銀曜日のおとぎばなし 2
「あなたを愛しています。どうか私の妻になって下さい」
* *
「おいジジィ!! 一体どういうことだ!?」
「どうしたもこうしたも、楊ゼン殿がおっしゃったではないか」
「簡単なことだよ、王天君。伯爵は、僕が姫君に結婚を申し込むことをお許しくださった。だから、今日そのためにここへ来た。何か分かりにくいことがあるかい?」
「オレは、どうしててめぇが呂望にプロポーズするのか分かんねぇって言ってるんだ! てめぇがそこいらの女と遊びまくってたのを、寄宿舎時代、俺は散々見てたんだからな!」
「失礼な奴だな、遊んでなんかいないよ」
「いいや、外泊もしょっちゅうだったぜ。1階東端の廊下の窓の鍵が壊れてかからねぇのをいいことに、いつもあそこから出入りしてただろうが!」
「……あの窓を利用してなかったとは言わないけどね、君の方がよほど外泊は多かったよ。毎晩のように、自分の部屋の窓から飛び降りてたじゃないか」
「オレはいいんだよ、オレは!! 女遊びなんざしてねぇからな!!」
「僕だって別に女性と遊んでたわけじゃないよ」
「嘘つけ! 市街に出るたびに、あちこちの女から声かけられてたじゃねぇか…!」
目の前で行われている、青年たちの不毛な言い争いを呂望は呆然としたままで見つめていた。
───結婚って……。
頭の中で、楊ゼンが告げたばかりの言葉がぐるぐると回る。
───妻って……わしが楊ゼン様の?
楊ゼンは大貴族・通天公爵家の嫡子で、ゆくゆくは公爵位を継ぐはずである。
しかも、容姿端麗・頭脳明晰・文武両道とくれば、憧れる貴婦人・令嬢はそれこそ星の数ほどで、舞踏会などの折には何重にも女性が彼の周囲を取り囲み、黄色い声が途絶えることがない。
───なのに、なんでわし!?
呂望とて、元始伯爵家の令嬢である。これまでにも結婚の申し込みがなかったわけではない。
伯爵家自体が、もしかしたら王家よりも古い血統かもしれない由緒ある家柄であるし、しかも、現当主の老伯爵がやり手なため、資産も相当なものだ。
そして、何よりも呂望自身が稀有な癒しの魔法力を持っている。
そのため、ほんの幼い頃から、嫁に欲しい、いや婿に入りたい、いやいや養女に、という申し出は、めぼしい貴族のほとんどからあった。
幸か不幸か、呂望の力が明らかになった時、国王は既に王妃と結婚していたのだが、やはり王宮としては癒しの姫君の存在は諦めきれないようで、女官として出仕させよだの、現在9歳になる王子の未来の王妃にだのの提案さえあったのである。
だが、それらの申し出は、これまですべて祖父である伯爵が丁重に辞退し、断ってきた。
だから、呂望自身は一体どこの誰から結婚の申し出を受けたのか、正確なことは何も知らない。
それどころか、自分の耳で聞いたプロポーズは、これが初めてなのである。
しかも、プロポーズされたのは祖父の目の前。
つまり、これは。
ジジィ……いや、祖父が思いっきりその気になっているということだ。
───どうして?
これまで祖父が数多の縁談を断ってきたのは、孫娘可愛さもあるが、それ以上に呂望を『癒しの姫君』としか見ていない、というのが大きな理由だった。
そんな望まれ方では、結婚しても決して幸せになれない、というのがジジィの持論なのである。
それを翻したということは。
「───…」
ドキドキと脈打ち始める胸をそっと押さえて、呂望は王天君と不毛な言い争いを続けている青年を見つめた。
去年の秋、15歳になって初めて出席した王宮の舞踏会で、彼に申し込まれて一曲踊ったことは、まだはっきりと覚えている。
貴婦人たちのまなざしがちくちくと肌に突き刺さってはいたが、それ以上に彼の優雅で巧みなリードに導かれてステップを踏むのが心地好かった。
そして、優しい瞳を見つめながら、自分はずっと考えていたのだ。
───この人は、遠いあの日のことを覚えているのだろうか、と。
* *
王国の東部、美しい森と湖のある風光明媚な土地には、王家の離宮や貴族たちの別邸がいくつもある。
夏の暑い季節、上流階級の人々は王都を離れてその地で過ごすのが慣習だった。
夏の社交は、園遊会や狩猟会など、どちらかというと肩肘を張らない気楽なものが多く、美しい風景の中で暑さをやり過ごし、リフレッシュした貴族たちは夏の終わりにはまた王都に戻り、秋の社交界シーズンに備えるのである。
それゆえに、豊かな自然に満ち溢れ、華やかな王都とはまた違った魅力のあるその土地を愛する者は多かった。
美しい森の中には湖のほかにも、あちこちに清らかな泉が湧き出ている。
そのうちの一つ、元始伯爵家の別邸からほど近いところにある泉が、幼い伯爵令嬢・呂望のお気に入りだった。
呂望は10歳になったばかり。
少女らしい魅力にはまだ乏しいが、新緑を映したような大きな瞳を輝かせながら、侍女と共に花を摘んで花冠を編んでいるようすは、とても愛くるしい。
「はい、できたぞ」
白と薄紅の花を取り混ぜて作り上げた綺麗な花冠を、呂望は小さな手で侍女の頭に載せる。
「私の方もできましたわ」
侍女もまた、作り上げた可憐な薄紅の花冠を呂望の艶やかな黒髪にそっと載せる。
「よくお似合いですわ、お嬢様」
「スープーも似合うぞ」
そう言って主従が微笑み交わした時。
ふと、呂望は真顔になって小さく首をかしげた。
「お嬢様?」
「……犬の声がする」
「ああ、どなたかが狩りをなさっているのかもしれませんわ」
耳を澄まして森の奥をうかがう少女に、侍女もまた笑みを消して答える。
美しい森は、また豊かな野生動物の宝庫でもある。鹿狩りや兎狩り、狐狩りが行われるのは日常茶飯事なのだ。
「館に帰りましょうか。流れ矢が飛んできたりしたら、とんでもないことになります」
癒しの魔法力を持つゆえか、呂望は動植物が好きで、貴族のたしなみの一つである狩猟を非常に嫌う。
浮かない表情になった少女を気遣うように、侍女は優しい声をかけた。
「うむ……」
傷ついた獣を助けてやりたくとも、ここは自分の領地内ではないから、他人の獲物を横取りすることはできない。
幼くともそういう決まり事は理解していたから、呂望は森の奥を気にしつつも促されるまま立ち上がりかけた。
その時。
「きゃっ!!」
泉の傍の茂みが突然がさがさと揺れて、侍女が小さく悲鳴を上げ、呂望も咄嗟に彼女にしがみつく。
「あ……!」
茂みをかき分けるように現れたのは、一頭の牝鹿だった。
荒く息をつくその背には1本の矢が突き刺さり、血が滴り落ちている。
「お嬢様!」
引きとめようとした侍女の手を振り払って、呂望が駆け出したその先で、牝鹿は力尽きたように膝を折って地面に座り込んだ。
「ひどい……」
苦しげな呼吸をしている牝鹿の傍らに呂望は膝をつき、泣き出しそうな顔で、どくどくと血が流れ出している傷口をみつめる。
「お嬢様」
その肩に、そっと侍女が手をかけた。
「嫌じゃ!」
「お嬢様、いけませんわ。狩りの獲物は捕らえた人のものですもの……」
だが、目の前で傷つき、苦しんでいる動物をどうして見捨てることができるだろうか。
たしなめる侍女の言葉も、ひどく弱々しい。
「だって、このままではこの子は死んでしまう!!」
肩越しに振り返った呂望の大きな瞳は、涙が潤んで今にも零れ落ちそうだった。
「お嬢様……」
侍女とて傷ついた牝鹿を憐れむ心は同じだった。
しかし、遠かった犬の鳴き声が近付いて来る。ほどなく、犬の飼い主──獲物を射た張本人もこの場に現れるだろう。
獲物の横取りは、許されるべきことではない。
かといって、それ以上強くたしなめることもできず、迷ううちに、呂望は牝鹿の背に刺さった矢に、そっと手をかけようとする。
と、その時、今度は犬の吠える声と共に、再び茂みががさがさと音を立ててゆれ、主従はびくりと身体をこわばらせた。
「バウ!」
元気の良い鳴声と共に現れたのは、大きな白い犬だった。
「駄目っ!!」
犬の丸い瞳を見つめ、咄嗟に両手を広げて牝鹿をかばいながら、呂望は叫ぶ。
「お嬢様!!」
更に、その呂望をかばうように侍女が小さな肩を抱きしめる。
そして犬は、傷ついた獲物をかばうように寄り添っている少女を見つめて、不思議そうに足を止めた。手入れが行き届いているのか、犬の白い毛皮は、木漏れ日を受けて艶々と輝いている。
しばらくの間、涙のにじんだ瞳を気丈に見開いた少女と犬との間に、奇妙な沈黙がおとずれる。
だが、それも長くは続かず、ぴくりと耳を動かした犬は、背後の森を振り返って一声吠えた。
「そっちか、哮天犬?」
森の中から届いた、若い男の声と蹄の音に、呂望と侍女はびくりと肩を震わせる。
その直後、彼女たちの前に現れたのは。
青年と呼ぶにはいささか若い感のある若者だった。
「哮天犬……?」
よく手入れされた葦毛の馬に跨ったまま、自分が追い詰めた獲物と、その獲物をかばうように寄り添っている少女たちを見つめて、彼は当惑したように犬の名を呼ぶ。
その声に、身体をすくませていた呂望は我に返り、
「殺さないで!!」
必死の思いをこめて叫んだ。
「お嬢様!!」
「お願い、この子を殺さないで!!」
「いけません! この鹿は、この方のものです!」
「お願い!!」
たしなめる侍女の声を無視し、牝鹿をかばうように両手を広げた呂望の大きな瞳から涙があふれる。
緑の瞳から零れた涙は、木漏れ日にきらめきながらやわらかな頬を伝い落ちてゆく。
「──もしかしたら……」
その澄んだ輝きを見つめ、当惑した表情だった少年は、ゆっくりと侍女の方にまなざしを移した。
「その小さな姫君は、噂に名高い元始伯爵令嬢なのかな?」
「は…はい。呂望様と申し上げます」
「そうか」
納得したようにうなずいて、少年は微笑する。
「癒しの姫君の頼みとあっては断れませんね。──いいですよ、その鹿は姫君にさしあげましょう」
「本当に!?」
「ええ」
「ありがとうございます!!」
優しい微笑を浮かべた少年に、呂望はぱっと表情を輝かせ、頬の涙を手でぬぐって牝鹿の方に向き直った。
「お嬢様、手でお拭きになっては頬が赤くなってしまいますわ。いえ、それよりも、この方にきちんとお礼を申し上げなければ……」
「この子を治す方が先じゃ!!」
たしなめる侍女の声を無視して、呂望は深々と刺さった矢に手をかける。
そして、抜こうと力を込めかけた時。
そっと、その手を押さえられた。
「あなたの力では無理ですよ」
驚いて見上げれば、馬から下りた少年が微笑している。
その優しい瞳に呂望が思わず矢から手を離すと、代わりに彼が矢を手に握った。
ぐっと形のいい手に力が込められ、ゆっくりと牝鹿の背から矢が抜き出される。
尖った矢じりが新たに肉を傷つけるのだろう。牝鹿が苦しげに細い鳴き声をもらした。
「少しだけ我慢して……!」
咄嗟に呂望は声をかけ、牝鹿の首筋をなでる。
そうする間にも少年の手で矢は抜かれ、広がった傷口から一気に血があふれだした。
その様に背後に控えていた侍女は息を飲んだが、呂望はためらうことなく傷口に自分の手のひらを押し当てる。
そして彼女が、祈るようにきゅっと目を閉じると。
ぽう、と小さな手に淡くやわらかな輝きが生まれた。
目に見えて牝鹿の出血量が収まり、完全に血が止まる。それから、徐々に傷口がふさがり始めた。
その光景を、少年と侍女は目をみはってみつめる。
小さな少女の身体から、ふわりとあたたかく清浄な気が立ちのぼり、辺りを包み込んでゆく。
そして、呂望がゆっくりと緑の瞳を開いた時。
牝鹿の傷口は綺麗に消えていた。
「よし、もう大丈夫じゃ」
薄く額に汗をにじませたまま、にっこりと輝くような笑顔を見せた少女に牝鹿が鼻面をすり寄せる。
否、それだけではなく梢から降りてきた小鳥が少女の肩に止まり、甘えるように頬をくちばしでつつく。
膝元に、茂みから出てきたウサギが寄ってくる。
驚いて見れば、周囲には森の小動物たちがぞくぞくと集まってきていた。
「お嬢様、手をお洗いにならなければ……」
「そうだのう、これではこの子たちを抱っこできぬ」
牝鹿の血で濡れたままの自分の手を見つめ、呂望は笑って立ち上がり、泉に寄った。
相変わらず、その肩と頭には森の小鳥が乗ったままだし、ウサギもリスも、いま傷を治してもらったばかりの牝鹿も少女を慕ってその跡を追う。
「これが……癒しの姫君の力ですか」
「はい。呂望様は本当にお優しい、素晴らしい方なのですわ」
泉の冷たい水で清められた小さな手を、優しく手布でぬぐいながら、侍女は誇らしげに答え、そして、幼い主人をうながす。
「お嬢様、この方にきちんとお礼を申し上げなければなりませんわ。せっかくの獲物を譲って下さったのですから……」
「うむ」
それにうなずいて、呂望は立ち上がり、ドレスの裾を軽くつまみあげて貴婦人の作法にのっとった礼をとった。
「わたくしの我儘をお聞き届け下さり、感謝の言葉もございません。礼儀をわきまえぬ振る舞い、どうぞ寛大なお心をもってお許し下さいますよう……」
幼いながらもしっかりと指先まで躾けられているのが見て取れる、完璧な身のこなしと口上に、少年は微笑する。
「どうぞ面を上げて下さい、姫君。僕の方こそ、申し訳ないことをしたと思っているのですから」
その言葉に、呂望は顔を上げる。
深い緑色の瞳が木漏れ日に透けて、鮮やかに輝くのを見つめながら、少年は言葉を続けた。
「あなたを見ていて、自分が狩りに興じるあまり、つい相手が命あるものだということを忘れていたことに気付きました。謝罪するのは僕の方です。優しい姫君にお辛い思いをさせて申し訳ありませんでした」
「いいえ」
その言葉に呂望は驚いてかぶりを振った。
「皆様が狩りをなさるのは当然のことです。それに耐えられぬわしが悪いのです」
「そんなことはありませんよ」
うつむいた呂望に優しい声で応じ、少年は腰をかがめ、呂望の足元に寄ってきていたウサギをそっと抱き上げる。
「わざわざ犬と弓矢で追い立てなくとも、こうしていくらでも森の動物と触れ合うことはできる。そのことを忘れている人間の方が問題なんです。確かに騎士として肉体や武器の扱いの鍛錬は必要ですが、狩猟だけがその方法ではないのですから」
そう言い、少年はウサギを呂望の腕に抱かせる。
紫を底に秘めた青い宝玉のような少年の瞳を見つめたまま、呂望はやわらかな獣の毛皮を抱きしめた。
「立場上、狩りを二度としない、とはお約束できません。でも、たとえ狩猟会に参加しても、今後は極力、動物たちを傷つけないようにすることをあなたに誓いましょう」
「───…」
その言葉に、呂望は大きく目をみはった。
そんなことを言ってくれた相手は、これまで一人もいなかったのだ。
祖父である老伯爵も、狩猟会を開くことはやめてくれたが、しかし狩りそのものを否定しているわけではなく、あちこちから届けられる収穫を喜んで受け取っている。
───なのに。
卑屈にも尊大にもならない少年の物腰は、伯爵令嬢である呂望と同等以上の家柄の貴族のものだった。
そして、貴族ならば狩猟は当然のたしなみであり、それを忌避することは臆病者のそしりを受けることだということも、呂望は教えられていた。
───なのに、彼は初対面の自分の我儘を聞き入れ、動物たちを傷つけないことを誓うと。
ぎゅっとウサギを抱きしめる腕に力が入った呂望に、少年は優しい笑みを向ける。
そして、片膝をついて、呂望のドレスの裾を指先でとらえ、口接けた。
「今日はもう、僕は帰らなければなりません。──またいずれ、お会いしましょう、小さな姫君」
その言葉を最後に、少年は控えていた犬を呼び、再び馬上の人となった。
そうしてもう一度、呂望に微笑を向けて森の小道へと消えてゆく。
彼の名前さえ訊くのを忘れていたことに主従が気付いたのは、隙のない後ろ姿が見えなくなってから、随分過ぎてからのことだった──。
またいずれ、と少年は言ったが、それきり会う機会はなかった。
祖父に聞けば、彼がどこの誰か分かったのだろうが、獲物を譲らせたということを知られるのを避けた呂望と侍女はこの出来事を秘密にしたため、結局、名前も分からないままだった。
そして、年月と共に面影は少しずつ薄れてゆき、呂望も成長して15歳になった年の秋。
初めて正式に出席を許された、王宮の舞踏会で呂望は彼を見つけたのだ。
もちろん背丈も伸びて、しなやかな力強さを感じさせながらも優雅さを失わない、見惚れるほど美しい青年に成長してはいた。が、呂望には一目で、あの日の少年だと分かった。
癖のない艶やかな髪も、甘やかな色合いの瞳も。
遠い記憶に残る面影のままだったのだ。
そうして5年の月日を経て、ようやく名前を知った彼は、祖父の旧友でもある大貴族・通天公爵の子息だった。
彼は、初めての舞踏会に緊張を隠せなかった呂望に優しく微笑み、貴婦人をダンスに誘う優雅な口上と共に手をさしのべた。
だが、1曲が始まり、そして終わるまで、彼はかつての出会いについては何も言わず、緊張していた呂望もまた、何も言えなかった。
それ以来、あちこちの晩餐会や舞踏会、お茶会で顔を合わせることは幾度かあったが、しかし、親しく言葉を交わしたことはない。
人々の噂以外、現在の彼については何も知らないままなのだ。
* *
「呂望」
「は…はい!」
回想にふけっていた呂望は、突然祖父に名前を呼ばれて飛び上がる。
見れば、不毛な口論は終わったのか、それとも疲れただけなのか、二人の青年はうんざりした表情で視線を逸らしあっている。
その様子に、ぼうっとしてる間に何か状況が変わったのかと、慌てて呂望は祖父の方を見た。
「で、そなたはどうなのじゃ?」
「どうって……」
祖父の問う意味が分からず、呂望は珍しくも焦りながら小首をかしげる。
「決まっておろう。楊ゼン殿のお申し出をお受けするかどうかじゃ!」
「!」
言われてみれば、当たり前のことである。
そんなことも分からなくなるほど自分は動揺しているのかと呆れつつ、呂望はそっと青年の方に視線を移した。
まなざしが合うと、楊ゼンは瞳をやわらかく微笑ませる。
その甘やかさに、呂望は再び鼓動が速くなるのを感じて、いたたまれないような心地になった。
「お答えいただけますか、姫君」
甘く響く低い声が、そう問いかける。
が、
「やめとけやめとけ、こんな女たらし。次期公爵だろうが何だろうが、こいつと一緒になったって、幸せになんかなれねぇぞ」
呂望が言葉に迷ううちに王天君が口をはさむ。
「──王天君、君は一体、僕に何の恨みがあるんだ?」
「恨みなんざねぇよ。ただ、てめぇのツラが気にいらねぇだけだ」
「そんな理由で僕を邪魔しないでくれないか。そもそも、これは僕と姫君との問題だろう」
「馬鹿言え。オレは10年もこいつの子守りをしてきたんだ。それが、てめぇみたいな一番いけすかないタイプの野郎に嫁ぐのを黙って見過ごせるかよ。目一杯、口出しさせてもらうぜ」
「あの……!」
再び険悪な雰囲気になりかけた青年たちだが、老伯爵は沈黙したまま、見ざる聞かざる言わざるの三猿主義を決め込んでいる。
仕方なく呂望が自分で割り込む羽目になった。
「どうした?」
案の定、姫君に甘い再従兄は、すぐに反応して振り返る。
が、彼のことはひとまず脇に置いておいて、呂望は楊ゼンを見つめた。
「突然のお申し出に驚いてしまって……今すぐにはお答えできそうにもありません。少しの間、お時間をいただけますか?」
その言葉に楊ゼンはうなずく。
「構いませんよ。僕も性急過ぎたかと反省していたところです。どうぞゆっくり考えて下さい。そして……できることなら、良いお返事を」
そう告げる切ないほど甘やかな瞳に、呂望の心臓がまたもやどきりと音を立てる。
しかし、それも長くは続かなかった。
「そういうことであれば、お互いをよく知ることが肝心であろう。呂望、楊ゼン殿を庭に案内して差し上げなさい」
会話を見守っていた、というより若者たちのいざこざから巧く逃げていた老伯爵が口を出したからである。
「楊ゼン殿、我が家の庭園は公爵家のものに比べれば、お恥ずかしい限りのものですが、呂望が庭師と共に手入れをしておりましてな。これが丹精した甲斐あって、今は薔薇が盛りなのですよ。是非見てやって下され」
「それは是非拝見したいものですね。姫君、案内をお願いできますか?」
「おい……!」
「王天君、おぬしは邪魔をするでない」
老伯爵の言葉に、王天君はまなざしを険しくして振り返る。が、それも短い間で、すぐに一つ溜息をつき、乱暴に髪をかきあげた。
「仕方ねぇな……。──呂望、こいつが何かしようとしたら、遠慮せずにでかい声で叫べよ」
「何かって何かな、王天君」
「あぁ? この場で言ってもいいのか?」
「やめんか! そら呂望、さっさと楊ゼン殿を御案内しなさい。楊ゼン殿、後ほど茶を運ばせますから、どうぞゆっくりと」
見合いの世話人よろしく老伯爵が場を仕切り、半ば追い出されるように楊ゼンと呂望は応接室を出たのだった。
to be continued...
今回もファイルサイズが大きくなりすぎたので、ページ分割です〜。
すみません〜っ!!(>_<)
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