#004:マルボロ







煙草を持つ、彼の手が綺麗だと思う。

カクテルを作る時と同じ、神経質そうな印象ではなく、神経の行き届いた隙のない指先。
無駄など微塵も無い流れるような動きに、思わず目を奪われてしまう。

銘柄は、いつも同じ。
マルボロのメンソール。通称マルメンのソフトケース。
それを1日にせいぜいが1本か2本。夜間のアルバイトの休憩時間にだけ、ネオンの谷間で静かに火をつける。
とはいっても、もともとがいい加減な職場だから、店内の混み具合によって休憩時間はあったりなかったりで、時には1週間まったく吸わないこともあるらしい。

ニコチン中毒ではない彼の煙草は、口に銜えられているよりも細い指先に挟まれていることの方が多い。
赤い小さな火を灯し、古いビルの壁に軽く寄りかかっている彼は、間違いなくくつろいでいるのにどこにも隙が見当たらない。
派手ではないけれど一度見たら忘れられない、人目を引く容貌なのに、声をかけるのはせいぜいが泥酔者か、いかにも店ナンバーワンという顔をしたホステスかホスト、あとはよほど鈍感な阿呆だけだ。
ネオン街にたたずむしなやかな獣のような、イミテーションの中に本物の宝石が一つ混じっているような、凛として艶やかな姿に触れられる者は滅多にいない。


媚びもしない。
誘いもしない。
そこにあるだけなのに人を惹きつけずにはおかない、触れるだけで切れそうに研ぎ澄まされた、クリスタルのナイフのような人。


「どうしてマルメンなんです?」

そんな人の傍らに立ち、言葉を交わすことができるという、密かな優越感。
案外、自分は恋に狂うタイプだったらしい、と軽く自分に苦笑しながらも、そんな馬鹿馬鹿しい感慨をとめるのは、単純であるからこそ尚更に難しいものだ。
決して表情には出さないようにしているが、おそらく恐ろしく切れる彼は、こちらの内心などお見通しなのに違いない。
けれど、わずかに苦笑めいた表情で、それでも敢えて指摘はせずに会話をしてくれる辺りが、とても好きだと思う。

「いくつか試してな、最初に美味いと思ったのがこれだった。それだけの理由だ」
「ああ、ありますよね。最初は苦くて煙くて不味いだけなのに、それが美味しいと感じる一瞬が」
「そう。あれは一種の感動ものだな」
「ええ」

言いながら、彼は細い指先を軽く動かして、灰を落とす。
そのささやかな動きにさえ、目を奪われる。

「おぬしは何故ピースを?」

訊かれ、ちらりとこちらを見上げる深い色の瞳に、また見惚れて。
思わずキスをしたくなる衝動を、ひとまず押さえつけて自分の手元の煙草に目を向けた。

「これが一番、香りが良かったから、ですね」
「それはそうだな。一番キツくて香りがいいといったら、ピースに決まっている」
「でしょう? 身体に悪いとはいえ、ニコチン&タールの含有量が低いのは、ひどい味がしますから」
「確かにな。1mlなんて煙草とは呼べぬよ」
「だからですよ。どうせなら一番良い物を選びたい。それだけのことです」
「おぬしらしい」

くすりと笑う人が、どこまで見透かしているのか。
量るのは難しいが、その中に彼自身も含まれているということは分かっているのだと確信できる。
彼の自己評価は実に冷静で、過剰評価も過小評価もしていない。
だから、僕が惹かれている理由も、最初から彼には分かっているのだろう。

「そろそろ戻るか」

そう言って煙草をアスファルトに落とし、軽く踏み消した後、拾い上げる。
ポイ捨てはせずに店のゴミ箱に捨てるのは、普通の店なら当たり前だが、この街では少々珍しいようにも思う。

「もう少ししたら入ってくるといい。太乙が新作を試したがって、手ぐすねを引いておるから」
「ありがたるべきか・・・・微妙ですね」
「最初にOKしたのはおぬしだろうが」

笑って行きかける人の手首を捉えて引き寄せる。
と。
深い色の瞳が悪戯に微笑った。


古いビルとビルの間の、狭くて薄暗い路地。
ネオンの谷間のようなそこで、短くて濃厚なキスをかわす。


「続きは、また後でな」
「期待して待ってますよ」

するりと逃れ、金属製の重いドアの向こうに消えてゆく細い後姿を見送って、また溜息をつく。

確かにこの手の中に居る人なのに、あまりにも綺麗過ぎて。
らしくもなく鼓動が存在を伝えてくるのを感じる。

「参ったな。あの人なしじゃ、もう居られそうにもない」

ニコチン中毒どころじゃない、と呟いた声は、自分でもひどく楽しそうに聞こえた。










ピースは今、日本で売ってる煙草の中では一番きついのかな? ニコチン22mlだったと思います。
昔、吸ってる奴が居ました。

普通、楊太で煙草といったら、テーマになるのは楊ゼン。
でも捻くれ者の私は、「マルボロ」を見た瞬間に、「師叔だな!」と決定していたのでした。
漢前師叔&ろくでなし楊ゼン、ラヴです。


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