#003:荒野







夢を見た。
何もない、ただどこまでも緩やかに起伏しながら地平線まで続く荒野。
頭上に高く広がる空を、速い速度で雲が流れてゆき、風が強く吹き付けてくる。

何かを思い出せというように。
何も思い出すなというように。

わずかにくすんだ色合いの小さな花だけが咲いている、何もない荒野。
生まれ故郷でもないし、黄土に覆われたこの大地でもない。
あれはどこの風景だったのだろう───。










明け方に見た夢で、目が覚めた。
太陽はまだ姿を現さないが、空は既に明るく白んでいる。
二度寝する気にもなれず、手持ち無沙汰な気分のまま、寝台に起き上がって隣りで眠っている相手を眺める。

白い敷布に流れる長い髪。
静かな、目を閉じていると一種、近付きがたく感じるほどに整った容貌。

昨夜もまた、相手も自分もないほどに深く睦み合った名残は、今も身体の内外に残っている。
けれど。
今は幻のように熱も冷えて、感じるのは自分の存在だけだ。

「────」

枕から零れ落ちている髪を一房、そっと取り上げる。
口元に引き寄せると、清々しく甘いのに、どこかに刺を秘めたような彼の香りが胸に染みた。

「──どうせ起こして下さるのなら、髪を引っ張るより口接けの方が嬉しいんですが」

今の瞬間まで眠っていた割には、ひどく明瞭な昼日中と変わらない声が耳に届いて。
視線だけを向ければ、彼が見慣れた甘い微笑を浮かべている。
どうしたのかと面白がっているようなその瞳に、手にしていた髪を少し強めに引っ張ると、ほんのわずかではあるが、彼の表情が変わった。

「どうしたんです?」

上がった手に、そっと頬を撫でられて目を伏せる。
もう片方の手が背に回り、引き寄せられるままに青年の胸に身体を預ける。

「・・・・・夢を見た」

触れるばかりの口接けを額や頬に幾つも受けながら、秘め事を告げるように小さく口にした。

「見たこともない、どこかの荒野だった。地平線まで続いていて、風が吹いていて・・・・・わしは一人、そこに立っていた」
「それで?」
「それだけだ」
「そうですか」

あやすように背を撫でられ、優しい口接けが繰り返される。
その感覚が。

──ひどく切ない。

唇を噛み締めると、温かな胸に抱きしめられた。
けれど。
その温もりさえも。

──すべて胸の荒野に呑み込まれ、消えてゆく。

注がれる優しさも。
込み上げる愛しさも。
貪欲なまでに呑み込まれて、この手には何も残らない。
ただ無慈悲な風だけが、この身体を吹き抜けてゆく。


「大丈夫ですよ。たとえ、あなたの荒野が消えることがなくても」

不意に告げられた低い言葉に、抱きしめられたまま、まばたきする。

「荒野がどこまで続いていても、僕の想いもずっと続く。それなら、あなたが多少寂しい思いはしても、凍えて死んでしまうことだけはないでしょう?」

あなたを救えはしないけれど、と静かに響いてくる声に。
唇を噛み締めて、温かな胸に顔を埋める。

そこから聞こえてくるのは、荒涼とした風の音。

自分と同じ、荒野の呼び声。




彼も自分も同じ。
地の果てまで永遠に続く荒野を・・・・そこに一人、立ちつくす己を知っている。

風はやまない。
荒野が豊かな実りを結ぶこともない。

けれど。




「楊ゼン・・・・」

決して一つにはなれなくても。
触れ合うことでしか、温もりを分かつ術はなくとも。
それでも、ここに居る。

一人だけれど、一人ではない。
一人ではないけれど、一人。

もどかしい寂しさと、紙一重に存在する愛しさ。
それを知っているから。

「愛してますよ」
「・・・わしもだよ」

口にした端から荒野に消えてゆく言葉をかわして、唇を重ねる。
互いの裡を吹き抜けてゆく、哭きすさぶような風の音を聞きながら、目を閉じて刹那の甘さに酔った。










これは、サイト開設時にupした『雪』と同設定の話。
本当はシリーズ化するつもりだったんですけど、他の作品に時間を取られてこれまで一本も書けませんでした。

生きることの寂しさを知っている二人は、平行線のようで交わっているようで。
互いを愛したことで救われたのか、より寂しさの深みにはまってしまったのか。
作者にも分かりませんが、かなり気に入っている二人です。


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