Little flower 2








 ドアの横のインターフォンのボタンを押すと、ピンポーンというやわらかなチャイムの音がドアの向こうで響く。
『──望か?』
「うむ。明けましておめでとう」
『何でチャイムなんか鳴らすんだよ? 鍵落としたのか?』
「いや、単に両手がふさがっておるのでな。開けてくれ。足元に邑姜が居るから気をつけてな」
『……ちょっと待ってな』
 そのまま待つことしばし。
 ほどなく、ガチャガチャとチェーンロックやら何やらを外す音が聞こえて。
 がちゃりとドアが開いた。
「明けましておめでとうございまーす」
 途端、挨拶の声を上げた小さな少女に、条件反射的に家主の視線が向けられ、
「お?」
 驚いたようにその目がみはられると、少女とその父親はにっこりと満足の笑みを浮かべた。
「可愛いだろう?」
「わざわざチャイム鳴らすから、何をたくらんでるかと思えば……」
「手がふさがっておるのは嘘ではないぞ。ほれ大荷物」
 呂望は手に提げた大きな紙袋を示して見せたが、王亦の方はそれに構わず、その場にしゃがみこむ。
「着物か。よく似合ってんな、チビ姫」
「お父さんが着せてくれたの」
 赤地に花模様の可愛らしい着物をまとってめかしこんだ少女は、率直な賞賛に、はにかんだような笑顔を浮かべる。
 その頭を軽くくしゃくしゃと撫でて、王亦は立ち上がった。
「そうかそうか。ま、立ち話も何もねえ、二人とも入れや」
「うむ」
「お邪魔しまーす」
 賑やかに3人は玄関の中に吸い込まれ、ぱたんとドアが閉じた。






 王亦のアトリエを兼ねているマンションは広く、高層であることも手伝って光がふんだんに入る設計になっている。
 夏場は暑くてかなわないと愚痴をこぼす割には、王亦もこの部屋を気に入っているようで、それまでは引越し魔だったのがかれこれ3年以上、ここに居ついたままだった。
 重厚なシルバーアクセサリーのカリスマデザイナーとして絶大な人気を馳せている彼の作風からすると、自宅のインテリアも何となく黒っぽいものを想像してしまうのだが、むしろ家具は上質かつシンプルな白木の木材を使ったものが中心で、すっきりと片付いている。
 その中を呂望は勝手知ったる何とやらで、まっすぐダイニングキッチンに足を踏み入れると、持参した荷物を広げ始めた。
「今年も、おせちは豪華四段重ねだぞ」
「またかよ。二人半しかいねえんだから半分にしろって、毎年言ってるだろ?」
「半分では二段になってしまうではないか」
「それでいいんだよ。デパートで売ってるやつも、最近は一段や二段が主流だろうが」
「二段では、せっかくの正月気分が盛り上がらぬぞ」
「盛り上がらなくていーんだって。つーか、今時おせちで盛り上がるなよ」
 本当に現代の若者か、と従弟にあくたいをつきながら、王亦の方は続き部屋のリビングで、改めて少女の着物姿をしげしげと見つめた。
「サイズぴったりみたいだが、レンタルしたのか?」
「うむ。実は七五三の時にも同じのを借りたのだが、おぬしは見られなかっただろう? 可愛かったからもう一度と思ってな」
「へえ。チビ姫、着物苦しくないか?」
「へいき」
 小さく首を横に振って、それから邑姜は少し不思議そうに目の前に立つ王亦の顔を見上げた。
「今日はお化粧、してないの?」
「ん? ああ、三日まで仕事は休みだからな」
「おやすみだと、お化粧もおやすみ?」
「そうさ」
 軽く笑む素顔の王亦は、目元に少々険があると言えばいいのか、比べると幾分きつめの顔立ちではあるが、しかし呂望とは良く似ている。
 同い年であることも手伝って、二卵性の双子といっても通りそうなほどだった。
 その父親に似た顔が、もの珍しいのだろう。邑姜は大きな瞳で、穴が開きそうなほどにじいっと王亦を見つめる。
 と、根負けしたのか、王亦が苦笑した。
「何だ何だ、そんなにメイクしてねぇのが面白いか?」
「うん」
 こっくりとうなずいた邑姜に、今度こそ王亦は声を上げて笑った。
「正直だな、チビ姫は」
「すまぬな、親の育て方が良くて」
「てめぇのことは褒めてねえよ」
 ダイニングキッチンに向かって言い返すと、よし、と王亦は邑姜の頭を撫でる。
「ちょっと待ってな、今、いいものをやるからよ」
「なに?」
「すぐに分かるって」
 そのまま王亦はリビングから廊下へ出てゆき、その向こうのアトリエになっている部屋のドアが開閉する音が届いて。
 置いてゆかれた邑姜はきょとんとした表情をしたが、しかし慣れている呂望の方は動じることなく、テーブルを整える手を休めることもしない。
 何の勘の言っても従弟が芸術家だということを、呂望はよく理解していた。創作意欲を刺激された芸術家に、何を言っても無駄だということは、今更確認し直すまでもない不変の法則である。
 そして、こうして待っていろと言った時、本当に長く相手を待たせることはしない、案外に律儀な従弟の性格もよく知っていたから、ぽつんと立っている愛娘へと声をかける。
「邑姜、亦はすぐに戻ってくるだろうから、それまでこっちを手伝ってくれるかのう? 亦が来たら御飯にするからな」
「はーい」
 父親の声に、ぱたぱたと少女はダイニングへとやってきて、その可愛らしい様子に呂望は微笑んだ。





 王亦がアトリエから出てきたのは、三十分ほどが過ぎてからだった。
「亦、餅は幾つだ?」
 持参した出汁パックと餅で雑煮を作っていた呂望は、ダイニングキッチンに戻ってきた従弟に肩越しに尋ねる。
「三つ。そら、チビ姫」
 いかにも正月らしい、のんきな質問に答えてから、王亦は少女の前にかがみこみ、手にしていたものを見せた。
「これ、なあに?」
「着物の飾りだよ。こうして使うんだ」
 首をかしげた少女に笑って、王亦はそれを赤い着物の帯の上に挟み込む。
「ほら、きらきらして綺麗だろ?」
 そのアクセサリーをしげしげと見下ろしていた邑姜は、ぱっと顔を上げると父親に走り寄った。
「お父さん、お父さん、見て」
「うん?」
 背中で会話を聞いていた呂望はさほど驚くでもなく、娘の帯の上に揺れている根付を見て微笑む。
 そして、雑煮を作る手を一旦停め、火を弱めてからかがみこんで、繊細な細工のそれを見つめた。
 精緻な透かし彫りを施した直径2cmほどの球形の銀細工のあちこちに、透き通った緑色の半貴石がいくつも散りばめられている。きらきら光るそれは、赤い着物と帯に確かによく似合っていた。
「ほう、綺麗だのう」
「有り合わせのパーツで造った、やっつけ仕事だけどな。黒焼きする前のシルバーだから、いい感じになっただろ?」
「うむ。……だが、商品としてはそれなりの物ではないのか?」
 少し声を低めた呂望に、王亦はにやりと笑う。
「一点物っつーことでデザイン料と製作料はな。でも石はクリソプレーズだし、材料費は大したもんじゃねぇよ」
「そうか。邑姜、良かったな」
「うん!」
 きらきら光るのが嬉しいのだろう、満面の笑みでうなずくと、邑姜は王亦を見上げた。
「お兄ちゃん、ありがとう」
「おう」
 お礼を言った少女の頭を撫で、
「来年は、それと揃いの簪も作ってやるからな。また赤かピンクの着物を着てこいよ」
「かんざしって何?」
「チビ姫の頭に飾るやつだ。同じ緑色のきらきらのやつな」
「うん!」
 更に王亦は少女の頭をくしゃくしゃにする。
 そんな二人に微笑して、呂望はガス台に向き直った。
「さあ、御飯にするから二人とも座れ」
「はーい」
「はいよ」
 二人分の良い返事が聞こえて。
 豪華な手作りおせちに雑煮と、賑やかに正月の食卓が始まった。






「のう、亦」
「あん?」
 呂望がそう切り出したのは、三人ともがおなか一杯に御馳走を詰め終え、リビングに座を移して食後のお茶をすすっている時だった。
「今年も実家には帰らぬのか?」
「帰らねぇよ」
 湯飲みに片手にあっさりと言い返した王亦に、呂望は一瞬、困ったように黙り込む。
 その表情の変化に気づいた王亦は、テーブルに湯飲みを置いて、眉をしかめた。
「また何か余計なこと言われたのか? ここに来る前に寄ってきたんだろ、お前のことだからよ」
「あ、いや。特に何も言われては居らぬよ。普通に新年の挨拶をして……それだけだ」
「ふん」
 まったく信用しない、と言いたげに王亦は鼻を鳴らす。
 王亦と呂望は母親が姉妹で、姉である王亦の母親が婿養子を迎えて家を継いでいる。
 そこそこの不動産を所有する旧家といってもいい家柄であり、事業家や弁護士といった立派な肩書きを持つ人間ばかりが肩を並べている中、子供時代から何かと周囲と衝突し、挙句にアクセサリーデザイナーの道を選んだ王亦は一族の鬼っ子扱いになっている、というのが歯に衣着せぬ見方をした実情だった。
「どうせ、ババァにまた言われたんだろ。あなたがうちの子だったら良かったのに、ってさ」
「別にそんなことは……」
「今更気を遣うなよ。こちとら、幼稚園の頃から言われ続けてんだからよ」
「亦……」
「そんな顔すんなって」
 溜息をついて、会話をもてあますように王亦は手元の湯飲みをひねくり回す。
「俺が今の生活に不満なんざねぇこと、お前が一番良く分かってんだろ。いいんだよ、これで。家は家で勝手にやりゃあいいし、俺は俺で勝手にやる。距離があった方がお互いの精神安定上、いい関係だってあるんだ」
「それは十分、分かっておるよ」
 今度は呂望が溜息をついて、冷めかけた自分の湯呑みの緑茶を見つめる。
「ただ、伯母さんはどうしてああいう物言いしかできないのかと、ちょっと思ってな……」
「仕方ねぇよ」
 王亦の声は、呂望をなだめるというよりも何かを割り切った響きがあった。
「自分たちが名家だと思い込んでる連中に何を言っても無駄なんだ。貧乏学者と結婚した妹を嘲っておきながら、妹の子の方が自分の子より出来が良さそうだと気づくと、今度は妬ましくて仕方ない。理屈として理解できねぇ話じゃねぇが、それに共感してやる必要なんざねえんだよ」
「亦……」
「俺は俺、お前はお前、そうだろ?」
 比べると幾分低い、かすかに喉に引っかかるようなノイズ感のある声にきっぱりと言われて。
「──そうだな」
 呂望はようやく表情を緩めた。
「すまぬ。こういう言い方はあれだが、少し毒気に当てられたようだ」
「そりゃそうだろ」
 あそこは蛇の巣穴だから、と実家をこき下ろして王亦はこの話は終わりだと告げる。
「言いてぇ気持ちは分からなくもねぇが、子供の前でする話じゃねぇぞ」
「あ」
 王亦に言われて、呂望は慌てて自分の隣りにちんまり座っている愛娘の様子を伺った。
 しかし、話を聞いていたのかいないのか、邑姜はいつもと同じ顔で、自分用のくまさんの絵のついた小さな両手持ちマグカップを手にしている。
 その中身が殆ど空になっているのを見て、呂望は立ち上がった。
「もう一杯、茶を入れてくるよ」
 手早く湯飲みとマグカップを回収して、ダイニングへと向かう。
 その後姿を横目で見送り、王亦は手持ち無沙汰そうに煙草のソフトケースを弄ぶ。が、中に数本残っている煙草を取り出しはしない。
 どちらかといえばヘビースモーカーの方だが、従弟の愛娘の前でだけは煙草を吸わないことにしているのである。
「しかし……あいつも苦労してる割にはお人好しだよなぁ」
 明るい窓の外に目をやるともなしに眺めながら呟くと、
「くろうって何?」
 途端に、斜向かいから可愛らしい声が上がった。
「んー? たとえばだ、チビ姫は望に怒られたり、お菓子を買ってもらえないと悲しい気持ちになるだろ? そういう気持ちをいっぱい知ってることだ」
「おひとよしって?」
「まぁ簡単に言うと、良い奴のことだな。チビ姫が、ぎゅっとして欲しい時に望はぎゅっとしてくれるだろ。そういう優しい奴を、お人好しって言うんだ」
「くろうすると、おひとよしになるの?」
「なる奴もいるし、ならない奴もいるさ。悲しい気持ちをたくさん知ってるから、他の人の悲しい気持ちがたくさん分かるようになる奴もいるし、もう悲しい気持ちになるのが嫌だから頑張ってばかりいる奴もいる」
「────」
「難しいだろ? こっから先は宿題だ。でっかくなるまでに頑張って答えを考えな」
 眉をハの字にした少女に、にやりと笑って王亦は手にしていた煙草のソフトケースをローテーブルに置く。
 すると、呂望が今度は紅茶のティーカップをお盆に載せて戻ってきた。
「何の話をしておったのだ?」
「むずかしいお話」
「そ。大人のお話」
「ふぅむ?」
 二人の返事に、面白そうな顔をしながら呂望は2客のティーカップと、くまさんの両手持ちマグカップをテーブルに並べる。
「ミルクティー用に濃く入れたから。砂糖は入れてないから好きなだけ自分で入れてくれ」
「おう」
「ほら邑姜、零さぬようにするのだぞ」
「レンタル着物は汚すと高いぞ」
「別にそれくらいは構わぬがな。火傷したら大変だからのう」
「分厚い着物着てんのに、冷たい牛乳入れたミルクティーで火傷するかよ……」
 わいわいと騒ぐうち、魔法のように次々に呂望が持参した菓子がテーブルに並べられて。
 眩しい午後の日差しの中、初春の時間は穏やかに過ぎていった。






to be continued...?










珍しくも、ほんわかな正月ネタです。
今年の正月は自分が着物を着てたので、自然と着物ネタになりました。
しかし、これでは丸っきり王天君が主役……。
原作通りのノーマルな王天君もオフで2度ほど書いたことがあるんですが、パロディになると、何故か彼は身内に甘いお兄さんになってしまうようです。他人に対しては、女子供であろうと一様に冷淡だと思うんですけどね。というより、邑姜ちゃんが可愛すぎるのか……。
まるで、おとうさん&おかあさん&むすめ、のような一家団欒風景ですけど、呂望と王亦は本当に純粋に仲の良い従弟というだけですので、念のため。
が、全然楊太じゃなかったので、こっから先はおまけです。





「よし、できたぞ」
 太い筆を置き、満足げに着物姿の腕を組んで長尺紙を眺める父親の視線を追って、楊ゼンは露骨に眉をしかめた。
初志貫徹、って……」
「うむ。人間、目標を定めたらそれに一心不乱に努力せねばならんのだ。その姿こそが美しいのであって……」
「あー、そうですか。ちなみに、その目標が何かとはお聞きしないでおきますね」
「そんなものは当然、決まっておるだろう。お前を……」
「あ、竜吉姉さんもできましたか」
 くるりと向きを変え、雅やかな着物姿も美しい従姉を振り返る。
 と、そこには。
「…………一撃必殺は四字熟語じゃないですよ……」
 それはもう美しい筆跡で、堂々たる四文字が書かれていた。
「おや、そうであったか?」
「少なくとも、漢字能力検定協会には認定されてません」
「千成瓢箪や全力投球が認定されておるのにか」
「はい……」
「ふむ。では、これでどうじゃ」
 新たな長尺紙を毛氈の上に広げ、さらさらと書き上げられたのは。
「………先手必勝………」
「人生八十年しかないのじゃし、もたもたしておったらあっという間に年をとってしまうからのう。せいぜい景気よくいかねば」
「……そうですか」
 ころころと銀の鈴の音のような笑い声を響かせる美女に頭痛を覚えながら、楊ゼンは更にその隣りを省みる。
 と。
死して屍拾うものなし、ってもう四字熟語ですらないし!」
「ん?」
 こちらは紺色の紬でそろえた和装が良く似合う男が、生真面目な口調で答えた。
「四字熟語にぴんと来る語がなかったのでな。人間、どんな時でも後がないと思えば頑張れるものだ」
「そういう意味の決め文句じゃなかったと思いますが……」
(あー、絶対この二人、姉弟だ。どんなに顔が似てなくても遺伝子がそっくり……)
 背水之陣じゃダメなんですかとか、もはやまともに従兄に答える気力もなく、楊ゼンはのろのろと体の向きを変える。
 すると、今度は三人から声が掛けられた。
「おぬしは何と書いたのじゃ? やはり一騎当千とか天下無双とか……」
「ここはやはり不言実行とか切磋琢磨とか、新任教師としての抱負か?」
「いやいや、今年こそ孝行を尽くそうという心がけに違いあるまい」
「全部外れです!」
 うんざりしつつ……というより、もはや嫌々ながら自分の書初めを指差す。
 すると。
「………射石飲羽………」
 いかにも詰まらなさそうな三重奏が響いて。
「いいんです! 僕個人の抱負なんですから!」
「でも、これではのう。紙も普通の半紙じゃし、石に刺さるどころか、矢を射る前から失速しそうな……」
「もっと気合を入れねば、何事も成らんぞ」
「孝行はどうした、孝行は」
「あなた方のために書初めしてるんじゃありません!」
 自分は本当にこの人たちと血縁なんだろうか、と心底思いつつ、楊ゼンはふん、とそっぽを向く。
 顔を向けた先には、初春の庭。
 いっぱいに午後の光が差し込んではいるものの、花開いたばかりの水仙が寒そうに風に吹かれ、ほのかに震えている。
(たとえ子持ちでも年上でも、とりあえず今は独身なんだし、春からは毎朝毎夕、園まで送り迎えに来るだろうから話す機会だって沢山あるだろうし)
 どっちかというと射将先馬の方が良かったかな、と考えている楊ゼンは、まだ想い人の愛娘のことも、そのブレーンである青年のことも何も知らない。
 世は全て事もなく、まだまだ平和だった。





BACK >>