冬物語 〜15. ココア〜
これまで考えたことがなかったけれど、それに思い至った途端、気になり始めた。
聞いたら、彼はなんと答えるだろう?
「なあ、セレスト」
「はい?」
夜の静寂(しじま)の中、ゆっくりと髪を梳いてくれる優しい手の感触と、心地好いけだるさに浸りながら、カナンは口を開いた。
「お前は、僕が王女だったら良かったと思うことはあるか?」
「は・・・!?」
一体何を言い出すのかと、驚いた表情でセレストはカナンを見つめ返す。
鮮やかな翠緑の瞳を、カナンはさりげなく、だが慎重に観察して従者の本音を読み取ろうとした。
たとえば、セレストの言葉や表情に嘘やごまかしが、ほんのひとかけら混じったとしても、必ず自分には見抜ける。その自信がカナンにはあったが、しかし、セレストの表情には、意表を突かれた驚きと、また何を・・・・という呆れにも似た感情しかなく。
そのことに安堵と、一抹の物足りなさをカナンは覚えた。
「昼間に、なんとなく思いついたんだ。僕が王女だったら、話はもっと簡単だったか、ややこしくなったかのどっちだろうかとな」
「はあ・・・・」
「で、お前はどうなんだ?」
「どうと言われましても・・・・」
困惑まじりの溜息をついて、セレストは再びカナンの光を紡いだような眩しい金の髪を撫でる。
優しく手が動くたび、癖のない髪は、さらさらと青年の指の間から零れた。
「正直に申し上げるのなら、これまで一度も考えたことがないといえば嘘になりますが・・・・」
「が?」
「すぐに考えるのを止めました」
「何故だ?」
「カナン様のご気性で女性だったらなどと、想像するのも恐ろしいので」
「・・・・・どういう意味だ、セレスト」
一瞬、無意味だからとか不毛だからとかいう理由を想像したカナンは、予想外の返答に目をみはり、それから思い切り眉をしかめる。
「言葉通りの意味ですが」
悪びれもせず、セレストは答えてカナンを見やった。
「お美しく聡明なのに、城下へのお忍び大好きで、ダンジョン探索が大好きな姫君など、想像するだけでも寿命が三十年縮まります。今のあなただけで、私は手一杯ですよ」
「・・・・・・それは嫌味か?」
「嫌味に聞こえるのだとしたら、カナン様にお心当たりがおありだからでしょう」
「腹の立つ奴だなー」
本格的に臍を曲げて、カナンは自分の目の前にあるセレストの右耳に手を伸ばし、ぐいと強く引っ張る。
鍛えようのない場所を容赦なく摘み上げられて、あいた、とセレストが小さく声を上げるのを聞くと、それで少しだけ気が治まった。
そして、カナンは手を離すと、改めてセレストの翠緑の瞳を見つめる。
「だが、僕の気性云々の不敬発言は横に置いておくとしてだ。僕が王女なら、お前は正式に僕を妻にもできたんだぞ」
「そんなことは・・・・」
「可能性としては十分にあるだろう?」
王女を妻とするなど畏れ多い、という顔をしたセレストに、カナンは冷静な口調のまま指摘する。
「我が王国は幸い、王女を政略結婚の道具にする必要などないからな。お前は騎士団長の嫡男で、王家に仕える近衛騎士だし、身分的には全然問題ない。双方が望めば、簡単に許されたはずだ」
「・・・・そうかもしれませんが・・・・でも、姫君の婿など私の柄ではありませんよ」
「そういうお前だからこそ、だ。王女を妻にしたことを利用して宮廷の権力を握ろうとするような奴に、王家の婿の資格があるものか」
「はあ・・・・」
断言するカナンに、セレストは曖昧な表情で頷いた。
「ですが、カナン様。仮定の話は、結局は無意味ですよ」
お分かりでしょう、とセレストは穏やかな口調で続ける。
「カナン様が王女でいらしたら、私はリグナム様にお仕えしていたはずです。こんな風に特別に想い合うような機会自体、ないはずですよ」
「そんなことは分からないじゃないか。現に今でもお前は、姉上とは親しく言葉を交わすだろう? 主君の妹がお前を見初めるという事だってあるはずだ」
「・・・・・何かのお伽話のようですね」
次期国王の側近である騎士と、王女の恋物語。
幼かった姫君は年月が経つと共に大輪の花が開くように美しくなり、いつしか一人の女性として、子供の頃から兄のように慕ってきた騎士と向き合うようになる。
そんな、めでたしめでたしで終わるような甘い物語を想像したのか、セレストは苦笑した。
「それはそれで幸せだったと思いますが、でも、今のままで十分ですよ。私は」
「・・・・そう言いきれるのか?」
「ええ」
極上の宝石のように青く澄んだ瞳で見つめたカナンに微笑んで、セレストはその白い額にキスを一つ落とす。
「大切なことをお忘れですよ、カナン様。私にとっての主君は、あなたしかいないんです。リグナム様も本当に素晴らしい、主君としてこれ以上望めないほどの方ですが、私の全てをかけてお仕えしようと決めたのは、あなた一人です」
「・・・・・僕は、お前の主君になりたくてなったわけじゃないぞ」
「それは重々分かっておりますよ。ですが、私にとって、ずっとあなたはそういう存在でしたから・・・・」
許して下さい、と触れるだけの甘さでセレストはカナンに口接けた。
「ただの主君だと思っていたら、こんなことはできません」
「・・・・お前、口が上手くなったな」
「そうですか?」
半分不機嫌、半分ご機嫌の複雑な表情で、カナンは青年を見上げる。
そうして、手を伸ばし、セレストの髪をつんと引っ張った。
「まぁいい。お前がそう言うのなら、僕だって現状に不満があるわけじゃないんだ。自分が女性になりたいとも思わないし、お前が女性で侍女だったらなんて想像する気もないしな」
「・・・・それは勘弁して下さい」
「安心しろ、僕だってお前の女装姿なんか想像したくない」
「そうおっしゃっていただけると助かります」
心の底からの溜息をついて、セレストは上半身を起こし、放り出してあったシャツを羽織った。
「何かお飲みになられますか、カナン様」
「うむ」
「でしたら、少しお待ち下さい」
もう一度、優しくカナンの髪を撫でて、ベッドを降りてゆく。
やわらかな寝具に頭を預けたまま、カナンはその広い背中を目で追った。
そうしながら、自分は確かめたかったのかもしれない、と考える。
ずるい話だが、人には言えない自分たちの関係を肯定して欲しかった気がするのだ。
セレストが、今のままの自分を望んでいてくれるのだと分かっていても、それでもなお。
一番・・・・誰よりも好きな相手だから、そのままでいいと言ってくれることを、心のどこかで望んでいた。
「僕はずるいな」
「何がです?」
ほどなく湯気の立つマグカップを手に戻ってきたセレストを、カナンはベッドに横たわったまま見上げる。
「お前にだけ言わせた」
「え?」
真夏の空よりもなお青い、深く輝く瞳でセレストを真っ直ぐに見つめて。
「僕も今のままのお前がいい。お前以外の、他の誰も欲しくない」
「カナン様」
真っ直ぐ告げた言葉に、セレストが軽く目をみはる。
そして、その言葉の意味を飲み込むようにまばたきしてから、ゆっくりと微笑み、手にしていたマグカップをサイドテーブルに置いた。
そっと伸ばされた手が、優しくカナンの頬に触れる。
「──あなたが好きです」
「僕も、お前が一番好きだ」
互いに飾りも何もない、けれど、そうとしか表現できない想いを言葉にして告げて。
ゆっくりと唇を重ねる。
触れ合った所から生まれる甘さは、胸が苦しくなるほどに愛しい。
想いのままに腕を伸ばし、存分に相手を求めてから、名残惜しさを残して唇が離れる。
「・・・・すまないな」
「はい?」
「お前に甘えた。気持ちは一緒なのに」
真っ直ぐにまなざしを上げて静かに言ったカナンの言葉に、セレストは微笑した。
「構いませんよ。いくら甘えて下さっても」
「いくらでも?」
「ええ。これでもカナン様よりは大人ですからね。大切な方の前でくらい、格好をつけさせて下さい」
瞳を覗き込みながらそう告げると、セレストは上体を起こして、サイドテーブルに避難させたマグカップを取り上げ、カナンにも起き上がるように促した。
「熱いですから、気をつけて」
「ん」
うなずいて、カナンは愛用のマグカップを受け取る。
そして、甘いホットチョコレートを一口、火傷をしないように用心しながら啜って、傍らの青年を見上げた。
「なあセレスト。本当に甘えてもいいのか?」
「ええ」
躊躇いもなくセレストが頷くと、途端にカナンは花が咲いたような笑顔になり。
「じゃあ、明日は一緒に城下に行こう!」
明るく言い放たれた言葉に、セレストの目が点になった。
「はい!?」
「何でも言っていいと言っただろう?」
「言いましたけど、そういうのは甘えるとは言いません!」
「じゃあ何だ」
「そういうのは、無理難題というんです!!」
「なんだ、心の狭い奴だなー」
「そういう問題じゃないでしょう!?」
満天の星が輝く夜の静寂(しじま)の中、一時、第二王子の私室が騒がしくなる。
だが、それもほどなく静まり。
「ずるい奴だなー」
「ずるいのはカナン様の方でしょう。人の揚げ足をお取りになって・・・」
溜息まじりに、セレストは空になったマグカップをカナンの手から取り上げる。
それから、横になるように促した。
「もうお休み下さい。夜明けまではここに居りますから」
「ちぇ。結局お忍びは不可なのか」
「当たり前です」
「つまらんな」
つまらんつまらん、と繰り返して、それからカナンは手を伸ばし、セレストのシャツの袖を、つんと引いた。
「じゃあ、妥協案だ。これから二十四時間以内に、キスを最低20回はすること。これでどうだ?」
「・・・・今度は選択の余地なしですか」
溜息をつき。
けれど、カナンの意図を違えることなく、セレストはベッドに片手をつくと、空いた方の手でカナンの前髪をさらりとかき上げた。
そしてあらわになった額にキスを落とし、次いで目元にも頬にも軽く口接ける。
それから、カナンの瞳を至近距離から覗きこんだ。
「──数えるのは、唇へのキスだけですか?」
「勿論」
「じゃあ、まずはこれで一回、ですね」
言葉と共に降りてきた、優しい口接けにカナンは目を閉じて受け止める。
今夜最後のキスは、触れるだけでそっと離れていって。
「・・・・ずっとお傍に在り続けますから」
「うん」
温もりを感じる少しの間だけ、互いの背を抱きしめてから、ゆっくりと腕を下ろし、カナンは毛布の間にもぐりこむ。
その肩まで、セレストは毛布を引き上げた。
「おやすみなさいませ、カナン様」
「おやすみ」
答えながらカナンが毛布の隙間から差し伸べた手を、すぐに温かな青年の手が包み込むように握る。
その確かな感覚にカナンは微笑んで、目を閉じる。
──夜が明ければ、また新しい朝がやって来る。
けれど、隣りにはいつでも誰よりも大切な存在が居る。
優しく笑いかけ、時には困った顔や少しだけ怒った顔で。
その温かな手で触れて、キスをしてくれるだろう。
そんな今日と何も変わらない、でも全く違う愛しい一日が、またやってくることを確信しながら、カナンは穏やかな眠りに落ちていった。
さてさて、冬物語最終回。
こちらも甘く、優しい雰囲気で締めてみようと思ったのですが、どうにも失敗したようです(-_-;)
こちらの二人は、別サイドの熟年新婚カップルとは異なり、交互に不安になったり強気になったり、シーソーかやじろべえのようにゆらゆらしながら、前に進んでゆく感じですね。
彼らのたどり着くところがどんな風景なのか、まだ見えませんけれど、それでも二人で頑張っていくんだろうなという気はしてます。
まだまだこれからの未成熟な主従カップルに幸いあれ、です(^_^)
それでは実質1ヶ月以上に及ぶ長い間、お付き合い下さいましてありがとうございました。
これをもちまして、年末年始企画・冬物語は完結です。m(_ _)m
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