があった。
 始まりは、やはりビアンキの昔語りではなかったかと思う。
 小さいとはいえ一つのファミリーのボスの息子であった少年。立場的には綱吉と似たようなものであったはずなのに、母親の死を期に、全てを捨てて家を出た少年。
 結局逃げ出せなかった綱吉にとっては、ビアンキの弟は憧憬の対象足り得るものだった。
 今どこでどんな風に生きているのか。会ったこともない少年について、眠る前の一時に思いを巡らせたことは何度もある。
 しかし、どんな想像も現実に及ぶものではなく、年月を経て皮肉極まりない形で出会った本物の彼は、猜疑と暴力の臭いを身に纏わりつかせているにも関わらず、何故か荒(すさ)み切れていない何かを滲ませた裏社会の男だった。
 顔立ちはモデルか映画俳優のように美しく整っているのに、表情は鋭く険しい。けれど、銀色を帯びた深い緑の目はとても綺麗な色をしていて。
 ほんの一秒か二秒のことではあったが、綱吉は彼に見惚れた。
 けれど、結局、顔の美醜は問題にはならない。
 リボーンや情報課の部下から定期的に送られてきた、カテーナの町に関する報告書。それらに目を通す度に、綱吉の中で決定的な何かが生まれてゆき、その果てに、視察の日、住民たちの面前で命を懸けた立会いを申し出た彼に──俗な言い方をするのなら、恋に落ちた。

 ただ、それが本当に恋だったのかは、未だに良く分からない。
 とにかく、彼だ、と思ったのだ。
 自分の望みを理解してくれる存在。言葉にして頼んだわけでもないのに、自分と同じ方向を見て進もうとしてくれる存在。
 見つけた、と思った。
 同時に、絶望もした。
 彼は、決して自分を愛してはくれない。自分は親の仇、望まない仕事を押し付けた憎い相手に過ぎない。
 けれど、それでも。
 彼の身上書にあった、過去に手がけた仕事で見せた誠実さ。そして、このカテーナの件においても示された、一旦守ると決めたものは全身全霊を懸けて守り通す強さ。
 それだけは、どうしても欲しいと思った。
 一人の人間として愛されなくても、ボスとして真の忠誠を捧げられることがなくても。
 獄寺隼人という存在。
 それさえあれば、自分は今しばらく、ドン・ボンゴレという煌めく銘に飾られた玉座の冷たさに耐えられるような気がしたのだ。

 だが、結果から言えば、綱吉は彼という人間を見誤っていたということになるのだろう。
 彼は綱吉が想定していた以上に、誠実で、優しかった。思いやり深かったと言ってもいい。
 綱吉相手に躊躇いもなく永遠の忠誠を誓い、綱吉が繰り返し、執務室から逃走しても腹を立てる素振りは見せず、毎回探しに来てくれた。
 言葉数は少なく、愛想もなかったが、怜悧な表情の下で綱吉のためを考えていてくれることは伝わってきていた。
 彼の父親のことを持ち出せば、少しだけ不機嫌になったが、それだけで、やはり綱吉を責めはしなかった。
 そんな彼に急速に傾倒し、依存するようになったのは仕方のないことだった、と言い訳するように綱吉は思う。
 とにかく誰かに傍にいて欲しかった。誰かに支えてもらいたかったのだ。
 傍にいてくれると安心する。
 探しに来てくれると嬉しくなる。
 自分が投げかけた試すような言葉に、愛想はなくとも懸命に選んだと分かる誠実な言葉を返されると、泣きたくなる。
 そんな想いは、やはり恋と呼んでも良かったのではないか。
 そして、そんな優しい男は。
 綱吉の命を奪うことを、哭くように吠えて、拒絶したのだ。



 ──俺はあなたを殺したいんじゃない、生きていて欲しいんだ!



 命を、望まれた。
 その家族の命を奪った相手に。
 唯一人、彼になら殺されてもいいかもしれないと思った相手に。
 『もういいですよ』と言ってくれるのではないかと、勝手に期待した相手に。
 生きてくれと言われた。
 その魂からの叫びは、綱吉の中の何かを揺るがし、打ち砕いた。
 これまでずっと感じていた、逃げたくてたまらなかった思いや、彼に対して感じていた恋のような想いや、彼の父親の仇だという頑なな後ろめたさや、そんな諸々のものがあの瞬間、粉々に砕けて飛散した。
 そして、何も分からなくなったのだ。
 自分が彼をどう思っているのか、本当はどうしたかったのか。
 そんな真っ白の状態で。
 おそらく初めて、綱吉は正面から彼という人間を見た。

 寿命が二十年縮んだ、と言った彼は、本当に真剣な目をしていて、本気で言っているのだと素直に呑み込めた。
 そうして彼を見つめていたら、不意にキスをされて、キスをした理由を問うたら、彼は分からないと答えた。
 本当に分からないのだと、その目が言っていたから、自分も試すようにキスをしてみたら、本当に分からなかった。
 キスをしたい。
 キスをされたい。
 目の前の相手に触れたい。
 触れられたい。
 それだけは分かるのに、その理由が分からない。
 ただ、キスをしなかったら──触れなかったら、このまま死んでしまうような気がした。
 彼の方もそうだったのかは、聞かなかったから分からない。それでも抱き合っている間は、互いに必死だったように思う。
 言葉にして伝えたわけではないが、手探りの行為の中で彼は何かを懸命に差し出そうとしていたし、自分も同じように名前の分からない何かを相手に渡したくて懸命だった。
 そして、互いの熱の極みを感じたその時、これが本当のセックスなのだと──互いを繋ぐということなのだと、唐突に理解した。

 昨夜のことは、一生に何度も起きないことだと分かっていた。
 同性同士の行為がという意味ではなく、あんな風に互いに全てをさらけ出し、与え合うようなセックスは特別なものだ。大人になればなるほど人は心に鎧を着けて本心を偽ってしまうし、子供のうちは自分のことに手一杯で、欲しがりはしても与えることまで気が回らない。
 奇跡に等しい経験をしたのだと、心よりも魂が訴えかけてくる。
 だが、それをどう受け止めればいいのか。
 彼に──獄寺隼人に対する感情は、昨日、一旦白紙に戻ってしまった。
 あの瞬間に、それまでの沢田綱吉という人間は崩れ去ってしまい、言ってみれば、生まれ直したようなものだ。
 隼人は拳銃の引金は引かなかったが、その魂からの言葉で、己の感情に縛られて雁字搦めになっていた綱吉を解き放った。
 そんなまっさらな状態で、綱吉は隼人を見つめ、キスをして、体を重ねた。
 そこに感情は確かにある。
 以前とは少し違う感情で、彼を欲しいと求める心を否定する気はない。
 だが、それにどう名前をつければいいのか。
 今朝からずっと考え続けているが、まだ答えは出なかった。

 溜息をついて、ずっと歩き続けていた足を止める。
 深呼吸すると、秋薔薇の甘い香りが隅々まで染みた。
 初夏の一番花とは異なった風情で、あでやかでありながら、どこかしっとりと慎ましげに咲いている無数の薔薇を眺めやりつつ、ただ咲いて散るだけのこの花のようになれたらいいのに、と詮のないことを綱吉は思う。
 花は咲くことにも散ることにも、何の疑いも躊躇いも持たないだろう。
 無心に己が命の役割を果たす。
 そうあれたら、どれ程美しく、潔く見えることか。
 あまりにもぐずぐずと悩んでばかりの自分にうんざりしつつ、再び、二歩、三歩と足を進めた時。
 背後に慣れ親しんだ足音と気配がした。

「十代目」

 深く響く低い声が、綱吉を呼ぶ。
 もうそんな時間かと思いながら、綱吉は振り返った。いつの間にか、小一時間ほど過ぎてしまったらしい。
「隼人」
 いつもの笑顔を作るのは難しいことではなかった。
 胸の内の感情に名前をつけることはできなくとも、自分を探しに来てくれたことは純粋に嬉しい。自然に口元がほころびる。
「今日も早かったね。執務室を出てきてから、まだ一時間経つか経たないかだと思うけど」
「運が良かっただけです」
「嘘」
 くすりと綱吉は笑った。
 秋薔薇が咲くようになってから、綱吉が逃走する先は、雨が降らない限りはこの薔薇園に限られている。もう少し寒くなれば、温室に逃げ込むが、それはまだ先の話だ。
 選択肢が多かった夏に比べれば、綱吉を探し出すことなど容易なはずなのに、隼人は優しい嘘をつく。あなたの逃げる先など自分には分かりません、(ですから、自由に逃げて下さい。どこに行かれようと見つけ出しますから。)、と。
 だが、それ以上はそのことには触れず、綱吉は小さく首をかしげて見せる。
「そろそろ戻らないと駄目かな?」
「──そうですね。書類はお部屋に届けてありますが……」
 言いよどんだ隼人に、おや、と思った。
 今気付いたが、彼は手ぶらだ。綱吉を探しに来る時はいつも手にしている、書類を挟んだクリップボードがない。
 どうしたのかと問いかけようと口を開くよりも、ほんの一瞬早く、隼人が言った。
「その前に、あなたに言っておかなければならないことがあるので」
「俺に?」
「はい」
 何だろう、と綱吉は考える。
 今朝、ホテルのスイートルームで目覚めた時には隼人の姿は室内にはなく、その後、総本部に帰ってくるまでは業務連絡程度の会話しか交わさなかった。それは別に互いを避けていたわけではなく、単に他の部下たちも大勢いたことや、自由時間がなかったことが理由のはずである。
 帰ってきてからは、執務室で短い時間、二人きりになる機会も何度かあったが、あそこは私的な会話をするのに相応しい場所ではない。
 だから、この場で彼が何かを話そうというのは、別におかしくはないのだが。
 何を言おうとしているのかについては、綱吉はとんと見当がつかなかった。
 セオリー通りに考えるのなら、昨夜のことを謝るとか、忘れて下さいとか、そんな台詞だろうか。
 だが、いい年をした大人が合意の上でのこと──間違いなく互いが望んでのことだったのだから、もしそんなことを口にしたら遠慮なく殴ってやろうと思いながら、綱吉は隼人の言葉を待つ。
 三歩ほど離れた距離から真っ直ぐに見つめる綱吉の視線を、隼人は逸らすことなく受け止め、そして。



「あなたが好きです」



「え……」
 思わず綱吉はまばたきして、目の前の相手の顔を見直す。
 すると、数秒間はその視線を受け止めていた隼人も、決まりが悪くなったのか、さりげなさを装って目線を伏せ気味に逸らした。
「──昨日、あなたにキスした理由を訊かれて、分からないと言ったのは本当です。あの時は、まだ感情が言葉になってなかったんです。でも、その後どれだけ考えても、この言葉しか浮かばなかったので……」

 やめてくれ、と思わず心の中で綱吉は突っ込む。
 いい年して、言うに事欠いて「好きです」だなんて、中学生の告白ではあるまいし。
 大人なのだから、言葉にしなくても分かるだろうと流すとか、或いは、もう少し遠回しで洗練された表現を使うとか、想いを伝えるにしたってやり方があるだろう。
 はっきり言って、どれほど突っ込んでも突っ込み足りない。
 なのに、こんな稚拙で不器用な告白が。

 ──嬉しい、なんて。

 馬鹿みたいだ、と思った。
 昨日からずっとぐるぐると考えて、その前もずっとぐるぐると考え続けていたのに、こんな簡単な言葉一つで片付けられてしまう。
 けれど、好きだと言われて浮かぶ言葉など、一つしかない。

「……ありがとう。俺も、君が好きだよ」

 昨日までの想いは、きっと恋だった。
 けれど、昨日からの想いも、間違いなく恋だった。
 昨日までは、諦めながら、叶わないと思いながらの狡い恋。
 昨日からは、正面から相手と向き合った恋。
 違いといえば、それだけのことだ。だが、決定的に違う。
 だから、名前をつけるのに戸惑った。
 これも恋のはずと思いながら、それまで知っていた恋とは決定的に違う何かに、恋と呼ぶことを躊躇わずにはいられなかった。
 けれど、恋は恋だ。
 何と呼ぼうと、目の前の相手が愛しいことには変わりない。

 驚きに目を見開いている相手に、綱吉はゆっくりと歩み寄る。
 なにその顔、と言いたかった。
 好きでもない相手と自分がキスをし、抱かれたとでも思っていたのだろうか。そんなわけがない。いくら出来損ないでも、ドン・ボンゴレがそんなに安いはずがない。
 好きなところをまた一つ見つけた、と思った。
 不器用に加えて、彼は馬鹿で鈍感だ。
 自分が愛されているなんて、これっぽっちも思っていない。
 なんて、愛おしい。

「隼人」
「──はい」

 あと少しで体が触れ合うほどの距離まで近づいて、ことんと彼の肩に顔を伏せる。
 ふわりと煙草と香水の入り混じった、甘いのにどこかほろ苦い香りが綱吉を包み込む。
 ──この先、綱吉が綱吉である限り。
 ドン・ボンゴレであり続ける限り、綱吉は自分の生き方を変えられない。
 支配下にある住民を苦しみから救い上げる一方で、刃向かう者は容赦なく叩き潰す。それは、ボンゴレ十世であることを選んだ時から綱吉に課せられた、血の業だ。
 そして、そんな綱吉の生き方は、時には、隼人までをも苦しめるだろう。優しいこの男は、きっと綱吉の苦しみや哀しみまで理解しようとし、共に背負うことを望む。
 だが、それでもいいと隼人は言ってくれるような気がした。
 それは、綱吉の勝手な願望、あるいは幻想であるかもしれない。
 けれど。
 隼人の両腕が少し躊躇った後、そっと綱吉を抱き締める。
 綱吉が隼人の背を抱き返すと、抱き締める腕の力が強くなった。

「ずっと、傍にいて」
「はい」

 目を閉じながら、ずっと言いたくても言えなかった言葉を声にすると、何の躊躇いもなく承諾の言葉が返る。
 その確かな響きに。
 優しい温もりと彼の香りに包まれたまま、綱吉はほんの少しだけ泣いた。

End.

製作BGM:DAUGHTRY 『LEAVE THIS TOWN』
First Inspiration:BON JOVI 「BELLS OF FREEDOM」 from 『HAVE A NICE DAY』
Title by:BON JOVI 「I am.」 from 『HAVE A NICE DAY』

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