#053:壊れた時計
それまでいつもと同じように、静かに書物に目を落としていた人が、ふと顔を上げた。
光に薄く透ける羅の帳(とばり)を引いたままの窓を見やり、何かを思うような顔をして卓上に手を伸ばす。
その細い指先が何をするのかは、考えるまでもなく───。
「出かける。おぬしも付いてきてくれ」
一枚、手札を引いて、そこに現れたものを確かめ、卓上に戻してから、おもむろに太公望は立ち上がった。
そのまま近くの椅子の背に掛けてあったツイードの上着を手に取り、玄関へと向かう太公望の身軽さに、今度は何をする気なのかと思いながら、楊ゼンもまた後を追う。
太公望が、何の説明も前置きもなく行動するのは、いつものことだった。
最初の頃は戸惑いもしたが、さすがに四ヶ月も同じ屋根の下で暮らしていれば、その行動パターンにも慣れる。
何を考えているのかは相変わらず読めなかったが、だからといって、太公望はやはり気難しいわけでもなく、時折こうして呼ぶ以外、自分に何かを求めてくることもなかった。
「外に出たら、少し距離を置いて付いてきてくれぬか。そして、わしが指示するまで、おぬしは何もしないで欲しい」
「はい」
エレベーターに乗り込みながら言われた指示に、楊ゼンは逆らわずうなずく。
そして、筐(はこ)が地階に下りるまでの短い間、向かい側の壁にもたれて目を伏せた雇い主を見るともなしに見つめ、その薄い瞼の裏に隠れた瞳の色のことを思った。
太公望の瞳の色は、色名で言うのなら黒だが、この国に多い茶系の黒ではなく、陽光に透けると僅かに青みを帯びて見える。
楊ゼンがそのことに気付いたのは、一月余り前、初めて朝の光の中で、太公望の瞳を見た時だった。
───藍でもなく黒でもなく、淡い墨のような藍灰色。
どこかに異国の地が混じっているのか、それとも常ならぬものを視る力がゆえのものか、人跡を拒む深山に抱(いだ)かれた湖を思わせる色合いは、どこまでも深く澄みながら、全てを拒みはじくようでもあり、全てを受け入れ吸い込むようでもあり、ほんの一時だけ見えたその色に、楊ゼンは図らずも心の芯から目を奪われた。
だが、世界に一つしかない宝玉を思わせる稀有な色合いが見えたのは、その時限りのことでしかなく。
以来、どれほど注意深く見ていても、透明な藍灰色が現われることはなかった。
───底知れない深さで澄んだ、全てを拒むような吸い込むような不可思議な色。
確かに珍しい色合いではあるが、しかし、何故その色がそんなにまでも気になるのかと問われたら、楊ゼン自身も答える術は持たない。
少なくとも、これまでは他人の外見に注意を払ったこともなかったし、特定の瞳や髪の色に惹かれたこともなかった。
今回の太公望の瞳の色にしても、ただ気になる、それだけの理由でしかなかったが、とにかくもう一度、あの色を見てみたいと思ったことは事実であり、その興味を否定するだけの理由もないというだけのことだった。
たかが他人の目の色に、常になく興味を惹かれるのは、その色が一度きりしか見ることが叶わなかったからかも知れない、とも思う。
密かに観察していて気づいたことだが、どうやらあの瞳の色は、人工灯の下では現われないものであるらしかった。
宝石の中でも光線によって色を変えるものがあるように、太公望の瞳の色も太陽光に反応しているようで、唯一、それらしき変化が仄かに見えるのは、偶然、彼の目元に明るい陽光が差し込んだ時に限られていた。
その推測が正しければ、つまり、あの瞳の色を見たければ、天気のいい日に窓際に寄るか、共に外出するかくらいしか方法はないということになるのだが、マンションの窓には常に薄い羅のカーテンが引かれ、また太公望自身があまり外出をしない現状にあっては、再現など望むべくもない。
そんな幻のような色だからこそ気になるのだろうかと、いつにない己の心の動きを、自分のことながら少しばかり不可思議に感じつつ、今も見えない瞳の色を脳裏に思い描き、密かに向かい側に立つ人を見つめるが、ついぞ、そのまなざしが上げられることはなかった。
ほどなくエレベーターが止まり、緩慢な動きで扉が開いた。
途端に、するりと猫科の動物を思わせる身のこなしで、太公望はエレベーターから出て行き、指示通りに楊ゼンは、その後姿を数秒間、その場で見送る。
「────」
彼の後姿を見ることには、護衛という立場上、もう慣れた。
けれど、あの朝以来、常に彼の後に立つことに、ほんの僅かではあるものの何ともいえない物足りなさを覚えるようになったことに気付いたのは、半月ほど前のことだった。
───後ろに居る以上、決してあの瞳の色は見えない。
たとえこうして共に外出をしても、自分の目に映るのは彼の後姿ばかりだ。
当然のことであるのに、何かが物足りない。
街行く人は誰でも彼の瞳を見ることができるのに、自分にだけは、彼の瞳が見えない。
「──それが何だというんだ」
馬鹿馬鹿しい、と振り切るように呟いて、楊ゼンは雇い主の後を追い、歩き出す。
マンションの外へ一歩出ると、冬の初めの風が鋭く吹き抜けてゆく。が、強い風を感じたのは表玄関の扉を通り抜けた一瞬のことで、穏やかな曇り空の下、楊ゼンの目はすぐに雇い主の後姿を見つけた。
四つ角で、どちらへ行こうかと考えるように一旦足を止め、風の音に耳を傾けるかのように軽く風景に視線をめぐらせて、東へと続く道を選び、また歩き出す。
小柄であるのに、何故か、その後姿は道行く人々の姿にまぎれることなく、楊ゼンはたやすく後をついてゆくことができた。
そして、太公望が曲がったのと同じ角を曲がった時。
先を歩いていた人の姿が、横小路へと引き込まれるのが目に映って。
「!?」
全身が総毛立つような感覚に襲われて、楊ゼンは反射的に駆け出す。
が、その横小路へと足を踏み込んだ瞬間、耳に届いたのは雇い主の鋭い声だった。
「手を出すな、楊ゼン」
びくりと動きを止めた楊ゼンの視線の先、袋小路となっている細い脇道の中ほどで、太公望は見知らぬ男にナイフを突きつけられていた。
ナイフは小さなものではなく、容易に人を殺せる、よく軍隊で使用される片刃のタイプで、緩く反った刃が鈍い鋼色に光っている。
だが、首筋に触れるほど近く、凶悪な刃(やいば)に迫られていながら、太公望は平静だった。
楊ゼンの方は見ないまま、自分に刃を向けている男を静かな表情で見つめる。
ビル街の上空は薄い雲が広がり、陽光はこの狭いコンクリートに囲まれた隙間までは届いていない。が、もしかしたら、男の目には太公望のあの瞳の色が映っているのではないかと、一瞬、楊ゼンはこの場にそぐわないことを考え、急いでそれを振り払った。
「これはわしの護衛だ。わしが命じるまでは手を出さぬ。──要求は?」
「……貴様が『太公望』だな?」
「そうだ」
「ならば──占え」
一つ息を呑み、手負いの獣のように目をぎらつかせ、獰猛な声でささやいた男に対する太公望の答えは短かった。
「良かろう」
あまりにも返答が簡単に過ぎたのだろう。
意味を把握しかねて、男は血走った目をすがめる。
しかし、太公望は構わず、落ち着き払った声で続けた。
「諾と言ったのだ。これをどけてくれ。道具がなければ占えぬし、幾らなんでも、この格好で往来を歩くわけには行くまい?」
「────」
明らかに戸惑った風に、男は楊ゼンへちらりと視線を向ける。
改めて見ると、男はまだ随分と若かった。おそらく楊ゼンとさほど代わらない年齢だろう。
元の顔立ちは悪くないようだったが、精神的肉体的にひどく疲弊して、激しい焦燥に駆られているのが一見して分かる。
だから、楊ゼンは男を刺激しないように、だが、相手がこれ以上の暴力に走らぬよう静かに威圧しながら、男の目を見返した。
「おぬしはわしに占いを依頼した。わしはそれを受けた。ならば、おぬしはわしの客だ。客は、刃(やいば)をもって主を脅すものではなかろうよ」
「…………」
太公望と楊ゼンを交互に見つめ、淡々と言葉を綴る太公望に、このまま居ても埒が明かないと悟ったのだろう。そろそろと男がナイフを引く。
だが、完全にしまうのではなく、前釦を止めていないコートの影になる位置に右手を下ろしただけで、太公望が何か不審な動きをすれば、即座にそれを振るう気であるのは一目瞭然だった。
それを咎めようと口を開きかけた楊ゼンを、太公望が視線だけで制する。
変わらない静かなまなざしに、楊ゼンは内心、諦めの溜息をついて、二人との距離を測りながら袋小路の入り口まで下がり、周囲の人通りを窺った。
「人通りはあまり多くありません。今なら特に見咎められずに戻れるでしょう」
「だそうだ。行くぞ」
すいと踵(きびす)を返して、太公望は男に無防備な背を向け、歩き出す。
どこまで無茶をする気なのかと呆れながらも、楊ゼンはその場で二人が表通りに出るのを待ち、男のすぐ後に続いて通りへと足を踏み出した。
案の定、太公望は何の偽装を施すこともなく、まっすぐに借り物であるマンションの一室へと短い道程を戻り、極普通の顔で男を招き入れた。
そのまま奥の部屋へといざない、相手が握り締めて離さないナイフなど、まるでただの玩具であるかのように綺麗に無視して応接セットのソファーを勧める。
そして自分もまた、向かい側のソファーに体を沈めると、常にそこに置いてあるカードを手に取り、ぱらぱらと両手のひらの間で遊ばせた。
「さて。何を訊きたい?」
一旦は伏せた目を、ゆっくりと上げて問いかける。
その瞳の底知れぬ深い色合いに、落ちつかなげにソファーに腰を下ろした男が小さく身震いするのを、楊ゼンは静かに見つめた。
血走った目を逸らすこともできぬまま、ただでさえ浅かった男の呼吸が乱れ、荒くなる。
だが、それも当然のことだろう、と思った。
太公望のまなざしを前にしてしまったら最後、どれほど鋭利な刃物であろうと、相手を脅すことは愚か、我が身を守ることすらできはしない。どんな肩書きであろうと、力であろうと、彼の瞳の前では全て意味を失う。
この世の全てを見通す瞳の前で毅然と在れる者は、強い信念を持ち、あらゆる場面において真実、誰にも恥じない生き方をしてきた者だけだ。
そうでない者は、得体の知れぬ不安に惑い、圧倒されて怯えるしかない。
楊ゼン自身にも覚えがある。そして、この男もその凡百な人間の一人だという、それだけのことだった。
「──俺の…」
かすれた声を絞り出すようにして、男は言葉を紡ぐ。
「俺の物を、取り戻す方法を──…」
脂汗を額に滲ませた男の形相を数秒間見つめ、太公望は目を伏せて、手早く卓上でカードを円を描くように混ぜ、一つにまとめたものを更に五つの山に分ける。
そして、無造作でありながらもしなやかな動きで、三重の七芒星の形に伏せたカードを並べた。
「求めるものは、北西に。さほど遠くない。
求めるものは……一つではないな? どちらも同じ場所にある」
手早くカードを表に返しながら、太公望は淡々と託宣を告げてゆく。
「求めるは、愛しいものと、暴力、憎しみ。だが、相反する二つのものを手に入れるのは至難の業……。
二兎を追えば、全てを失う。ましてや、今のおぬしでは……」
語尾を濁らせた太公望に、男が神経質に反応する。
「今の俺では、とはどういう意味だ」
「このカードだ」
殺気を響かせる低い声に、太公望は動じもせず、重なった三枚のカードを細い指先で示した。
「焦燥と苛立ち、不安、激しい悲しみ、怒りと恐怖。そうまでも混乱していては、成功するものもするまい。ましてや、おぬしの望むものは……。
おぬし……」
太公望の瞳が、まっすぐに男に向けられた。
昼間とはいえ屋内であるから、瞳の色は常と同じ深い色でしかない。が、楊ゼンは一瞬、あの色が見えたような気がして、思わずまばたきし、目をこらす。
が、やはり彼の瞳の色は、いつものカードを手にしている時の聖とも魔とつかない、人に在らざる色合いのままだった。
「おぬしが真実、欲しいものはどちらだ? 愛しいものか、復讐か」
「両方だ!!」
ずばりと切り込んだ問いかけに、男が怒鳴るように応じる。
だが、その声の鋭さにも、含まれた憤りと殺意にも太公望は動じなかった。
ただ静かに、相手を見つめて言葉を紡ぐ。
絶対者の如く、容赦のない言葉を。
「相反する望みを同時に叶えることは、今のおぬしには出来ぬ。無謀は破滅を招く。
おぬしは望みを叶えたくて、わしの所へ来たのだろう? だが、あいにく、わしは神ではない。不可能を可能にすることは出来ぬよ。わしに出来るのは、真実を告げること。それだけだ」
「そんな、……!」
そんな馬鹿な話があるか、とでも続けたかったのだろうか。
けれど、男の言葉は途中で力なく途切れる。
この男も、刃を手にしてまで『太公望』を訪ねてきた以上、彼の託宣の確かさは聞き知っているのだろう。
太公望の占いは決して外れない。
非情なまでに真実しか、彼は告げない。
それを知っているからこそ、男は激しい苦痛を感じているかのように顔を歪める。
そうして、長い長い時間が過ぎて。
「茗芳……」
魂を絞り出すような声で、男は一つの名を呟いた。
「茗芳……、あいつだけは……!」
メイファンという響きに込められた感情の色合いから、女の名だろうと楊ゼンは思う。
祈るように、希(こいねが)うように、男はナイフの柄を握り締め、その名を繰り返す。
その様子を見つめていた太公望は、無言のまま、新たにカードを切り直して卓上に並べ直す。
「求めるものは、その場所の中心から見て北東にいる。自由を奪われている暗示……おそらくは監視を受けているのだろう。用心棒らしき影がある。病や怪我の暗示は……ない。だが、怯えて混乱し、悲嘆に暮れている。
それを取り戻す際に注意すべきは、おぬし自身の心だ。感情に流されて冷静さを失えば、破滅する」
淀みなく告げ、太公望はゆっくりとまなざしを上げた。
底知れぬ深い色の瞳が、男を真っ直ぐに見つめる。
「一旦心を定めたなら、決して二兎を求めようとしてはならぬ。心を揺らせば、おぬしはおぬしが選んだものすら失うぞ」
「───…」
素直には承服しがたかったのか、男は少しの間、挑むように太公望を見つめ返していた。
が、口を開きかけて、唇を震わせ、ぐっと下唇を噛み締める。
そして、指の関節が白くなるほどにナイフの柄を握り締めていたが、やがて、自分に何かを言い聞かせるかのようにゆっくりゆっくりと手から力を抜き、ナイフを上着の内へと納めた。
「……あんたの言う通りにする」
そう言った男の目は、先程までの焦燥に満ちていた色合いとは異なり、深い苦悩と悲嘆の色が強く滲んでいた。
「復讐は……今は、諦める。今は茗芳を……」
振り絞るような苦い苦い声で言い、そして、ふと思い出したように苦渋の表情を消さないまま上着のポケットを探り、何かを引き出した。
「今、俺が持ってる金目の物はこれしかない。ちょっと壊れちまってるが、直せばまだ動くはずだ。ここに来る前に修理する暇が無かった……」
精緻な寄木細工の卓上に差し出されたのは、金の懐中時計だった。
その装飾からかなりの年代物、しかも鍍金ではなく純金製だと楊ゼンは見て取る。
おそらくは舶来品であろうそれを、太公望は静かに受け取った。
「幸運を祈っておるよ」
静かな言葉を受けて、男は立ち上がる。
もう一度太公望を見つめ、深々と一礼して居間を出て行く。その後について楊ゼンは玄関先まで見送り、ドアの内鍵を下ろして、中へと戻った。
居間に戻ると、太公望はカードも片付けないままソファーに体を沈め、どこか遠いまなざしで、重さを確かめるかのように手の中で懐中時計を転がしていた。
どこか物憂げなその表情に、カードが告げた未来はかんばしいものではなかったのだろうと思いながら、楊ゼンはそっと口を開く。
「先月、釧宣街で黒党同士の勢力抗争がありましたが、彼はそれの……」
「うむ……」
分かっている、と言いたげに太公望はうなずいた。
「茗芳というのは、彼の恋人でしょうか」
「おそらくな」
「……危うい、のですか」
「さて、のう」
楊ゼンの問いかけに、太公望は崩れていた姿勢を正し、カードを片付け始める。
そして、いつも通りに卓の片隅にカードをひとまとめにして置き、懐中時計を手に取って立ち上がった。
「いずれにせよ、わしの役目は終わった。後のことは、あやつ自身が選び、決めることだ」
それ以上は言わず、太公望は居間を出て行き、楊ゼンは一人その場に残される。
彼が自室のドアを開閉する音を聴きながら、見るともなしに卓上のカードを見つめて、そこに浮かび上がる託宣は、少なくとも太公望に充足感をもたらすものではない、と楊ゼンは不意に思った。
天与の才があっても、彼はそれを喜んで行使しているわけではない。
求められるから応じる、それだけなのだ。
もしかしたら、自分が思う以上に、彼の心情は空虚なのかもしれない、と今更ながらに思い至る。
有り余る才を持ち、あらゆる人々の問いかけに神のように答えながら、彼自身は決して満たされてはいない。
そう、彼自身、言ったではないか。
求められたことが嬉しかった、と。
強姦まがいの自分の行為に対してさえ。
「あなたは──…」
人知を超えた才を持つがゆえに空虚なのか、それとも空虚であるがゆえに、あの聖とも魔ともつかない瞳を持つことが叶うのか。
けれど、カードに手を触れていない時の彼は、その空漠さを持て余す一人の人間だということを既に自分は知っている。
……あの、得体の知れない彼の静けさ。
あれは、おそらくはその内に抱えた空虚さから生まれくるものだ。
天与の才に倦み、外れることの無い託宣を厭い、どうにもならない己の生を持て余して。
それが自分のさだめなのだと諦観しながらも、それでも微かに、まだ何かを求めている──それが『太公望』と畏怖され、尊称される彼の真実の姿なのだとしたら。
───死までの時間を数え、ひっそりと静かに呼吸している、彼。
それでも、最後まで生きたい、と一度だけ剥き出しの感情を──必死の目を見せた、彼。
そして、己の名も力も利用するだけ利用し尽くせ、と。
朝の光の中、藍でもなく黒でもなく、淡い墨のような藍灰色にその瞳を透けさせながら。
「───…」
ゆっくりと卓に歩み寄り、楊ゼンは一番上のカードを一枚めくる。
そして、現われた絵柄に目を見開いた。
『DEATH』
大鎌を持つ、死神。
出会ったその日に引いたものと、寸分違わぬその絵柄。
最初の時は何とも感じなかったそれに、今、破り捨ててしまいたい衝動をかすかに覚えながら、楊ゼンはカードをそっと元に戻す。
そして、自分もまた、与えられた部屋へと下がるべく、静かに居間を後にした。
数日後、釧宣街の某屋敷で騒動があり、幾人かが死んだ、という情報が楊ゼンの耳に届いた。
だが、太公望は知らせを聞いても物憂げにうなずいただけで、金の懐中時計も修理に出されることも無く引き出しの奥深くにしまわれたまま、その客についての話題が昇ることは二度となかった───。
長らくお待たせしました。マヨヒガの再開です。
前話から少し時間が経って、また事態が少しずつ変化し始めます。
これが第9話で、最終的に全14〜15話になる予定。
陽光で色が変わる、という性質で思い出すのは、アレキサンドライト。
手持ちのものは、森緑色、あるいは青碧色から葡萄酒色へと光の質によって鮮やかに変わります。
本当は何色なのかと問われても、答えられないのが、この宝石の本質でもあり魅力でもあり。
何を本当と捕らえるかは、見る人の自由なのだと思います。
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