盲目のエデン

 西の地平は澄んだ茜色に染まりつつあった。
 目を上空に向ければ、淡く煌めくように一日の終わりの光が薄青へと透き通り、東の空は淡い紅に霞んでいる。それは何事もなかった一日に天が安堵しているようであった。
 見晴らしの良い高台の南端。広い広い天地の狭間でぽつりと座っていると、世界に自分しかいないような気分がひたひたと押し迫ってくる。
 大気はぬるいはずなのに、ふと肌寒さを感じて、鬼灯は自分の膝をぎゅっと抱え込んだ。

「あれ、君は……」

 どれほどの時が過ぎただろう。
 不意に後ろから声をかけられて、いつの間にか膝小僧に埋めてしまっていた顔を上げる。どこかで聞いた声だと振り返ると、白くひらひらとした衣装が視界に入った。
「ああ、やっぱり。見覚えのある後姿だと思ったんだ」
「神獣様……」
「久しぶりだね」
 見上げたその先、華やかな形の衣装によく似合うふわふわとした笑みをたたえた青年は、半年ほど前に知己を得た神獣だった。
 知り合ったきっかけは何のことはない。いつもの思い付きで現世に行こうと言い出した烏頭が、現世への移動手段として市場で見つけてきたのだ。
 市場の真ん中で、美人に興味はないかと叫んだらすかさず寄ってきたというのだから、女好きの程が知れる。だが、人妻には手を出すつもりはないと明言した所と、初対面の自分たちを現世に快く送ってくれた気の良い所は、及第点だと鬼灯は評価していた。
「どうしたんだい、こんなところで。もう日が暮れるよ」
「そうですね」
 短く肯定すると、おやおやと言いたげに神獣は目を細める。
 そして、数歩の距離を詰め、すとんと鬼灯の隣りに腰を下ろした。
 人間姿の彼は背が高く、座っていても随分と見上げなければならない。長時間話していると、首が痛くなりそうだな、と思う。
「何ですか?」
「んー。帰りたくないのはいいけど、君みたいに小さな子が黄昏時に独りでいるのは良くないからね。逢魔ヶ時って聞いたことない? 今くらいの時間帯のことを言うんだけど」
「平気です」
 黄昏時に独り、など当たり前のことだ。家族がいたことなど物心がついてこの方、一度もない。独りでいることで格別な身の危険を感じたこともない。
 裕福な家の子であれば、何かしらの変事に巻き込まれることもあるだろうが、下働きの薄汚い子供になど目を向けようとする者など居ないのが当たり前だった。
 鬼となって黄泉に来て、周囲の人々のまなざしは幾らか温かく優しいものに変わったが、それでも係累のいない自分は、日が暮れて友達が家に帰れば独りになる。
 一晩をここで過ごしたとて、気付いて心配してくれる者はいないのだ。
 そんなことをひどく乾いた心で思い、鬼灯は『貴方など要らないのですよ』と神獣を見上げた。
「そっか。平気なんだ」
「はい」
 鬼灯の返事に彼はやわらかく笑んだ。だが、立ち上がって去ろうとはしない。
 変な神獣だと思った。
 夕暮れ時の風が、ゆるりと吹き抜ける。その中で、またもや彼は口を開いた。
「ここからの風景はいいね」
「はい。すぐそこが桃源郷ですから、風景も綺麗です」
「……君は現世生まれだね」
 言われて、神獣へとまなざしを向ける。青年姿の彼は、穏やかなまなざしでこちらを見ていた。
 深い深い色の瞳に蔑みの気配はない。
 確認してから、鬼灯はこくりとうなずいた。
「現世で死んで、鬼になって黄泉に来ました」
「うん。そんな感じだ」
 ひらりと視界の端で男の手が動く。何、と思った途端、さらりと頭を撫でられた。
 憐れまれたのだと反射的に思った。
 幼くして命を落とし、鬼に成るほど何かを恨んだ。その生き様を憐れと思ったのだと。
 だが、見上げた神獣の目にあるのは、ただ優しい色だった。
 慈しみ、というのはこういう色を言うのだろうか。親が子を見るような、年嵩の兄弟が幼い兄弟を見るような、そんなまなざしだった。
 そう理解した途端に、すとんと小さな肩から力が抜ける。何とはなしに背筋がむず痒くなり、鬼灯は神獣の手を押しやって顔をそむけた。
「止めて下さい」
「うん、ごめん」
 八つ当たりのような言葉だったと思う。だが、彼は怒らなかった。
 神獣は怒るということはないのだろうかと不思議になる。
 生きる苦しみも死ぬ苦しみも知らない存在だからだろうか。彼は常に笑んでいる。ふわふわ、ひらひらと風にたゆたっている。
 何とも不可思議な存在だった。
 捉えどころのない彼は、ただ穏やかな声で釈明した。
「黄泉生まれの子は、桃源郷の風景に惹かれたりはしないから。物珍しさは感じるようだけれどね。天界生まれなら、桃源郷よりもっと美しい風景も知っているし。ここを美しいと言って感動するのは――現世からやってきた亡者だけだ」
「……そうですか」
「うん」
 なるほど、と鬼灯は納得する。
 同時に、自分が生粋の黄泉の住人ではないことを改めて思い知らされた気がして、まなざしをうつむけた。
 黄泉生まれの者が感じるようには、自分は世界を感じられない。
 どこまで行っても自分はよそ者なのだと、そう思った時。
「話してみたら」
 不意に神獣が言った。
「え?」
 目を上げると、彼は遠くの空を見つめていた。
 美しい横顔を鬼灯に向けたまま、静かに言葉を続けた。
「僕は通りすがりの存在で、お互いに名前も知らない。もう二度と顔を合わせることもないかもしれない。そう思ったら気楽だろう」
 つまり、愚痴を言ってもいい、弱音を吐いてもいいと言われているのだと理解する。
 けれど、そう言われたところで、どうしてあっさりと内心を吐露できるだろう。
「でも、気楽だからと下手に打ち明け話でもしたら、どこかでうっかり再会した時に黒歴史が蘇って、貴方が記憶を失うまでぶちのめしたい気持ちになると思います」
「屁理屈を言う子だねえ」
 鬼灯の言葉に神獣は笑った。皮肉ではないらしく、屈託のない笑みだ。
 その顔を見て、珍しいと鬼灯は思う。
 大人たちは皆、これで怒るのだ。可愛くないガキだと。同年の子供たちは、訳の分からないことをいう奴だと眉をひそめて、もういいよと離れてゆく。
 怒りも離れてゆきもしなかったのは、烏頭と蓬だけだ。
 そう思った途端、彼らの顔が浮かんで鬼灯は胸の奥がぎゅっと痛むのを感じた。
 おそらく表情に出てしまったのだろう。
「話してごらん」
 優しい声が再び言った。
 こちらを見下ろすまなざしも驚くほどに優しい。
「口に出して説明することで考えが整理できるし、気持ちを吐き出せば、何かしら楽になることもあるかもしれないよ」
 春風のようなやわらかな声。
 つい、心を委ねてしまいたくなるような深い深い色合いの瞳。
 けれど、駄目だと鬼灯は心を引き締める。
 彼自身が言う通り、彼は通りすがりの存在でしかない。そんなものに心のやわい部分を晒していいはずがなかった。
「私は楽になりたいとは思ってません」
 ずっと冷たく重い石のようなものを腹の底に抱えて生きてきたのだ。今更その荷を下ろすことなど考えられない。
 そう思っての言葉だったが、しかし、神獣はまたもや面白げに笑っただけだった。
「嘘だね」
「嘘じゃありません」
「嘘だよ」
 断言されて、鬼灯はむっとする。貴方に何が分かるのだと反論しようとした矢先、小さな唇をすいと伸ばされた神獣の指先に塞がれた。
「苦しい、悲しい。それは生き物にとって良くない状態だ。だから、そこから抜け出そうと生き物の心はあがく。それはとても自然なことなんだよ」
「―――…」
「身体の傷は、余程の深手でない限り治る。傷口がそのままだったら、血が流れ尽くして死んでしまうからね。生きるために生き物は傷を治す力を持っている。だったら、どうして心の傷が治らない、治せないなんていうことがあると思う?」
「……治らないことだって、あるかもしれません」
「うん、そうだね」
 神獣の指先が離れ、自由を取り戻した唇で反論すると、彼はやはり穏やかにうなずく。
「心の傷が治らなかったら、心は死んでしまう。身体が傷付いて死んでしまうのと同じように。だから、治せる傷は治さなきゃいけないんだ。心も身体も」
 治さなければいけない、とそれは断言だった。
「……お医者様みたいなことを言いますね」
 皮肉のつもりだった。けれど、青年はうなずく。
「うん、正解。僕は医者だよ。趣味でやってるだけだけど」
「は……」
 思わず鬼灯は彼の姿を見直した。
 そして、彼の白い服の袖に施された刺繍が十薬(ドクダミ)であることに、改めて思い至る。頭の白巾も、単なる装飾ではなく、髪が乱れて落ちかかるのを抑えているのだということにも。
 その姿で、彼は言うのだ。
「話してごらん」
 声も口調も、温かく優しい。
 だが、それはひどく難しい注文だった。
 目の前の彼が、ただの神獣ではなく医者であるということは理解した。様々な不具合の訴えを聞き、それを癒すことを生業としていて、だからこそ今の自分を放っておけないのだということも。
 しかし、そもそも苦痛を訴える、という経験が鬼灯には全くなかった。
 これまで手足を怪我しようが、腹具合が悪くなろうが、誰にも言ったことはない。重たい水瓶や薪を支えきれずに転んで膝小僧を血まみれにした時でさえ、ぶたれて叱られただけだったのだから、苦しいだの痛いだのを口に出せるはずがない。
 医者という存在も知ってはいたが、路上で会った時に挨拶するのがせいぜいで、当然、自身はかかったことなど一度もない。
 痛みを言葉にしろといきなり求められても、答えようがなかった。
「……どう言えばいいのか、分かりません」
 こればかりは正直に告げる。すると、青年の笑みが少しだけ困ったように歪んだ。
「そうか。そのやり方も知らないんだね」
「―――…」
 痛みを訴えることが許されるのは、親のいる子どもだけだ。
 親がいれば、馬鹿な子だねと叱られつつも血まみれになった傷口を洗ってもらえて、揉んだヨモギの葉を当ててもらえる。嫌な奴に嫌なことを言われたのだと訴えることができる。
 だが、鬼灯にとっては、それらの全てが遠い遠い異世界の話だった。
 自分には無理だ。
 幼い容姿に見合わない冷めた感覚で思い、残照が少しずつ薄れゆく空を見つめる。
 すると、不意に身体が持ち上げられた。
「え?」
 抱き上げられたのだ、と気付いたのは、全身が温かく香りのよい何かに包まれたと理解してからだ。
 どうやら神獣の彼は、自分の体を持ち上げて胡坐をかいた脚の間に置いたらしい。
 長い腕に背後からゆるく抱き締められている。そう気付いた時、鬼灯の首筋がかっと熱くなった。
「離して下さい!」
「駄ァ目。ほら、暴れないで」
 さすがは神獣とでもいうべきなのだろうか。長い両腕が鬼灯の小さな手足を器用に抑え込み、抱き込む。
 誰かに抱き締められたのは、物心ついてから初めてのことだった。
 どうしようもないほど居心地が悪い。それなのに、どうしようもないほどに温かい。
 相反する感覚にひどく混乱して、どうすれば良いのか分からなくなる。
「嫌、です……!」
 恐慌状態で拒絶する声が、泣き出しそうな響きを帯びて震えた。
 すると、ああ、これは重症だね、と溜息交じりの声が耳元で響いた。
「大丈夫。誰かの体温は怖いものじゃないよ。僕も君を取って食ったりはしない。大丈夫だから、落ち着いて」
 大丈夫、大丈夫、とやわらかな声が何度も囁く。
 優しい手のひらが頭を撫でる。
 単調な声と動き。母の胎内で聞いた鼓動のように穏やかなそれらが昂ぶった鬼灯の神経を少しずつ宥め、ゆっくりと落ち着かせてゆく。
 どれほどの時間が過ぎただろうか。
 ほぅ、と詰めていた息を吐き出すことができた時には、小さな肩から余計な力も抜けていた。
「ごめんね、びっくりさせたね」
「はい。百発くらい、貴方を殴ってやりたいです」
「うーん。それは痛そうだ」
「でも、勘弁して差し上げます」
 貴方にくっついてる背中が温かいから。その理由は口にはせず、鬼灯は頭を上へと向ける。すると、こちらを見下ろす神獣の顔が見えた。
「どういうつもりですか」
 知り合ってから僅かであるし、交わした会話も少ない。だが、彼は相手の嫌がることを無理強いするような人柄には見えなかった。
 なのに、今、こんな風に強引に自分を捕えて離そうとしてくれない。
 意図を短く問うと、彼はふわりと笑んだ。
「知っておいた方がいいと思って」
「何をです」
「抱き締められることを、だよ」
 穏やかな声がやわらかく鬼灯を諭す。
「小さいうちに抱き締めてもらっておかないとね、他の人の体温を気持ち悪いと感じるようになったりするんだよ。もしくは、逆に際限なく人肌を求めてしまったりね。
 あと、弱音を吐くこともだ。そのやり方を知らないと、辛いことも悲しいことも、何もかも溜め込んで生きていくのが当たり前の大人になってしまう。君たち鬼は人の子よりずっと長く生きるのに」
 それじゃいけない、と神獣は言った。
「……お節介ですね」
「かもしれない。でも、君とは前にも会ってるし。こんな小さな子を放って通り過ぎる方が、僕にとっては問題だ」
 お人好し、と鬼灯は思う。
 神獣とは皆、こんな存在なのだろうか。
 だとしたら、何とも間抜けで――悪くないと思った。
「話してごらんよ。答えを僕が知ってるかもしれないし、答えを知らなくても、黙って聞いてあげるくらいのことはできるよ」
 間近で聞く神獣の声は、不思議なほど心地よく耳に響く。
 そこで初めて鬼灯は迷いを覚えた。
 不意に、話してもいいのではないかと思えたのだ。
 だが、胸の内を明かして、本当に大丈夫なのか。そんなことを一度でもしたら、抑えが利かなくなるのではないか。何度でも何度でも甘えたくなりはしないか。
 今はこうして抱き締められていても、自分が帰るのは独りきりの家だ。
 小さな小さな、狭い土間と狭い板の間しかない古い家。住むひとが居なくなってしまったから使っていいよと、鬼の里の人々に住むことを許してもらった家。
 そこには自分しかいないのに。
 こんな経験を覚えてしまってよいのだろうか。

 ―――これからも、これまでも、ずっと独りきりなのに。

 考えあぐねて黙り込んでしまった鬼灯に、神獣は何も言わず付き合う。
 お人好しな上に気も長いらしい。だが、抱き締める腕は、ゆるく鬼灯を拘束したままだ。
「あのね」
 長い長い沈黙の果てに、神獣は穏やかに再び口を開いた。
「いつまでも独りということはないんだよ。これから君も大きくなって、恋をして、結婚して、子供もできるだろう。そうしたら、君には家族ができる。もう独りじゃなくなるんだ。そうなった時、奥さんや子供を抱き締めてあげたくないかい?」
「―――…」
「奥さんや子供が悲しそうな顔をしていたら、ぎゅっと抱き締めて、何があっても好きだよって言ってあげる。それが男の甲斐性ってもんだよ」
 それは考えてみたこともないことだった。
 ずっと独りでいたから、独りでなくなる日のことなど想像したこともない。
 ―――そんな日が自分にも来るのだろうか?
 思いもしないことを言われて、鬼灯は戸惑う。
 そんな鬼灯をゆるく抱き締めたまま、神獣は淡々と静かに、やわらかな声で続けた。
「抱き締められたことがない子は、好きなひとをいつ抱き締めたらいいのか分からないし、抱き締めていいんだってことも分からない。弱音を吐いたことがない子は、相手が弱音を吐きたがっていることに気付かなかったり、自分は我慢してるんだからお前も我慢しろと思ったりしてしまう。
 それじゃ困るだろう? だから、これはいつかの日のための練習だと思いなよ」
「練習、ですか」
「うん」
 神獣はうなずく。
 鬼灯は、しばらくの間考え、心を決めた。
 ずっと独りでいるのは嫌だった。彼が言うように、もしいつか、本当に家族を作ることができるのなら。
 その時は、うんとうんと大切にして、どんな悲しいこと辛いことからも守ってやりたい。
 そのために必要なことであるのなら、この練習とやらも乗り越えられるような気がした。
「あの、」
「うん」
 ぎゅっと手を握り締める。神獣は急かさない。少し冷えてきた宵風の中、触れている箇所が温かい。
「私には見えないんです」
 思い切って鬼灯は言った。
「何が見えないの?」
「色んなものが」
「たとえば?」
 穏やかに先を促されて、鬼灯は言葉を探す。
 温もりで男の存在は感じ取れるが、顔は見えない。そのことをありがたいと思い、ああ、だからこの体勢を選んだのかと、今更ながらに彼の意図に気付いた。
「遠くのものや、速く動くものです。私の友達には見えるのに、私には見えないんです。……私は生まれつきの鬼ではないですから」
 感覚的に劣る。そのことに鬼灯が気付いたのは、早かった。
 烏頭や蓬が見ている遠くの鳥や虫が見えない。あそこに居るだろ、と言われても分からないのだ。
 そんなことを数度重ねて、鬼灯は自分の視力がヒトであったことと変わりないことに気付いた。
 聴覚も似たようなものだ。彼らと一緒に居ても、自分にだけ聞こえない音が鬼灯にはある。
「鬼に成ってから、鬼火や亡者は見えるようになりました。神様や妖怪も。けれど、私は本当の鬼ではないんです。人の子ですから、本当の鬼には……なれない」
「――そうだね。君はあくまでも人の子の魂と鬼火が入り混じった合いの子だ。肉体も人だった頃よりうんと強くなっているけれど、素体が人の子である事実は永久に変わらない」
「はい」
 神獣の言葉には容赦はなかった。
 優しい嘘をつかれなかった。その一点で鬼灯は安心する。
 だが、神獣の言葉はそれで終わりではなかった。
「でもね、時間が経てば、鬼火と君の魂や肉体は更に馴染む。君はもっと強くなるよ。それに合わせて、感覚も鋭くなる。目も耳も鼻も舌も。完全に馴染んだとき、君は誰よりも強い鬼になっているかもしれない」
「私が……?」
「うん。だって、僕の目には視えるもの。君の身体はまだ小さいから、鬼火の炎を受け止めきれなくて力が外に溢れ出してしまってるんだよ」
「え……」
 鬼灯は思わず自分の手を見る。だが、分からなかった。そこには見慣れた手のひらがあるばかりで、炎など見えない。
「僕が視たところ、君が活かすことができている鬼火の力は、まだ半分にも満たない。君の恨みはよほど強かったんだろうね。尋常じゃない数の鬼火を君の魂は引き寄せてしまったんだよ。でも、君の身体は小さい上に人の子のものだから、その多すぎる鬼火の力をまだ上手く使えていないんだ」
「……では、その使い方を身体が習得したら……?」
「うん。生まれつきの鬼じゃなくて人と鬼火の合いの子であるからこそ、君はうんと強い鬼になれる。きっとね」
 ゆっくり成長してゆくから大丈夫、と神獣は笑った。
 その声を鬼灯は不思議な思いで聞く。
 友人たちとの感覚の差に気付いてから、自分はやはり半端者なのだと鬱々として過ごしていたのに。
 この神獣は、あっさりとその愁いを吹き飛ばしてしまった。
「ついでだから、もう少し面白い話をしてあげようか。多分、目から鱗の気分がすると思うよ」
「何ですか?」
「同じものを見ても、一人ひとり見える色は違うっていう話。同じ空を見ても、同じ色に見えてるわけじゃないんだ」
「そう、なのですか」
「うん」
 神獣はうなずく。口調が楽しげなのは、こういう話が好きだからだろうか。
「たとえば、人と目の仕組みが違う犬は色が分からない。白と黒と灰色の世界なんだよ。逆に、人の目には見えない光が見える動物も沢山いる。そればかりじゃなくて、同じ種類の動物でも一匹ずつ見え方が違うんだよ。人や鬼も同じ」
 そう言い、神獣は鬼灯の右手をそっと取った。
「手の形、爪の形、顔の形、鼻の形。皆一人ずつ違うだろう? 同じように、目の中の仕組みも一人ずつ違うんだよ。生まれつき、ほんの少しずつ違うから、同じ色でもそれぞれほんの少しずつ違う色に見える」
「同じようには見えないのですか」
「うん」
 うなずくのを鬼灯は驚きを持って受け止める。
 彼の言葉が本当であるならば、同じ空を見上げても違う色に見えるということになる。『空色』といっても、人それぞれなのだ。そして、他のひとがどんな色を『空色』と言っているのかは、決して分からない。
「だからさ、『君も僕も同じ人間』とかいうのは嘘なんだよ。同じだけど違う。それが自然なんだ。そして、違うからこそ喧嘩もするし、仲良くもできる。君のできないことは誰かができるし、誰かができないことは君ができる。そうやって社会は成り立ってるんだよ」
 つまり、と鬼灯は理解する。
 他者と違うことを気に病んだり恥じたりしなくてもいいと、彼は言いたいのだろう。
「……貴方も屁理屈が好きですね」
「おや、そうきたか」
 彼の言葉に感じるところがなかったわけではない。だが、素直に礼を言うのは何となく嫌で、先程言われた言葉を返すと、彼はまた面白げに笑った。
 この神獣は怒るということはないのだろうかと思いながら、鬼灯は彼の手をぺしぺしと叩く。
「いい加減、離して下さい」
「もう大丈夫?」
「最初から大丈夫です」
 強がると、耳元でふふっと笑う声がして、彼の腕が緩んだ。逃れて立ち上がると、宵風に背中に帯びていた熱がすうっと冷えてゆく。
 その感覚に、ああこれか、と鬼灯は思う。
 人肌に触れる感覚と、そこから離れた時の感覚。これを彼は教えたかったのだろう。
 改めて見つめた神獣は、とても綺麗な姿をしていた。苦しいこと辛いことなど何一つ知らないような、澄み切った穏やかな美しさ。
 漆黒の瞳に湛えられているのは、慈愛、で良いのだろうか。こういう目で見られたことは一度もなかったから、何と形容していいのか分からなかったが、思い付いた言葉の中で一番しっくりきたのはこの語だった。
「貴方の目には、何が見えるのですか」
 人、鬼、動物。目の仕組みも見えるものも違うと、彼は教えてくれた。
 ならば、天の獣である彼には何が見えるのだろう。
 そう思って問うと、彼は僅かに微笑んで言葉を探すかのように首をかしげた。
「僕? そうだねえ……色んなものが視えるよ。君の鬼火も視えるし、草木や虫の命の光も視える。神様も魑魅魍魎も、大抵のものは視えるよ」
 それは、と鬼灯は思い描いてみる。
 様々な、ありとあらゆる命が輝いている世界。
 とても美しく、眩しいだろう。
 けれど、それは彼にだけ見える世界なのだ。他の誰も見られないし、その美しさをありのままに伝えることもできない。
 神獣の青年は、彼だけが識る世界に存在しているのだ。
「貴方みたいなのを『孤高の存在』というんでしょうか?」
 思い浮かんだ言葉を口にすると、彼はとんでもないと笑った。
「それは大仰だよ。確かに僕は世界に唯一匹の存在だけど、神獣仲間なら沢山いるし、別に孤独を気取ってるわけじゃない。地上の生き物とかかわるのも楽しいし、面白いよ。特にヒトが世界に生まれてからは全然退屈しないね」
「そういうものですか」
「そういうもの。僕みたいな存在のことを人の子の感覚で考えても無意味だよ」
 ひらひらと笑う神獣に、しかし、かえって鬼灯の探求心はかき立てられた。
 自分が彼の見ている世界を目にすることは不可能でも、彼がどういう存在かを知ることはきっと不可能ではない。
 どんなことを喜び、何に腹を立てるのか。
 何を知り、何を知らないのか。
 彼の全てを理解することはできなくても、知る余地は幾らでもあるはずだった。
「帰ります」
「うん」
 いつかまたきっと、と思いながら告げると、彼はうなずく。
 ありがとうございます、と言うべきなのだろう。少なくとも彼は、黄泉にある家に帰ろうという気にさせてくれたのだ。
 けれど、何故かやはり素直には言いたくなくて、鬼灯はぺこりと頭を下げる。それが精一杯だった。
 またねと笑顔で袖を振る彼の見送りを受けながら、丘を駆け下りる。
 そして、胸が熱い、と思った。
 ―――初めて自分を抱き締めてくれた、大きな手。
 ―――君はきっと強くなれると言ってくれた、穏やかな声。
 ―――真っ直ぐに見つめてくれた、優しい目。
 教えられたばかりの幾つものことが小さな炎となって、胸の内で燃えている。
 悔しいと思った。
 自分はまだこんなにも小さくて無力で、与えられるばかりの存在でしかない。彼に返せるものが何一つない。
 けれど。
 いつか、彼が言ったように大きく強い鬼になったら。
「その時は百倍にして返してやりますから」
 誓いを口にして、鬼灯は黄泉へと続く道をひたすらに駆けた。





         *         *





「本当に可愛かったよねえ、あの頃のお前は」
「そうですか」
 適当に相槌を打ち、煙を吐き出す。
 状況は色々と気に食わない所があるが、煙草は美味い。怠惰に寝台に伸びたまま吸う煙の味は、何故かいつも格別だった。
「なのに、いつの間にかこんなでっかく育っちゃってさ」
「知りませんよ」
 身長など自分でコントロールできるものではない。そんなことに文句を言われても知ったことではなかった。
「それより、いい加減黙りませんか」
 刻み煙草は紙巻き煙草や葉巻と異なり、すぐに燃え尽きてしまう。灰皿の上に火皿を伏せて、とんと指先で雁首を叩けば、ほろりと灰は落ちた。
「そろそろ寝たいんですけど」
 煙管を脇机に置き、寝台の上に座り込んでいる男を見上げる。
 事後だけに白澤もまた雑な格好だ。寝巻の上を羽織っているだけである。鬼灯自身も襦袢を適当に身に纏っているだけだから、服装を正せとは言えない。
「えー。もっかいしようよ。明日、休みだろ」
「休みだからこそ、怠惰に眠りを貪りたいんですよ」
「昼まで寝ててもいいからさ」
 そんなものは一旦眠って起きてからやっても一緒だろうと思うのだが、白澤は今すぐ二度目という欲求に取りつかれているらしい。のしかかってきて頬や髪、首筋についばむような口接けを落とし始める。
 押しのけることは、さほど難しいことではない。けれど、それすらも面倒な気がして鬼灯は身体の力を抜いた。
 寝たいというのは嘘ではなかったが、肌を合わせる行為自体は嫌いではないのだ。右手を上げ、目の前にある黒髪を梳くと、さらさらとした感触が指に心地よかった。
 許しを得たと判断したのだろう。温かくも悪戯な指先がするりするりと肌の上を滑り始める。くに……、と胸の先端を指の腹で軽く押し潰され、言葉にしがたい快感が身の内を鋭く突き抜けてゆく。
「こんなに紅くなって……もっと苛めてって誘ってるみたいだな」
「誰の、せいですか」
「僕以外の奴がやったんだったら、相手を八つ裂きにしてやるよ」
 そんでお前のことは閉じ込めて徹底的に可愛がる。僕のこと以外何にも考えられなくなるまでね。
 そんな物騒なことを口にしながら、白澤は紅く熟れた小さな尖りにカリ……と歯を立てた。
「っ、ん……っ」
 一度目に散々に弄られたそこは、ピリピリするほどに感覚が鋭くなっている。甘噛みされ、舌で舐め転がされると、それだけで身の内がじわりと蕩けて疼き始めるようだった。
 つい先程まで抱かれていたために、身も心もまだ味わったばかりの歓びを覚えている。胸元を左右交互に舐められ、指先で弄られるだけで、身体が更なるものを求め始めるのを感じて鬼灯は小さく唇を噛んだ。
「こら、声殺すな」
 牙で唇が傷付くと、白澤の唇が鬼灯の口元を宥める。牙と唇を舌先で優しく舐め、力が緩んだところで内へと滑り込む。
 深く舌を絡め合う口接けは気持ち良かったが、同時に不埒な手に太腿を撫で回されては集中できるはずもない。脚の付け根のきわどい所をするりと指先で撫でられたところで、たまらずに鬼灯は白澤の肩を両手で掴んで押しやった。
「い、い加減に……っ!」
「まーだまだ」
 楽しげな言葉と共に脚の間にあるものをきゅっと掴まれる。半ば反応しかけた熱の塊を長い手指でやわやわと押し揉まれ、どうにもならない快感が腰の奥まで響いて鬼灯は反射的にきつく目を閉じた。
「ぅ、あ…っ、ん、く……っ」
「可愛いねえ」
 声を零すまいと口元を手の甲で押さえるが、殺し切れないくぐもった嬌声がどうしても溢れ出る。
「小さい頃のお前は本当に純粋に可愛かったけど……、僕は今のお前の方が好きだな。あんな小さい子にこんな真似できないし。そもそも僕、ロリコンでもショタコンでもないし」
 戯言を口にしながら、白澤は熱の先端に舌を這わせ始める。丸い輪郭をくるりとなぞられ、ちゅ、ちゅ……と軽いキスを幾つも表面に落されて、鬼灯のそれはびくびくと震えた。
「ホント、再会した時はびっくりしたなぁ。すごく大きくなってたし、あのとんでもない熱量の鬼火も全部きちんと取り込むことができてて……。お前みたいな綺麗な鬼は初めて見たと思ったよ」
「ば、か……っ」
「小さいお前を見た時も、こりゃ将来は美人になるだろうなーと思ってたけど、予想以上だった」
 永久(とこしえ)の闇に燃え盛る地獄の業火が、そのまま美しい鬼の形を成したような。
 輝く炎でできた大輪の華のように見えた、と白澤は楽しそうに言葉を紡いだ。
「そのくせ、生意気で口の減らない辺りは全然変わってなくてさ。嬉しかったなぁ」
「も…いい加減、黙れ……っ!」
 力の入らない脚に無理やりに力を込めて、踵落としを背に食らわせる。だが、体勢上、勢いを殆どつけられなかったためだろう。神獣はろくによろめきもせず、痛いよと笑っただけだった。
「お前、本当に足癖悪いよね。でも、そういうのは男を煽るだけだって分かってる?」
 抵抗されると燃えるのが男だよね、などと嘯いて白澤は再び熱にぺろりと舌を這わせる。感じやすい所を何度も舌先でなぞられ、唇だけで甘噛みされて、どろりと蕩けるように身体から力が抜けてゆく。
「っ、あ……、あ、んんっ」
 表面をやわやわと撫でられるだけでは、熱は身体の奥で燻るばかりでどうにもならない。もっと確かな刺激が欲しくて下腹や内股の筋肉がぎゅっと引き攣り、ひくひくと震える。
 苦しくて思わず自分の手をそこに伸ばしてしまいそうになるのを、鬼灯は必死に堪えた。
 一旦自慰など始めてしまったら、この神獣は最後まで見物しようと煽ってくるのが目に見えている。身体の関係を持つようになってから随分と長い年月が経ってはいるが、まだ全ての矜持を投げ捨てたつもりはない。
 だが、白澤にはそんな鬼灯の儚い忍耐など、最初から透けて見えているのだろう。
 とろりと透明な雫を溢れさせ始めた先端の丸みを、しなやかな指先がうんと優しく撫で回す。鈴口を擦る感触もやわらかく、煮えたぎった糖蜜を注ぎ込まれているかのような疼きばかりが腰の奥にわだかまってゆく。
 刺激と解放を求めてびくびくと腰が震えてしまうのを、もう止めようがなかった。
「ねえ、鬼灯。どうして欲しい?」
 愛撫ばかりでなく、声もまた毒としか思えない甘さを帯びて囁きかける。
「このまま達きたい? それとも、もっと違うことして欲しい……?」
 言いながら白澤の指先が濡れた肌の上をぬるりと滑りおりる。熱の形を頂点から根元まで辿り、更にその下へと滑ってゆく。
 屹立と蜜口の間の何もない場所。そこをくいくいと押し揉まれて、灼熱のマグマがうねるような疼きが辺り一帯に広がる。たまらず鬼灯は、再びぐっと唇を噛んだ。
「ねぇ鬼灯……?」
 蟻の門渡りに親指の腹を押し当ててぐりぐりと刺激しながら、他の指を更にその下の蜜口に這わせる。濡れた指先で丸く撫でられ、不規則に表面をつつかれると、それだけでどうしようもない官能が腹の底から湧き上がった。
「お前のここ、うんと紅くなってひくひくしてる。すごくいやらしいよ」
 喘ぎを喉奥で押し殺しながら、当たり前だと、それが悪いかと鬼灯は胸の内で罵った。
 既に今夜は一度抱かれているのだ。刺激を受けた粘膜は否が応でも充血し、色付いてぽってりと腫れ上がる。そこに新たな刺激を受けたら、それなりの反応をするのは当然のことだ。
 分かっているくせに、敢えてそれを言葉で責めてくる辺りが本当に腹立たしい。
 かといって、黙れという言葉もこの淫獣を喜ばせるだけだった。羞恥であれ苛立ちであれ、鬼灯が感情を波立たせることに興じる悪癖をこの神獣は持っている。
「こ、のエロ偶蹄類……!」
 そうと分かっているのに、身体は彼の悪戯な愛撫を悦び、心も状況を甘受している。そのことが一番、腹立たしかった。
「とっととしろ、馬鹿!」
「だーからぁ、おねだりするんなら可愛くしろっての。まぁ、お前に言っても無理だろうけどさ」
 言いながら、白澤は指先をつぷりと蜜口に挿し入れる。そのまま第一関節までを挿入した状態でくちくちと浅くそこをかき回した。
「っ、ん、ん……っ」
 指先だけを浅く出し入れされて、蕩けるような快感が湧き上がる。もっと奥を弄られたくて、やわらかな媚肉がきゅうと収縮し、うねる。挿入された指に誘い掛けるように柔襞が絡みついてゆくのは、白澤にも感じ取れているだろう。
「どうして欲しいの?」
 分かっているのに、敢えて聞いてくる。その根性が本当に気に入らない。
「だ、から、さっさと突っ込めって、言ってるんです!」
 睨み上げ、怒鳴り付ければ、白澤は獣欲に酔った顔で笑った。
「まったく……。せっかちな上に情緒もない。でも、そういうお前が一番可愛いんだから、一体どうしてくれようね?」
「知るか……っ」
 この自分を捕まえて可愛いなぞと言える。その根性は確かに立派だとは思う。性根は腐り果てているが。
 そんな風に最低な感心をしたのも一瞬の間だけのことだった。
「うん、可愛いからもっといじめちゃえ」
 不穏な言葉に身構えるよりも、白澤が動く方が早かった。会陰と蜜口を刺激する手指はそのままに、熱の先端を咥えられ、丸みを舌で舐め回される。
「ぅ、あ、あ……っ、ん、くっ」
 思わず溢れ出てしまった嬌声を必死に喉元で押しとどめる。だが、白澤はゆるゆるとした愛撫を止めなかった。
 一気に追い立てるような真似は決してせず、感じやすい所ばかりを狙って緩慢に手指を動かし、やわらかく舌を這わせる。そして、鬼灯の快感が膨れ上がるたびに僅かに引いて、それ以上を与えようとはしない。
「っあ、こ…の……っ」
「この……、何?」
 含み笑いながら舌先で熱の形をちろちろとなぞり、会陰を揉みしだきながら蜜口を指一本のみで緩く犯す。
 どうしようもなく気持ちいいのに、これだけでは決して達けない。そのぎりぎりの線で鬼灯を狂わせる。
 あともう少し強い刺激が加えられたら楽になれるのに、解放を許してもらえない。
「んっ、あ、あっ、んん……っ」
 もういっそのこと、この男を突き飛ばして自分の手で慰めるか、押し倒して自ら彼の熱を咥え込んだ方が早い。そんな思いが熱に浮かされた脳裏をかすめる。
 そんな痴態を晒したら白澤を喜ばせるだけだという悔しさと、もう楽になりたいという切実な思い。相反する感情と本能に翻弄されて思考が白く霞む。
「あ、っく……っ、んっ」
 もう耐えられない、と本能が悲鳴を上げるまでは幾らもかからなかった。
 反り返った熱をぬるぬると撫でられ、指一本でうんとゆるく柔襞をかき回される。緩慢な愛撫はいつまで経っても鬼灯の情欲をいたぶるばかりで、何一つ求めるものを与えてはくれない。
 耐え切れず自身に伸ばした手を、しかし、ぎゅっと手首を掴まれ阻まれた。
「駄目だよ。まだ楽にはしてあげない」
 囁かれた残酷な言葉に、嫌だと半ば無意識に首を横に振る。眦から涙が零れ落ちるのも、もう感知できるだけの余裕はなかった。
「い、や、です、もう……っ!」
「いい声。もっと泣いて?」
「ひうっ!」
 熱を一瞬きゅっと握られ、すぐに離される。たったそれだけの刺激では足りない、もっともっとと求めて腰が揺れてしまうのを止めることができない。 
「や、ぁ…っ、はく、たく……さんっ」
 体内で灼熱が渦巻く苦しさに、悲鳴交じりの声を上げる。
 すると、
「ああ、やっと呼んだ」
 ひどく嬉しげに白澤が呟いた。
「お前、してる最中は滅多に名前呼んでくれないんだもんなぁ」
 霞んだ脳裏がかすかに捉えた文句に、そっちこそ、と鬼灯は思う。寝台の上でしかこちらの名前を呼ばない男の名前など、どうして事の最中に呼んでやれるものか。
 ついうっかり今は出てしまったが、もう二度と口走ってなどやらないと心に閂(かんぬき)をかける。これ以上乱されたら無駄になる覚悟だとは分かっていても、せめてもの意地だった。
「貴方、なんかっ、嫌い、です……!」
「嘘つき」
 笑った白澤は、不意に蜜口を犯していた指を抜き、え、と鬼灯が思う間もなく増やした指をずぷりと挿入する。
「っあ、ああ……っ!」
「好きでもない男にこんな目に遭わされて、大人しくしてるような性格じゃないだろ、お前は」
 もう何百年付き合ってると思うの、と白澤はゆっくり指を抜き差ししながら柔襞を撫で擦る。
「お前のことならもう何でも分かるよ。ほら……、ここ。気持ちいいよね?」
「っ、ん、んん……っ」
 しなやかな指の腹が、それまでは碌に触れようとしなかった柔襞の奥に隠された丸みをこりこりと押し揉む。だが、鬼灯の感覚が一気に高まり始めると、ふっとそこから離れてしまう。
 周囲の少しばかり感覚が鈍い箇所ばかりをゆるゆると愛撫されて、鬼灯はたまらずに身をよじった。
「ねえ、鬼灯」
 もう片方の手で、どろどろに濡れそぼった熱へのぬるい愛撫も再開しながら、白澤は悪魔のように甘く囁く。
「もう一回、僕の名前呼んで。そうしたら、お前の欲しいものをあげる」
 嫌だ、と鬼灯は反射的に首を横に振った。彼は懇願のつもりかもしれない。だが、こんな風に強要されて言うことを聞くのは我慢がならない。
 呼ぶときは自分の意志で呼ぶ。
 そんな思いを込めて睨み付けると、白澤は困ったように笑った。
「本当に強情だなぁ。まぁ、そういうとこを好きになったんだから仕方ないけどさ」
 分かってるんだけどね、と言いながら白澤は、ゆっくりと指を抜き、熱からも手を放す。
 中途半端な状態で放り出されて、楽になるどころか疼きが一層ひどくなるのに歯を噛み締めながら、鬼灯は白澤を見上げた。
 抵抗はしたものの怒らせるつもりはなかったし、怒りの気配も感じない。ならば何を、と思いながら見つめると、白澤は少しばかり切なげな顔をしながら鬼灯の頬をそっと撫でた。
「ねえ、少しくらい、お前に想われてるんだって実感させてよ」
「……十分、でしょうがっ、ここまで、しておいて……っ」
「うん。でもお前は『拒んでない』だけだろ。きちんとは欲しがってくれてない」
「入れろと言っただろうが!」
「まぁ、それはそうなんだけど」
 ちょっと違うんだよなぁとぼやく神獣は、一体どこまで我儘なのか。
 言わんとすることは分からないでもない。もっと能動的に欲しがられたいと訴えているのだ。たとえば、鬼灯の方から情事を誘うとか、押し倒して彼の熱を咥え込むとか。
 こんな関係でも一応、お互い合意の上での交際である。認めるのは実に業腹だが、相思相愛の間柄だ。一方的なのは嫌だという言い分は、決して不条理なものではない。鬼灯とて一方的に奉仕させたいと思っているわけでもない。
 けれど、そういう『素直なおねだり』を望むのならば、何故自分を選んだのだと文句を言ってやりたい気持ちはどうしようもなかった。
「私の性格なんて、分かってるでしょうに……っ」
「うん。知ってる。だから、そこをね、ほんのちょっとでも曲げてもらえると、ものすごく嬉しいんだよ。ああ、愛されてるんだなって思える」
「貴方、勝手です」
 ちゅ、ちゅ……と顔中にキスを振らせながらねだってくる男に、鬼灯は悪態をつく。一億五千年余も前から存在している神獣のくせに、どうしてこんな五千年も生きていない鬼に甘えようと思うのか。
「お前も我儘だから、お互い様」
「滅びろ淫獣」
 クソ、と心の中で罵倒しながら、鬼灯は力の入らない全身を叱咤して体を起こす。
 このまま眠ろうと思えば、眠れないことはない。散々に弄られた体の疼きも、放っておけば小一時間程度で収まる。だが、それでいいのかといえば、やはり違うのだ。
 一度の交合で終わらせて寝たかったのは本当だが、強く拒まなかったのは、求められて悦ぶ心がどこかにあったからだ。
 愛されることを嬉しいと思う自分が、どこかに居るからだ。
「本当に腐れ落ちてしまえばいいんですよ、こんなモノ」
 ずくずくと疼く身体を持て余しながらも、鬼灯は手を伸ばして白澤の下腹部に触れる。
 ケダモノの強い欲望を示すかのごとく、それはもう大きく立ち上がって反り返っていた。先端から雫を滴らせているこの状態でなおも自分をいたぶろうとしていたのだから、実に呆れたスケベ根性である。呆れ果てつつも鬼灯は熱塊にそっと唇を寄せた。
 もう少し自分に余裕がある時ならば、白澤が自分にする以上に苛めて焦らしてやるのだが、今はこれをこのまま身の内に収めてしまいたいくらいに欲望が切羽詰っている。
 欲しいと急き立てる自身の欲に煽られながら、なめらかな表面を軽く吸い立てて口接けを降らせ、横咥えにして唇で食む。しばらくの間、全体を舐め回してから唇を大きく開いて先端の丸みを含んだ。
 牙を立てないように気を付けながら、彼が良くするように丁寧に舌を這わせ、唇だけで甘噛みする。
 溢れ出してくる雫を舐め取り、飲み下しながら、ゆっくりと喉奥まで屹立を導いてゆけば、白澤が心地よさげに呻いた。
「あー。お前の舌、やわらかくて滅茶苦茶気持ちいい」
 猛り切った熱をいっぱいに咥えてしまうと、舌を動かすのも容易ではない。それでも精一杯に舌を蠢かせながら、口腔を圧するものに愛撫を加えてゆく。
 ゆっくりと首を上下に動かし、時折動きを止めて、喉奥できゅっと締め付けてやると、口の中でびくびくと熱塊が震えるのを感じる。
 これが自分の中に押し入ってきたら、と考えるだけで、最奥がずくりと疼いた。
「ん……、ふっ、んんっ」
 口に余るものを愛撫するのはやはり苦しくて、息を継ぐたびにあえかな声が零れてしまう。そんなサービスなどしてやりたくなかったが、こればかりはどうしようもない。
 手指を使って太胴全体を擦り立てながら、最後を導くべく先端を舐め回し、鈴口に舌先を這わせて吸い立てる。程なく全体がびくびくと震え始め、一際体積を増したのを感じ取って、鬼灯は喉奥まで深くそれを咥え込んだ。
「っ、く、ほ…おずき……っ」
 口腔全体に力を込めて数度きつく抜き差ししてやると、上ずった呻きと共に熱い迸りが喉奥に叩き付けられる。
 噎せないよう加減しながらすべてを受け止めた鬼灯は、ずるりと己の唇から白澤の熱を抜き出し、口の中に溜めていたものを一息に呑み下してみせた。
「……ッ、これで、満足ですか」
 口元を手で拭いながら睨み付けると、白澤は何とも言えない顔で笑う。
 そして、うん、とうなずいて、鬼灯の手を引いた。
 引かれるままに白澤の胸に体重を預け、そのまま二人揃って寝台に転がる。
「分かってるんだよ。分かってるんだけどさ。時々、ね……」
 言いながら鬼灯の背を撫で下ろした白澤の指が再び蜜口をなぞり、つぷりと入ってくる。
「お前がこんなことを許すのは、僕だけ。こんな風に口で奉仕するのも、僕だけ。他の誰もお前に触れたことなんかない。ちゃんと分かってる」
「だ、ったら……っ」
「それでも僕は、お前に欲しがられたい」

 ―――小さな小さな子鬼だったお前。
 子供になど大して興味のなかった自分が放っておけないと思ってしまったほど、夕焼けを見つめる小さな背中は寂しそうに見えた。
 それ以上に、いじらしくて可愛らしかった。
 抱き締めて、大丈夫だよと言ってやりたかった。
 次に出会った時。
 お前は、とても綺麗な大人の鬼になっていた。
 若木のようにしなやかで、咲いたばかりの大輪の華のように美しくて。
 小さい頃と同じように知識欲の塊で、妙に冷静で、口が減らなくて。
 どこをどうしたのか、大酒飲みになっていた。

「一目惚れだったんだよ」

 あの小さな子鬼が立派に育ったことが嬉しかった。
 一目で分かるほど力に溢れていることに安心した。
 けれど、それ以上に。
 この広い世界で再会できたことが、巡り会えたことが嬉しかった。
 嬉しくて嬉しくて。
 大人になった子鬼に、うんと綺麗になった子鬼に一目で恋をした。

「戯言、ばかり……っ」
「全部本当のことだよ。お前だって分かってるくせに」
 分かっていなかったら、お前は絶対にこんなことは許さない。
 言いながら、白澤は指を増やして蜜口を弄る。長い指に深みを探られ、零れそうになる声を鬼灯は必死に喉元に押しとどめる。
「好きだよ、鬼灯」
 耳元で囁かれて、柔襞がきゅうとしなる。歓びと共に温かな指に絡み付いてゆく。
「あ、なた、なんか……っ、嫌い、ですっ」
「うん」
 知っているよと、優しい声が笑う。
 捻くれて意地っ張りのお前が唯一、嫌だ嫌いだと言い続ける相手。
「お前のそういうどうしようもないとこまで、好きだ」
 甘やかな言葉と共に、指が抜かれる。
 そして、代わりというにはあまりにも圧倒的な熱が押し入ってきて、鬼灯はたまらずに切れ切れの悲鳴を上げた。
「っ、あ、あぁ…、ん……っ!」
 蕩けきってひくつく柔襞にずぶずぶと熱が押し込まれる。どうしようもなく気持ち良くて、それだけで意識が飛びそうになる。
「あー、お前ン中、滅茶苦茶うねってる。食い千切られそう」
 たまらないとばかりに呟きながら、ずんと最奥まで突き上げられる。体内に満ちるそのずっしりとした重みを受け止めて鬼灯は喘いだ。
「こ、の……馬鹿っ」
 入れるなら入れると言えと、恨みを込めて睨み上げる。
 だが、白澤は笑って鬼灯の目元に口接けを落とした。
「どうやったってお前は睨むし、文句言うし。だったら、好きなようにした方が僕得だろ」
「――もげてしまえ……っ」
 ぎゅっと締め上げてやると、白澤は慌てた声で呻く。
「だ、から、お前、いきなり締めんな!」
「こっちの台詞だ!」
 片や、強引に押し入られたことに文句を言い、片や、突然締め上げられたことに文句を言う。なんとも割れ鍋に綴じ蓋の会話だったが、譲りたくないのはどちらも同じだ。
 けれど、馬鹿馬鹿しい諍いだということも分かっていたから、しばし睨み合った後、二人は申し合せたように肩の力を抜いた。
「ったく……なんで、こんな喧嘩腰でセックスしなきゃなんないんだ」
「こっちの台詞ですよ」
 一度で終わらせて眠らせてくれたらよかったのにと文句を言いつつも、唇に落されるキスを受け止める。深く身体を繋ぎ合わせたまま交わす口接けは、いつもの通り、とても気持ち良かった。
 たっぷりと舌を絡み合わせてから唇を離し、互いの目を見つめる。
 鬼神の目と、神獣の目。
 どちらも尋常ならぬものを見据える眼だ。
 捉える光の種類も、見えるものの種類も違う。
 けれど、その異なる互いの瞳に互いの姿だけが映っている。

 不意に、愛しい、と思った。
 こんな風に諍いながらの馬鹿なセックスをできる相手など、世界広しと言えども二人と居やしない。
 くだらなくて、馬鹿馬鹿しくて。
 どうしようもなく、互いが愛おしかった。

「ほおずき」
 想いのこもった声で丁寧に発音しながら、ゆっくりと白澤は腰を動かす。
 ずる……と腰を退き、ぐぷりと押し込む。ただそれだけのことだ。けれど、それだけの動きすら鬼灯は蕩けるような歓びと共に受け止めた。
「ふ、ぁ…っ、あ、んっ、ん、く……っ」
 ぬちゅり、ぐちゅりと一度目の交合で濡れたままの体内を熱の塊が出入りする。その動きは滑らかで、寄せては返す大きな波のように鬼灯を翻弄し、満たしてゆく。
「鬼灯」
 何度も繰り返し名前を呼びながら、白澤は鬼灯の首筋に口接けを落とし、汗に濡れた肌に優しく手を這わせた。
「っ、あ、やぁ……っ!」
 一番深い部分まで熱を埋めてゆっくり身体を揺らされると、繋がった箇所から蕩けてしまいそうな快感が広がり、抑え切れない小さな悲鳴が零れ落ちてゆく。
 何度も何度も感じやすい所を突かれ、丸みを帯びた先端や張ったエラで擦り立てられる。動きとしては複雑なものでもないのに、たまらなく気持ちいい。
「気持ちいい?」
 甘い声でそう問われても、濡れて霞む目で睨むのが精一杯だ。見れば分かるだろうという罵声すら、紡ぐことができない。
 だが、それでも白澤はひどく嬉しげなまなざしでこちらを見つめる。
 いつかのような優しいばかりの目の色ではなく、もっと飢えたような、切実で生々しい感情の色。
 その色に誘われるように、鬼灯は力の入らぬ腕に無理やり力を込めて右手を上げ、彼の目元に触れた。

 ―――人のものとも、鬼のものとも違う、天の獣の目。

 今、彼の目に自分がどう映っているのかは、彼自身にしか分からない。それは当たり前のことと彼は受け止め、気にもしていないようだが、鬼灯は時として焦れる思いを抱かざるを得なかった。
 別に、世界唯一の存在である彼の孤独を癒してやりたいなどというしおらしい思いからではない。そもそも彼は独りが当たり前であり、孤独を感じる心など持っていなさそうですらある。
 そんな感傷的な理由ではなく、彼が自分が見えないものを見ている。鬼灯としては、その一点がたまらなく口惜しいのだ。
 自分はこの目に映る彼の姿しか分からないのに、白澤の目は、鏡には映らない鬼灯の何かまでをも捉えている。
 そんなのは狡い、不公平だと、頑是ない子供のような我儘が時折、胸にこみ上げてくるのだ。
「何……?」
 鬼灯の胸の内を知ってか知らずか、白澤は笑んで鬼灯の手をやわらかく握り込む。
 馬鹿、と唇の動きとまなざしで訴えて、鬼灯は寄せられた唇を目を閉じて受け止めた。
 ひとしきり口接けを交わしてから、白澤は先程の鬼灯を真似るように、鬼灯の目元に指先を触れた。塗れた目尻を優しく拭い、瞼にキスを落とす。
「やってる時にお前の目に見られるの好き。ものすごくぞくぞくする」
「……ずっと、目を閉じててやりましょうか……?」
「そんな意地悪言わないの」
 くつりと喉奥で笑って、白澤はぐっと奥まで身を沈めた。一番深みにある感じやすい場所を突かれて、鬼灯は思わず息を詰め、白澤の熱を締め上げてしまう。
「ホント、お前の中って気持ちいい」
 熱くてやわらかくて、とても素直で。
 甘い声で囁きながら腰を回すようにして最奥を捏ね回し、ふっと退いて浅い部分で先端を遊ばせる。
「い、や……っ、あ、んんっ」
 浅く引かれると虚ろになった部分が疼いてたまらない。離れては嫌だと、もっととねだる本能からの要求に突き動かされるまま、鬼灯は脚を白澤の下肢に絡めて引き寄せようとする。だが、白澤は抵抗し、鬼灯は戸惑って彼を見上げた。
「ど…う、して……」
「さあ、どうしてかな……?」
「っ、あ、やぁ…っ!」
 くぷくぷと入り口付近を雁で刺激されて、柔襞がきゅうと引き込むようにざわめく。
 そこもまた感じやすい場所であるから快感はきちんとある。けれど、満たされない。大きなものに蹂躙されることに慣れた身体には到底足りるものではない。
「は、く、たく、さん……っ」
 激しくなる一方の最奥の疼きにたまりかねて名を呼ぶと、うん、とひどく嬉しげに応じる声と共に、ずぶりと熱を押し込まれた。
「っ、あ、白澤、さ……!」
 蕩け切った柔襞を熱く逞しいものに擦られて、名を呼ぶ声が上ずる。
 けれど、まだ足りない。
 もっと欲しかった。
 一番奥まで来て、満たして、そして。
「鬼灯」
 呼ばれる声の甘さに、身体の奥がずくりと震える。
「白澤、さん……っ」
「うん。好きだよ、鬼灯」
 ずっと好きだったよと、これからも好きだよと優しい声が鼓膜を満たす。
 身体の隅々まで潤し、胸の奥に熱を灯らせる。
 込み上げる想いのままに鬼灯は自分を抱いている男に腕を伸ばした。背を抱き寄せ、唇を求める。望んだものはすぐに与えられた。
「――っ、は……、ん、んっ」
 深く繋がり合いながら交わす口接けは、とろけるほどに甘い。
 触れ合っている箇所全てから疼くような歓びが湧き上がり、さざ波のように全身に広がってゆく。
「は…く、たく……さん」
「うん」
 霞む視界の向こうで笑む白澤のまなざしが春の日差しのように優しい。ほろりと鬼灯の眦から涙が零れ落ちると、白澤の温かな指先が雫を拭った。
 寄せては返す波のようにゆっくりと揺れ合う二人の動きが、少しずつ深く大きくなってゆく。
「あ、っあ……、ふ、ぁ、やあ……っ」
 もう声も殺すことも忘れて、鬼灯は白澤が注ぐ甘やかな優しさに溺れる。繋がり合っている部分がどうしようもなく切なくて、もっと欲しくて、すがる指先に力が入る。
 すると、白澤はもう焦らすことなく、鬼灯の一番好きな部分を一番好きな強さで突き上げた。
「ひっ、あ、ああっ、や、そこ……っ」
「ここ……?」
「あっ、んんっ、やっ、違……ッ!」
「何が違うの? 気持ちいいよね?」
「やああっ! だ、めだと……っ、あ、くぅっ!」
 駄目だと訴えた場所をぐりぐりとえぐられて、鬼灯は甘く上ずった嬌声を噴き零す。
 白澤が囁く通り、どうしようもなく気持ちよかった。どろどろに蕩けた柔襞は狂ったようによがり泣き、白澤の熱に絡み付いて舐めしゃぶる。
 激しくひくつき、貪欲に食むような動きが白澤にも強烈な快感をもたらさないはずがなく。
「ごめん、そろそろ僕も限界……っ」
 乱れた吐息と共に白澤が告げ、動きが頂点を目指すものに変わる。
 蜜口から最奥までを大きな動きで擦り立てられ、一番奥の過敏な箇所を小刻みに揺さぶられて鬼灯はたまらずに悲鳴を上げた。
「あ、ひぁ……ッ、あ、ああっ、も、う……っ!」
 突かれる度、擦られる度に、脳裏まで真っ白に痺れるようだった。強烈な快感が身体の一番奥から迸り、指先まで甘く響き渡ってゆく。
 もう何を考えられるはずもなく、鬼灯はただ嬌声を上げ、白澤に縋った。
「鬼灯……っ」
 熱情を帯びた声に名を呼ばれて、もうその声さえあればいいとすら思う。
 自分を呼ぶ声、自分を見つめる彼のまなざしさえあれば。
「は、く……たく、さん……っ」
 霞む目を無理やりに開いて名を呼び、けれど、立て続けに襲い来る波に翻弄されて、目を開け続けていることができない。
 再びぎゅっと目を閉ざしたのを見計らったかのように、白澤の手が動いた。
「―――ッ……!!」
 ずっと放っておかれながらも熱く濡れそぼって震えていたものに、不意に長い指が絡められる。ちょうどよい強さで握りこまれ、やわやわと指を動かされて、鬼灯の思考も理性も、何もかもが瞬時に沸騰した。
「ひっ、あ、ああああぁっ!!」
 今夜二回目の行為が始まってから、まだ一度も解放を許されていない熱はとうに限界を迎えている。耐えられるはずもなく、鬼灯は焦点を失った目を見開いて高い悲鳴を上げた。
 だが、最奥まで犯す白澤の動きは止まらず、手指もどろどろになった熱を優しく可愛がり続ける。
「や、あ、ああっ、ひぁ……ッ、あ、んんっ!」
 甘すぎる呵責のような愛撫にびくびくと全身を激しく痙攣させながら、鬼灯は救いを求めて白澤の肩にきつく爪を立てる。
 とっくに絶頂に達していていいはずなのに、与えられ続ける快感が強すぎて解放に至ることができない。あるいは、とうに達してイキっぱなしの状態になってしまっているのか。
「いゃ、やだ…っ、あ、んっ、やああ……ッ!」
 もう嫌だと引きつった嬌声を上げても、白澤は鬼灯を苛むことを止めなかった。
「あと少し、だから……っ」
 囁く白澤の声も呼吸が乱れ、わずかに上ずっている。だからといって、なんの慰めになるわけでもない。
 とっくに限度を超えて狂い泣きながらよがる柔襞を犯され、とろとろと雫を溢れさせ続けている熱を弄り回されて、魂ごと押し潰されるような快楽の深さに逃げることもできず鬼灯は、ただただ悲鳴を上げる。
「い、やあっ、んぁ、あああっ、も、ぅっ!」
 狂ってしまう、と縋った白澤の肩に爪痕が深く刻まれる。そこから滴り落ちた雫が、白い敷布にぽつりと真紅の染みを作った。
「鬼灯、鬼灯……っ」
 最奥を何度も繰り返し突き上げられ、揺さぶられて意識が白く霞んでゆく。
 何もかもが激し過ぎる快楽に蕩け、崩れてゆこうとしたその時。
 白澤の指先が張り詰めて震える熱の先端、鈴口をぐいとえぐった。
「ひ、ぅ、―――――っ!!!!」
 あまりにも衝撃が強すぎて、声すらも出せなかった。暴力的なまでに強烈な快感に叩き潰されたかのように呆気なく、そして激しく鬼灯は昇り詰める。
 壊れた木偶人形のようにびくびくと痙攣する身体を組み敷いて、白澤もまた体内深くに熱い迸りを吐き出した。
「……ぅ、あ……」
 受け身で味わった歓びは容易には余韻が薄れない。ましてや、こんな暴力的な快感である。
 見開かれたままの焦点を失った目からほろほろと涙ばかりが零れ落ちる。白澤が、息を切らしながらも名を呼び、濡れたこめかみを撫でてやると、ようやく鬼灯は淡くまばたきをした。
 霞んだ視線がゆらりと揺れて彷徨い、赤子が本能的に人の目を追うように白澤の目を捉える。
「……こ、の……馬鹿……っ」
 ようよう絞り出した声は嗄れ、かすれていた。それでも渾身の力を振り絞って、鬼灯は恋人を罵倒する。
 白澤の方も分かっているのだろう。ごめん、とへらりと笑った。
「ごめん、お前がいつになくいっぱい名前を呼んでくれたから嬉しくて、つい……」
「死ね……!」
 殴るか蹴るかしてやりたかったが、指一本すら動かせない。呪えるものなら呪ってやりたいと思いながら、鬼灯は訴えた。
「とにかく、抜け……っ」
「あ、うん」
 内にある白澤の熱は力を失っているとはいえ、このままでいたら遠からず復活することはこれまでの経験で分かり切っている。白澤もこれ以上の無理を強いる気はないのか、素直に鬼灯から身を離した。
 それから、長い指で気遣うように鬼灯の髪を梳き撫でる。
「寝ていいよ。後始末はしておくから」
 当たり前だと思いながらも、鬼灯はもう目を開けていられずに僅かに全身に残っていた力を抜く。
 もとより、ここまで意識を保っていられたことが奇跡のようなものである。奈落の底に落ちるように鬼灯の意識はあっという間に無明の闇へと沈み、おやすみ、と囁いた白澤の声も届くことはなかった。




          *        *




「無理させちゃったなぁ」
 汗やら体液やらに濡れた身体を一通り拭き清め、襦袢を簡単に着せ付けてやる間も、鬼灯が意識を取り戻すことはなかった。完全に失神しているか、熟睡状態にあるのだろう。顔色や呼吸、脈には問題ないから、ただ深く眠っているだけである。
 失神していたとしても、そのまま睡眠に移行して朝には自然に目が覚めるだろうと診断した白澤は、ごめんね、と鬼灯の髪を撫でた。
 癖のない黒髪は、さらさらと流れて落ちる。結うために長く伸ばしていた頃は、それはそれは綺麗だった。艶々と背に流れる髪を閨を共にする度にしつこく撫でては嫌がられたのも、今となっては大切な思い出である。
 思えば、もう随分と長い付き合いだった。無限に近い時を超える白澤ですらそう思うほどに、この鬼はずっと傍にいる。
 出会ったのは五千年ほど前のこと。
 小さな小さな子鬼だった彼とは、名を名乗り合うことすらしなかった。
 愛くるしい顔立ちをしたチビのくせに、妙に冷静で、頭が良くて、礼儀正しいのに口が減らなくて。
 面白い子供だとは思ったものの、特に接点はなかったからそれなりに長い間会うことはなかった。
 次に会った時には、小鬼はもう青年と呼んでも差し支えのない外観に成長していて。
 それでも面影はしっかり残っていたから、ああ、とても綺麗になった、立派に成長したと嬉しく思いながら差し向かいで飲むうちに、酔いで桜色に頬を染めた風情に名状しがたい情動を覚えて。
 まさか男にと思ったものの、結局忘れられないまま閻魔大王の第一補佐官となった彼に再会して、それから後は口説いて口説いて。
「仕方のないひとですね、ってお前は言ったんだよな」
 けれど。
「お前もさ、僕のことはずっと覚えててくれただろ。それに、ちゃんと僕のことも好きになってくれた」
 大陸に法制度を学びに来た彼と再会した時も、名を名乗りはしなかったし、かつて出会っていることを互いに口にしたりはしなかった。
 気の強い子供にとって、あの宵の丘での出来事は黒歴史と呼んでも差支えのない記憶だったのだろう。木から降りた自分と目を合わせた瞬間、僅かに目を瞠ったことには気付いたが、鬼灯が何も言わなかったから、無かったことにしたいのならそれでもいいだろうと黙秘に付き合った。
 その場はそれきりで別れて、次に閻魔大王第一補佐官と神獣として挨拶をした時にも、鬼灯は顔色一つ変えることはなく。
 大人になった鬼灯は子供の時以上に生意気で暴力的で一際変人にはなっていたが、それでもやっぱり綺麗で、可愛くて。
 ああ、やっぱり好きだと思ってそう言えば、貴方なんか嫌いですと返した顔は、明らかにツンデレが発動していて。
 多少のすったもんだはあったものの、恋人という関係に収まってからもう千年近い年月が過ぎている。
「ホント、全然飽きないんだよねえ」
 それだけの年月を経ても、艶めいたまなざしに見つめられればぞくぞくするし、名をきちんと呼ばれるだけで嬉しくなる。
 本当に呆れるほど、愚かしいほどの恋をしているのだ。
 この恋がいつまで続くのかは、神獣白澤の叡智をもってしても分からない。ただ、一日でも長く、どちらかが――おそらくは鬼灯が先に消滅するまで共に在ることができればいいと祈るばかりである。
 本来ならば何の接点もないはずなのに、運命のように邂逅を繰り返してきた自分達だ。容易に離れることはないと信じたかった。
「好きだよ。これまでも、これからも」
 形の良いおでこをさらりと撫でて、口接けを落とす。
 そして白澤は、自分もまた寝具の中に潜り込んだ。
「おやすみ、鬼灯」
 燃え盛る炎が形を得たような鬼は、横顔もはっとするほどに美しい。
 長い睫毛で飾られた目が静かに閉ざされているのを見つめ、今夜もまた、安らかな眠りが愛しい存在を包み込むよう願いながら白澤は自分も目を閉じる。
 ひっそりと静まった寝室に響くのは仄かな虫の音ばかりで、桃源郷の夜は穏やかに、そして優しく今日も過ぎてゆくようだった。

End.

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