Scandalous Party








 恒例の年越しパーティーへの招待状が自分にも来るようになったのは、何年前からのことだったか。
 さほど面白いものでもないのに、毎年律儀に出席するのは、それだけの理由がある。
 1つは──自分の立場上、欠席するのが好ましい結果には繋がらないという、非常に散文的な色気も何もない理由。

 それと、もう1つ───。








 きらびやかに着飾った男女が優雅に広い空間を泳ぎまわっている。
 一言でいえば、そんな風景だった。
 そして、楊ゼンも今夜はその熱帯魚の一匹となっている。
 もっともらしい表情と態度で、見知った相手には挨拶を、初対面の相手には自己紹介を繰り返し、卒のない会話を交わして。
 適度に──若造だからといってあなどられぬよう、しかしながら不相応な威圧は感じさせないように、相手に己を印象付ける。
 そうする一方で相手を観察し、値踏みする行為に面白さがないわけではなかったが、けれど、楽しいと言い切れるものではなかった。
 忍耐力はある方だが、しかし何時間も卒のない笑顔を貼り付けていれば、いい加減に飽きる。
 ささやかながらも疲れを感じた楊ゼンは、飲み物を取りにいくようなふりをして、さりげなく場を離れた。



「大したものだな……」
 フロアの中央を離れ、壁際で一人、カクテルのグラスをもてあそびながら呟く。
 よりにもよって大晦日という日に、毎年、数百人の招待客──しかも、経済界政界の著名人ばかりを集めることができるだけの権威というのは、一体どれほどのものなのか。
 具体的にそれを想像できる分、溜息しか零れてこない。
 このパーティーの主催者、あるいはその後継者と、将来的に張り合わなければならない立場にいるのかと思うと、年甲斐もなく家出でもしてしまいたくなる。
「でも実際、どう考えても分が悪いしな……」
 改めてフロアを見渡しながら、小さくぼやく。

 確かに、昨年に引き続き、今年もなんとか決算の数字上は勝っている。
 だが、150年以上も社歴をさかのぼれてしまう旧財閥系の崑崙グループに対し、金鰲グループは創業60年の若い会社だ。企業グループそのものの規模は同等でも、社名の重みが違う。
 対抗して大晦日にパーティーを開くことはできるが、断言してもいい、招待客の過半数は崑崙グループのパーティーに流れるだろう。

 更に、分が悪いと思う理由は、それだけではなくて。

 国内最高級ホテルの大ホールの中央付近へ、ゆっくりと視線をずらす。
「──目立つんだよね、あの人は……」
 求める存在は、すぐに見つかった。というより、視界に飛び込んできた、という方が正確だろう。
 楊ゼンも良く顔と名前を知っている経済界の重鎮を相手に、臆することもなく堂々と言葉を交わしているその人は、熱帯魚があふれかえっているような広い空間にも溺れることなく、くっきりと浮かび上がっている。
「華やか、というタイプじゃないんだけど……」
 強烈な自己主張オーラを放っているわけではない。
 けれど、何故か、そこに居る、とごく自然に人々に認識させるような存在感は他の誰とも似ていなくて、目立つわけではないのに目を惹かれてしまうのだ。
 参ってしまうな、と溜息気味に心の中でぼやきながら、惹かれるままにそちらへと歩み寄ってゆくと。
 あと数歩、という距離になって、ようやく彼は顔をこちらへと向けてくれた。

「おや、君は確か金鰲グループの……」
「はい」
 恰幅のいい、エネルギッシュかつ油ギッシュな壮年の男に、にこりと好感度の高い笑みを向ける。
「5日ぶりか? 楊ゼン」
「そうですね。挨拶が遅れましたが、今夜は御招待をありがとうございました」
「じい様のしたことだ。礼はそちらに言ってくれ。じい様とは、しばらく顔を合わせとらんだろう。久しぶりに碁の相手をして欲しいと言っておったぞ」
「でしたら、正月中にでも御挨拶に伺いますよ」
「ああ」
 どちらも大企業の跡取らしい微笑を浮かべて、口先だけの挨拶をかわしていると、納得したように壮年男がうなずく。
「そうか。君たちは同じ大学に在籍しているんだったな」
「ええ。学年は違いますが」
 卒のない笑みと共に、短く太公望は応じる。
 こういう時、必要以上のことを語らないのが、余計な突込みを許さず話を長引かせないコツだった。
「ちょうど良かったよ、楊ゼン。おぬしに話があったのだ」
 更に駄目押しとして、すかさず太公望は隙のないにこやかな表情を楊ゼンに向けてから、改めて中年男に向き直り、言葉を続ける。
「申し訳ありませんが、大学のことでちょっと彼に伝えておきたいことがあるので……」
「ああ、構わないよ。君と話せて楽しかった。また、うちのパーティーにも顔を出してくれたまえ」
「はい、必ず」
 こういう場なのにも係わらず、決して建前だけの社交辞令ではないと信じてしまうような微笑を浮かべてうなずき、太公望は楊ゼンをうながして歩き出した。


 そして、十歩ほどを歩んだところで。


「──相変わらずの詐欺師っぷりですねぇ」
 隣りだけに聞こえる程度の音量で、楊ゼンは笑い混じりに告げた。
 敢えてこの場で伝えなければならないような用事など何もないことは、最初から分かっている。
 太公望ももちろん、それを否定することなく肩をすくめた。
「おぬしもだろうが。思いきり猫をかぶって、愛想を振りまいておったくせに」
「仕方ないでしょう。そういう立場に生まれてしまったんですから」
「そういうことだ」
 溜息と共に呟いて、彼は手持ち無沙汰そうに指先で前髪をいじる。
 本当は、いつものように髪をかきあげたいのだろうが、きちんとセットしてある今夜は下手に髪に指を突っ込むわけにはいかないのである。
「しかし、おぬしが寄って来てくれて良かったよ。どうせなら、もっと早く来てくれれば、もっと良かったがな。
 とにかく、しゃべりっぱなしで喉は渇くわ腹は減るわ……。ったく、ジジィも人に客の応対を任せるくらいなら、こんな行く年来る年パーティーなんぞ開くでないわ」
 とめどもなく愚痴をこぼしながら、太公望は一直線に美味珍味の並んだテーブルへと向かってゆく。
 苦笑しつつも、楊ゼンはそれに付き合った。




「しかし……毎年毎年立派な顔ぶれが揃ってますけど、あなたの代になっても、このパーティーは続けるんですか?」
「わしとしては、やりたくないんだがのう」
 あれやこれやと給仕に指示して山盛りにしてもらった皿の上の美味珍味をつつきながら、太公望は肩をすくめる。
「時代遅れの遺物とはいえ、大晦日の風物詩になっておるからな。会長の一声で止められるかどうかは謎だよ」
「大変ですよね、あなたも」
「おぬしには言われたくないよ。金鰲グループの跡取殿」
 うんざりしたように皮肉っぽいまなざしを向け、太公望は伊勢海老のマルセイユ風にフォークをつきたてた。
 その姿を、楊ゼンは興味深げに見やる。

 今夜の太公望は、パーティーの主催者代理らしく、きっちりとしたタキシードに身を包んでいる。
 改めて正装すると、楊ゼンほどの華やかさはなくとも、十分すぎるほどに整った顔立ちには無色透明の氷のような綺麗さがあって。
 いつもの皮肉っぽさや怠惰さを、万事を心得、見透かしているような鋭さ不敵さに変えて、凛と背筋を伸ばした姿は、男子の平均身長に足りないほど小柄とは思えないほどの存在感があり、ひどく人目を引いた。


 二十歳を少し過ぎたばかりの、この人が。
 既に八十歳近い現会長に何かあれば、即座に崑崙グループのトップに立つ人間なのだ。


 彼の両親は、彼がまだ小学生の頃に交通事故で死に、息子を喪った崑崙グループ会長は、まだ幼い孫をグループの正統な後継者に定めた。
 その異常ともいえる決断に対し、周囲の反発がさほど大きなものでなかったのは、彼が神童と呼ばれるほど頭脳明晰な子供だったからだ。
 幼時から知能指数はずば抜けており、それだけでなく人間的な洞察力にも優れた少年は、大の大人たちにも堂々と渡り合い、機知に満ちたやりとりを交わすことで自ら祖父の後継者たる地位を認めさせた。


 けれど。
 本当は、そんなものを彼は望んだことは一度もないことを、知っている。


 学年で1つ下の楊ゼンは、小学校に入学した時から彼の存在を知っていた。
 並外れて頭がいいくせに、気さくで人望の厚い彼は、同じ大企業の跡取息子である楊ゼンにとっては、いってみれば目標であり見本でもあったのだ。
 その時点その時点で劣っていても、1年後に彼に追いつき追い越していればいいのだと思えば気も楽だった。
 ──昨年、彼が修めたのと同等以上の成績を、彼が浴びた以上の賞賛を。
 そうして同じように学年首席をキープし、児童会や生徒会の役員を務めて。
 分かったことは。

 それは、ただのゲームだということ。

 試験で満点を取るのも、学校行事や校則の改革を実現するのも。
 所詮は、シミュレーションと少々の努力で何とでもなることだった。
 面白さがないわけではないし、それなりに胸も躍るけれど、だからといって心の底から楽しめるかというと少し違う。
 コツさえ掴めてしまえば、あとは相手に応じて少しだけ対処を変化させるだけで済む小手先の仕事は、少なくとも、太公望にとっては『何よりもやりたいこと』ではなく、それに気付いた楊ゼンにとっても同様だった。

 かといって、彼に本当は何がしたいのかと訊いたことはない。
 楊ゼン自身も、これがしたいと具体的に言えるものはない。
 そして、どちらも現時点で一番波風を立てることなく次期グループ会長に就くことができるのは自分だと知っているから、その立場に甘んじている。
 自分にはそれだけの才があり、また、そうあることを望まれていることを、知っているから。


 けれど、本当は。
 太公望や楊ゼンに万が一のことがあれば、大騒動をしながらでも人々は他の後継者を選び出すのだ。

 その現実は、あまりにも空虚で。



「──あなたがライバルというのは、本当に不利ですよね」
「……あながち、そうとも言えまい」
 冷めた笑みと共に呟いた楊ゼンに、太公望も同じような口調で返す。
 具体的に何がとも問い返さない短い応答は、彼が正確に楊ゼンの思考を捉えている証しだった。
 そして、それは自分も同じだ、と楊ゼンは心の中で呟く。
「おぬしには手の内を知られておるからな。他の相手に比べると格段にやりにくいよ」
「それでも、あなたは思いもよらないような手で僕を出し抜くでしょう?」
「おぬし如きに遅れをとるわけにはいかんからな」
「ええ。おかげで僕は、相手の出方を窺いつつの対処療法が得意になりましたよ」
「わしは、いかにおぬしの裏をかいて出し抜くかに知恵をめぐらせるようになった」

 くすりとお互い、今夜初めての裏のない、けれど少しだけ皮肉な笑みをこぼし合って。

 そして、気付く。



 まだ受験生だった頃。
 全国模試でトップの成績を取った時も、考えたのは、1年後に更新できないような得点を、そして、是が非でも前年度首席の合計点を上回れるようにと、ただ、そればかりだった。
 いつの頃からか、それぞれが行ってきたゲームの仮想敵は、どれもこれもが1歳違いの幼馴染にすりかわっていて。
 いつでも自分たちは、目の前の敵手ではなく、目の前には居ない相手を瞠目させ、悔しがらせることを目標にしていたのではないか。



 いつの間にか足を踏み入れていたのは、終わりのないゲームの連続で。

 それはこれからも続くのだと、今、目が覚めるように気付く。


 ならば。




「──それも悪くない、か」
「ん?」
 綺麗に空になった皿を名残惜しげに見下ろしながら、太公望が問い返す。
 そんな彼を見やって、楊ゼンはあでやかに微笑んだ。
「いえ、大学を卒業してしまえば、僕とあなたの立場は対等なんだと気付きまして」
「……今更、何を」
 呆れたように眉をひそめて、太公望は隣りに立つ青年を見上げる。
 その表情に、楊ゼンは更に笑みを深くした。

「そんな顔をするということは、あなたも年齢差に意味がなくなるのを心待ちにしていて下さるわけですか」
「そんなはずなかろう」
「また、そんな心にもないことを。1年の最後くらい、正直になったらどうです?」
「おぬし相手に正直になって、何のメリットがある」
「あるかもしれないじゃないですか」
「わしにとっては全部デメリットだ」
「でも本当は楽しみでしょう? 1年後の結果を待つことなしにリアルタイムでゲームを進められるのは」
「───…」

 向けられた笑みに、ふん、とそっぽを向いて、太公望はデザートが欲しい、などと呟く。
 楊ゼンは小さく笑って、彼の手から白磁のプレートとフォークを取り上げた。
「楊ゼン」
「そろそろ日付が変わりますよ。口に食べ物を詰め込んでハッピーニューイヤーも何もないでしょう」
 皿を給仕に手渡しながら、不服そうな顔をして睨む太公望を軽くいなして。
 さりげなく、すぐ傍のバルコニーへと続く窓へと彼をいざなう。


 瀟洒な窓を開き、屋外に出ると、冷気と共に目の前に首都の夜景が鮮やかに広がった。


「さすがに冷えるな」
 寒がりの彼らしく、顔をしかめて小さく身震いしたものの、中に戻ろうとは言わない。
「あと何分だ?」
「2分半といったところですね」
 時計を確かめた楊ゼンに、何とも返事は返さず、太公望は目の前に広がる風景にまなざしを向ける。

 地上のイルミネーションが明るすぎて、空の星は1つも見えない。
 かろうじて、満月を過ぎたばかりの月が中天を過ぎて夜空に懸かっているばかりで。



 別に、きらきらと空虚な輝きを見せる地上の星が欲しかったわけではない。
 けれど。
 人の手には届かない、天上の星を望んだわけでもないから。

 まばゆいイルミネーションにも決してまぎれない、目の前の小さな背中だけを見つめる。

 これまでも。
 そして、これからも。
 目の前に立つ敵が、他の誰でもない彼であるのならば。




 ───道化にも似た空虚なはずの人生も、どれほどに楽しいだろう?






 10、9、8、7、と背後のパーティー会場から、新年のカウントダウンが巻き起こる。
 お世辞にも品がいいとは言いがたい、けれど、はしゃいだ大人たちの声を聞きながら、ゆっくりと太公望が振り返る。
 室内からの光が届かない位置に立ったその人の前まで、5歩ばかり足を踏み出して。

 1、のカウントと同時に、視線を合わせて。
 0、のカウントと同時に、どちらからともなく口接ける。

 白い吐息が重なり、軽く互いの体温に触れるだけで離れて。
 至近距離でまなざしを交わして、2人は悪戯が成功した子供のように、くすりと笑った。
 背後からは、「明けましておめでとう!」と「乾杯!」の声が、何十何百にも重なって聞こえてくる。

「主催者代理がこんなところにいてもいいんですか?」
「どうせジジィが、ちゃっかり休憩室から出てきておるだろう。わしなどおらずとも構わぬよ」
「相変わらずですよね、あの方も。──でも、あなたが学生の間はそれでいいとして、その後はどうします?」
「………おぬし、一体いつまでニューイヤーキスをするつもりなのだ?」
「そりゃ、その気が失せるまでですよ」
「ダァホ」

 肩をすくめて、太公望はするりとバルコニーの端の方へ寄った。
 楊ゼンも後を追い、地平線まで広がる華やかな光の洪水を、肩を並べて見下ろす。
「新しい年、か」
「1年なんてあっという間ですよね。あなたと知り合ってから、今年で15年目ですよ」
「嘘みたいだな」
「本当に」
「──ま、とりあえず、だな」
「ええ」
 冷え切った冬の大気の中、互いを見やって。






「今年もよろしく」






end.










というわけで、年末年始企画第2弾。
前回に引き続き楊ゼン視点ですが、思っていたよりは淡々とした内容になりました。クリスマスが予想以上にシニカルになってしまったので、これもそうなるかなと思ってたんですけどね。
とりあえず、これが2001年最後の作品です。
最後に読むのがこれというのは何だかな、という気もしますが、皆様、どうぞよいお年をお迎え下さい。

そして、新年になってから御覧になった方。
年が明けて最初に読むのがこれ、というのは何だか非常に幸先がよろしい気もしますが、どうぞお見捨てなく、今年もよろしくお願いいたします。m(_ _)m





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