目覚めよ、と呼ぶ声が聞こえ
7.
結局この日、綱吉は学校にいる間は何も言ってこなかった。
休み時間ばかりでなく授業中もちらちらと獄寺を気にしている素振りは見せていたが、綱吉の反応はそれだけで、獄寺はそれに気付かないふりをしながら、何とも言いがたい居心地の悪さと、後ろめたさに満ちた安堵を感じていた。
屋上で会話をした後、山本が、綱吉に何をどう告げたのかは分からない。
だが、約束した以上、彼は決して余計なことは言わなかっただろう。あいつから話すまでそっとしておいた方がいいとか何とか、適当にぼかしてくれたはずだった。
あの後、獄寺も四時限目からは教室に戻ったが、三者面談期間中の授業は午前中で終わりであり、昼食と清掃を終えたら、面談も部活動もない生徒は下校することになる。
当然ながら、山本は部活へと去ってゆき、獄寺と綱吉だけが取り残される形となった。
獄寺は気まずさから、綱吉は戸惑いからだろう。山本が教室を出て行った後、微妙な沈黙が二人の間に流れたが、先に「帰ろっか」と切り出したのは、綱吉の方だった。
だが、それを受けて獄寺が、はい、といつもと同じようにうなずいた時、綱吉の目にほっとしたものが浮かんだのは、自分の気のせいだとは獄寺には思えなかった。
「──十代目…」
昼下がりの道を綱吉のペースに合わせて歩きながら、獄寺は罪悪感に耐えかねて、そっと隣の人の銘を呼ぶ。
「あの、山本のヤローから何か聞いたかもしれませんけど、俺、御心配おかけしちまってるみたいで……」
「……うん」
正直な綱吉の返事に、獄寺は胸を突き刺されるような痛みを覚えた。
優しい嘘でごまかされるよりは百倍マシだが、それでも、自分の失態が原因で彼に余計な心配をさせているという現実は、獄寺には何よりも辛い。
だが、獄寺がそれ以上何かを言う前に、綱吉が機先を制した。
「獄寺君、今日これから君の所に行ってもいい?」
「え……」
「うちに来てもらったんじゃ、皆がうるさくてちゃんと話せないと思うから」
いつの間にか二人の足は止まっており、綱吉はまっすぐに獄寺を見上げてくる。
不思議に透明で強い、そのまなざしから獄寺は逃げられなかった。
「獄寺君が話したくないんなら、俺も何も聞かない。でも、急に態度を変えた理由を聞く権利は、俺や山本にはあると思うんだ」
琥珀色に陽光を透かす綱吉の瞳は、自分たちは友達ではないのかと訴えかけているようであり、また、そう信じているようでもあり、不意に獄寺は、言葉にできない苛立ちにも似た感情が込み上げるのを感じた。
───頭ごなしに命令してくれればいいのだ。
考えていることをすべて話せと。
何一つ隠すことは許さないと。
綱吉にはそうするだけの権限がある。
自分の命すら、その手に握っている唯一の存在なのだから。
なのに、そんな言い方をされたら、自分の意志で選択をしなければならなくなってしまう。
話したくないことを話す覚悟を、あるいは、自分を対等の存在であるかのように扱うこの人に一切の負担を感じさせない言い方を。
獄寺とて、人間の尊厳というものに対する感覚が鈍いわけではない。むしろ、矜持は人一倍強いと自覚している。もし綱吉以外の人間に何か命令をされたとしたら、猛烈に反発するだろう。
自分が認めた人間以外の言葉など、獄寺は絶対に受け入れない。
だからこそ、獄寺は主人と認めた綱吉から絶対の信頼を受けたかったし、また、彼には自分を道具のように使いこなす絶対君主であって欲しかった。そしてそれが、正しいマフィアのボスと構成員の姿でもある。
けれど、綱吉はその形を許してはくれないのだ。
決して道具ではないのだと、対等な何かであると常に無言で訴えかけてくる。
そして、そんな綱吉の態度は、いつでも獄寺の中に相反した反応を引き起こし、混乱させる。
一人の人間としての自分は、対等に扱われることを……大切な人に大事に扱われることを喜んでいる。
しかし、綱吉に忠実な右腕でありたいと思っている自分は、有能な道具として扱ってもらえないことにもどかしさを覚えている。
その矛盾した二つの感情の相克は、今も獄寺の胸のうちで渦巻き、火花を散らしていて。
(──ああ、駄目だ)
獄寺は綱吉のまなざしから目を逸らさないように務めながら、ぐっと拳を握り締める。
こんな矛盾した感情を放置していたら、いつか必ず、暴発して綱吉を傷つけてしまう。
そんな事になったら、自分は生きてはいられない。
だから、そうなる前に選ばなければならなかった。
今の自分を変える道を。
「──十代目」
内心の葛藤の激しさに相反して、銘を呼んだ声は平静だった。
「うちに来ていただくのは構いません。……でも、あまり沢山のことは話せないと思います。これは、俺の問題なんです」
そう告げると、獄寺を見上げる綱吉の目はかすかに揺れて。
「──そういう言い方はずるいよ」
「え」
思わぬ返事に驚いて、獄寺は綱吉の顔を見直す。
綱吉は、琥珀色の瞳に迷いと、だが強い意志を載せて獄寺を見つめていた。
「獄寺君はずるい。君の今日の態度は、俺にだって関係のあることだよ。今日の君はいつもの君じゃなかった。それが悪いって言ってるんじゃないよ。ただ、どうして急に変わったのか分からないから、俺も山本も心配してるんだ。これが何日かしていつもの君に戻るんなら、俺も何にも聞かない。でも、そうじゃないんだろ……?」
こんなことを口にしてもよいのかという迷いと、何かが変わってしまうのではないかという不安と、それを上回る相手を案じる思い。
それを正面から見せ付けられて、獄寺は身動きできなくなる。
「十代目……」
いっそのこと、命令して欲しかった。
綱吉が獄寺に示しているのは、茨でできたやわらかな檻だ。
出入りは獄寺の意志で自由にできる。だが、その度ごとに全身を鋭い棘で傷つけなければならない。
だが、逆らえなかった。
綱吉がボスであるからというだけではない。
獄寺が自分で選んだ、世界で一番大切な人だったから。
うなずくことしかできなかった。
「分かりました。うちに来て下さい。それでもやっぱり、全部は話せませんが……」
「うん、それでもいいよ」
それでもいいよ、とそう言った綱吉の声に、一瞬獄寺は目を伏せて。
行きましょう、と綱吉を促した。
8.
十月の半ばともなればエアコンは必要ないが、朝、窓を閉め切って出た部屋の空気は、少しだけよどんでいるように感じられた。
それとも、よどんでいるのは自分の感情のほうなのか、分からないまま獄寺はリビングに綱吉を招き入れて、南側の窓を開ける。
途端に、澄んだ秋の空気がふわりと流れ込んできて、獄寺は何だか少し切なくなった。
この日本の秋の空のように綺麗で優しい人に、今の自分はふさわしくない。
どうしてそんな簡単なことに今まで気付かなかったのだろうと、新たにやるせなさがこみ上げてくるのを感じながら、ゆっくりと振り返る。
綱吉は、じっとこちらを見ていた。
咎めるのではなく、むしろ自分が余計なことを言ったのではないかと、案じるような目をして。
その気弱なほど優しい瞳の色に、ああ、と獄寺はひそかに嘆息する。
(この人を傷付けては、いけない)
平和な国で、両親に愛されて大切に大切に育てられた子供。
そんな彼は、人を疑うことや傷つけることは、『悪いこと』だと信じている。
だから今も、自分に対して『悪いこと』をしてしまったのではないかと心配している。
元はと言えば、勝手に空回って迷惑をかけ、挙句、心配をさせている自分の方が遥かに罪が重いのに、この人はそんなことは微塵も考えもしないのだ。
世界の醜い部分を知らない、綺麗で、優しい人。
涙が出そうだった。
───この人の傍にいたい。
この人の傍で、自分は色々なことを知った。
同年代の少年少女とただの子供のように遊ぶことの楽しさや、声を上げて笑うことの喜び。
仲間や大切な人が傷付けられたときの怒りや悲しみ。
信頼され、存在を求められたときに感じた、至福の感情の嵐。
すべて、彼と出会ったときから始まった。
誇張ではなく、本当に彼が、世界をくれたのだ。
血と硝煙の臭いに満ちた薄汚い世界ではなく、光とあたたかさに満ち溢れた美しい世界を、こんな自分に。
───あなたの傍にいたい。
彼の傍にいる限り、自分は優しくなれる。
大切なものを守るために強くなれる。
命が、人間が尊いものだということを思い出せる。
───あの頃の自分には、もう戻りたくない。
故国でスモーキン・ボムの名を馳せていた頃の自分は、きっと底が見えないほどにすさんだ目をしていただろう。
すべてを憎み、世界を呪っていたあの頃。
何もかも破壊しつくしてしまいたかった。
狂犬のように目に付いた相手すべてに喧嘩を売り、破壊し、そしていずれ、自分もゴミ屑のように野垂れ死ぬのだろうと信じて疑わなかった、幼い自分。
そして、その幼さと凶暴さを引きずったまま、この人に出会い、全く違った価値観と強さに打ちのめされ、のぼせ上がってしまった、浅はかな自分。
けれど、もうそんな自分ではいられないし、いたくない。
───俺は、変わりたい。
(ああ、そうだ)
今のままでは自分が苦しいから変わる、などという器の小さな理由ではなく。
どうせ変わるのなら、こんな自分でも必要だと言ってくれた人のために、誰よりも強く、大きくなりたい。
そして、彼が大切にしている人々を妬んで苦しむのではなく、自分も彼と同じように大切に思えるようになれたら。
きっと、世界がもう一つ、変わる。
(十代目)
改めて、獄寺は自分が選んだ唯一人の存在を見やる。
自分が不甲斐ない人間であることは事実だ。
だが、より良い人間になりたいというこの思いは本物だった。
───だったら、逃げてはならない。
この先も、彼の傍にいたいのなら。
自分と彼に、まっすぐに向き合わなければならない。
自分の中にある、彼にとっての一番の存在でありたいという想いは、おそらくどうやっても消せない。
あまりにも彼が大切すぎて、だからこそ、自分も彼の特別でありたいと願わずにいられないのだ。
それは美しい感情ではない。我儘で、貪欲な想いだ。
けれど、その感情を上手く昇華できたなら、自分は真実、望む方向に変わることができるかもしれない。
真実、誰よりも彼を思い、彼の役に立つ『右腕』になれるかもしれない。
そんな小さくほのかな希望が、ふと獄寺の内に生まれ、淡く輝き始める。
「十代目」
「う、うん」
銘を呼んだだけなのに、今にも「ごめん」と謝りそうな綱吉の様子に、獄寺の口元に小さく自嘲交じりの微笑みが浮かぶ。
先程路上で感じた苛立ちは間違いなく本物だったが、澄んだ秋の風を受けてほんの少し冷静になってみれば、この優しい人が頭ごなしの命令などできるはずもないということは、とうに分かっていた当たり前の話にすぎない。
そして自分もまた、そんな彼に一抹のもどかしさを感じつつも、惹かれ、その優しさを損ねたくないと思ったのではなかったか。
頭ごなしの命令をすることを嫌い、部下の一人一人の身を家族のように案じる、一見ボスらしくない、けれど最高のボス。
そんな彼に相応しいのは、この人らしさを損ねない、思慮深い右腕だ。
少なくとも、今の自分ではない。
そう腹をくくって、獄寺はソファーに腰を下ろしている綱吉の向かい側に自分も座る。
そして、話を切り出した。
「まず、あなたに謝らなけりゃいけないことがあります」
「え……?」
告げた途端、綱吉の瞳が不思議そうに丸くなる。
その琥珀に透ける色合いを見つめながら、正直に話せる部分は話そう、と獄寺は決意した。
「これまでの俺の態度、です」
「君の……?」
「はい」
まっすぐに獄寺は、綱吉の目を見る。
今朝、見るのがあれほど怖いと思った、綺麗な瞳。
今もまだ、目を合わせるのは怖かった。けれど、獄寺は目を逸らさない。
そして、静かに話し始めた。
9.
「十代目、これから俺がする話は、すっげー情けない話です。軽蔑されてもしかたないんですけど、最後まで聞いてもらえますか」
「……うん。でも、」
真面目な顔で切り出した獄寺に、綱吉はうなずいて見せ、でも、と続ける。
「俺が獄寺君を軽蔑したりとかは、何を聞いてもないと思う。だって、俺の方が情けないところとか駄目なところ、絶対に多いと思うし」
「そんなことないですよ。あなたと俺とじゃ比べ物にもなりません。それに今は、俺の話です」
少しだけ強引に、獄寺は話の筋を戻す。
こんな風に彼の意見をさえぎるのは心苦しかったが、話が綱吉自身の評価ということになると常にお互いの意見が分かれるため、水掛け論になってしまうのは目に見えている。
いつもなら、いかに彼が素晴らしいか熱烈に語って見せるところだが、今はそれだけの精神的な余裕がなかったし、また話の筋道を逸らしたくもなかった。
「十代目。俺はあなたに、俺だけを認めて、俺だけを褒めてもらいたかったんです。これまでずっと」
「……そうなの?」
「───はい、そうなんです」
結構、一世一代の罪の告白のつもりだったのだが、綱吉にはそうは聞こえなかったらしい。
戸惑ったような綱吉の問いかけに、少しだけ獄寺の気分がほぐれる。
だが、話すべきことだけは話してしまわなければ、と続けた。
「俺は、二年前のあの日から、ずっとあなたの右腕のつもりでした。だから、あなたに特別扱いされるのが当然だって、何故か思い込んじまってたんです。とんでもねー勘違いでした」
「───…」
「それにようやく昨日、気付いて。そんなんじゃ駄目だって思ったんです。今の俺は、十代目に御迷惑をおかけしてるばっかりだって。だから、変わろうと思ったんです」
「え? 変わるって……?」
「だから、もっとあなたの右腕に相応しい人間になれるように」
「…………」
獄寺が答えると、綱吉は眉をハの字にして考え込む。
そして、一分ほどの沈黙の後、顔を上げた。
「あのさ、獄寺君。俺、よく分かんないんだけど……。それってもしかしたら、俺のために変わるって言ってるの? 俺に迷惑かけないために?」
「え」
一瞬、獄寺は反応に詰まる。
綱吉の言葉は確かに間違ってはいない。いないのだが、ここでうなずいたら、何かを間違えてしまうような気がした。
そもそもこの問題は獄寺自身のものであって、自分が変わることの責任を綱吉に負わせるつもりはない。だから、慌てて言葉を探す。
「いえ、そうじゃなくて。俺が、もっとマシな人間になりたいんです。そりゃ、あなたのためっていう気持ちは一番にありますけど、あなたのためだけというわけでもありません」
「…………」
「本当です、十代目。それとも俺の言うことは、そんなに信用できないですか?」
「君のことは信じてるよ」
眉をハの字にしたまま、綱吉は即答した。
「信じてるけど、獄寺君は時々、俺に対しては隠し事するのも知ってるから。今の言葉も、丸ごと信じていいのかどうか、ちょっと分からない」
「…………」
今度は獄寺が押し黙る番だった。
確かに綱吉が言う通り、綱吉を心配させるまいと、あるいは格好悪い所を見せまいと隠し事をしたことは、これまで何度もある。
悪気があってしたことではなかったが、それらも悪意なき罪であることには変わりないだろう。因果応報、という日本にきてから覚えた四文字熟語が、獄寺の脳裏を巡ったが、ここでへこんでいては綱吉の言葉を肯定したことになってしまう。
そうではないのだ、と獄寺は改めて強調した。
「十代目、俺は確かにあなたが一番大切です。あなたのためなら何でもできます。でも、あなたが大事だっていうこととは別に、俺自身がマシな人間になりたいっていう欲求もちゃんとあるんですよ」
「……うん」
「あなたも多少は聞き知ってるでしょうけれど、俺、日本に来るまでは滅茶苦茶な生活をしてました。それこそ、いつ死んでもおかしくねーような……。目に付くものは何でも破壊したかったし、誰を傷つけても何とも思わなかったし、大事だと思えるものも守りたいものも、一つもありませんでした」
改めて言葉にすると、本当にひどいと自分でも思う。
あの頃の自分は、人間ではなく、狂った獣だった。
そんな自分の過去を一番大切な人に告白するのは、消え入りたいほどに恥ずかしく、苦い。
けれど、綱吉に分かってもらうには、正直なことを話すしかないと獄寺は言葉を続ける。
「でも、日本に来て、あなたと出会って、俺は変わったんです。少なくとも、自分では変わったと思ってます。けど、まだ足りない。別に聖人君子になりたいわけじゃありませんが、あなたの隣りに立つことを誰にも恥じない自分に、なりたいんです」
言いながら、ああそうだ、と獄寺は自分の中にある一番の願望に気付いた。
強いだけでなく、頼りになるだけでなく。
───優しい人間になりたい。
彼の優しさを茨の檻と感じてしまうような今の自分ではなく、その優しさを傷付けず、自然に彼の心を汲み取れるような、そんな人間に。
そして、彼の守りたいと思うものを、ボスの望みだからというのではなく、自分も守りたいと思えるようになりたい。
何故なら、自分は彼の優しさに救われたから。
もちろん、自分が彼を救うなどというのはおこがまし過ぎるが、せめて彼の支えになりたい。
彼が歩むのは、彼の優しさには到底似合わない暗黒の修羅の道。だから、自分はその闇の中での杖になりたい。
自分を救ってくれた彼が、ずっと変わらないように。
変わらないで下さい、なんて、どうしようもなく我儘な願望ではあるのだろうけれど。
それでも、彼がいなくなったら、自分の世界は、冷たく血の臭いに満ちた暗黒に逆戻りしてしまうから。
「いきなりすぎて、あなたを心配させてしまったことは本当に申し訳ないと思ってます。でも、十代目が何と言われようと、俺は今の俺じゃ駄目なんです。変わらないと」
分かって下さい、と頭を下げる。
そのまま、永遠とも思える、だが実際には一分かそこらの沈黙が落ちて。
ひっそりとした綱吉の声が、静寂を破った。
「獄寺君て、すごいね」
10.
「は……?」
何と言われたのか、一瞬獄寺は理解できなかった。
思わず顔を上げて、まじまじと綱吉を見つめる。と、その視線を受けて綱吉は、くすぐったそうに小さく笑んだ。
「獄寺君はすごいと思う。俺は、そんな風に自分が変わらなきゃとか、真剣に思ったことないから」
やわらかな声で言われて、ますます獄寺の思考はフリーズする。
だが、綱吉はそれに気付いているのかいないのか、一言一言考えるようにゆっくりと続けた。
「そりゃあ、俺だって少しは自分が変わったかなとは思うけど、いつも状況に追い詰められてっていうか、切羽詰まってのことで、自分から変わらなきゃいけないと思ったわけじゃないから。……ずっと変わりたいとか、変わらなきゃとかっていう気持ち自体は、心の中にあるんだけど、俺って駄目だなーって思うばっかりで、実行に移せないんだ。だから、俺はいつまでたっても駄目ツナなんだよね」
「そっ、んなことないですよ!」
自嘲気味に笑った綱吉の気弱な笑みに、獄寺の硬直が解ける。
「十代目は、駄目ツナなんかじゃねーです!! 一番強くて、一番優しくて……!!」
「うん、ありがと。獄寺君は、いっつもそう言ってくれるね」
「本当ですよ!! 俺はいつも本気で言ってます!!」
ありがとう、と言いながら綱吉の笑みは、弱かった。だから、獄寺は力を込めて言いつのる。
「十代目、あなただから……二年前に出会ったのがあなただったから、俺は変わったんです。変わって、もっとマシな人間になりたいと思うようになった。イタリアにいた頃は、俺は一度もそんなことを思ったことなかったんですよ。それどころか、自分が明日、生きてるかどうかってことすら興味なかった……!」
たかが十歳かそこらで、自分は世の中を知った気分になって絶望していた。
自分は何も知らないだけなのだということすら、気付かずに。
「あなたが俺を変えてくれたんだ。あなたにはそれだけの力がある。あなたが何でもないと思ってることが、俺にとっては全部、奇跡みたいなことばっかりなんです。あなたはもっと自惚れてもいいんですよ。駄目ツナだなんて、言わないで下さい……!」
一気に言葉を継いで、熱くなった息を吐き出す。
そして顔を上げると、綱吉は目を丸くしてこちらを見ていた。
「………すごい」
「え?」
ぽつりと呟かれた意味が分からず、獄寺は聞き返す。
と、綱吉はまだ半ば呆然とした表情のまま、言った。
「獄寺君の言葉聞いてたら、なんか自分がすごいみたいな気がしてきた。でも違うよね。すごいのは俺じゃなくって、そんな風に言える獄寺君の方だよ」
もしかしたら、それは少しばかり声が大きめの独り言だったのかもしれない。
そう感じた獄寺の内心を裏付けるかのように、言い終えてから、ようやく綱吉は自分を取り戻した表情で、獄寺を見た。
「獄寺君って、やっぱりすごいや」
「……だから、どうしてそういう結論になるんスか」
「だって、すごいじゃん。獄寺君は俺と同い年なのに、そんな風に考えて言えるのは、俺なんかよりずっと真剣に生きてきたからだと思うし。……そっか。そうなんだよね」
「十代目?」
何やら一人で納得されても、こちらはさっぱり分からない。
脳裏をクエスチョンマークでいっぱいにしながら銘を呼ぶと、綱吉は獄寺を見上げて、詫びるような気弱な表情をのぞかせた。
「ごめんね、獄寺君」
「へ!? な、何がっスか?」
「だって獄寺君は真剣に考えてるのに、俺、余計なこと言っちゃった気がするから。こうやって無理やり部屋まで押しかけちゃったし……。だから、ごめん」
「いえ、そんな、もとはといえば俺が悪いんですから……!」
「そんなことないよ。獄寺君は悪くない。でもさ」
でも、と綱吉は獄寺の目を覗き込む。
まっすぐに琥珀色の綺麗な瞳で見つめられて、知らず獄寺の心臓が跳ねた。
「変わりたいっていうのはすごいことだと思うけど、急いで無理に変わろうとするのは、あんまりいいことじゃない気がする。上手く言えないけど、今日の獄寺君、なんかすごくつまらなさそうだった。俺、獄寺君にはああいう顔、していて欲しくないよ」
獄寺君は極端なとこがあるから、と綱吉は言った。
「獄寺君はさっき、俺に謝ったけれど、俺は別に、そのままの獄寺君でいいよ。そりゃ相手構わず喧嘩されると困るけど、でも今までもどうにかやってこれただろ? 獄寺君に悪気がないのは分かってるから、今のままでも構わないよ」
「十代目……」
獄寺は何と答えればいいのか、分からなかった。
あまりにも綱吉の言葉が優しくて、胸が締め付けられるようで言葉が見つからない。
そのままでいい、なんて。
絶望にも似た自己嫌悪で、この二日間、死にそうな思いを味わっていた獄寺にとって、その声は聖母マリアの声よりも慈愛に満ちて聞こえて。
けれど、だからこそ。
「──ありがとうございます。そう言っていただけて、俺、すっげー嬉しいです」
かろうじて獄寺は、泣きたくなるような気持ちを抑えて、笑顔を浮かべる。
「でも、やっぱり俺は変わりたいですから。十代目には、見てて下さいとしか言えません。もちろん、無理はしないし、十代目に御心配をおかけするようなことはしないと誓います」
「そんなことは誓わなくてもいいけど……。でも、そうだね。獄寺君が自分で決めたことだもんね。ごめん、俺、また余計なこと言ったみたいだ」
「いえ、全然余計じゃありません。俺、嬉しかったです。でも、俺も譲れねーことがあるんで、すみません」
「うん」
分かっている、と少しだけくすぐったそうに笑って、綱吉は獄寺を見た。
「ありがとう、獄寺君。話してくれて」
「いえ。俺の方こそ、聞いて下さってありがとうございました」
互いに目を見交わして、おそらく今日初めての裏のない、しかし、いつになく少しだけ照れを含んだ笑みを浮かべる。
そして、はたと獄寺は、まだ飲み物さえ出していないことに気付いた。
「すみません、俺、飲み物も出さなくて。炭酸と、炭酸入ってないのと、どっちがいいですか?」
「あ、いいよ。俺、もう帰るから」
「え、もう帰られるんですか」
つい先程、綱吉が部屋に来たいと言った時には拒みたがったくせに、いざ帰ると言われると、がっくりと気が沈む。
おそらくそれがまともに顔に出たのだろう。獄寺がしおれた視線を向けると、綱吉は小さく破願した。
「じゃあさ、宿題のプリント、手伝ってもらっていい? 帰ってからリボーンとやるつもりだったんだけど、獄寺君が教えてくれるんなら、その方がいいや」
リボーンはスパルタだから、と笑う綱吉に、一気に気分が上昇する。
「はい、喜んで!!」
喜びに胸が詰まるような感じを覚えながら、獄寺は心の底から答えた。
11.
綱吉を自宅まで送って帰る夜道の風は、快かった。
今朝あんなにも最低な気分だったことが嘘のように、心は凪いでいる。
それどころか、ほわほわと温かいもので満たされていて、これが幸せというものだろうか、と獄寺は考えた。
現金なものだとは自分でも思うが、どうしようもないくらいに最低最悪な自分を綱吉が「そのままでいい」と肯定してくれた、そのことだけで痛んで仕方がなかった心のささくれが綺麗に消えてしまったのだ。
やっぱり十代目はすごい、と呟きながら獄寺は自分の部屋があるマンションのエントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。
もちろん、肯定してもらえたとはいえ、綱吉の言葉に甘えるつもりは獄寺にはなかった。
これまで綱吉の負担にばかりなってきたことは事実であるし、今の自分には至らない部分が多すぎる。
真実彼の右腕に似合う自分になるためには、変わらなければいけない。その思いは、今朝と変わらず獄寺の中にあった。
(──いや、同じじゃねえな)
朝の感情は、どうしようもない悲壮感と絶望感が隣り合わせだったが、今は違う。
大切な人のために強くなろう、少しでもマシな人間になろう。そんな真っ直ぐな想いが、獄寺の背筋を貫いている。
そのことが何よりも幸せだ、と感じた。
この喜びは、すさんで歪み、捻じ曲がった日々の経験を持つ者にしか分からないだろう。
もう一度、日の光を浴びて真っ直ぐに伸びられることが、それを許されたことがどれほど心を明るく、輝きに満ちたものに変えるのか。
すべてが綱吉との出会いのおかげだと思うと、それだけで獄寺の口元はほころんだ。
「やっぱ俺、十代目がすっげー好きだなー」
エレベーターの筐体から降りながら、全身に満ちる温かな思いに促されるままにそう呟いて。
数歩歩いて、
「……あ、れ?」
獄寺はよろめくように足を止める。
「俺……」
別におかしなことを口走ったわけではない。
獄寺は出会ったその日から綱吉に忠誠を誓ってきたし、誰よりも敬愛してきた。ボスとしても一人の人間としても、彼がとても好きだと素直に思う。
傍にいたいし、笑顔を見たり、声を聞いたりすると、それだけで幸せになれる。嬉しくて叫びたくなる。
だが。
───どんな風に、どれくらいまで『好き』なのか。
初めて、獄寺はその基準の存在につまづいて、そこに立ち止まったまま、めまぐるしく思考を巡らせた。
もともと獄寺の他人に対する許容範囲は、決して広くはない。だが、幾人かのいい意味での例外はあって、たとえば、イタリア本国のボンゴレ九代目も、心の底から尊敬しているし立派な人だと思う。
シャマルはあちらこちら気に食わないところだらけだが、それでもすごい奴だと思う。
綱吉の両親も、あの十代目の御両親というだけで尊敬に値するし、人間的にも愛情に満ちた素晴らしい人たちだ。
山本や笹川兄、ヒバリは、顔を見るだけでむかつく部分もあるが、本音の所では悪くない連中だとこっそり思っている。
他にも、『気に食わないが、まぁ存在を許せる』連中は、こうして考えると案外いる。
だが、どれほど考えても、手放しに『好き』だと思えるのは、綱吉一人しかいなかった。
「十代、目」
獄寺はこれまで、恋愛感情で誰かを好きになったことがない。
仕えるべきボスを持ったのも、綱吉が初めてであり、だからこそ、判断すべき基準が分からなかった。
どこまで好きになったら、それはボスに対する敬愛の域を超えるのか。
どんな風に好きになったら、それは敬愛の念ではなくなるのか。
気持ちを正直に綴るなら、獄寺は綱吉の全てが好きだったし、世界中の何よりも綱吉が大切だったし、綱吉のためなら自分が死んでも構わなかった。
そんな風にボスを絶対の神のようにしてしまう部下は、世間でも決して珍しくはない。環境が特殊で過酷であればあるほど、その傾向は強くなる。
戦場において部下が上官を、暗黒世界において部下がボスを全面的に信頼し、尊敬していなければ、それは即、死に繋がることを知っているから、部下は命を預けられるボスを求め、ボスも絶対的な忠誠を誓う部下を求める。それは人間の情愛というよりも、むしろ生き延びようとする動物の本能であり、自然の摂理と呼んでもいい心の動きだろう。
そして、生まれた時からマフィアの世界に身を置いていた獄寺にとっては、命がけの忠誠に値するボスを求める想いは、もはや本能に近い感情だった。
なのに、獄寺は今、自分の何気ない呟きに引っかかり、そのまま流してしまうことができないでいる。
自分がボスを好きで、大切に思っているのは当たり前のことなのに、なぜ今更、たった一言につまづき、立ち止まっているのか。
分からない、と苛立ちかけた時。
ふと脳裏で何かが閃いた。
「あー……」
あれはもう、今から一年以上前のことになる。
ボンゴレ十代目の座を懸けたリング戦の最中で、初対面のクローム・髑髏が綱吉に好意を示して頬にキスしたのを目の当たりにして、獄寺は激昂したことがあった。
彼女ばかりでなく、綱吉の正妻になると公言してはばからないハルのことは最初から大嫌いだし、綱吉が憧れている京子については、彼女自身には欠点らしい欠点がないのに、どうにも苦手意識があって、彼女と話す時にはつい身構えないではいられない。
それらの感情と、いま自分の呟きに引っかかったことが一本の糸に繋がるのなら。
「俺は……」
獄寺は顔を上げ、マンションの廊下の窓から、綱吉の家がある方角へとまなざしを向ける。
十代目、と心の中で呟いた時、じわりと重苦しい、それでいて甘いような痛みが心臓の辺りに広がった。
その痛みに気付いたとき、獄寺はもう自分が、何にも気づいていなかった頃には戻れないことを、砂漠の中に立ち尽くしているような茫漠とした思いと共に悟った。
12.
恋をして髪を切るなんて、感傷的な少女のようだと思わないではなかった。
もっとも、想いを断ち切ろうとして、その象徴に髪を短くしたわけではない。
ただ、この数日間の間に自分はめまぐるしく変わった、その一つのけじめとして、肩につくかつかないかの長さでずっと通してきた髪を切ろうと思った。それだけのことだ。
リボーンに自分の幼稚さについて指摘を受けたのが火曜日、綱吉と話をして、その後、自分の感情の在り方に疑問を抱いたのが水曜日。
そして木曜日、金曜日と獄寺は自分を観察することに費やし、土曜の丸一日をかけて観察結果を分析して確信に至り、日曜日にそれをどう受け入れるか考えて、髪を切ることに決めた。
久しぶりに耳の出る長さにすると、今度はなんだか物足りないような気がして、両耳にピアスを開けたのは単なるおまけだったが、悪い判断ではなかったと獄寺自身は思っている。
髪はまた伸びるが、ピアス穴は常にそこに異物を通しておけば、半永久的に塞がることはないからだ。そちらの方が、何かの象徴としては都合が良かった。
「十代目……、沢田綱吉さん、か」
慣れない短い髪の感触にまだ少し違和感を感じながら、獄寺は呟く。
ありふれた響きの名前を呟くだけで、甘くてじわりと重く、切ないような感情が胸を締め付ける。
だが、獄寺はその感覚を嫌だとは思わなかったし、否定してなかったことにしようとも思わなかった。
むしろ、これが自分だ、という思いの方を強く感じる。
「俺って案外、打たれ強かったんだなー」
結局の所、指折り数えてみれば、獄寺が自分の恋心に気付いて思い悩んだのは木曜から土曜の三日間だけだった。
思ったよりも落ち込みが浅く、期間も短かったことに自分でも感心しながら、獄寺は朝早い空を見上げる。
決して報われない恋、更にいうなら、報われることを望んではいけない恋をしたのだから、本来の自分の性格上、地球の裏側に突き抜けるくらいに激しく落ち込んでもおかしくないのに、そうはならなかったのは、やはり相手が相手だったからだろう。
この想いは──とりわけこの想いから生まれる独占欲は、十代目のためにならない。自覚と同時にそう悟ってしまったら、落ち込むよりも先に、この先どうするかを考えなければならなかったのだ。
もちろん自分の心に気付いた当初、突然砂漠の真ん中に放り出されたかのように途方に暮れたことは否定しない。
怖かったし、とんでもないことだとも思った。
けれど、どこか無意識で獄寺は、その砂漠の上には満天の星が輝き、地平線の向こうにはオアシスがあることを確信していたのだ。
そして言うまでもなく、迷い人を導く星は綱吉であり、渇きを癒してくれるオアシスも綱吉だった。
綱吉を想うことから生まれる絶望と悲哀さえ、綱吉が導いて癒してくれる。そう気付いたとき、獄寺はこの恋について嘆くのはやめようと決めた。
第一、どれほど嘆こうと、どう足掻こうと、この先、綱吉に対する想いが薄れるとは思えない。
そう確信できるくらいに、獄寺は綱吉が好きだったし、綱吉が存在の全てだった。
ならば、事あるごとに沸き起こる胸の痛みにも、いずれ慣れっこになって、それが当たり前になるだろう。そうなる日を、一日でも早くと願いながら待つしかない、と割り切ることにしたのだ。
それに、決して報われない想いではあっても、それがイコール不幸というわけではない。
少なくとも綱吉は獄寺が傍にいることを受け入れ、存在が失われることを惜しんでくれる。
獄寺に良くないことがあれば心配し、良いことがあれば本人以上に喜んでくれる。
それらの感情表現は恋とはかけ離れたものではあったけれど、一番大切な人からそんな優しい心を向けられるのは、間違いなく幸せなことだった。
もちろん、彼を好きなのだから、笑顔が自分だけに向けられたものであってほしい、他の人間と親しくして欲しくないというような欲は、どうやっても付きまとう。
そればかりはどうしようもなさそうだったから、仕方がないと諦めて、感情を表面に出すことだけを控えるつもりだった。
「俺は、あの人の傍に居られればいい。あの人の役に立てたら、それでいい……」
この週末、何度も自分に言い聞かせた言葉を、そっと空に向かって繰り返す。
もちろん、今はこうして割り切ったつもりでいても、この先事あるごとに、この想いは自分を苦しめることは分かっている。
恋をしたのは初めてだが、幼くして家を出て街を彷徨っていた獄寺は、恋に狂った男や女の姿を幾度も目にしたことがあった。それに自分の性格を考え合わせれば、おそらく死にたいくらいに辛い思いをすることもあるだろうという程度の予想はつく。
だが、それでもやっぱり好きなものは好きなのだ。
離れられないし、離れたくない。
無理に引き離されるようなことにでもなれば、それが命令であれば従いはしても、きっと綱吉の傍を離れた瞬間から、自分の心は壊れ始めるだろう。
だったら、傍にいるためには、想いを隠したまま、十代目の右腕として真実ふさわしい存在になるしかない。
そう覚悟を決めてしまえば、あとはもうやるべきことは、一つのけじめとして髪を切ることくらいだった。
「んー。でもやっぱ慣れねえなぁ」
極端に短くしたわけではないが、それでも長さ自体は切る前の半分程度といったところだろう。
耳をかすめる毛先の感触に眉をしかめながらも、獄寺は沢田家の門前で足を止める。
携帯電話の時刻表示を確認すると、あと五分もすれば綱吉が出てくる頃合の時間だった。
(あ、やべ。緊張してきた)
想いを自覚して、髪を切って、ピアスを開けて。
他人の目には大して変わりなく見えても、獄寺の中では、ほんの数日の間にあまりにも色々変わりすぎた。
綱吉が出てきた時の自分の反応や、少しばかり外見を変えた自分に対する綱吉の反応を考えるだけで、何やら背筋がむずむずとして胃が締め付けられるような感じがする。
(赤面したらどうしよう、……って考えてると余計緊張するだろ。考えるな俺!)
心頭滅却、心頭滅却、と異教の呪文を脳裏で唱えていると、ガチャリと玄関のドアが開く音がして、獄寺はぱっと目を開けた。
「行ってきまーす」
いつもの明るい声と共に、足音軽く綱吉が玄関を出てくる。
そして、
「獄寺君、おはよう」
そう言いながら門扉を開けた所で、綱吉は、あ、と短く声をあげて足を止めた。
「おはようございます、十代目」
「髪、切ったんだ。……あ、ピアスも?」
目を丸くしながら近付いてきて、しげしげと頭半分背の高い獄寺を見上げる。そのまなざしに、獄寺は少しばかり体温が上昇するのを自覚した。
だが。
(……コレってなんか、いつもと同じ気が……)
思い起こせば、綱吉の姿を見るだけで嬉しくなり、事あるごとに感情を乱高下させていたのは、一番最初の出会いの時からずっとの話である。
むしろ自覚がなかった分、その表現は激しく、あらわであったような気さえする。
(もしかして……アホ牛と同じくらいうざくねーか、俺)
今から思うと、よく綱吉が呆れもせずにこの過剰反応に付き合ってくれたものだと、その心の広さに感謝感激するしかない。
俺って……、と過去の自分に対する自己嫌悪で少しばかり虚しくなりながらも、獄寺は注意を綱吉の方に戻した。
「ピアス開けるの、痛くなかった?」
「大したことなかったっスよ」
「ふぅん」
感心したように獄寺の耳元に見入っていた綱吉は、一歩下がって改めて眺め、そして少しばかり控えめな印象の、彼らしい笑みを浮かべて。
「似合ってると思うよ。髪形も、ピアスも」
何でもない賛辞に、かっと全身が熱くなる。
嬉しい、という思いと、この人が好きだ、という想いが鼓動と共に全身を駆け巡る。
が、獄寺はそんな自分をぐっと抑えた。
「ありがとうございます、十代目」
ここで感情を全て出してしまったら、何のために髪を切ったのか分からない。
だから、いつもよりも少しだけ控えめに嬉しさを伝えると、綱吉は特に気にする様子もなく、うん、とうなずいてから、少しだけ慌てた顔になった。
「あ、急がないと遅刻しちゃうよ」
「そうっスね。行きましょうか」
「うん」
並んで歩き出しながら、これでいいのだ、と獄寺は思う。
突然全てを変えるのは無理だし、無理にそうしようとすれば、今度は綱吉に心配させることになる。
だから一つ一つ、静かに変わってゆけばいいのだ。
気付いたら、変わっていた。そんな風にさりげなく、自然に。
そして一ヵ月後、一年後には、今よりも強く、思慮深くて優しい、彼の右腕にふさわしい人間になっているように。
(大丈夫、俺は変われる)
この人が好きだから。
誰よりも大切で、傍にいたいから。
そのためになら変わってみせる。
そう心に呟きながら、獄寺は携帯電話の時刻表示を確認して、小さく眉をしかめた。
門前での立ち話はほんの数分のものだったが、そもそも綱吉が玄関を出てくるのは、いつでも少々ギリギリのタイミングなのである。ほんの数分の道草が命取りになりかねないのだ。
「うーん。こりゃあマジで急がないと遅刻っすね」
「だよね。……走る?」
「はい。俺は構いませんけど、十代目を遅刻させるわけにはいきませんから」
「獄寺君だって、遅刻は駄目だよ。じゃあ、行こっか」
仕方がない、と慣れた通学路を駆け出した綱吉に続いて、獄寺も走り出す。
そして、そのまま二人は振り向くことなく、校門までの道程を一息に駆け抜けた。
End.
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