#065:冬の雀
遠くを眺めている横顔を見かけた。
いつもならば、こういう時、何も言わなかったように思う。
わざわざ声をかけなくとも、相手はこちらが近くに来たことに気付き、振り返るのが常だったから。
けれど。
今日は何故か。
声をかけていた。
「何が見える?」
「師叔」
即答する前に、楊ゼンは淡い微笑を浮かべた表情で、振り返り名を呼んだ。
「何がというわけでもないですが・・・・そろそろ、この辺りも冬なんだと思いましてね」
隣りに並び、彼が目線で示した方を見ると、回廊の向こう、植木の枝に野生の小鳥が数羽、丸いシルエットでとまっている。
羽根をふくらませたその姿は、ころころとしていてひどく愛らしく見えた。
「最近、寒いからのう」
「ええ。──ああ、冷たいですね」
台詞の後半は、こちらの手を取ってのものだった。
青年の手のひらも、それほど温度が高いというわけではないが、冷え切った指先には十分に温かくて、ふと、知らずこわばっていた背筋から力が抜ける。
「・・・・公の場で、こういう真似はよさぬか」
「今更でしょう」
「それでも。こちらとて、懐炉代わりになってもらいたいのは山々だがな」
「でしたら、お楽しみは夜まで取っておきましょうか」
「そうしておけ。おぬしの執務卓の上にも、そろそろ書類が山になっておるぞ」
「うーん。あまり気は進みませんが。善処しますかね」
「安心せい。わしとて好きでやっておることではないわ」
戯言めいた言葉と共に、重なっていた手が離れる。
そして、先に立って行きかけた背中に。
──一瞬、とてつもない距離を感じた。
「師叔?」
「・・・・ああ、行くよ」
何かに感づいて訝しげな表情になる青年に、常と変わりない表情を向けて。
回廊を歩き出す。
それ以上も、それ以下も。
その時には口にしなかった。
「──のう、楊ゼン」
「はい?」
「もし、わしが居なくなったら、おぬしはどうする?」
「・・・・・そのシチュエーションによりますが?」
唐突に過ぎる問いかけに、こちらを軽く抱いていた楊ゼンの手がわずかに反応した。
が、脈絡のない会話には、とうに慣れているのだろう。
それほど動じることもなく、答えを返してくる。
「誰かに拉致されたのなら、何が何でも取り戻しますし、あなたが自分の意志で居なくなったのなら、必ず探し出して連れ戻すか押しかけ亭主になるかですね。あなたに関しては、僕は割となりふり構わなくなりますから。あなたの意見も聞く気はありません」
落ち着いた低い声で、続けて。
「それから・・・・・本当にあなたがこの世界から居なくなったのなら、どうしましょうか」
悲壮感も何もなく、淡々と綴られる言葉は耳に切なく、ひどく心地好かった。
「面影を思いながら生きるのは芸がないですけど・・・・後追い自殺するほどロマンティストでもないですしね。やっぱり、あなたの居ない空白を持て余しながら永遠を生きる気がしますよ」
そして、少しだけ腕に力が込められ、胸に抱き寄せられる。
触れた素肌が、言葉にならないほど、温かく感じられて。
「あなたが居なくなるのは、あなたの自由ですけど。でも、僕は居なくなったりしませんから」
楊ゼンの声は、淡く笑んでいた。
「僕が居なくなっても、あなたは世界が終わるまで僕を探すことはしないでしょう?」
「───・・・」
「だから、傍に居るしかないんです」
こちらの顔を覗き込んで、微笑む。
その瞳を見つめながら、楊ゼンの言う通りだろうと思った。
楊ゼンが離れていっても、自分は決して探さない。
いつでも心の片隅では追いながら、一歩でも足を踏み出すことは永遠にないだろう。
それは傲慢でも何でもなく。
「・・・・・今更、一人には戻れぬしな」
「そういうことです。多分、僕は世界が終わるまで、あなたに執着し続けますよ」
言葉よりも何よりも。
抱きしめる腕が、その執着を伝えてくる。
胸をえぐる痛みとよく似た嬉しさに。
かすかに笑みが零れた。
「──それで?」
「・・・・え?」
「何を思ったのか、聞くくらいの権利は僕にもあると思いますが」
「・・・・ああ」
だが、言葉にできることなど何もなかった。
冬の始めの高い空に。
寒そうに羽根をふくらませていた小鳥たちに。
重なった手の温もりに。
こちらに向けられた背中に。
わずかな風に流れた髪に。
何を感じたのかなど、自分にも分からない。
「・・・・訳もなく、かのう」
「そうですか」
言い訳になっていない理由に、けれど楊ゼンは納得し、うなずく。
ひどく愛しいと思った。
「今この瞬間に世界が終われば、僕もあなたもかなり幸せだと思うんですけどね」
こちらの混沌とした胸の内を見透かしたように、低い声が甘く囁く。
「そうも都合よく世界は動かぬが、な」
「ええ。でも、それも悪くはないですよ」
思い通りにならない世界だから、あなたに会えた。
飾り気のない言葉に、また笑む。
触れ合う温もりに、昼間感じた言葉にならない感覚が融けて消えればいいのに、と密かに思った。
原作シリーズの二人。
いまだにシリーズ名を思いつきません。本にする時のタイトル(仮)は浮かんだんですけど、ボツになる可能性高いし。
でも、このシリーズもそろそろ終盤に差し掛かるかもしれません。
私の中では一応、ラストは決まっているんですよ。このシリーズに限ったことではないですけど。
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