「いつも、ここで会うばっかりだろ。俺は別にそれで構わねぇと思ってるけど、今夜はの外出は悪くなかったからよ。鰻、美味かったし」
「……また美味しいものでも食べに行きたくなったの?」
「そんなとこだ」
わざわざ二人分の浴衣を用意して、肩を並べて嬉しそうに花火を見上げ、機嫌よく鰻を食べて杯を傾けていた臨也が何とも綺麗に可愛らしく見えて、もっと見たくなったからだ、とは口が裂けても言えるものではない。
ゆえに曖昧にごまかしたが、臨也も、まさか静雄がそんなことを考えているとは思い及ばなかったのだろう。ふぅん、と物思うようにうなずいて小さく首を傾ける。
「別に、たまになら出かけるくらいしてあげてもいいけど……」
呟き、静雄を見つめる。
「どこか行きたいとこ、あるの? 食べたいものとか」
「いや。俺はそういうの全然知らねぇし」
「だよねえ。はい、シズちゃんなんかに聞いた俺が馬鹿でした」
実にあからさまに、呆れたように臨也は大きな溜息をついて見せた。
「つまりさ、シズちゃんの『どこか行く』っていうのは、俺に行き先を決めさせて、ルートを検索させて、ついでに美味しいお店も調べさせて、自分はそれに付いて行くっていうだけの話だよね。それってさ、男としててどうなんだよ」
「どうも何も、手前だって俺にそんなこと期待してねぇくせに」
「するわけないだろ。馬鹿見るだけじゃん」
「だったら言うな」
「はぁ? 俺は純粋に心配してあげてるんだろ。出かけようって言うのにエスコートの一つもできない残念で憐れなシズちゃんの末路を儚んでさぁ。あーあ、これから先、何かの間違いで女の子に言い寄られても、デートさえまともに誘えなくて自滅しちゃうんだよね、シズちゃんは。かーわいそー」
静雄の胸に頬杖を付き、ケラケラと嫌味っぽく笑う臨也に静雄は心底うんざりする。
と同時に、こいつはこんなに底の浅い奴だったか、と目からウロコが落ちる気分だった。
静雄が女に言い寄られたり、ましてや、そういう相手をデートに誘おうとすることなど、天変地異並みに有り得ないことだと一番良く知っているのは臨也である。
そして、今の物言いに対して通常反論として出てくるのは、「言い寄る女なんざいない」或いは「なんで他の奴を誘わなきゃならないんだよ」だろう。その裏側の意味は、当然ながら、どんな愚か者でも分かる『俺にはお前しかいない』だ。
『俺が付き合ってるのはお前だし、お前以外の奴と出かけるつもりなんざねえ』
それ以外の返答しか導き出せないような台詞を臨也が吐いたこと自体が、静雄にしてみれば驚きだった。
とはいえ、静雄もまた、臨也相手にそんな台詞を真顔で言えるような性格はしていない。そこまで臨也は見越していて、このまま口喧嘩に持ち込みたいと思っているのか、それとも、特に計算などなく口が滑ってしまっただけなのか。
後者なら恐ろしく可愛いが、そこまで迂闊ではないだろうという気もする。
判別がつかないまま、静雄は斜めから攻めてみた。
「ほーお、つまり俺とお前が出かけるのは、デートって認識でいいんだな?」
「──は、あ? なんでそんな……」
「手前が今言ったんだろ。俺はデートさえまともに誘えねぇってな」
「それは俺との話じゃないだろ。どこかの可愛くて性格もいい女の子との話!」
「じゃあ、手前と出かけるのは何て言うんだ?」
「はぁ? そんなもん、外出だろ。ただの外出。お出かけ。そんなことも分かんないの?」
どうあってもデートという単語は使いたくないらしい。この野郎、と思うものの、静雄もまた、真っ向から『デートするぞ』とは言えないのだから、お互い様だった。
割れ鍋に綴じ蓋かよ、と溜息をついて臨也を抱き寄せ、頭の天辺に顎先を当ててグリグリと押してやれば、途端に「痛い痛い!!」と悲鳴が上がる。
「痛いってば!! 何すんだよ!?」
「いや、ちょっとムカついた」
「ちょっとムカついたくらいで暴力ふるうなよ! 頭の天辺は急所なんだよ!?」
「知ってるつーの、それくらい」
「だったらやるな!」
「分かってるから、やってるに決まってんだろ」
「何それ、最低!」
事後の気だるい雰囲気はどこへやら、臨也はまなざしを険悪に尖らせて静雄を睨みつける。
だが、静雄の体の上からどくわけでもなし、背を緩く抱いている静雄の腕を振り払うでもない。
ほとほと素直じゃねぇよな、と呆れつつも、静雄は手を上げて臨也の眉の辺りにかかっている前髪を梳くように撫で上げた。
形の良い額があらわになると、臨也の整った顔立ちは一層知的に、綺麗に見える。
にもかかわらず、前髪を普段は無造作に下ろしているのは、人をたぶらかすことを好む性格上、寄り付きがたい雰囲気が出てしまうことを厭っているからだろうか。
秀麗過ぎる顔立ちは、時として冷酷かつ恐ろしく見える。そんな誤解を時折受ける弟を持っている静雄は、とりとめもなく弟とはまた違う美しさの臨也のアーモンド形の目や、紅みを帯びたセピア色の澄んだ瞳や、描いたような綺麗な形の眉、すっと通った鼻筋に薄い唇の形を愛でながら、臨也の髪を撫で、頬を撫でた。
そうして淡い戯れを続けているうちに、吊り上がっていた臨也の眉と眦が、少しずつ下がってくる。
「……何なの、シズちゃん」
舌先三寸で勝負を挑むのが得意なだけに、静雄が沈黙してしまうと、臨也はどうすればよいのか対処に困ってしまうらしい。静雄がそう気付いたのは、最近のことだ。
池袋の街中ではキレることなく沈黙していることは困難だが、こうして二人して寝台で寄り添っている時ならば、自然に感情が凪いで臨也の挑発にもそれほど乗らずにいられる。すると、臨也は困惑したような拗ねたようなまなざしで、沈黙する静雄を見つめてくるのである。
きつい目で睨まれればキスをしたくなるし、細い身体を貪り尽くしたくなる。
だが、そのまなざしがへにょんと困惑するのもひどく可愛いのだと気付いたら悪戯心が止まらなくなり、結果として静雄が二人きりの時にキレる確率は、付き合い始めた頃に比べ、格段に下がっている。
「ホント、シズちゃんって訳分かんない」
むずがるように臨也は顔を逸らして触れてくる静雄の手を避け、静雄の胸元にぽすんと顔を埋める。
それならそれで、と頭を撫でてやるついでに形の良い耳にも触れたら、本来ひんやりしているはずのそこは随分と熱を持っていた。
明るい所で見たら、きっと真っ赤になっているだろう。その理由が恥ずかしがっているのか怒っているのかは定かではないが、何となく後者ではないような気がする。
そう思うと、何とはなし口元に笑みが浮かんできて、静雄はもう一度臨也の細い身体をぎゅっと抱き締めた。
「なあ、来週の休み、出かけるだろ?」
「……なんで、そんなに出かけたがるの」
「何となく」
はぐらかせば、臨也は静雄の脇にぐっと爪を立てた。
いわゆるアイアンクローだが、静雄にしてみれば可愛らしくつねられたくらいの感覚しかない。キレることもなく沈黙していれば、臨也は諦めたように指の力を緩めて、溜息をついた。
「どこに行きたいかとは聞かないから、何が見たいかくらい言ってよ。せめて食べたい物とか」
「俺が見てもムカつかないもんとか、美味いもんなら何でもいい」
「だから、それが最低だって言ってるんだよ。俺を誘うんだったらさぁ、もう少し具体的に考えてよ」
「つってもなぁ」
「和洋中華。せめてそれくらい選んで」
「あー、しばらく中華食ってねぇな。牛丼や焼肉は食うし、ファミレスもよく行くけどよ」
「……牛丼やファミレスを和食や洋食に入れるなよ」
疲れ果てたような声で呟き、しかし、それきり臨也は大人しくなる。
小さな頭の中で、きっと今、めまぐるしく行き先を選定しているのだろう。
ぐだぐだと文句を付けながらも、一度たりとも『行きたくない』とは言わなかった上に、きちんとデートだと認識しているらしい臨也にもう一度口の端で笑ってから、静雄は臨也を腕に抱いたまま、身体の向きをぐるりと百八十度入れ替えた。
「──えっ?」
「考え事は後でしろよ」
マウントポジションで顔を覗き込めば、仰向けに組み敷かれた臨也は目を丸くして静雄を見上げた。
「もしかして……もう一回するの?」
「するに決まってんだろ」
浴衣姿の臨也といやらしいことをするなどという美味しいシチュエーションを、まさか一度限りで終わらせられるはずがない。
にやりと笑ってやりながら、はだけた浴衣から覗く白い胸元に、たっぷりと意図を込めた手のひらを滑らせる。すると、臨也はびくりと目を細めて、敏感に身体を震わせた。
「嫌じゃねぇだろ?」
「──もう、本当に君って勝手すぎ」
困惑半分呆れ半分の表情で呟いた臨也は、そのまま静雄の浴衣の襟を掴んで引き寄せ、唇を重ねてくる。
その甘い唇を貪り、着乱れた浴衣に半ば覆われた細く華奢な身体を隅々まで撫で回して、夏の夜のデートの締めを心ゆくまで静雄は堪能したのだった。
End.
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