「……マクドールさん」
「何?」
「レオン……レオン・シルバーバーグって、どういう人ですか?」
「レオン? ……そうだね、一言で言うなら、危険、かな。最短距離で勝利を得るためなら、何をも厭わず全てを犠牲にして、それを悪びれない。ああいう男は野放しにせず、手元で飼い殺しにするのが一番なんだけど……ね」
「……そう、なんですね。やっぱり」
「セイ?」
「いえ。ハイランド皇王様、なんてのになっちゃったジョウイと、そのレオン・シルバーバーグっていう人を、これから一度に相手にしなきゃいけないわけだから。大変というか、責任重大だなぁと思って」
「うーん。確かに僕でも、それはかなり嫌かな。でも、セイなら、ちゃんと頑張れると思うよ。何かあっても、僕もいるし」
「はい。……マクドールさん」
「今度は何?」
「一緒に来て下さってありがとうございました。甘えてるっていうのは分かってるんですけど、やっぱり気分的に全然違うから……」
「君の役に立っているんだ? それは良かった」
「マクドールさんが役に立たないなんてこと、絶対にないですよ」
「そう? セイにそう言ってもらえると嬉しいけどね」
「本当ですよー」











「僕とハイランドの軍門に下ってほしい」
 そう告げられた言葉を。
 彼の後ろに立ち並ぶ、鋭く輝く鏃(やじり)を向けたハイランド兵を。
 セイは顔に表情をほとんど浮かべることなく、ただ見つめた。
「──それは……できないよ、ジョウイ」
「セイ!?」
「他のことなら……たとえば和平交渉なら、できたけど。するつもりで今日、来たけど。降伏は……今ここで、それをすることはできない」
「どうして!? 世界は僕たちが考えていたよりも、ずっと広いんだよ。これはもう、僕たちだけの問題じゃないんだ!!」
 できない、と言い張るセイの真意が理解できないのだろう。ジョウイの声に憤りめいた悲痛な響きが混じる。
「セイ! 僕は君やナナミを殺したくないんだっ!!」
 その叫びに。
 セイは、初めて微かに眉をひそめ、表情を歪めた。
「ジョウイ、君はハイランドの皇王になったんだろう? だからそこに居る……。ジョウイ・ブライトの名で、同盟軍軍主の僕とグリンヒル市長代行のテレーズさんを呼び出したんだろう?」
「そう、そうだよっ! 僕は……!!」
「だったら!!」
 セイの声が、激昂した。
「だったら、どうして騙すような真似をするの!? 嘘で僕たちを呼び出して、武器を構えて降伏しろって脅して……!! 君がそんな事をしたら、一体誰がハイランドを信じてくれる!? 誰も信用してくれなくなるじゃないか!!」
「セイ……?」
「分からないの、ジョウイ!? 君は王様として、絶対にしちゃいけない事をして、言ってはいけない事を言ったんだよ!! それこそ、もう僕たちだけの問題じゃないのに……!!」
「騙まし討ちはされる方が悪い。それが兵法の常道ですぞ、同盟軍の軍主殿」
 不意に、低い男の声が割り込む。
 しかし、セイは男……レオン・シルバーバーグにちらりと目を向けただけで、後はひたすらに幼馴染の青年を見つめる。
「……そう、だね。僕がしたことは……していることは、人として許されないことなんだろう」
 セイの視線の先、蒼白な顔色で、ジョウイはかすかに震えているような声を低く紡いだ。
「けれど。それでも構わないと誓ったんだ。僕は僕の大切なものを守るためなら、誰も傷つけられない平和な国を築くためなら、どんな犠牲でも払おうと……! たとえ卑怯者、裏切り者の謗りを受けても構わないと……!!」
「ね…ねえ、セイもジョウイも何言ってるの!? 分かんないよ、仲良くしようよ、前みたいに……!! ねえ……!!」
 緊迫した気配にたまりかねたナナミの、悲鳴じみてうわずった声がホールに響きわたり。
 機を見て取ったのか、レオンの右手が上がろうと微かに反応を示しかけた、その時。


「裏切りと陰謀は権勢のたしなみ、という昔っからの格言もあるけどね」


 凛、と。
 静かなのにどこまでも透る声が響き、おろおろと上げた手を胸の前で握り締めるナナミを庇うように、一番後ろにいたティルが進み出た。
「久しぶりだね、レオン」
 おそらくは記憶の中にあるものと寸分違わぬその姿に、よく見知っているものには分かる程度にレオンが顔をしかめる。
 が、老獪な軍師は旧主に対し、最低限の礼儀を失しはしなかった。
「……三年半ぶりになりますな、ティル殿」
「ああ。しかし、あなたはこの三年半、暇を持て余していたと見えるね。今更、あのカレッカから出てきて宮仕えとは」
「私には私の野望がありましてな。野に下りられたあなたには、ついぞ関係のないことです」
「野望、ねえ」
 右手に握っていた天牙棍を、とん、と床について。
 ティルは口元にかすかな笑みを刷く。
「あいにくだったね、トランは旧赤月帝国の領土のみで満足してしまって。しかし、あの都市同盟を相手に長年手こずっていたハイランドに居を変えたところで、戦渦を大陸中に広げることは叶うまいよ。知略一つで大陸制覇など、たとえあなたでも出来ようはずがない」
「……出来るか否かは、やってみねば分からぬ事。私は彼に可能性を見出した。ティル殿、あなたの時は見込み違いでしたがな」
「僕は覇王だの乱世の梟雄だのになる気は、さらさらないよ。身の回りのことだけで手一杯の小市民だからね。──それはさておき、レオン」
 声音も口調も何一つ変えることなく、ただ、その名を呼ぶだけで。
 ティルは男の動きを縫い止めた。
「今、この場で。あなたは僕を殺せるのかな?」
「……真の紋章の持ち主といえども、不死身ではありますまい」
「僕に何かあれば、トランが黙ってはいない。それとも、むしろ好都合かな。この場で僕たち全員を殺して都市同盟を併呑したら、そのままの勢いで南下すればいいわけだから」
「そういうことになりますな」
「けれどあいにく、その矢の飛速より、僕のソウルイーターの貪欲さの方が勝る。何なら試してみるかい?」
 真の紋章を宿してはいても、己の本質は魔法使いではなく、ゆえに飛矢を払い落とし、紋章の力を解放するのに必要な間を作ることなど造作もない、と業物(わざもの)の長棍を手にしたまま、トランの英雄は笑む。

 ──その場にいた誰もが。

 伝説となった存在の声に、姿に圧倒されたかのように動きを止める。
 弓矢隊はおろか、彼らに命を下すべきジョウイも、レオンも。
 更には、ティルの背後に立つ面々すらも。
 彼を見つめたまま、声一つ、物音一つ立てることが出来ない。
 時が止まったかのようにすべてが静止し、飽和した緊迫が頂点に達しようとしたその刹那。
「……っ!」
 けたたましい物音と共に会議室の大扉が開き、そこから。
「……ピリカっ!?」
「ピリカちゃんっ!!」
 小さな小さな少女が、広大な部屋の最奥を目指して全力で駆けてくる。
 そして、その向こうからは。
「セイっ! ティルっ! 一旦退くぞっ!!」
「ビクトールさんっ、どうしてピリカちゃんを……!!」
「いいから来いっ!!」
 甲高いナナミの悲鳴のような声をさえぎり、歴戦の傭兵が大音声(だいおんじょう)で叫ぶ。
 それに弾かれたようにセイは、意向を確かめるように振り返ったティルの瞳を仰ぎ、腕を伸ばしてナナミの腕を掴むと大扉へと向かって駆け出した。
「セイっ! 離してよっ、ピリカちゃんが……ジョウイが……っ!!」
「今は駄目だ、ナナミちゃん! ここを出ないと本当に囲まれる!!」
「そんなこと言っても、マクドールさんっ!! セイ……っ!!」
 半狂乱のナナミの腕だけはしっかりと握り締めたまま、大扉を抜ける瞬間、セイは背後を肩越しに振り返る。
「ジョウイ!!」
 ほんの一瞬だけ、足を止めて。
 幼い少女を抱きしめた幼馴染を、まっすぐに見据えて。
「僕は降伏だけはしない!! 君のことは今でも親友だと思ってるけど、でも、仲間を裏切るようなことは僕は絶対にしない!!」
「セイっ、早くしろ!!」
「今行くっ!! ビクトールさん、ごめんなさい…っ!!」
「何のことだ!?」
「ごめんなさいっ」
「分かんねぇよ!! 後にしろ、後に!!」
「セイ! 僕が一番後ろを守るから、君はナナミちゃんを!! ビクトール、先導を頼むっ!!」
「はい…っ」
「任せとけ!! 遅れるなよ!!」
 混乱の中を一団となって、ひたすらに駆けて、駆けて。
 すべてを振り切るように、セイたちはハイランド兵に満ちたミューズを脱出した。

...to be continued.

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