Good-by, my friend
3.
【10/14 AM 8:00】
顔に日差しが当たっている。その眩しさに綱吉は、目を開けた。
ぼんやりとした視界に、よく晴れた空が映る。その手前にはサンバイザー。一昔前のスポーツカーならではの体に響くエンジン音。
ああ、車の中だ、と思った。
「ごめん、俺、寝ちゃってた」
シートに深く沈みこんでいた体を起こしながら、ハンドルを握る獄寺に声をかけると、獄寺はちらりと一瞬だけこちらへ視線を向けて微笑んだ。
「構わないですよ。あと十分くらいで次のサービスエリアに着きますから、そこでちょっと休憩しますね」
「うん。……え、もう八時? 俺、二時間も寝てた?」
「はい」
イタリアン・スポーツカーのSZに時計は装備されていないため、携帯電話で時刻を確認して困惑した綱吉の声に対し、獄寺は苦笑交じりにうなずく。
「うわー、ごめん。寝る気なかったんだけど……」
「構いませんって。ここまでの道中、大して面白い景色もありませんでしたしね」
「でも、ごめん。君に運転させといて」
「運転すんのは好きですから、全然苦にしてませんよ」
「それは知ってるけど」
獄寺の運転が上手いことは、夏のイタリア旅行で十分過ぎるほどに分かっている。
先月、彼が正式に免許を取得してからも、何度もこの車には乗せてもらっているが、綱吉が助手席にいる時には、獄寺は絶対に無茶な運転はしない。
が、それはあくまでも不安を感じさせないという意味であって、今もスピードメーターは円の頂点をわずかに超えたところ、150km/hでぴたりと静止している。
覆面パトがいたら一発免停だな、と思いながらも、獄寺のことだ。それらしい車──たとえば、ノロノロ走っている白のクラウンなんかには十分すぎるほどに気を配っているに違いないと綱吉は気楽に構えることにして、無茶ではなくとも獰猛さを隠せないSZの走りを楽しもうと、シートに姿勢を落ち着け直した。
「……俺も免許、取ろうかなぁ」
「そうですねえ」
またたく間に過ぎてゆく風景を眺めながら呟いた綱吉に、獄寺は同意を示してうなずく。
「実際に免許を取るかどうかは別にして、車の転がし方は覚えておくと便利ですよ」
「いや、免許持ってないのに運転したら犯罪だから」
「見つかんなきゃいいんです。検問なんて、夜の繁華街でもなきゃそうそうあることじゃないですしね」
「……あのさ、獄寺君。俺のそういう意味でのクジ運の良さ、忘れてる? ヤバいときに限って、絶対引っかかるんだよ。いつでも最悪の方向に大当たりするんだって」
十八年も生きていれば、さすがに自分がどういう運勢の持ち主なのかくらいは分かってくる。
少しばかり冷んやりした口調で言うと、獄寺は視線だけは前方に向けたまま、複雑な顔になった。
「……すみません、十代目。何と答えればいいのか分かりません」
「いいんだってば。それが事実なんだし、それに本当に最悪ばっかりってわけじゃないしね」
正確には、最悪の中に光を見つけることができるのが、綱吉の持つ天運である。
絶体絶命、最低最悪の状況下でも、常に自分と仲間たちは生き延びてきた。それは単なる運で片付けられるものではなく、それぞれの努力や諦めの悪さがあっての結果ではあるが、努力だけが報われる世界でないのも事実だ。
そういう意味では、自分と仲間が集った時に感じる光──あるいは、何が何でも生き延びてみせるという強烈な意志を、今の綱吉は信じていた。
だが、それは本気で生命の危機を感じるほど追い詰められた時の話であって、日常レベルでは驚異的なまでに運が良くないことには変わりない。
ゆえに無免許運転などしようものなら、それこそ一時停止違反とか駐車場で当て逃げされるとか、素晴らしくくだらない理由で即、官憲にバレるだろうと踏んでいた。
「まぁ、ちょっと考えてみるよ。リボーンにも相談しないとダメだろうし」
「そうですね。俺としては、取っておいて悪いものじゃないと思いますけど」
さすがにリボーンがどう反応するかは分からない、と獄寺も困ったように微笑む。
それは同感だったから、綱吉も小さく微苦笑した。
「あ、あのサービスエリアに入りますね。食堂や売店もありますから」
「うん。さすがにおなかが空いてきたかな」
「俺もです」
答えて、獄寺は左ウインカーを出してSAへと続くレーンに車を滑り込ませる。
そのまま強力なエンジンブレーキとフットブレーキを併用しつつ、なめらかにハンドルを切って建物正面の駐車場の空きへと車を停めた。
車を降りて、うーんと綱吉は伸びをする。
見上げた空は秋らしい深い蒼で、やっと残暑が過ぎて、心なしか涼しくなり始めた風が心地よかった。
「サービスエリアなんて久しぶりかも。うち、車ないし」
「ああ、そういえば俺の車でも高速って初めてですね」
「うん」
獄寺が免許を取ってから一ヶ月、遠出をしたのは一度きりで、その時も高速道路は使わなかった。
土日も一緒に過ごすことが多いため、乗せてもらう回数自体は数多いのだが、殆どは食事をしに行くとか、ちょっと買い物に行くとか、スポーツカーとしてはまるっきり宝の持ち腐れのような近所の道ばかりを走っているのである。
「この車のすごさも、今日初めて分かった気がするよ。時速150kmでもエンジン音が楽そうっていうか、普段とそんなに変わらなかったもん」
「はい。180km超えると、さすがに回転がぐっと上がってきますけど、150kmクルージングならどうってことないですね」
「──ってことは、試したんだね、180km以上」
ちらりと横目で見ると、獄寺は、あ、と慌てた顔になった。
「いや、それは買った以上、性能を試したいっていうか、試しとかないと、いざっていう時に困るというか……。だってこの車、アクセルめいっぱい踏めば、280kmまで出るんですよ? やっぱり気になるじゃないですか」
「……まあ、ほどほどにね。いくら君が丈夫でも、時速200kmで事故したらヤバいでしょ」
「──ハイ」
しょぼとうなだれる獄寺に綱吉はくすりと笑って、この話はこれで終わりとばかりに売店を指差した。
「とにかく何か食べようよ。何がいい?」
「俺は何でもいいです。十代目は?」
「そーだねー」
こういう時に、君の食べたいものでいいよ、と獄寺に言っても無駄である。その辺りは綱吉も割り切っていて、素直に自分の胃袋と相談した。
「うどん、食べたいかな。かき揚げの載ったやつ」
「それだけでいいですか?」
「あっちの揚げはんぺんも気になるけど、とりあえずうどん食べてから考えるよ」
「こういうとこの麺類の量は、あんまり多くないですけどね」
獄寺はそう笑って、俺はラーメンかな、と呟く。
こういう時に何が何でも綱吉に合わせようとしなくなったのは、この数年間で獄寺が見せた成長の一つだろう。
それは綱吉にとっても喜ばしい変化の一つだった。
いつもいつも、あなたと一緒のもので、と言われて気分のいい人間はそうはいない。そういうことに窮屈さを感じる綱吉としては尚更に、ささやかなことであっても獄寺が自由に振舞ってくれるのは嬉しかった。
二人は食券を買って──代金は自分が、という獄寺を阻止するのは無理だった──、いかにもサービスエリアらしい安っぽいテーブルで、呼ばれるのを待つ。
こういった売店の一番の良さは、安価な上に早いことだろう。ほんの二、三分でそれぞれのどんぶりが湯気を立てつつカウンターに押し出された。
「あー。なんていうか、売店の味だねー」
「学食と似てますよね」
「あと駅の立ち食いとか。こういうとこって、絶対同じような味するよね」
「多分、同じような濃縮スープを使ってるんだと思いますよ。メーカーが違っても、味には大差ないんじゃないんですかね」
「そうかもね。でも、これはこれで美味しいというか何というか」
「安心する味、じゃないですか?」
「そうそう。こういう味だよねーっていう味」
しゃべりながら、二人は麺をすする。
つゆの味付けは少し濃い目で、家で母親が作ってくれるものや、うどん専門店のだしとは一味も二味も違うグルタミン酸、いわゆる味の素の風味を強く感じるが、これはこれで悪くない。
獄寺の言う通り、何となく安心のする、不思議に懐かしいような味だった。
「うーん。結構おなか膨れたなぁ」
「揚げはんぺん、どうします?」
「んー。それはそれで気になる」
綱吉は見掛けは細いが、食は決して細くない。もともと太りにくいのに加えて、リボーンのスパルタ教育によってかなりエネルギー代謝のいい、言葉を変えれば、スポーツ選手並に燃費の悪い肉体の持ち主となっている。
ましてや、高校生ともなれば人間の一生のうちで最も燃費の悪い年代であり、一日四食、日によっては五食くらい食べてもどうということはない。今も、かき揚げうどんを一人前食べても、まだ胃袋に余裕はあった。
「じゃあ、俺、買ってきますよ。何も入ってないのと、ごぼう天と、玉ねぎ天、いわし天、たこ天、野菜天、どれがいいですか?」
どうやら先程、売店の前を通りかかった時に、きっちり品揃えをチェックしていたらしい。
こういうとこが獄寺君だよな、と思いながら、綱吉は答えた。
「たこ天がいいな」
「はい。ちょっと待ってて下さいね」
「ありがと」
立ち上がってゆく獄寺の後姿を見つめ、綱吉はほうっと溜息をついて、プラスチック製の椅子の背もたれに体を預けた。
(二人っきりで遠出して、サービスエリアで御飯食べて)
丸っきりドライブデートだよね、と自重するように小さく笑う。
十八歳の誕生日の過ごし方としては、まったくもって悪くない。少なくとも今は楽しいし、幸せだと言い切れる。
けれど、今日という日の最後まで笑っていられるかどうか。それについては、綱吉は自信はなかった。
(今日が、俺たちの最後の……休日)
リボーンがくれた、そして自分が決めた、『沢田綱吉』としての最後の休日。
だからこそ、獄寺と一緒にいたかった。
いつもと同じように学校に行けば、校内に綱吉の誕生日を知る友人はいなくとも、帰宅時や帰宅後には、きっと誕生日を祝ってくれる友人たちと顔を合わせることになる。今日に限っては、それが嫌だったのだ。
(獄寺君さえいればいいなんて……なんて傲慢)
本当はこんなことは良くないと分かっている。
他の仲間たちを排除して、獄寺だけを大事にするような真似はしたくない。その一心でここまでやってきたのだし、ボンゴレ十代目となることも決めた。
そして事実、綱吉は獄寺だけを選んだことは、これまで一度もない。
だが、選ばなくともいつの間にか、獄寺はたった一人の特別な人間となっていたのであって、こればかりはどうしようもないことだった。
無論、最善を考えることで個人的な感情を抑えることはできる。事実、数ヶ月前に自分の感情を自覚してからは、ずっとそれを実践してきた。
しかし、それはこの先、この想いが薄れるか、想いを捨てるかするまで、何十年でも続くのだ。
その果てのない無間地獄に本当に踏み込む前に、一度だけ……今日一日だけでいい。獄寺と二人きり、笑い合えたら。
──もう何もいらない。
どんなに我儘だと、不公平だとそしられようとも、そう思う気持ちは真実で、自分の心に今日ばかりは逆らえなかった。
否、逆らいたくなかったという方が正しいのか。
いずれにせよ、今日は綱吉が自分に許した一日限りの『休日』であることに間違いはなかった。
「お待たせしました、十代目」
「あ、ありがとう」
獄寺の声と共に、発泡スチロールのトレイに載った揚げはんぺんがテーブルに置かれる。
「こっちがたこ天です」
「獄寺君のは?」
「俺は、いわし天にしてみました」
「ふぅん」
美味しそう、と呟きながら、刺さっている串を取り上げて一口かじる。
途端、揚げ物独特の香ばしさと、練り物の甘さ、そして塩味が口の中に広がる。
「うん、美味しいね」
「ですねー」
所詮はSAの売店であるから、格別な美味というほどのものはない。が、ごく庶民的なレベルで美味しいと呼べるものは揃っている。
満足しつつ、綱吉は獄寺に問いかけた。
「それで結局、今、俺たちはどこに向かってるわけ?」
「ああ、湘南です。横浜のちょっと先」
「湘南……」
「関東近隣の海としては悪くないとこですよ。伊豆の半島や諸島まで行けるともっといいんですけど、日帰りはきついんで、その手前にしてみました」
「へえ」
湘南の地名はもちろん知っている。だが、地図で具体的にどの辺りにあるのかとなると、綱吉には少々不明瞭だった。
「水族館なんかもあるはずですから、今日は一日、のんびりしましょう」
「うん、そうだね」
ほがらかに言う獄寺は、もしかしたら今日という日が意味することを薄々察しているのかもしれない、と綱吉は思う。
だが、それならそれで構わなかった。
どのみち今日を境に、自分たちが作り上げてきた曖昧な関係は崩壊し、過去のものとなる。二人共にそれを覚悟しているのなら、今日という日の最後を少しはマシな形で迎えられるかもしれない。
そう思いながら、綱吉は揚げはんぺんの串を置いて、ご馳走様、と手を合わせた。
「満足したー」
「それじゃあ、そろそろ行きましょうか」
「うん」
うなずきあって立ち上がり、どんぶりを返却して外に出る。
吹き抜ける少しだけ排気ガスの臭いのする風は、やはり心なしか涼しく、空が高い。
秋が来たのだな、と思いながら綱吉は真紅のSZに向かって歩いた。
to be continud...
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