冬物語 〜13. 冬木立〜
かさりと枯葉を踏んだ、乾いた音がくっきりと耳に届く。
それくらいに冬の公園は静かだった。
天気は良かったから、散歩をする人も、日当たりのいいベンチで休んでいる人もそれなりに居る。
だが、大声をあげたり、走り回ったりする来訪者はなく、穏やかな冬の日差しに包まれていることを、誰もが静かに寿いでいるようにさえ感じられた。
ありふれた、だが広さだけは十分にある公園の中をのんびりと歩きながら、楊ゼンは時々足を停め、カメラを構える。
ファインダーを覗き込み、息を詰めるようにして一枚、二枚とシャッターを切る楊ゼンを、太公望は少しだけ離れた位置で見守る。
常にないような・・・・もしかしたら初めて目の当たりにしているかもしれない年下の恋人の真剣な表情を、太公望はちゃかすことも揶揄することもしなかった。
ただ、ずっと前から青年のこんな表情を知っていたような心地を覚えながら、彼の集中力を乱さないように自分の気配を抑え、見つめる視線もさりげないものに留める。
そして、そっと深呼吸すると、冬の冷えた空気がひどく快かった。
寒いのは苦手だが、冬が嫌いなわけではない。
虚飾を失い、真の姿が剥き出しになったような落葉樹の形も、冬独特の澄んだ空の色も、凛と張り詰めた空気も、十分に好きだといえる。
寒い間はできる限り外出を控えて、家の中でぬくぬくと過ごしていたいのは事実だが、冬という季節がなくなったら、それはそれでひどく興ざめだろうと思う。
一雨毎に肌寒さの増す晩秋のもの悲しい寂しさも、一雨毎に淡緑が萌える早春の浮き立つような楽しさもない世界───。
そんな季節と呼べない季節を味わうくらいなら、一時の寒さに震えながら縮こまっている方が余程いい。
「────」
見守る先で、楊ゼンが構えていたカメラを下ろし、背筋を伸ばす。
そして、そのままの姿勢でしばらく風景を見つめてから、こちらを振り返り穏やかに笑んだ。
その笑みに、撮りたかったものが撮れたのだと、太公望は感じる。
だから、わざわざ良い写真が撮れたかとは聞くような真似はせずに、少し離れていた距離をゆっくりと詰めた。
「楽しそうですね」
「そうか?」
「ええ」
穏やかに恋人を見つめ、良かった、と静かに楊ゼンは呟く。
楊ゼンもまた、自分の趣味に付き合わせていることや、ファインダーに向かっている間、恋人の存在を意識の外へ追いやることを詫びたりはしない。
逆に言えば、太公望もそうだった。
二人で共に行動する時も、それぞれが自由に動く時も、互いに自分で・・・・あるいは二人で納得した上で、それを選んでいる。
そこに、余分な感謝や謝罪の言葉が入る余地など、最初からないのだ。
ただ、共に行動する時には、相手が傍にいてくれることを素直に喜び、別々に行動する時には、用事を済ませて帰る場所が同じであることを喜ぶ。
そんなささやかで、当たり前の想いが、二人が共に在ることを支えているのだと、楊ゼンも太公望も正確に知っていた。
「今度は、あっちの方へ行ってみましょうか」
「うむ」
頷いて、二人は歩き出す。
一番最初に楊ゼンの写真を見た時に太公望も気づいたことだが、楊ゼンは被写体には決してこだわらない。
何かを撮りたいと思って、特定の場所や時間を狙って撮影に行くことは、どうやら彼の性には合わないらしかった。
ただ、カメラボックスを肩に掛けて出かけ、足が向いた所で、目に留まったもの──小さな花だったり、昼寝する猫だったり、散り残った枯葉だったり、そんなものへとレンズを向ける。
そういう撮られ方をした写真は、どれもなにげない美しさと優しさがひそやかに溢れていて、テーブル一面に広げると、まるでそこに小さな世界が咲いているようだった。
そしてまた、楊ゼンは陽だまりに気の早い、狂い咲きと呼んでも良いような春の花を見つけて足を止め、手早くカメラのレンズを交換して、またピントを合わせ始める。
あるかないかの冬の風に揺れる雪柳の小さな花が、楊ゼンの目にはどんな風に写るのだろうと思いながら、太公望は傍らを通り過ぎてゆく、散歩中の大きな犬と若い女性を見送った。
よく訓練されているのだろう、大きな図体で飼い主を引っ張ることもなく、白と灰色の毛皮をした犬は、公園の舗装されていない道を行儀よくゆったりと歩いてゆく。
その後ろ姿が遠くなった時、楊ゼンが太公望に声を掛けた。
「犬ですか?」
「随分行儀がいいと思ってな。飼い主が相当しっかりしておるようだ」
「犬は甘やかすと駄目だといいますからね」
「うむ。可愛がるのは勿論だが、けじめをつけないと、自分が群れのボスだと勘違いして飼い主のいうことを聞かなくなる」
「難しいですね」
「まぁな。節度を保つというのは、何であれ難しいものだ」
話しながら、二人はまた歩き出す。
冬の公園は眩しい日差しに溢れていて、そぞろ歩きをするだけでも静かに何かが満ちてくる。
「先輩は犬を飼ったことがあるんですよね?」
「子供の頃な。友達の家で生まれた子犬をもらって・・・・雑種の中型犬だったが、本当にものすごく賢かった。忍耐強くて、滅多に吠えることもなくて・・・・」
「いいですね。うちはずっとマンションだったからな・・・・」
「飼ってもいいのだぞ?」
「え?」
驚いて楊ゼンが太公望の顔を見直すと、太公望はいつもと同じ表情で、楊ゼンを見上げていた。
「これまで動物を飼わなかったのは、単にわし一人では世話をし切れぬと思っていたからで、おぬしが協力するというのなら、犬でも猫でも全然構わぬよ」
「・・・・本気ですか?」
「おぬし相手に嘘をついてどうする」
「それもそうですけど・・・・でも、いいんですか?」
「良いから、言っておるのだ」
しつこいぞ、と言われて楊ゼンは口をつぐむ。
だが、頭の中で何かぐるぐる考えているのは一目瞭然だった。
立ち止まってしまった恋人を見つめながら、太公望は彼がどんな結論を出すのか、しばし待つ。
「・・・・ちょっと考えさせてもらっていいですか? 犬を飼ってもいいというのは本当に嬉しいんですけど・・・・」
「うむ。犬でも命は命だからな。一度飼えば十年以上生きるわけだし、老犬介護は口で言うほど簡単ではない。好きなだけ考えろ」
「はい」
微笑んで言った太公望に、楊ゼンも笑みを浮かべて頷いた。
そしてまた、遠くなった散歩する犬と飼い主である女性の後ろ姿を、目を細めるようにして見つめ、どちらともなく互いの顔を見合わせてから歩き出す。
冬の日差しは葉の落ちた木々の梢を透かして、共に歩く二人に惜しみなく降りそそいでいて。
いつか、この道を二人だけでなく歩く日が、遠からず来るかもしれないと言葉にしない心の中で、二人は思った。
獣医の妹に聞いたのですが、大型犬はともかく小型犬の躾は特に難しいらしいです。
今人気のトイプードルは、50万円もするくせに本当に性格が悪くて、外見にごまかされずに相当に厳しくしないと我儘放題になるとか。
チワワも一見可愛くて甘やかされやすい分、診察に来ると、飼い主の制止を無視し、歯を剥き出しにして噛み付いてきて手に負えない、と嘆いてました。
散歩も行かなきゃいけないし、つくづく犬は大変だな〜と思います。
にゃんこに限らず、わんこも大好きなのですが、節度のない私は、やっぱり溺愛しまくって甘やかし放題にできる猫が、一番向いているようです。
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